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赤。

Le mie nuove puma Suede. Avere quelle rosse sia una piccola avventura per un quarantatrenne.

 赤。水平線の向こうにゆっくりと沈む大きな夕日。
 赤。太陽に透かしてみた手のひらを流れる僕の血潮。
 赤。ツタの葉っぱもモミジの葉っぱも、ついでにナナカマドも。
 赤。はがきやおてがみあつめるゆうびんしゃ、ゆうびんしゃ。
 赤。サンジョヴェーゼとかネッビオーロとかネロダーヴォラとか。
 赤。マンチェスターユナイテッドとリバプールとアーセナル。
 赤。お前、3学期もこのままじゃあ落第だぞ、と担任に告げられた成績。
 赤。毎度のことながら収入を上回る支出。
 赤。青でもなく白でもなく黒でもなく。
b0018597_10145017.jpg 赤。僕の新しいプーマ。
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by mono_mono_14 | 2010-10-27 10:36 | 雑/quotidiana | Comments(0)

primi due passi di Zac

L'impressione breve sui primi due passi di Zac Giappone. I giocatori covocati hanno fatto dei bei lavori sul campo, ovviamente anche ci sono state tante cose da migliorare. Ho avuto buona impressione e mi piace questa nazionale. Vediamo.

 今さらながらにザック・ジャパンの2試合を録画で観た。
 ひとことで言えば、老獪な熟練さが後退し、初々しい溌剌さが前進していた。いいことだと思う。特に、ピッチ上の選手たちから、ギラッとしたガッツが感じられたのが、すごくよかった。やるのは選手だ、つべこべ言うな、外野は黙ってろ、とでもいうような、ある種のがむしゃらさみたいなものが、なぜだか、これまでの日本代表には感じられないことが多かった。繊細な条件が整わないとボクたちってうまく作動しないんですよね、みたいなエクスキューズが常に内包された戦いぶりだった。そこが、僕は、結果を超越して、いつも不満に感じていた。その部分が、ずいぶんと改善されていた。前のめりに突っ込んでいく青い感じがあった。遠藤の円熟味が際だって見えたのも、全体的な青さゆえだと思う。とてもよかった。結果を別にしても、そして伊コヒイキを別にしても、上々のスタートだったと思う。
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by mono_mono_14 | 2010-10-25 19:09 | 蹴/calcio | Comments(0)

440円。

 『糸井重里のはだかの禁煙日記。』を読んでみた。買って、だ、もちろん。440円。タスポ不要。高いのか安いのか適正なのか、ちっとも判然としないけれど、ウィットに富んだ価格設定なのは確かだし、なにより「ほぼ日」の購読料はタダなのだから、それくらいは謹んでかつ喜んで支払うべきだ、と思ったのだ。オツリはいらないゼ。
 僕の場合は、禁煙日記をつけたりはしなかった。と言うか、そのようなことを思いつきもしなかった。甘いモノは別腹的な、飲んでいる時の一服は別扱いという、実に王道的な挫折を何度か経て、かれこれ7〜8年くらいはタバコを吸っていない、と思う。正確な期間を覚えていない。5年よりは明らかに長いと思うし、でもたぶん10年は経っていないんじゃないかという気がする、そんな感じだ。…だけど、ここを振り返ると、10年以上、経っていることになりそうだな。ともあれ、それくらいいい加減な記憶の中に禁煙はあり、いまは、飲んでいる時でもタバコを吸いたいなという気は起きない。そもそも、喘息持ちであるのだから、本来、タバコになど手を出すべきではなかったのは明らかだ。なのに、なんとなく手を出した。若気の至り極まれり。十数年の喫煙者時代には、それなりのヘビースモーカー期があり、明らかに健康を損ねているという実感があった。いま、たばこから離れていられるようになったのは、つくづくよかったな、と、しみじみ思っている。
 『〜禁煙日記。』は、読んでのお楽しみ的企画だと思うので、内容については特に言わない。言わないが、それだけではなんなので、日記は、ニコチン中毒の禁断症状を紛らわすために書いたところもあるようなので、おそらく、さしたる推敲もなしに書き連ねられたのだろうと思う文章たちの、そのクオリティがやけに高いことにうなった、ということだけ書きつけておこう。やっぱコトバのプロはすげぇなと、禁煙とは関係ない感想を持ったりしたのだった。
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by mono_mono_14 | 2010-10-23 02:05 | 本/libro | Comments(0)

