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例のヤツ。

 前日に大きな山を越えて、どっと気が抜けてまったりとした金曜日のオフィスアワー。半分仕事、半分は息抜きで、小一時間ほど離れた小さな事務所を訪ねる。そこにはたぶんあるのではないかと思いながら上がり込むと、予想通りあったのだった。iPad。思ったよりもコンパクトで、思ったよりも重みがあり(本のつもりで持つにはやや重すぎる)、そして思ったよりも「おぉ。わぁ。」と思わせられるモノだった。
 iPhoneどころかiPodすらも触ったことのない身としては、まあ、使うというほどのことはできないわけだが(それに他人のだし)、必要に応じて画面上(気分的には画面内)にどこかから現れてどこかへと去っていく月光仮面(古)のようなキーボードとか、画面が向きに応じてくるくると上下左右をお構いなしに回ってついてくるサマとか、何だかわからないけどすげぇなぁと感嘆。そして、これを使って遊び倒せそうな感じが湧き起こってこないことに、少々がっかりしてしまったクワランタトレであった。
by mono_mono_14 | 2010-05-28 23:21 | 雑/quotidiana | Comments(0)

深夜の自宅で。

 花も恥じらう21歳児の頃、右足首に中程度の捻挫をして、以来、いわゆる古傷的な相棒となっている。
 昨夜、知らぬ間にソファでうたた寝していたらしく、姿勢がよくなかったのだろう、右足がいい感じにしびれていた。もしかすると、しびれでうたた寝から目覚めたのかも知れない。うわーしびれてんなー、などと思いつつ、それでもまさか立てないなどということは想像もせずに右足に体重をかけたところ、全く力を入れることができず、当然の帰結として、転んだのであった。深夜の自宅でとてーんともんどり打つ42歳児ってどうよ。
 さいわい、どこかをしたたか痛打するとか、何かを踏みつぶし壊すとかいった惨事はどうにか避けられたものの、倒れる体をかばったおりに右足を捻ったらしく古傷が痛む。一夜明けた翌日もやはり足首はじんわりと痛み、見ればくるぶしがいい感じに腫れていた。深夜の自宅で足をくじく42歳児ってどうよ。・・・どうって、愛くるしいよなぁ。
by mono_mono_14 | 2010-05-20 01:14 | 雑/quotidiana | Comments(0)

『Arrullos』

 徹夜でイマイチな準備を整えて向かった打合せが終わり、昼飯でも食おうということになって荷物をまとめて外に出たところで、打合せ先の事務所に傘を忘れたことに気づいたのだが、今このタイミングよりも食後に取りに戻らせてもらった方がいいよなと思い、連れられていくままに近所の天ぷら屋ののれんをくぐり、揚げたての天ぷらが次々に供されるお昼の定食をごちそうになったのち、礼を言って店の外に出たら、朝方の雨模様がウソのような爽やかなことこの上ない晴天で、ますます傘を取りに戻りたいというのが憚られたのだけれど、しかし、そのまま傘を忘れっぱなしにしておくというのはもっといただけない話だということはわかっていたので、傘を取りに戻りたい旨をおずおずと伝え、再び打合せ先の玄関にお邪魔して、無事に傘を手にしてエレベーターを降りてきたところで、ひとりぽつんと疲労感と開放感と雨のち晴れっぽい薫風を感じて深呼吸をひとつして、軽やかとはほど遠い足取りで駅に向かう道すがら、ふとHMVに吸い込まれてしまい、「WORLD」の棚でひとしきり時間を費やしたものの、結局、何も買わずに引き上げかかった時、明後日の方角の棚に買いたいと思っていた1枚『Arrullos』を見つけたので、いそいそとレジを経由してから帰社の途に就き、今どきそんなふうに音楽を聴いている人を見かけなくなりつつあるのだが、机の片隅に置いてあるCDラジカセにセットして、眠いことこの上ない体調にもかかわらず、さながら子守歌集のようなピアノとボーカルのアルバムを聴く、というチャレンジングな振る舞いに打って出たところ、思いのほか眠気を催さずに心地よく聴くことができているのは、ひとつにはカルロス・アギーレの抑えの効いたピアノが素晴らしいことと、ふたつにはフランセスカ・アンカローラのボーカルがはにかんだ笑顔のように沁み伝わってくることによるのだろうな、などとひとり頷きながら、一文だけ感想を書こうと思い、仕事はちょっと脇に追いやり、アルバムを2周目に突入させている。
by mono_mono_14 | 2010-05-12 17:07 | 音/musica | Comments(2)

12年後の23人

 フランスの日々は遠ざかった。ずいぶんと向こうの方に。今日、南アフリカ・ワールドカップに向かう代表が選ばれたわけだけれど、98年のあの無意味にそわそわと浮き足だった感覚は、もう僕には訪れてこない。
 僕が初めて(そして伊コヒイキを自称しながら信じられないことではあるが今のところ最後に)イタリアの地に降り立ったのは、フランス大会を控えた5月のことだった。ローマは夏のような日差しで、コントのような夕立が降った。浮かれていたのは確かだけれど、よくよく顧みればイタリアを満喫したとは言えない浅い旅行だった。同じように、そのひと月後に訪れた日本が初めて出場するワールドカップは、テレビの前で浮き足立つばかりで、日本の戦いを満喫したと言えなかった、ような気がする。
 そのフランスの地で鬼神の活躍を披露した当時の若き守護神・川口能活が、思いがけず今回の23人のリストに名を連ねていた。選手としては第3GKの扱いかも知れず、つまり、それはほとんど出場の見込みがないということではあるが、岡田監督は川口がワールドカップに臨むチームに必要だという確信があったのだろう。12年前のチームにも、今度のチームに川口が必要なように、本当はカズが必要だった。僕はそう信じている。12年前にカズを選ばなかった岡田監督が、12年後には川口を選んでいる。フランスの日々はずいぶんと向こうの方に遠ざかったのだ。
 この選択があの浮き足だった感覚を、12年前の別人14号のように若かった僕を包んだ昂揚感に似た感覚を、もたらしてくれるかも知れない。そう期待してみることにした。
by mono_mono_14 | 2010-05-10 20:00 | 蹴/calcio | Comments(0)