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客席からの記録(にして客席の記録)

Provate questa canzone, "cade la pioggia", uno dei capolavori di negramaro.

 「cade la pioggia」が聴けば聴くほどに佳曲なものだから、ふとした気まぐれに検索してみたところ、ライブ会場で勝手に撮った映像がいくつもYouTubeに掲出されていた。隠し撮りと言うにはあまりに堂々とした映像だ。イタリアでは客席からの撮影が認められているのかしら。ともあれ、おかげで演奏の様子だけでなく、客席(と言うか撮影当事者(及び同行者))の盛り上がりっぷりがおもしろかった。イントロで「cade la pioggia!!」と思わず口走ったり(タイトルまでは言わなくても「おぉ、来たっ!」みたいなことは僕もよく言う。「おぉっ、スタカンだ!」とかね)。途中からは一緒に歌っている(客席に歌えとアーティストが促しているからという理由もある)。堂々とした隠し撮りビデオを回しながら歌うマルゲリータちゃん(仮名)は、結構、音程が確かだし、歌詞もまつがえない。立派だ。彼女の一所懸命に熱唱している様子がありありと窺えて、本家のアーティストのパフォーマンスよりもウケてしまったりした。

 以前、素人ゴスペルクワイヤーのライブ(と言うか発表会という感じ)を客席から録音した時、僕は声を出すのを控えるのはもちろんのこと、拍手も静かに行っていたのだが、終盤、「O Come, All Ye Faithful」になると、僕の斜め前に座っていた敬虔なクリスチャンと思われる黒人さんが一緒に歌い出した。あーあーと思ったものの、同時に、まあ、しょうがないよな、とも思っていた。ところが、残念なことに、この御仁、あまり上手くない。声も何かヘン。エフェクターを通しているような、鼻で吹いている笛の音のような、何とも独特の声なのだ。古い例えで言えばブラックデビルのようだ。歌いながら感極まっていく鼻笛男。それを克明に記録していく僕のMDウォークマン。帰宅して再生したMDには真心のこもった鼻笛演奏がはっきりと残されていた。何度聴いてもウケてしまう、ある意味、この非公認ライブ盤のハイライトトラックとなった。こんなことを思い出したマルゲリータちゃん(仮名)の開けっ広げな隠し撮りビデオだった。
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by mono_mono_14 | 2007-10-31 01:24 | 音/musica | Comments(0)

日曜日の断片

Scrivo alcune cose che ho pensato oggi.

■以前より購買意欲を刺激されまくっていた商品の購入をさんざん迷った挙げ句に見送ることにした。昨夜が最後のタイミングで、ほとんど買いそうだったのだけれど、買う必要のない理由をいろいろと言い聞かせて、一方で、欲しいんだったらなんで買わないんだよ、買えよ、という男意気(?)と照らしながら、買わないことでツマンナイ輩に成り下がったりしないか、という方面にも言い訳を立てながら、見送ったのだった。将来、やはり類似品に惹かれ、かつそれが相応しそうな還暦野郎に育っていたら、買おう。

■以前より答が出なくて困っていることがあって、それは、まあ、リナックスかマイクロソフトかと言われる類の問題だ。僕のシゴトは半ばノウハウ勝負的なところがあって、そういう領域の場合、自分が育ててきたやり方を、オープンにした方がトクなのか(リナックス)、企業秘密的に秘匿した方がウリになるのか(マイクロソフト)。そこがハムレットばりの悩みどころなのである。いや、もちろん、オープンにして世の中に貢献できるような、あるいは秘匿するに値するようなナニカを僕が身につけているわけではないのだけれど、考え方の問題として、ということで。小さい話ですまん。で、思うに、たぶんリナックスの方に足を踏み出すべきなんだろうと思う。そして、その時に、ノウハウ的な部分を超越したニンゲン的な部分が、周囲にどんな感じで響くかどうかが、勝負になるのだ、きっと。きっつい勝負ではあると思いマス。応用問題(?)として言えば、何らかの事態について、対立的に臨むか、共犯的に臨むか、という分水嶺がある。ええい、ままよ、と、乗りかかった船に乗り込んでしまうことが、たぶん要るのだ。きっつい決断ではあると思いマス。・・・などということを考えさせられる会議が、日曜にもかかわらず3時間にもわたって催されたのであった。

■ビールを飲んでそれなりにいい調子なのに、小さいワインも開けてみたくなるのはなぜだろう。安いワインに廉価品のチーズとハム。それなりにしあわせな安上がりな自分が愛おしい。そして、かようにしてメタボリークの輝かしい未来が支えられているわけですよ。
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by mono_mono_14 | 2007-10-28 23:23 | 雑/quotidiana | Comments(0)