しばらく飽きそうにない『飽きる力』

 これは、ものすごいことが書かれている本のように思えるのだけれど、でも、引き込まれて一読したものの、たぶん、ほとんど「理解」できていないように感じられる。でも、ものすごい、革命的なことが述べられているんじゃないか、という、手触りというか、ぞわぞわする感じがある。河本英夫『飽きる力』。線を引っ張りながら読みたいところを、敢えて線を引かずに通して読んだ。再読以降の機会には、たぶん、線を引いたりメモを書き込んだりすると思う。あきらめるのでも、投げ出すのでも、怠けるのでも、嫌気がさすのでも、切り替えるのでも、引き返すのでもない、「飽きる」。なんなんだ、これは。困惑の中に、わくわくするような、ざわめくような何か、灯台のあかりのような何かが、ほのかに見えて、それは僕を静かに強く興奮させる。僕にとって、2010年の最大ヒットの1冊になる気がする。感想めいたことは、まだ、とても書こうと思わない(思えない)のだけれど、意図的に努めて「飽きる」というのは、本書の「飽きる」の趣旨とは必ずしも一致していないと思うけれど、でも、「飽きる」ことに意欲的(ヘンだね)な方がよさそうだ、という手がかりを得たことだけ、つづっておきます。
 
 著者の『オートポイエーシス』という本を読んだことがある。背伸びしていたのだと思います。10年以上前のことだ。それもほとんど理解できなかったと思う。いま、また読み返してみたとしても、たぶん、やっぱりあんまり理解できないかも知れない。でも、この『飽きる力』と併せてなら、違う読み方ができるかも知れない。そんな気にもなる。この『飽きる力』を手に取ったのが、ちょっと仕事に飽きて、気分転換に立ち寄った近所の本屋の店頭だった、というのは、もしかすると、飽きる力のなせるわざだったのかも知れないね(無理アリ)。
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by mono_mono_14 | 2010-10-21 14:00 | 本/libro | Comments(0)

『ボローニャ紀行』

 井上ひさし『ボローニャ紀行』。どうやら筋金入りの伊コヒイキの様子。「伊上ひさし」とすべきだと思う。
 えいやっとつづめて言えば、イタリア(なかんずくボローニャ)のボランタリーな社会運営システムの素晴らしさに感嘆し、翻って日本は…と軽く(時に深く)ため息をつく、といったルポ・エッセイといったところ。
 察するに、演劇という「文化」に生きる人なので、人が人らしく誇りと責任を持って生きるといった広い意味での文化(生活文化や自治文化など)の方面での日本のいたらなさを感じざるを得ないことが多くて、ゆえにイタリアの「厚遇ぶり」をフクザツな思いで見つめている、ということかなと思う。ニュートラルな立場で取材したが、いや実に素晴らしかった、という筆致だけれど、どう見てもニュートラルではない伊コヒイキなので、割り引いて受け取るべきだと思うのだが、そこは劇作家のなせるわざなのか、割引率の当たりがつけにくい。
 ともあれ、伊コヒイキ目線になっているとしても、この本で紹介されているイタリア(とりわけボローニャ)の社会的な仕組みについては、参考にすべきものがあると思う。自助的・互助的な地域運営の仕組みや心がけみたいなことだ。特に、組織や仕組みよりも、ひとりひとりの意志、心がけの問題なんだよ、という問題提起のように僕には読めた。「……お金の苦労はあまりいりません。大切なのは想像力と企画力と情熱、この三つが揃っていれば、なんとかなりますよ。」(p.98)そう、そういうことなのだよ。そうなれば、あとは僕の問題になるわけだ。つまるところ、想像力と企画力と情熱があるか、という。
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by mono_mono_14 | 2010-10-15 00:18 | 本/libro | Comments(0)

