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いんげんとにんじんの異同について。

Ho provato un piatto nuovo. Purtroppo non e' andato benissimo pero' era abbstanza buono a me. Forse e' stata la prima volta che ho provato una ricetta con la panna.

 新しいリチェッタに挑む。これまでは一考だにしたことのない一品ながら、なぜだか、今日に限っては、まるで吸い寄せられるようにそのリチェッタに目が留まった。料理名は長く無粋だ。「玉ねぎ・じゃがいも・いんげん・茹でチキン」。添えられているイタリア語は「alla panna con pollo e verdure」。これを訳した方が美味しそうなのではないか。僕には美味しそうに訳せないけれど。

 とても簡単なリチェッタだ。じゃがいもを茹でて薄切りにする。いんげんを茹でてざくっと刻む。鶏肉を茹でてほぐす。玉ねぎを炒め、じゃがいもも炒め、生クリームを加えて煮詰め、残りの具もさっと煮る。パルミジャーノとバターで和える。ね、簡単でしょう。
 僕は、どうやら野菜の茹で加減というものを知らないらしかった。おお、そんなところに落とし穴が。ん〜、愛くるしい。
 電子レンジで茹でた。じゃがいもは、やや茹ですぎの感はあるが、まあ茹だった。いんげん。長めの時間設定でスタートして、様子を見ながら打ち切ればいいや、と思った。まつがってますか? そうですか、まつがってますか。スタートボタンを押してすぐに僕はいんげんを茹でていることを忘れた。やがて、どこからか香ばしい香りがしてくる。まるで居間で誰かが石焼き芋を焼いているようだ。やめなさい。誰もそんなことはしていなかった。やがて気づく。おお、おれが茹でているいんげんだな。慌ててレンジを開けると、案の定、イイカンジで焦げている十数本の細長い物体が横たわっていた。諸君。レンジは短めの時間を積み重ねることをお勧めするぞ。
 以前の幼いピュアな教科書クッキンガーであれば、頬を濡らす涙を拭うこともなく再びいんげんを買い求めに走り出たことであろう。しかし僕はもう汚れつちまつたクッキンガーだ。いんげんをにんじんに切り替える。だって他に2文字目と4文字目が「ん」で茹でられる野菜がありますか? ふと見ると、レンジには「茹で野菜」というお任せメニューがあった。言えよ。とりあえず、両手の親指と人差し指で輪っかをつくってみた。自分に。新発見をフル活用してにんじんを茹でる。
 端折ろう。生クリームを投入する。煮詰める。どうなったら煮詰まったわけよ。こんなもんかな、と思ったのは、後の食感から判断するに、煮詰めすぎだったものと思われ。もさもさしたもんな。
 ともあれ、そんなこんなで、おおむね茹だり過ぎの具材をもったりとしたクリームソースで絡めた新作は、まさに「自皿自賛」がふさわしい仕上がりと味わいだった。ソースがもう少しサラッとしてたら合格だったかな。もっとも、この合格も自己採点なんだけどな。自己採点の合格と自皿自賛の線引きはどこにあるのだろう。
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by mono_mono_14 | 2007-11-24 23:59 | 味/buono | Comments(0)

水の迷宮の夢

 心が疲れた人はヴェネツィアに行くのがいい。それが叶わぬのなら、この本をゆっくり読むのがいい──。帯に記された池澤夏樹の文章は、伊コヒイキの人たちなら一度くらいは目を留めたことがあるかも知れない。ノーベル賞作家の小説としては初めての邦訳らしいから、読んだ人も少なくないだろう。ヨシフ・ブロツキー『ヴェネツィア』。邦訳が出たのは1996年。僕が持っているのは第一刷から2月を経ないうちに出された第四刷だ。その頃に買ったのだと思う。そして読んでみて、どうよ、これ。と思ったのだった。
 およそ10年の年月を経て、なぜだか再読しようという気になって、池澤が勧めるように少しずつ読み進めた。どうよ、これ、という印象は拭い去れなかったのだが、たぶんその責について、読者の側(つまり僕)に相当部分があるにせよ、それ以外のほとんどを翻訳が負っているのだろう、と思えた。英語が堪能だったら原書を読んでみたいところだ。

 ヴェネツィアにある無数の路地を模したような無数の断章(と言っても51編に過ぎないが)。そこに写し取られているのは、やはり唯一無二の奇跡の都・ヴェネツィアが放つ、言葉では表しがたい眩さや翳りであり、しかも、僕のようなヴェネツィアに行ったと言うのも気が引けるような滞在経験ではとても窺い知れぬ深みであるのだ。サンタルチア駅に始まる水の迷宮の夢は、同じくサンタルチア駅から始まった僕のなけなしのヴェネツィアを思い出させた。

