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連載・東北紀行(第3回)

3.山田町大沢
 国道45号を南下して、山田町(やまだまち)大沢地区に入る。ささやかな高台へと続く坂道を少し上がったところに、大沢ふるさとセンターがあった。避難所になっている。小公園のような芝生の庭があり、そこから海岸と被災市街地がきれいに見渡せた。庭にいた男性は、ぎこちなく会釈した僕に、関心を持つでも、迷惑がるでも、歓迎するでも、訝しがるでもない、さながら無色透明な反応を返しつつ、ゆっくりと立ち去った。おそらく、この庭に立ち寄っては、海側に向けてシャッターを切り、慨嘆し、また去っていくという、僕らのような人たちが、数え切れないくらい来たのだろう。
 ガレキは仮置き場へと運ばれたようで、キレイに片づけられている。建物が建っていたことは、基礎のコンクリートが残っていることからはっきりとわかるが、建物はほとんど残っていなかった。防潮堤もかなり慎ましやかで、とても今回の津波に抵抗する力はなかっただろう。
 ひとしきりシャッターを切って戻ろうとする僕に、ひとりのおばちゃんが近寄ってきて声をかけた。「私に会いに来た人ですか?」「…はい?」
 人違いだとわかったらしいおばちゃん、一気にしゃべる。知り合いでどうしても被災地を見たいという人がいるので会ってやってくれ、と親戚に頼まれて、今日、顔も知らない人が私を訪ねてくる、あなたがその人かと思ったの、と。ここで避難所生活を送っているとのこと。今も80人くらいいるかなあ、ピークには何百人といましたよ。僕らが、駆け足で被災地を見て回っているのだと告げると、ご苦労さまです、とにこやかに言った。…苦労しているのは僕らではない、決して。
 壊滅的な市街地に、営業中ののぼりが1つ立っていた。年季の入った2階建てだ。前日だかに営業再開したとのこと。よく残りましたねえ、この建物。お店のおばちゃん、一気にしゃべる。役場も木造だった頃に、この人(ご主人)のおじいさんが鉄筋コンクリートで家を構えたの、それが残ったの、感謝だわぁ。地震の時は、もう怖くて裏山の神社に逃げたんだけど、そこも怖いからさらに奥の小学校まで行って一晩過ごしました。翌朝に戻ってきたら、こんなだった。2階の半ばまで水が来たんですよ。津波が終わったと思って戻った人がたくさん犠牲になりました。こちらでも、視察について、ご苦労さまですとの言葉をもらった。…繰り返すが、ご苦労なのは僕らではないのだ、決して。
 どちらのおばちゃんも、とても話したそうだった。たぶん、被災者でない人と。僕で構わなかったのなら、本当はずっと聞き役を務めてもよかったのに。そそくさと先を急ぐばかりで、ごめんなさい。

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大沢ふるさとセンターから臨む被災地。海辺の市街地は壊滅。

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中央に「営業中」ののぼり。右手の緑が高台の神社へと続く鎮守の森。

by mono_mono_14 | 2011-09-22 23:54 | 街/citta | Comments(0)

『ゴーストタウン』

Ho letto un libro intitolato "La Citta' Fantasma (Ghost Town)" da Elena (autrice) e Yukari (traduttrice) su Chernobyl con tante le belle foto e saggistiche. Ringrazio ad Elena per il tuo coraggio ed intellectualita', anche a Yukari per le tue belle traduzioni. E' un futuro di Fukushima? Non lo so, magari no.