偉業に思う

 昨日来、BBCのウェブサイトでチリのレスキューの生中継を観ていた。人間のとてつもなさに打たれまくった。今後、33人の証言が、人間のとてつもなさを、さらに伝えてくれるだろうと思う。
 もともとは鉱山そのものに安全対策上の不備が大いにあり、この事故は人災でしかないようだが、そういう鉱山でとにかくビジネスをやっちまおうという、そちらの意味でも人間のとてつもなさを感じる。そういう鉱山に労働者を送り込むのも人間、69日間を生き抜き生還するのも人間。英雄的リーダーが33番目に地上に戻ってくるのを始業前のオフィスのiMacで観ながらうるっとくるのも人間(僕だ)、その画面を見やりながら、この人、奥さんと愛人のどっちと先にハグするかなー、それが最大関心事なんだよー、とか言ってのけるのも人間(名は秘す)。

 「計画」ということについても考えさせられた。当たり前と言えば当たり前なのだけれど、何かに向かう意志を結集し、動きだし、動き続け、何に向かおうとしているのかを見失わずに、必要な修正をためらわず、そして、とにかく向かおうとするところへ向かい続ける、それが「計画」と呼ばれるべき何かなんだな。「計画」があり「実行」があるのではなく、「計画」は「実行」を内包していなければ意味がないんだな。実行に先んじて立てるプランが「計画」なのではなく、実行こそが「計画」そのものなんだな。「計画」と「実行」には確かにニワトリタマゴな側面もあるけれど、だからこそ実行オリエンテッドな態度の方により意味がありそうだな。そう思ったのだ。
 以上、偉業と呼ばれるべき計画の実行を目の当たりにして思ったことを、「都市計画コンサルタント」の自戒と備忘のためにメモ。
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by mono_mono_14 | 2010-10-14 16:36 | 雑/quotidiana | Comments(0)

フッと去る感じの。

 ザック・ジャパンがアウェイで韓国と戦っている同じ頃、僕もアウェイ(会社から電車を乗り継いで45分くらいの場所)でフットサルに興じていた。もっとも、われわれが興じていた何かをフットサルと呼んでよいかどうか、正直、心許ない。あまり公言しない方が身のためのような気はしている。だけれども、僕としては、高校卒業後、四半世紀を経て、週初めの会社帰りに集まったりする連中が、片手で足りる程度にせよ、いるわけなので、そのことをもってよしとしたい。非常に惜しむらくは、僕だけが、そのままビールになだれ込めずに、また電車を乗り継いで45分ほどかけて、会社に戻ってきたりしているところだ。フッと去る感じのフットサル。残業しかない残業よりもよほど豊かだ、と言い聞かせている。
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by mono_mono_14 | 2010-10-12 22:16 | 蹴/calcio | Comments(0)

とある晩のとりとめなき日記

 金曜の夜。ザッケローニ初陣をものともせず、何年も前の伊語クラスの同級生数名と「A16」にてご飯。店内はとてもにぎわっておりました。
 メニューの字が小さくて読みづらいクワランタトレ。しかも照明との相性も悪く、全体的にピントも合いづらいクワランタトレ。目を凝らしながら手元のメニューを見つめるクワランタトレ。そしてメニューは読めても料理がイメージできないクワランタトレ。「いつ頃から、そんなふうになったんですか?」。同席の三十代よりお尋ねが。無邪気に訊かないように。遠からぬうちにいつか来る未来を楽しみに待つがよい。
 ピッツァの欄の「サルシッチャ」の文字に釘付けになり、ぜひともそれを頼もうじゃないかと提案し、賛同を得る。先日来、サルシッチャへの思いは、緩やかながら高まる一方なのだった。シアワセに食す。他にも、鰯のロースト、キノコのローストなど、美味でした。
 さいわいにして代表戦の結果を知らないまま帰宅し、録画を見るかと思い、その前にちょっとだけiBookを開き、うっかりウェブ・ブラウザも立ち上げてしまったら、そこに端的な結果が載っていて、ピントが合いにくいはずのクワランタトレの目にしっかりと焼き付いた。迂闊であった。

