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ゆきがやんだら

Sentivo uno shock ad un libro illustrato intitolato "Giorno di Neve" di Komako Sakai. Non riesco a mettere i miei sentimenti in parole, ma veramente bellissimo. Che bei grigi!

 酒井駒子『ゆきがやんだら』。絵本。こどものための絵本かと言えば、もちろんそうなのだろうけれど、どちらかと言えば、おとな向けなのではないかしら、と思わせる絵、また絵。画集と呼んでもいい。その方がしっくり来るような気すらする。心の深いところと響き合うショートムービーのよう。深い深い叙情的な余韻。なんて美しい灰色!
 雪が日常的ではない地方でしか暮らしたことのない僕なので、この本が描いたような雪の1日は何度か訪れている。雪が、何もかもふだんとは違う非日常的な時間と空間をもたらしてくれるという経験は、確かにある。すっかり忘れていたそんな日の記憶がたぐり寄せられる。何かを思い出すのではない。確かにそういう日があったよ、という僕の心のどこか、底の方に埋もれている記憶の地層に、直接、こつんと触れられた感じがする。小さく揺さぶられた感情が、底の方からじわっと浮かび上がってくる。雪に包まれる団地の絵は、何度見ても鳥肌が立つ。額装して飾りたいと思うほどだ。
 東京もそれなりの雪に見舞われるのでは、とも言われていた2月の3連休は、事前の予報ほどのこともなく過ぎようとしていて、そのことは、寒がりとしてはありがたいことでもあるのだけれど、この本が揺り起こしてくれたような「雪の日」のセンチメントをじんわりと感じる機会を逸したという意味では、ちょっぴり残念なことでもあるのでした。
by mono_mono_14 | 2011-02-13 13:21 | 本/libro | Comments(0)

内藤廣『環境デザイン講義』

Un nuovo libro da Hiroshi Naito e' molto interessante e mi da' tanti suggerimenti sul mio lavoro.

 やばい。おもしろすぎる。しごとにならん。…というわけで、予定をはるかに前倒しして読み終えることになってしまった。内藤廣『環境デザイン講義』。以前、ここにも書いた『構造デザイン講義』の続編で(と言うか、意図としては三部作の2作目らしい)、東大で行った授業の記録だ。
 東大工学部の学生向けの講義だけれど、人間が身の回りの環境をどう感じているかという話なので、たぶん、誰が読んでも読み手なりのおもしろさを見つけられるんじゃないかと思う。修行したスペインをはじめ、さまざまな旅の経験なども語られるし、映画や絵画が描いた「環境」を補助線に取り上げたりもしている。

 ここで内藤が言う「環境」は、どちらかと言えば、「設備」を言い換えたものとしての「環境」だ。その「環境」を、「光・熱・水・風・音」の切り口から眺め、語る構成になっている。これは、環境を構成要素に切り分けた、という意図ではなく、人が環境(つまり、いまいる場所のこと)をどう感じるか、という感じ方から組み立てられた区分だ。これに、内藤流の私的で詩的な解釈が添えられている。著者に属する事柄なので、ここで勝手に紹介するのは控えるが、この解釈がとても魅力的だ。豊かだ(参考までに、それが披露されているのは154~158ページ)。自分ならどういう解釈を添えるだろう…と思いめぐらしてみて、これはなかなかの難題だということを実感した。考えがいのある宿題だ。

 この本で、内藤がいろいろに言い換えながら繰り返し述べているのは、環境はどこかで切り分けられるものではないのだから、部分に着目せざるを得ないときでも、常に全体的・総合的な目配りで考えるべきだということと、環境を考えるベースとなるのはひとりひとりの体験であり、体感であり、感受性なのだから、自分のセンサー(五感)を常に磨き、感じたことを客観的に把握する努力を怠ってはいけないということだ。
 若く優秀な学生たちに向けられた言葉だが、若くなく優秀でもないクワランタトレがわが身を省みるのに役立てようとしても、たぶん差し支えないだろう。特に、感じる努力だけでなく、それを客観的なデータに変換してストックしておくことが大事だ、というあたりは、最近、痛感していることもあり、沁みた。つまるところ、日々の努力が圧倒的に足りないのだ、僕は。デイリーライフをおろそかにしすぎているのだ。

 ところで、最近の(都市計画的な)紋切り型では、「環境」と言えば、水、緑、風、低炭素化といったあたりなのだが、内藤は、緑をほとんど取り上げていない(低炭素化は記述のあちこちに散見できる)。もっとも、今回の「環境」は「設備」を言い換えたものだと思えば、「緑」が入らないのは当然と言えば当然のことだ。三部作のトリを務める意匠関連の講義(形態デザイン講義)で言及してくれることになるのかも知れない。いくらか気の早い話だけれども、『形態デザイン講義』の刊行が待ち遠しい(王国社さま:必ずや出版してください)。
by mono_mono_14 | 2011-02-08 15:12 | 本/libro | Comments(0)

『浜矩子の「新しい経済学」』

Un libro da Noriko Hama che ho letto recentemente mi ha dato una piccola guida di pensare alle situazioni aggiornate.

