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畠山重篤『鉄が地球温暖化を防ぐ』

 畠山重篤『鉄が地球温暖化を防ぐ』読了。ひとりの牡蠣養殖職人が地球温暖化防止策を説く本を上梓するなんて、20年ほど前に思わず踏み出してしまった第一歩が、ずいぶんと遠くまで彼を連れ出すことになったのだなあと、しみじみ思う。かの有名な(であってほしい)「森は海の恋人」の科学的裏づけと、それを敷衍した環境回復策の提案。この世のほとんど全ての営みを二酸化炭素に換算する仕組みに、不勉強を棚上げしながらぬぐい去れない違和感を持っている僕なので、二酸化炭素の削減効果云々という文脈に位置づけられながら語られることが、どことなく居心地悪くはあるのだけれど、それでもこの本が披露している自然の偉大さと、それをベースにしたキラキラした野望について、僕は大いなる感嘆と興奮を覚えながらページを繰り続け、ほとんど一息に読み終えてしまった。

つづき
by mono_mono_14 | 2008-07-07 12:48 | 本/libro | Comments(2)

キルギシアからの手紙

 『Lettere dalla Kirghisia』という原題なのだが、翻訳ではなぜか『誰もが幸せになる 1日3時間しか働かない国』などというタイトルになっている。通常、絶対にこのテの本は買わない。読むこともしない。そう思う。なのに、あまり吟味もせずにアマゾンしたのは、ひとえにイタリアの本であって、イタリアでそこそこ売れているらしいという触れ込みだったからであって、それ以上でも以下でもない。このビヘイビアこそが伊コヒイキの伊コヒイキたる所以だ。と胸を張る。ぐい。張った胸よりも腹の方が前にある。ぽこ。そんなところが愛くるしい。誰もが幸せになる甘美なる曲線美。

つづき
by mono_mono_14 | 2008-07-07 00:51 | 本/libro | Comments(3)

オトナの階段

 様々な要因から、定期健康診断の結果がキレイに帰ってくることがなくなってきたクワラントゥーノだ(言いにくいぞ)。昨日、大腸鏡検査というのにデビューした。詳細どころか概要すら一切省く。状態の想像もオススメしない。そんな検査だ。無事に検査は終わり・・・そうなところで、収穫時を迎えたポリープが1つ発見された。これがオトナっていうことだね。ポリープはその場で切り取ってもらったのだが、そんなわけで、2週間ほどノーアルコール・ノーカフェイン・ノーカライモノという、考えてみればけっこうな厳罰に処されている。ノーライフになってしまうのはノーミュージックだけではなかったのだ。この週末をどう過ごせばいいのだ。・・・などと憤慨しつつふと思うに、もし僕が弁当屋でバイトするヴェントゥーノだったら、たぶんこの週末にもビールやコーヒーくらいは飲んでしまうだろう。なのに、つい自重するかぁというキブンになってしまう。これがオトナってことだね。もっとも、カフェイン、アルコール、カライモノの順に前倒しで解禁する予定。痩せても枯れても、・・・いや、ウソだな・・・肥えても禿げてもロックなオトナなのだ。って、そんなのロクなオトナじゃない。・・・蒸し暑い東京より、肌寒いオチを添えてお届けしました。
by mono_mono_14 | 2008-07-04 12:00 | 雑/quotidiana | Comments(0)

Paul Weller『22 Dreams』

 ポール・ウェラーの新譜『22 Dreams』は、まだよく聴き込んでいない。が、『As Is Now』に続いてリリースされるにしては、・・・奥歯にものを挟めてからしゃべるが、ひゃけにふぃひょーなしあふぁりだにゃ(やけに微妙な仕上がりだな)、と思った。奥歯にものが挟まったというよりは、ほとんどの歯が抜けてしまったようだったぞ? そこは気にするな。
 手堅いウェラー節ロックと言えなくもないが、何て言うか、どうも音と一緒に行き詰まり感めいた気配がゆらりと漂っている。既聴感あるレトロスペクティブな印象なのは、さして問題ではないが、僕の耳にはどうにも中途半端な印象がぬぐい去れない。スタカン時代の『コンフェッション〜』や、ソロでは『イルミネーション』や『ヒーリオセントリック』のような、手放しで入り込んでいけない感じがある。「聴かせたい」という極よりは、「演りたい」という極に近寄っている印象があると言うか。アーティストとしてはそれでも構わないわけだが。あるいは、“B-Sides”みたいと言うか。CDやダウンロードの時代にB面? そこは置いておけ。
 つまるところ、一聴してキャッチーな仕上がりではなかったので、ディテールを聴き込みながらしばらく試してみる必要がある。いや、そんな必要はないのだけれど、そうしたい、という意味だ。そこに至らない段階ながらもふと感じたのだが、このアルバムの音は、少しキレイに言えば、自分を含む西洋ポピュラー音楽史に捧げるトリビュート(あるいは鎮魂)のようでもある。キレイか、これ? そこは問うな。
 ロックとポップスとファンクとジャズとブルースをまたぎながら、要は、地に足を着けてやりたい音楽を演ってんだ、というだけなのかも知れない。ウェラーがその足を着けている地は、アーシーな土っぽい地平と言うよりは、ジャケ写のように草っぽい。そこが、50歳を迎えて枯れてきた味わいもどこか瑞々しい所以ではないか。それなりにホメて終わりたい僕なのであった。これ、ホメてる? ま、そこはいいじゃん。新譜が出たわけなんだからさ。聴き込んでみますとも、もちろん。デラックス盤? 買いますとも、もちろん。



 ・・・以上を概ね書いてしまったところで、ロッキング・オンのインタビューを立ち読んだ。演りたいのを演ったらしいことがわかった。あと、僕が感じた「行き詰まり感めいた気配」や「中途半端な印象」に相当する(ように思う)キブンに、ロッキング・オンは「実験的」という語を充てていた。うまい。
by mono_mono_14 | 2008-07-01 15:35 | 音/musica | Comments(0)