 ふと思ったのだが、サルシッチャは、細かく千切ったものがちりばめられており、これはもしかして、ミートボール的な代用品が自宅でもつくれるのではないか。そういえば、そんなことが教科書のどれかにも書いてあったような気がしてきた。最近、教科書クッキングから遠ざかっている。そろそろ取り戻したい。秋だし。
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by mono_mono_14 | 2010-10-10 14:59 | 雑/quotidiana | Comments(0)

堀江敏幸『めぐらし屋』

 堀江敏幸『めぐらし屋』、夏休み前頃に読了。遅まきながら改めて短い感想を。
 不思議な話。どこかおとぎ話のようでもある。その不思議さを、主人公の蕗子さん自らが捉えきれずにいて、とまどい、それでも何か手がかりを捕まえようとする、そのフラジャイルな過程にするすると引き込まれた。蕗子さんのお父さんが「めぐらし屋」なる何かをやっていたという部屋や、その辺りの風景の描写。過去の出来事や思い出の描写。とりたてて特別なことの起こらない日常の描写。蕗子さんの心を行き交うあれこれの思念の描写。それらが、堀江節とでも言えるような、ときおり冗長とも思えるのだけれど、それがまた魅力となっている、ディテールに富んだ言い回しで、描き出されている。
 蕗子さんが、その不思議さはよくわからないままに、まるごと受け止め、引き受けようと静かに決心して、物語は終わる。その決心によって、物語を引っ張ってきた、湿ったもやのようなとらえどころのない魅力が、ほの明るい余韻に変わるというよりは、ぷつりと断ち切られたように僕には感じられ、そのことは、やや残念に思った。でも、考えてみれば、決心つきがたいもやもやのなかで足踏みしたり、あとさきを考えずにえいやっと走り出したり、弱かったり強かったり、明かりが点いたり消えたりしながら進んでいくのが日常、つまり人生であるのかも知れず、そうだとしたら、僕が心地よくくるまれていたいと思った湿ったもやが、すうっと失われていくかのような、蕗子さんの決心は、蕗子さんの人生には訪れてしかるべきものだったのだな、とも思う。
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by mono_mono_14 | 2010-10-08 02:29 | 本/libro | Comments(0)

つかの間の、地中海。

 暑すぎた夏が、ようやく重い腰を上げて立ち去ろうとしたころ、僕のところにひとつの音楽が届いた。1枚のCDを買ったということだが。Fabrizio de Andre『Creuza de Ma』。『Rimini』がよかったので。
 『地中海への道程』という邦題がついているこの1枚は、どういう感じであるかを簡単には言いがたい。少しケルトのようだし(レッド・ツェッペリンを想起させるニュアンスがある)、アラブの色彩も強い。シタールのような弦の調べもある(ポール・ウェラーのやった「Mather」を思い出した)。リンガラ・ポップを彷彿とさせる軽快なギターの音もする。アフリカらしき打楽器も響いている。邦題が示すように、地中海をとりまくあちこちの土着的な音が、地中海をめざして集まってきたかのよう。なるほど、文明の交差点、地中海。
 演奏は、半時間ほどの短いアルバムを通じて、どちらかと言えば穏やかで、ドラマティックなアレンジはほとんど見られない。バルセロナ・ミクスチュア・シーンのような文明の交差点の喧噪という趣ではない。さほどメロディアスでもない。でも、穏やか気味の音の中にも不思議な昂揚感があり、同時にそこはかとない寂寥感がある。この昂揚感と寂寥感はどこから来るのだろう。
 イヤフォンから流れてくる音楽に身を委ねてみる。やや傾き賭けた陽射し、まとわりつく暖かな風、海と空の重なり合う彼方を見やる遠い視線。これは、海が持つ昂ぶりであり、寂しさなのだ。このアルバムが流れるつかの間、僕は地中海のただ中に我が身を置いているのだ。
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by mono_mono_14 | 2010-10-07 22:43 | 音/musica | Comments(0)