ヲジサンたちの宴

 ヲジサンたちで月島で飲む。もんじゃではない。見かけはくたびれた小さな居酒屋だ。ヲジサン(その1)の二十年来の行きつけだそうで、そういう会場の選択からしてヲジサンしか醸し出せないマチュアな感じがだだ漏れだ。狭い小上がりの座卓を8名で取り囲む。むさい。あぐらの上にはメタボリークな曲線美が並ぶ。美しい。話題は共通のシゴトのこと、共通の敵(?)の批判、ちょっとした愚痴、管理組合や自治会の話、昔話に健康のことと、ヲジサンの王道を行く感じだ。出てくる料理がことごとく美味かった辺りもヲジサンならではの風格だ。僕は、この席では下から3番目の若造だったのだが、初めて酒席を同じくしたヲジサン(その1)からスティーブ・マックイーンを拝命した。この意味のわからなさ加減もヲジサンの飲み会なのであった。あー、おもしろかった。僕も立派なニッポンのヲジサンなのであった。クワランタだもんな、当たり前だ。
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by mono_mono_14 | 2007-10-26 23:59 | 雑/quotidiana | Comments(2)

(無題)

Sono davvero orgoglioso di vederti come Cavaradossi a Tokyo dieci anni fa. Addio Luciano. E poi ho pensato che avere quaranta anni significa che la prima meta' della vita sia stata finita.

 パヴァロッティがハイCの王様だったころ、米屋はプラッシーの王様だった。わっかるかなぁ、わかんねぇだろうなぁ。思いついたので書いてしまった。一種の老害だ。すまん。
 9月6日にパヴァロッティが世を去ってから7週間が経った。かの国でこの7週間に意味があるかは知らないが、この国ではこの7週間はほんとうのお別れのことだ。かこつけて少し書く。

 10年ほど前、メトロポリタン歌劇場の来日公演でパヴァロッティを観た。友だちの結婚披露宴に出て、二次会を失礼したその足で劇場へ向かった僕は、言うまでもなくほろ酔いで、第2幕の途中ではうとうとしてしまったりもしたのだが、ともあれ僕はパヴァロッティがオペラの中で歌う「妙なる調和」と「星は光りぬ」をナマで聴いたのだった。奇跡的なことだったなと思う。
 訃報に接し、3大テノールが初めて共演した模様を収めたVHSを引っ張り出してきて改めて思ったことは、少なくともあのローマの一夜は、その後に次第に色を濃くしていく商業主義の気配をほとんど感じさせない真剣勝負だったのだなということと、良し悪しとか好き嫌いとは別のところで、パヴァロッティの声は余人を持って代え難いものだったんだなということだ。

 なあ、ルチャーノ、そっちではもう歌わないんだろ、だったらこっち来て歌ってくれよ。天国に誰か強引な人がいたんだね、きっと──。かの国では知らないが、この国ではこの7週間の間にこういうベタな物語を妄想したりしながら、もしも旅立ったのがとても近しい人であったならばどうしたって区切りようのない気持ちに区切りを入れようとすることになっている。・・・もしかしたらなっていないかも知れない。
秋晴れの東京にて、ずいぶんと高くなった空を見やりながら。

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by mono_mono_14 | 2007-10-25 10:52 | 雑/quotidiana | Comments(0)

ランチ後に見つけた小さなヨーロッパ

 雑多な飲み屋横丁のエスニック料理店でランチを済ませ、少しだけ通りをぶらぶらと流す。ほんとうはコーヒーでも飲みながらの続きでも読みたかったのだけれど、いかんせんドトールしかない。世の中が喫煙に厳しい姿勢で臨むようになってからというもの、かつては安価でフレッシュなコーヒーを提供する時代の新星だったはず(?)のドトールは、街なかの喫煙所としての存在意義に生き残り戦略を託しているように僕の目には見える。それでついドトールからは足が遠のいているのだけれど、それもひとえに僕が煙草を止めたからであって、もしそうでなかったら嬉々としてドトールの内装を燻しているだろうことも十分に予想される。脱線したが、要は、コーヒー1杯分の時間を費やしたいと思える場所がなかったために、読書もコーヒーも見送りつつ通りをぶらぶらと流してみたのだった。
 見慣れない小さな、だけれどもやけに心惹きつけるワインショップがあった。ちらっと見やると客はいない。いったんは通り過ぎたものの、やはり後ろヅラを引かれるものがあり、店内へと足を踏み入れる。狭い店内に入って右側の棚にはイタリアやフランス、スペインの瓶詰めだの缶詰だの乾物だのスパイスだのといった食材が天井までぎっしりと並べられていて、教科書クッキンガーの心を捕らえて離さない。左側の棚にはお手頃価格からややガッツの要る価格帯までの各国のワインが並んでいる。金曜の夕方だし、ちょっぴり試飲してもいいかな? 火曜の昼間であった。ちっ。ショップの中央にはお買い得品が積んである。2本で3,000円のワイン。1,000円均一のワイン。嬉しい。通常価格の6割引になっていた1,000円の赤ワインを買った。
 このユーロシードというお店は、訊けば昨春にオープンと言うから、半年ほどが経っている。もう少し早く発見していてもよかったとも思うが、いいお店を見つけたような気がする。ドトールのいささか寂しい戦略(?)にも思いがけない波及効果があるものだ。
 ランチに出かけてワインを1本ぶら下げて会社に戻る。あまり経験したことのない種類の気恥ずかしさがあった。
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by mono_mono_14 | 2007-10-23 16:40 | 雑/quotidiana | Comments(0)