 ヴェネツィアつながりでもうひとつ。つい先日、本屋でたまたま見かけて購入した『漁夫マルコの見た夢』は、かの塩野七生が30年ほど前に書いた短い絵本だ。この秋に復刻版が出たらしい。ここでもまた描かれているのは夢か現か判然としない物語で、舞台としてはやはりヴェネツィアしかあり得まいと思わされるのであった。
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by mono_mono_14 | 2007-11-23 23:17 | 本/libro | Comments(0)

所信表明。ただし偽装版。

 何を隠そう、僕はいくぶん体温が低い。おそらく、よく知らずに言っているが、これは、この先、あまりよからぬことばかりを引き起こすのではないか、という気がする。改まるものなのかわからないが、改めたい。
 主として仕事に起因する人並み程度のストレスと不規則な生活は前提的に考えておくとすると、たぶん、昼食と間食と飲酒の分野の見直しから手を着ける必要があるだろう。教科書クッキング的にも、少し目配りしたメニューに取り組みたい。体を温めるような、適度な運動とか、ゆっくりした入浴とか、保温グッズの活用なども大いに検討したい。
 以上、某所にて「はらまき」と「レッグウォーマー」を購入してしまったことに対する言い訳、おわり。

 余談。さっそく夕方に39度くらいまで体が温まった。さい先いいぞってそうじゃねえよ。
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by mono_mono_14 | 2007-11-12 13:54 | 雑/quotidiana | Comments(13)

言葉にしがたいあれやこれや

Sta mattina ho ricevuto un pacco postale da un mio amico del liceo che aveva perso sua figlia di 9 mesi in questo ottobre. La sua angela era nata con una malattia gravissima, ed era dopo tre settimane dalla nascita di mia figlia.

 先頃、僕の友人の第二子が9ヶ月に満たない短い生涯を終えたと別の友人から聞かされ、ものすごくびっくりした。伝えてくれた友人は、そんなわけでこれからお悔やみに行くけど、どうする? と声をかけてくれたのだけれど、日曜日だったにも関わらずまさにこれから打合せが始まるというタイミングだったこともあり、彼にお香典を託す(というか立て替えてもらう)ことにした。人としてどうだろう。
 今朝、思いがけず香典返しの品が届いた。友人が書き綴った長い長い顛末記が添えられていた。
 ググって得た知識を添えて記せば、5千人に1人の確率で見られ、生まれても1年以内に亡くなる可能性が90%以上だとかいう先天性の重篤障害を持って生まれたらしい。僕はそんな病気の存在すら知らなかった。──ちょっとでも元気になってほしいと僕も妻も必死で娘の病気と向き合った、が、逝ってしまった、とても短かったけど、たくさんの人の愛を感じて、感謝の気持ちとともに娘は天に昇って行ったと思う、長くないのはわかっていたけど、でも現実になってしまうとものすごくつらい、でもがんばります、あ、娘と一緒にいたかったので通夜や葬儀は内々で済ませてしまいました、ごめんなさい、皆さんの気持ちはとても嬉しかった、ありがとう。──というようなことが書いてあり、僕は朝から涙した。ささいなことをデフォルメしておもしろおかしく書くのが得意な彼が、努めて平静を装った文章の、その文字という文字から、余白という余白から、彼と彼の家族の拭いようのない悲しみがだだ漏れになっているこの顛末記を書いたのだと思うと、なおさら胸が詰まる。今朝から彼に何かかけられる言葉があるだろうかと思い巡らし、なにひとつ浮かばない。僕のお悔やみが、友人に便乗した上に立て替えてもらっただけだったことも、少し悔やまれる。土曜の夜に教育テレビでやるちょっとした番組があるので、よかったらそれを観てくれ、と、顛末記の最後に書いてあった。観るよ。観るさ。
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by mono_mono_14 | 2007-11-08 20:53 | 雑/quotidiana | Comments(2)

原宏一『床下仙人』

 書店員の手書き激賞ポップに乗ってみた。表紙カバーの折り返しにはイッセー尾形が著者をカフカと並べている短評があったりしたこともあり、予備知識はゼロだったけれどレジに持っていってみたのだった。原宏一『床下仙人』。
 うん。まあ、おもしろかったかな。カフカは過言な気がするけど。5編が収められていて、五話一絡げに言えば、家庭を顧みず(と言うか、そうやってガンバるのが家庭における自分の立場と位置づけて、という感じか)シゴトと戯れてしまうオトコどものなれの果て的地平を描いた話が並んでいる。

 僕も時に寝食を忘れてシゴトと戯れてしまうオトコのひとりではあるけれど、会社には逆らえないから、とか、出世あるのみ、とか、そういうことを考えたことはないので(たぶん(笑))、ここで描かれているオトコたちの生き様は、いまひとつピンと来ない。うん、ピンと来ないことのシアワセをかみしめよう。
 シゴトは必死でがんばりなさい。ただ、なぜ必死でがんばるのかを間違えないように──。こういうアドバイスとして読むことにする。さて、なんのために必死でがんばるんだろうね?
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by mono_mono_14 | 2007-11-04 00:50 | 本/libro | Comments(2)