 浜矩子という人のことは、この人は僕がわりと信頼している論者なんだ、と、仕事の面で僕に多大な影響を与えた人、ひらたく言えば恩師的なかつての上司なのだが、その人に紹介されて知った。2年ほど前のことだったと思う。最近、テレビのコメンテーターなどで見かけることも多くなった。何というか、その、独特の色づかいの人だ、うん。
 平積みになった新書に、かつての上司が思い浮かび、読んでみるかと手に取り、帯にあしらわれた著者近影に気圧されつつ、レジへと持っていく。カバーを施してもらったのは言うまでもない。『浜矩子の「新しい経済学」』。
 著者は、敢えて荒くて粗い書きぶりを採用したのだと思う。それが奏功したかはともかく、読み手は、粗さに突っかかってはいけない。あら探し的に読もうとすれば、それだけに終始してしまうだろう。それでは収支が合わない。
 僕にとって有用だったのは、「成長・競争・分配」の3つでは「分配」を、「地球・国家・地域」の3つでは「地域」を、「ヒト・モノ・カネ」の3つでは「ヒト」を重視しなければならない時期だ、という主張だ。外見的には、競争礼賛、弱肉強食、自己責任といったトーンを予感させるのだけれど(大変な失礼を申し上げております)、実際には、ナイーブですらあるような互助的でユートピアンなスタンスが披露されていた。正直、意外だった。もっとも、そのようなスタンスを貫徹することは、とても大変なことで、自らを厳しく律しないといけない側面もあることが、併せて強調されている。
 僕は、この主張に、ただちに、「分配×地域×ヒト≒まちづくり・都市計画」という、我田引水な方程式をアタマの中でつけ加えて、我が意と勇気を得たりしたのだ。つまり、あるべき未来の社会に、都市計画の存在意義があるってことだ、と思ったのだ。実際には、「成長戦略」という(浜さんによれば時代錯誤な)キータームに寄り添った仕事も多いわけだけれど、それはそれとして、少なくとも僕個人のよりどころとして、「分配・地域・ヒト」寄りの視点を確立すべきなんだ、それでいいんだ、という根拠なき確信めいたものを補強してくれた。たまたまの流れを過大評価する僕は、気がつくと、以前はパスした記憶がある原丈人の『だれかを犠牲にする経済は、もういらない』の購入に至っていたのだった。
by mono_mono_14 | 2011-02-07 15:58 | 本/libro | Comments(0)

オーストラリア対日本[亜杯6]

Abbiamo vinto noi! Tutti i samurai hanno fatto benissimo. Sono orgoglioso di nostra nazionale e nostro stile di calcio (Bruno Metsu ha detto che il Giappone sia stato un barcellona asiatico).

 オーストラリアとの決勝。決勝らしい重く鈍いながらも緊迫した試合展開。どちらもゲームを支配するには至らない。オーストラリアのオールドファッションなイングランドスタイルのサッカーは、日本の最終ラインが大会を通じていまひとつ安定感を欠いていることもあり、それなりに怖くはあり、ピンチも招いたものの、でも、これはヤバイな、前半のどこかでやられるな、という感じも持たずに眺めていた。もちろん先に失点することも考えられたけれど、気にする必要もないなと思っていた。とは言え、日本の方も、これといった「らしさ」を出せずにいた。受けてしまっていた。動きの量も質も不十分だった。特に、問題だったのは香川の代役に抜擢された藤本で、彼は、敵にも味方にも飲まれてしまったのか、なにひとつ仕事らしきをしていなかった。
 オールドファッション対策を施してから、日本らしさを少しずつ取り戻すものの、なかなかシュートが打てない。シュートが打てない代表の試合を見るのは、実は慣れていたりするわけで(ちっともよいことでもないのだけれど)、なので、そのこと自体でフラストレーションが増加するわけでもなかったが、ただ、センターバックが簡単にハイボールをかぶったりするのは、ちょっといやだった。1点勝負の様相が色濃くなってくるにしたがって、大会を通じて安定さを欠きがちな最終ラインは不安だった。やられる感というよりは失点するかも感がぬぐえないという感じがいやだった。
 李の投入には、彼が日頃どれほどの気持ちでサッカーに向き合っていたか、そして、それをザッケローニがいかにきちんと見ていて、評価していたか、ということを、しみじみと感じざるを得なかった。そして、李の決勝ゴールは、サッカーの神さま(よく見てくれているものの総じて気まぐれ)の差配だった。トイレ以外にも神さまはいるのだ。「老練なオージーボール」ではなく、「ナイーブなアジアのバルセロナ」の方向に、アジア・サッカーの未来を向けることにしてくれたのだ、サッカーの神さまが。遠藤、長友、李、ザッケローニの、日々の真剣さを讃えてくれたのだ、サッカーの神さまが。神さま、ありがとう、金曜ではなかったけど。
by mono_mono_14 | 2011-02-07 15:53 | 蹴/calcio | Comments(0)