 たまたま本屋で見つけて、手に取り、パラパラとページをめくり、迷わずレジへと持っていき、あっという間に読み終えてしまった。エレナ・フィラトワ著・池田紫訳『ゴーストタウン』。新書。オールカラー。税抜き1,200円。
 ウクライナの女性ライダー、エレナが、バイクをかっ飛ばしてチェルノブイリ周辺を駆けめぐる。いくたびも。その記録の一部。エレナがウェブサイトにつづっていた記録を、池田が見つけて翻訳していたそうで、それが1冊の新書に結晶したようだ。福島第一原発の事故が起きなければこの世に出なかった本かも知れないけれど、だからと言って、この本を福島の未来予想図として読まなければいけないわけではないだろう。
 詩のような写真と、透き通った文章。写真集であり詩集であり紀行文であり報告書でもある。過度にセンセーショナルを煽ることもなく、過剰にドラマティックを装うこともなく、チェルノブイリの現在がスライドショーのようにゆっくり静かに流れていく。ある日、突然、暮らしから切り離され、人がいなくなった街。そういう空間が、どのように時を刻んでいくのか。手入れ(人の暮らし)がなければ街は朽ちていく。人がいてこその街だ。そんな当たり前のことを改めて教えてくれ、「都市計画」の片隅に籍を置く身としては、いろいろと感じさせられ、考えさせられるところが多かった。近代的で計画的な団地がゴーストタウンと化しているさまは、なんだかぐっと胸に迫るものがあった。この1冊を送り届けてくれたふたりの女性の勇気と知性に感謝したい。
 関係ないけど、オールカラーの新書というのは、けっこう優れたメディアなのではないかと思った。
by mono_mono_14 | 2011-09-22 23:47 | 本/libro | Comments(0)

連載・東北紀行(第2回)

2.宮古市田老
 田老町(たろうちょう)は2005年の合併で宮古市田老になったが、ただ「たろう」と呼ぶことにしたい。田老には、海面からの高さ10mの防潮堤が、総延長にして2.4kmにもわたって築かれていた。1960年のチリ地震津波を食い止めたことで、田老の防潮堤は、一躍その名を世界にとどろかせることとなった。それこそ世界中から視察が絶えなかったという。だが、その田老の防潮堤も、今回の津波は防げなかった。津波が防潮堤を乗り越えたというだけでなく、一部の防潮堤自体を破壊していった。…というのは、3.11以降のにわか勉強をたどたどしく書きつらねたに過ぎない。
 国道45号を南下して田老に入る。夕暮れが近づく時間帯。濃霧。過剰なまでに荒涼感が醸しだされるなか、視界に荒野が広がった。すでに発災から4カ月近くが経っていた。巨大な津波に押し流され、激しい引き波に引き戻され、それこそ木っ端みじんに砕かれた木造住宅は、大量のガレキとなって辺りを埋めつくしたはずだが、それらはすでにどこかへと片づけられていた。
 車を降り、津波避難場所だったと思われる高台に向かう。階段の手すりがひん曲がっている。高台の小広場から見えるのは、ただただ茫漠と霧にかすむ荒れ地と、「たろう観光ホテル」の哀しい佇まいだ。壁がはがされ鉄骨の柱がむきだしになっていることから、少なくともホテルの3階の高さまでは強烈な勢いの津波が押し寄せたのだなとわかる。静かだった。葉ずれの音。ときおり通過する車のエンジン音。そして、また静寂。こちらも無言。この荒涼と広がる光景にかける言葉がない。
 防潮堤に行ってみる。時間に追われていたのか、写真を振り返ってみると、「万里の長城」とも称されたその防潮堤の上に、僕はなぜだか上がっていなかったようだった。倒壊をまぬがれた2棟の鉄筋コンクリート造とおぼしき建物。その向こう側に防潮堤。街を守れなかったことを悔やみ、肩を落としてうつむいている。またしてもかける言葉がない。日暮れの時間が迫っていた。
 田老を訪れるのは初めてだったが、その地名には馴染みがあった。田老町を対象にした1970年代半ばにつくられた計画レポートが手元にある。ここに書かれている思想と提案が僕はとても好きで、まるで愛読書のようにしばしば読み返していた。わくわくするのだ。だから僕にとっては、田老という地名は、この計画書がもたらしてくれたわくわくした感じと切り離せない。今回の津波で田老は壊滅的な被害を受けた。かつてのように社会も若くない。状況は厳しく、困難は多いだろうと思う。それでも、いつの日か、わくわくする思いを胸に田老を再訪できるときがくる。そう信じている。

