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カタール対日本[3/8]

 試合当日、帰宅したら選手入場が迫っていた。とりあえず見る。攻めさせているようで攻められているような時間帯がぽつぽつ見られ、そういうのが僕は落ち着かないのだけれど、まあ、自分がへたっぴなりの現役だった頃は、そういうのを何とか凌いで勝機を窺おうという作風のチームだったりもしたわけなので、あまり咎め立てはしないつもり。そして、日本代表が徐々にゲームを支配してきたのだった。いい雰囲気だなと思っているうちに、先制点が入った。

 結論から言うと、僕は、後半早々に底の深いプールに引きずり込まれていた。強烈なスイマーが襲いかかってきたのだ。なので、この試合を語る資格はない。それでも、シリーズ化しようと目論んでいたこともあるので、書いてみた次第。

 ただ、3対0で勝利を収めたこの試合のようにアジア予選は進むもんなんじゃないの、と思ってしまう気分が当初からあったことは書きつけておきたい。アジアにも強敵はたくさんいるし、ワールドカップ予選なんて簡単なものじゃないということはわかっているつもりでも、それでもやっぱり予選通過は簡単なんじゃないの、と思っている。94年や98年の予選とは、もう違うのだ。それがプロリーグが元服を迎えているということの意味なんじゃないか。・・・いつか手痛いしっぺ返しを食らうかも知れないね。
by mono_mono_14 | 2008-11-22 00:08 | 蹴/calcio | Comments(0)

内藤廣『構造デザイン講義』

 「東京大学における講義の集成」「建築と土木に通底する構造デザインとは何か」「実践に裏打ちされた構想力による建築家の次代へのメッセージ」。建築家にして東大教授の内藤廣の最新刊『構造デザイン講義』の帯にある惹句だ。とてもとても狭い読者層をターゲットにしている様子がありありだ。たぶん、例えば街歩きや建築探訪は好きだけど理系じゃないし、とかいう人は、書店の店頭で一度たりとも手に取ることがないのではないかと思う。
 ものすごくもったいないと思う(とは言え、東大の工学系の人に向けた講義ではあるので、誰にでも勧められるものでもないとも思う)。

 組積造、スティール、コンクリート、プレキャストコンクリート、木造という構造(材)別に講義は進むが、そこで語られていることは、工学的な技術論もさることながら、哲学であり美学でもある。先人たちの英知へのリスペクトでもある。紹介されている多くの建造物の少なからぬものが観光名所なので、ちょっと視点の変わった知的観光ガイドのようでもある。伊コヒイキはじめ欧州派(誰だ?)であれば、パルテノンに始まりガウディで終わる「組積造」のところなど、楽しく読めるのではないかと思う(とは言え、誰にでも勧められるものでもないとも思う)。

 『…今後、建築や都市計画、土木の仕事をする場合、この「技術」「場所」「時間」の三つを意識し、それをどうやったら誰にでも分かり易い姿形に翻訳出来るかを強く意識しないと、社会的な合意形成をすることができなくなってくるのではないかと感じています。』(p.32)
 この「翻訳」のことを内藤は「デザイン」と捉えている。
 そしてこうも言う。
 『デザインというのは、技術の本質に迫り、根源的な人間の本性と思考方法に根ざしているものだと考えています。したがって、デザインを極めるには、対象物に対する深い理解、それを受け取る側の人間に対する深い理解がどうしても必要であることを忘れないでください。』(p.208)
 柔らかく優しげな物言いだけれど、気高く厳しい凛とした宣言であり後に続く者たちへのエールである。さぞかし刺激的な講義だったのではないかと思う。とてもおもしろかった1冊。
by mono_mono_14 | 2008-11-07 17:20 | 本/libro | Comments(0)

今さらながらに『ダニ・カラヴァン展』のこと。

 長らく書きそびれていた(ないしは書き忘れていた)。しばらく前のある週末、世田谷美術館で開催されていた『ダニ・カラヴァン展』に行った。ダニ・カラヴァンについて、僕が知るところはとても少なく、実際に見たことのある作品も「隠された庭への道」(札幌市・札幌芸術の森野外美術館)だけだ(と思う)。それはそれとして。そんなこと言っていたら、世の中はとてもとても狭くなってしまう。人は誰でも初心者なのだ。

 ダニ・カラヴァン自身の足跡を回顧する趣の強い展示構成は、その歩みで言えば後ろの方に当たる環境芸術分野での作品に関心のある僕にとってみれば、やや前菜が充実し過ぎていると言えなくもなかったのだけれど、今回の展示のために世田谷美術館につくられたインスタレーションで、十分だったと言うこともできる(何しろ最新作だ)。「水滴」。
 庭を望む展示室の一隅に砂が敷き詰められ、石炭で築山がしつらえられている。築山のひとつに竹樋が渡され、わずかにわずかに水が流れ伝ってくる。先端でしずくに膨らんだ水が、表面張力の限界を超え落ちる時に水琴窟のような音が響く。その時間と空間に向き合う作品だ(と思う)。幸いにして(?)、鑑賞者が非常に少なく、しばらくの間、その場にとどまることができた。
 ある日の日経新聞の文化記事で、ダニ・カラヴァンが、その庭から見えるヒマラヤシーダーを取り込んで制作した作品だったことを知る。迂闊な僕は、当然、そのヒマラヤシーダー込みで作品を鑑賞するなどということは、してこなかった。しばらくの間、その場にとどまったにもかかわらず。

 この展示は、年末年始に長崎県美術館に回る。きっと、この美術館用の作品を制作するのではないか。環境に呼応する芸術であれば当然のことながら、森の中の公園にしつらえられたインスタレーションとは異なる趣の作品が、運河とともにある西国の美術館では創造されるのではないか。行ってみたい。この美術館がある公園は、ギョーカイ的にはいちおう押さえておいた方がよいタイプの公園でもある。
by mono_mono_14 | 2008-11-03 23:18 | 芸/arte | Comments(0)