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イカ的なもの

 僕の中のイカ的なもの。・・・おいおい、大丈夫か、この入り方は。いや、僕にもよくわからない。
 中沢新一によれば、誰しも自らのうちに「イカ的なもの」を抱えているはずだそうで、それを自覚し呼び起こすことこそが21世紀の平和を実現するミソになるのだという(イカならワタというべきか)。
 半月ほど前に、待ち合わせまでに少し空いてしまった時間を埋めるべく立ち寄った書店で発見した『イカの哲学』。波多野一郎の「烏賊の哲学」という、40年ほど前に世に出た論考を引っ張り出して、それを紹介しながら、21世紀のエコロジカルな平和論を説いている。・・・らしい。
 一読して、わかったようなわからなかったような、つまりはわかっていないということだと思うが、そんな印象がぼんやりと、イカが吐き出した墨に濁った海水のようなもやもやとして残った。再読を要する1冊。わかったことは、中沢がカイエ・ソバージュで熱心に説いた対称性の思想と軌を一にしていることくらいだ。いかにもお粗末。・・・すまん。
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by mono_mono_14 | 2008-02-29 13:50 | 本/libro | Comments(0)

Giovanni Allevi『ALLEVILIVE』

Giovanni Allevi, un pianista italiano, fa una musica come un vento gentile, un raggio di sole primaverile o una melodia dolce di ruscello.

 やや穏やかすぎると言えばそうなんだけど、やけに気持ちいい。やや環境音楽っぽいニュアンスが漂いすぎると言えばそうなんだけど、やけに心地よい。だったらいいんじゃないか。タワレコで何となく見つかった(なんだそれ)イタリア人ピアニスト、ジョヴァンニ・アッレーヴィライブ盤を聴いている。ピアノフォルテ1台きりで伸びやかで前向きな旋律を解き放つ。のだめ的ジャズ。か?
 僕が聴いているのはライブ盤だけど、スタジオ盤は、柔らかくも眩しい陽光の中、郊外へと向かうピクニッキーなドライブなんかにとても向いているんじゃないか、と、これは試聴した時の印象。
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by mono_mono_14 | 2008-02-27 21:47 | 音/musica | Comments(0)

サンバ、私の。

 購入したのは今日だとは言え、今さら感が大いにあるので書かないことにしようと思ったものの、マリア・ヒタのサンバがとてつもなく素晴らしかったので、やっぱりひとことだけ触れておくことにした。サンバを完全に今日の上質なポップ・ミュージックに昇華させた上で、やっぱりサンバになっている。Samba Meu。サンバ、私の。なんて正しい言い方だろう。ジャケ写がいんちきなソウルシンガーみたいなことになっているのがいささか気がかりだ(大きなお世話だ)。それにしても、随所に母が宿っていることで。そこに価値があるということではないのだけれど、価値がないということでもないような気がする。
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by mono_mono_14 | 2008-02-23 14:36 | 音/musica | Comments(0)

周杰倫@武道館

 本人の自覚としてはファンでもないのに、それにしてはやけに作品を聴いているジェイ・チョウの武道館公演などに身を置いているワタシ。思えば遠くへ来たものだ。いや、家からうっかり歩いて来てしまったという意味ではちっとも遠くなかったのだが。
 席に辿り着いてみると、あろうことか、アリーナの前から3列目という、考えられない良席だった。ブリッツじゃないのよ。武道館なのよ。誘ってくれた上にチケットを手配してくれた友だちのゴッドハンドぶりに感謝すべきかどうかすら迷うようなステージの近さだ(いえ、もちろん感謝してます、ありがとう、aさん)。
 ものすごく場違い感があったらどうしようという不安もないではなかったのだけれど、周りを埋め尽くしている女性の皆さんは(そして、ザッと見には女性の数%程度と思われる男性の皆さんも)、他人がどうかなどということにほとんど関心を払わない方々だったのだった。・・・かどうかはわからないが、まあ、僕はさほど場違い感を感じることもなく、アリーナで開演を待っていられたのだった。僕の席の後ろの列で交わされる会話は中国語で、その少し後ろには香港から来たと思われる人たちもいた。

つづき
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by mono_mono_14 | 2008-02-17 23:59 | 音/musica | Comments(2)

『秩父は家族』

 ギャラリーの壁に並ぶ白黒の写真はまるで日本昔話のヒトコマのようだった。僕には物語でしかないような風景だった。しかしそこに記されている西暦はどんなに遡っても50年前でしかなく、クワランタが想像できない歳月ではないのだった。
 「原風景を撮り続けて五十年」というサブタイトルに誘われて覗いた「秩父は家族」という写真展、それがとてもよかった、という備忘メモ的エントリ。すまん。
 赤ちゃんからおじいちゃん・おばあちゃんまでが一緒に暮らすのが家族であり、たくさんの家族が暮らすのが集落であり村であるのだな、などということを思った。そういう暮らし方や地域のありようがすでに過去に属するものになっているという意味では、日本昔話という言い方は合っていると言えないこともないわけだった。
 豊かになるって難しいことだな。

   南良和写真展『秩父は家族』
   2月24日まで ポートレートギャラリー(四ッ谷)
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by mono_mono_14 | 2008-02-15 20:21 | 文/cultura | Comments(0)