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荒れ地と化した市街地の跡地が広がる。右端がたろう観光ホテル。

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ぽつんと残る建物2棟。背後を走るグレーの帯が防潮堤。

by mono_mono_14 | 2011-09-16 13:20 | 街/citta | Comments(0)

勝川俊雄『日本の魚は大丈夫か』

 会社の向かいにある小さな書店では、何度か覗いてみても、この本が置かれる気配がない。こちらならあるかなと思って、少し足を伸ばした負けず劣らず小さな書店には、5冊ほどが平積みになっていた。そうあるべきだと思う。勝川俊雄『日本の魚は大丈夫か』。オススメ。

 注文した昼食ができあがるまでの間に気軽に読み始め、恥ずかしながら序でノックアウトを食らいそうになった。真摯で、他人をリスペクトして、内なる情熱は隠そうともせず、それでいて独りよがりとは感じさせない、そして読み手を惹きつけていく、そんな筆致で、水産業改革への意志が宣言されている。
 もちろん序だけではなく本文もおもしろかった。内容については、本を読んで理解してもらうべきなので、特に立ち入った紹介はしないが、本のつくり方で感じ入ったことを少しだけ記しておきたい。
 まず、漁業を取り巻く実態についてほとんど素人である僕のような読者たちのために、日本の漁業の歴史、問題点、海外の成功例などを簡潔かつ読みやすくガイドしてくれているのがありがたい。そして、それを鵜呑みにするのは読み手としてはまったく正しくない態度であるけれど、ひとまず鵜呑みにしておこうと思わせる滑らかさで、漁業の現在地点がつづられている点が素晴らしい。入門書として、ある種の理想型(少なくともそのひとつ)であるような、構成と内容、文体だと思う。平易でわかりやすい。そして、表現を平易にすることによって専門的に大事なことが失われることは少なくないが、その逸失率が小さいように感じられる。
 もしかすると、あまりにすらすら読めて、腑に落ちたり、膝を打ったりするものだから、なんか、うまいこと言いくるめられてるみたいで、ちょっとうさんくさいなあ、などと感じる向きもあるかも知れない、と思ったりもするのだが、僕としては、この文章は誠実さとして受け取りたい。
 漁業改革とは関係ないながら、水産物と放射能汚染について、特別に章が1つ設けられている。ここでの書きぶりも誠実で、ひとりの消費者・生活者としてもありがたかった。国のスポークスマンが、こんなふうに状況を説明してくれていたらよかったのに、と思う。

 そして、なんと言っても、この本のオソロシイところは、「水産業」のところを、他のあらゆる業界に置き換えても成立してしまいそうなこと。自分が関心を持っていて、かつ未来にうっすらとした(くっきりとしていてもいいが)不安を感じている業界、あるいは手っ取り早くは自分の属する業界に置き換えてみると、ちょっとした慄然とした気分が味わえる。いや、オソロシイ。
 おそらく、日本における何か(産業、文化、作法等々)の衰退だか退廃だかは、ほとんど同じ構造を持っている、ということだと思う。戦後を引っ張ってきた仕組みは、当時それほど強烈に素晴らしくできていて、全方位的に有効だったのだろう。戦後復興に有効だったそのブースター装置(成長加速型)も、しかし本当なら、せいぜい20年かそこらで次のエンジン(成熟巡航型)に切り替えなければいけなかったのに、そのまま50年以上も全開で回してきてしまった。そのツケが急速に膨らんでいる。遅れてきた副作用に打ちのめされている。そのあまりの痛みとツケの大きさに、ついこの事態には抗うすべが見あたらないよと思わされてしまう。
 しかしこの本は、そうじゃない、と言う。ぎりぎり間に合う、やろうぜ、と。水産業を語っている本だけれど、水産業に限らず、それぞれのフィールドが陥っている負のスパイラルから抜け出そう、そのための革命的ストラグルを始めようという、宣言の書であり、誘いの書でもある。そう読んで支障ない。もちろん、自分のフィールドの改革案は、自分で考えなければいけない。
 できるだけ多くの人に読んでもらえるといいと思う1冊。
by mono_mono_14 | 2011-09-15 20:47 | 本/libro | Comments(0)