景観を読む知の体系について。

 まあ、たぶん、僕の仕事柄としては、もっと早い時期に1冊や2冊は読んでいてしかるべき著者であり著作であるのだろうが、つい先頃に某師匠(ただし僕が心の中で弟子入りしているだけ)に教わり、遅まきながら急ぎ入手の上、遠方へ赴く往復の間に読み終えた『空からの民俗学』。著者は宮本常一。

 やや業界的(何業界だろう)な話で言えば、ざっと3年前、景観法という法律ができたこともあり、「景観」というタームは時代のキーワードとなっている。僕自身も、「景観とは、歴史や風土や文化や風習や技術や制度や生活が見た目として現れてきたものを見る人が感じ取ったもの」という、何の足しにもならない定義をこねくり回したりしながら仕事をしていたりもするのだが、航空写真や風景写真を眺めながら紡がれる宮本の文章は、その景観の裏側にある歴史や風土や文化や風習や技術や制度や生活の解説なのであり、まさに、先ほどの「何の足しにもならない定義」そのものなのだった。この「何の足しにもならない定義」のそれなりの正しさを確認できたことと、その定義をこうやって立証できるようなバックグラウンドを持つことの必要性を痛感させられたこと、それが、この読書を通じて得られた、充実した読後感とは別の、個人的な収穫だったと思う。

 わが業界(何業界だろう)の大先輩たち、僕よりも25〜30歳くらい年上の世代は、まあ、宮本の域には到底届かないにしても、もの言わぬ地図や写真を見ながら、それが雄弁に物語っている歴史や風土や文化や風習や技術や制度や生活を想像する技術を持っている人が少なくなかった。技術と言うよりは知の体系というようなものだ。残念なことに、僕のその技術なり知の体系は極めて貧弱だと言わざるを得ない。言い訳がましく言えば、そういう過去の蓄積である体系を、未来へ向けたコンセプトの依って立つ足場にするのが極めて難しいという事情はあるのだが、諸賢お気づきの通り、それが僕の内的ストックを貧弱にしておいていいことの理由にはならないわけで、一歩ずつ研鑽に努めたい、などと、不祥事企業の社長のようなその場しのぎで本稿を終える。
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by mono_mono_14 | 2007-10-22 23:59 | 本/libro | Comments(0)

マドリード風コシード

Un piatto spagnolo che ho fatto oggi era abbastanza buono almeno a me.

 2袋目のヒヨコ豆を開封。『スペイン 熱い食卓』で見つけたマドリード風コシード。肉と野菜を煮るだけ。たぶん最も手間取るの工程はヒヨコ豆を戻すところだ。いや、それも簡単と言うことすら憚られるほどに簡単だが、時間を要するという意味で。教科書には12時間以上かけて戻せと書いてあったけれど、昼前に戻し始めて夕食に使うのだから、せいぜい7〜8時間といったところだ。
 レシピ通りにつくるとすれば骨付き鶏肉が必要なのだけれど、諸般の事情で鶏肉を控えているので、わりと近所の商店街にある肉屋でシチュー用の牛肉とソーセージを買う。ここの煮込み用の牛肉はとてもお買い得。100gで290円。スネとかそういうところなんだろうけれど、いちおう近畿地方の名高い牛肉を店名にも冠しているくらいだから、ブランドなスネだ。きっと。300g買っても千円でオツリが来る。ビバ、わりと近所の肉屋。
 肉とソーセージをたっぷりの水でいきなり煮る。沸騰したらヒヨコ豆も入れる。数十分煮込む。ジャガイモとニンジンとキャベツを投入し、もう数十分煮込む。おしまい。おお。簡単すぎる。調味料がゼロなのが、ラーメンには味も試さずにコショウをじゃかじゃか振りかけるタイプの僕には、やや物足りないと言えないこともないけれど、肉と野菜と豆の滋味が溶け出した一皿は、やはり自皿自賛なのであった。
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by mono_mono_14 | 2007-10-21 23:29 | 味/buono | Comments(4)

窓の外を降る雨

La pioggia cade fuori la finestra, che mi fa commuovere lenemente.

 繰り返し繰り返し聴いていると、やや往時のブリットポップ風味を漂わせる軽快なポップ=ロック・チューンの波間に浮かび上がる、いかにも肌触りの違う旋律と色合い、奥行き感を湛えた「cade la pioggia」。ジョヴァノッティが絡んだこの1曲のためだけでも、この『la finestra』というアルバムを手にしてみる価値があると、僕は思った。そして、僕が何十日も待ってHMV経由で手に入れたこのアルバムが、今ならそのHMVに在庫があるのだと言う。何となく納得がいかない。悔しいから(?)、同じく在庫があるというデビューアルバムをカートに入れてみた。

 ...Time flies like an arrow. 時間蝿は矢を好む(20年近く前にたまたま目にして以来、忘れられない自動翻訳ソフトの宣伝にあった和訳文)。ずいぶんと間が空いた。

 後日談。デビューアルバムのはずが「000577」が届いた。かわいがってくれそうなところへ里子に出した。
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by mono_mono_14 | 2007-10-18 19:22 | 音/musica | Comments(2)