日本対韓国[亜杯5]

Ho immaginato che questa sfida contro la Corea abbia diventato una delle paritite piu' importanti per la carriera di Zac come l'allenatore, e fortunatamente ha vinto la sua squadra con tanti frutti ed anche con tanti compiti.

 決勝へ進む。めでたい。頭痛の種はふんだんにまかれていた試合ではあったけれど、3位決定戦に回るより、決勝に進む方が、はるかによかった。頭痛は治ると信じてこつこつと治していけばよい。
 前半。韓国戦では、かつて見たことのないような試合展開に驚く。コンディションに差はあったのかも知れないけれど、それでも、こんなに韓国を圧した試合運びなんて、とんと記憶にない。プレー内容で圧倒していた。韓国にとって、あの点の取られ方は、ちょっと愉快ではなかっただろう。韓国が日本にボールを持たせていた、という感じは受けなかった。おそらく、ちょっとキツいな、と感じていたのではないか。それでも、スコアでその差を目に見せてくれないのが、日本であり、韓国である。1対1で前半を終える。
 不用意なPKを与えたシーンを別にしても、最終ラインの不安定さがぬぐえない。この試合のスタートはワールドカップ組だったわけだし、テレビですら明らかな両チームの差は、ピッチ上ではより鮮明に感じられるだろうから、もっと安定してよかったはずなのだが、どこかぎこちなく、なぜか自信なげなのだ。スコア的な不満には目をつぶるとしても、この不安は見過ごしにくいものだった。
 後半、いきなり別の試合のようになってしまった。韓国が目に見えてよくなったということでもなく、日本が自滅的に失速していった。運動量が落ち、連携も悪くなり、チャレンジも減り、後手に回った。夢のようだった前半が、ほんとうに夢だったのではないかと思わせるような後半だった。延長へ。
 延長前半。またもや微妙な判定のPKをもらい、またもや本田が微妙なキックを披露するも、どうにか追加点に結びつけ、アジアカップの準決勝で、韓国を相手に延長後半の15分をしのぎきるという、またとない逃げ切りのトレーニング機会を得ることになった。そして、逃げ切り損ねた。この辺りも、日本であり、韓国である(余談ながら、こういう試合を基準として見れば、やはりキリンカップの見どころは、もうほとんどないなと思う、スポンサーには申しわけないけれど)。
 最後の失点場面。交代で入ったフレッシュな本田拓が、相手のドリブルにガマンしてついていくことができず、やってはいけないスライディングをかけた。それがファウルとなった。不用意なフリーキックを与え、そこから同点ゴールをねじ込まれた。試合の状況も自分の役割もなにも理解できていない。そうとしか見えなかった。あそこで追いつく韓国には、やはり敬意を払ってしまうが、その韓国のマインドと対極にあるような、哀しいほどに不用意な対応だった。
 PK戦は端折るが、ひとつだけ。1本目のPKを本田圭が蹴る。文句のつけようのないキック。本田圭の芯の強さに心を打たれた。
 決勝もたくさんの収穫と課題が見つかる試合になるだろう。それは、ザッケローニのチームにとって、またとないシアワセだ。そして、カップを手に帰国の途につければ、もう言うことなし、だ。

 この大会で代表を引退するらしいパク・チソンには、スタンディング・オベーションを送りたい。ここ何年もの間、真に国際レベルで通用する数少ない(たぶんただひとりの)アジアのフットボーラーとして輝き続けた。代表は退いても、まだまだ活躍を続けてもらいたい。
by mono_mono_14 | 2011-02-07 15:52 | 蹴/calcio | Comments(0)