周杰倫『我很忙』

 オープニングのカントリーは軽快で楽しい曲ではあるけれど、それも含めて、全体的に歌謡曲のごとく聞こえるのが、正直に言って、僕は不満なのだった。ゆえにレビューめいたこともせずにいたのだけれど、今週末にコレがナニしてアレだから、いちおう短くてもいいかと思い書いてみることにした。ほぼ徹夜明けな状況には、ある意味、ふさわしいのかも知れない1枚。周杰倫『我很忙』。邦題:僕はとっても忙しい。いや、僕はさほどでもないのだけれど、トロいだけで。

▼牛仔很忙:カントリー。うっかり(?)対訳をチラ見した感じではコミックソング的。楽曲としての完成度は高い。が、イロモノ風味は否めない。が、悪いわけではない。
▼彩虹:切々と流れゆく叙情的バラッド。たぶん、こういう曲は、静かな寝息のように自然につくれてしまうのではないかと。
▼青花瓷:アレンジに中華テイストが薫るよく聴けば中華っぽいわけではないメロウチューン。東洋的ではある。悪いわけではないです。
▼陽光宅男:無国籍ポップス。“既聴感”ある青いメロディ。ベンフォールズっぽいピアノ。基本的に洋楽小僧な僕には聴きやすい。
▼蒲公英的約定:ややセンチメンタルなバラッド。ジェイっぽい。うまい。でもですね、バラッドはもう少し厳選して演った方が効くと思う。
▼無雙:本作における数少ない重めなアレンジ。でも、僕の期待しているタッチとは微妙に違う。勝手な期待なのは承知だけれど。ストリングス、うまい。
▼我不配:サビメロ、いい感じ。織り方が。ジェイっぽい。僕はロマンティックっぽい路線ならこういう方が好きだ。いくぶん園遊会一派な曲。そして僕は園遊会一派なのだ。
▼扯:本作における数少ないクロっぽい曲。でも、これでもないぞ、僕の期待しているタッチは。勝手を重ねて恐縮ですが。筋トレ系スタジオエクササイズに使われそうなアレンジ。
▼甜甜的:ゴチソウサマ感溢れる青春の歌。たぶん。ヲジサン、ちっとばかし恥ずかしいや。よくできたかわいいポップソングではあると思う。
▼最長的電影:穏やかなポップソング。どことなく掴みどころがないなーと思う。エンディングであればなおのこと。

 初めて歌詞対訳をチラ見したところ、原詞にカタカナが振ってあった。とても追いつかないけど。よくできた歌詞カードだ。このアルバムには「Vol.8」と書き添えてある。8作目だとしたら、そのうち6作を持っている自分に驚いてしまう。
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by mono_mono_14 | 2008-02-14 17:13 | 音/musica | Comments(8)

これがなかったら

 「だってこれがなかったら、何かあった時、何を手がかりに家族を探すんです?」
 (原研哉・阿部雅世『なぜデザインなのか』(平凡社) p.218)

 家族写真を持ち歩く理由としてあるヨーロッパ人が返してきた言葉だそう。絶えず持ち歩く家族写真にそんな意味があるなんて、想像したこともなかった。家族思いとか親ばか心とかをひけらかす的な理由しか思い至らず、従って(ん?)僕は写真を持ち歩いていないわけだが、いつでも有事に巻き込まれ得るということを身に染みてわかっているヨーロッパの人たちは、「この人を見ませんでしたか?」と尋ねて回る場面を平然と想定の内側に置きながら、家族の写真を持ち歩いている。らしい。もちろん家族思いや親ばか心も併せ持っているだろうとは思うけれど。

 この本で取り上げるべき話題は、絶対にこれではないのだけれど、書き留めておこうと思ったのだった。レビュー的なことは、また改めて(やるかもね、ということで)。一流同士の良心的なダイアローグには、聞き手(読者)を元気にするチカラがある。読むと元気になる。少なくとも、自分がカタづけなければいけない仕事のファイルがモニタに立ち現れるまでの数秒間くらいは。
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by mono_mono_14 | 2008-02-08 14:02 | 雑/quotidiana | Comments(3)

隈研吾・清野由美『新・都市論TOKYO』

 隈研吾・清野由美『新・都市論TOKYO』読了。さくさくっと読めてしまう。大筋としては東京ビッグプロジェクトや都市計画に対する批判(批判と言うか憐憫か)。著者らにどちらかと言えば斬られ放題の側に属する身としては、受け取り方に思い悩むところ、なきにしもあらず。そんな斬り方ないだろうと憤慨したり、はーそうですか、そらよかったですなー、と馬耳東風を決め込んだり、一理あると律儀にうつむいてみたりするのもいいのだけれど、どれも何か違う。斬られ放題の側なりのコトバで組み立て直して投げ返せないといかんはずだろう、と自分に言い聞かせる感じだ。そして、直ちに投げ返せるような内的準備ができていないことを思い知らされ、しょんぼりする感じだ。
 対談形式を中心とする内容の3割ほどは正論で、3割ほどは暴論で、4割ほどは雑談のように思うが、新興系新書でぶっちゃけトークを披露するというのは、すぐれたメディア戦略で、斬られ放題の側もぜひとも採用したいところだが、もっとも、スター建築家ゆえに成立する企画であり編集であるのも事実だ。
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by mono_mono_14 | 2008-02-07 20:06 | 本/libro | Comments(0)