連載・東北紀行(第1回)

0.はじめに
 7月の初旬に駆け足で東北の津波被災地を巡ってきた。遅ればせながらの視察旅行の末席に連なったのだった。それからまた2カ月が経過した。今さらながらに思い立ち、ここに若干の記録をとどめておくことにした。私的感傷にとどまるかも知れず、したがって、書き、公開することの意味があるかは、やや心もとなくもあるが、やってみることにした。行程に沿って北から下っていく。初志貫徹できれば十数回程度の連載になる見込みである。もっとも、原稿を書きためているわけではないので、掲載は不定期にならざるを得ない見込みでもある。どうかご容赦のほどを。ともあれ、始めてみることにする。

1.普代村
 水戸と言えば黄門だが、普代と言えば水門だ。…。秋冷。
 普代川の河口からざっと1.5kmほど遡ったところに普代村(ふだいむら)の中心市街地がある。その市街地を守るために、河口から500mほどの位置に普代水門はある。高さは15.5m。その高さ15.5mの水門を、津波は乗り越えていったのだと言う。だが、その水勢の相当程度を水門が殺いでくれた。そのおかげで、市街地には大きな被害が及ばなかった。普代村は、三陸沿岸にありながら、今回、居住地は津波の被害をほとんど受けなかったとされる。
 高さ15mと言えば、5階建ての団地住棟に匹敵する。川幅いっぱいに並んだ5階建ての団地のような水の壁が、猛烈なスピードでこちらへやってくるのだ。想像しがたい。おそらく今回の地震津波が川を遡るさまは、どの川でも想像のはるか遠く及ばない光景だっただろう。だが、そのことをはっきりと想像できた先人が、この水門をつくったのだ。
 水門があったから助かった、というだけではない。報道によれば、自動で閉まるはずの水門がトラブルで閉まらず、駆けつけた係員が手動で閉門したそうだ。とにかく水門を閉めるということが、頭ではわかっているというようなことではなく、それこそ身体にしみこんでいたのだと思う。
 普代川に沿って海岸に出て、ほんの少しだけ南に下ったところに太田名部(おおたなべ)という地区がある。壁のような防潮堤がそびえ立っている。これも高さが15mあると言う。防潮堤の外側にある太田名部漁港や漁業関連施設などは津波に襲われ、大きな被害を受けた。しかし、津波は防潮堤を越えなかった。市街地は無傷で守られた。3月10日と変わらない街並みが、3月12日にもそこにあった。三陸沿岸の低地にそういう地区があることは奇跡だとしか思えないが、たぶん、この防潮堤をつくりきった普代村の先人の揺るがぬ決意と実行力こそが、奇跡だったのかも知れない。
 太田名部の防潮堤に上がる。おりからのやませが運んできた霧に家々が包まれている。漁業施設の被害が甚大なので、生活への影響もきっとあるだろう。でも、変わらずここに家があり、家族がいて、暮らしがある。その奇跡をかみしめる気配が家々から細く静かにたちのぼり、白い濃霧に溶けていく。
 Googleマップの航空写真は、かなり早期から被災後に撮影された写真に切り替えられている。もし時間と興味があれば、普代村を空から見てみてほしい。赤やら青やらの屋根が、当たり前のようにそこに見えているから。そんな当たり前の光景に驚かされるという状況に、改めて愕然とする。

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上流側から見た普代水門。管理用の橋が落ちた。

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太田名部防潮堤から家々を臨む。奇跡の風景。

by mono_mono_14 | 2011-09-12 11:01 | 街/citta | Comments(0)