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へなちょこ出張日記(2)

 倉敷へ初めて足を運ぶ。何を隠そう、とある業界向けのマイナーな媒体に、同業他社の友人から調達した資料だけを頼りに倉敷の美観地区の仕組みなど、知ったかぶりをして書いてみたことのある僕である。知ったかぶりしてすまん、遅くなって申し訳ない、とひとこと倉敷の街に謝りたくなった。
 駅から美観地区までの10分ほどの道のりは、率直に言って、冴えないのひとことだ。そもそも、駅前からして、“これがあの倉敷の玄関なの? 感”に満ちている。まあ、今回はそれは置いておくことにするが、いささか寂しい思いを禁じ得ない風景であった。

 しかし、それもひとたび美観地区に足を踏み入れれば、さすが倉敷と唸らされるのであった。すごいよ、古い建物の残り方が。あり得ないよ、古い建物の密度感が。
 たまたま『実測術』という、プロの伊コヒイキ・陣内秀信さんのゼミと、惜しくも若くして亡くなられた宮脇檀さんのゼミのフィールドワークの記録を綴じ込んだ本を眺めていたら、宮脇ゼミが40年ほど前に倉敷で実測調査をやっていた。その頃の倉敷は、白壁ははげ落ち、屋根は垂れ下がり、雨漏りもひどく、住民は、暗く修理費もかさむこんな不便な家、と思っていたらしい(もっとも、今に歴史の面影を残す街並みのほとんど全ての街で、同じような時期があったはずではあるのだが)。ともあれ、今に残る倉敷の街並みは、ほとんど何かの間違いのようですらあり、ただただ徹底して古い街並みなのであった。すげえ。

 川沿いは、少し観光地化が進みすぎてしまった寂しさがあるものの、裏路地はすごい。普通の家ばかりだったりする。お店やギャラリーや資料館があるわけでもなく、ただただ人の家が並んでいたりするのだ。そんなところを観光客が暢気に散歩していいのかと不安になるほどだ。僕が訪れた月曜の夕刻は、お店やギャラリーは定休日か終業時間を迎えつつあるところで、僕は、有り体に言えば、1時間半ほどあてどなく彷徨うように歩き続けていた。いっそのこと、腹をくくって全ての路地を徘徊するくらいの心構えで臨めばよかったか。たぶん、倉敷は午前中かお昼ご飯を挟むくらいの時間が魅力的なんじゃないかと思う。

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水辺の街並み。異常な完成度。映画のセットのようなあり得なさがだだ漏れ。倉敷・美観地区の顔。少し観光地化しすぎている。

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裏通りに入ると一気に生活の場の色合いが強まる。うろうろ歩いて写真など撮っていていいのだろうかという気になるほど住宅が多い。

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電柱に添えられた生け花。茶道具屋と備前焼のお店。なるほどの文化感。粋。ただし、電柱の無粋さが際立ったりもしている。

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路地。十分に狭く魅力的。基本的にただの路地。人は、ただゆっくりと通り抜けて、路地が穏やかに放つヴァイブを浴びる。路地浴。

 というわけで、この冴えないエントリを、僕を倉敷に導いてくれたささやかな奇跡への感謝の言葉と、来る春より宮脇ゼミならぬ陣内ゼミで学ぶ若人の前途を祝す言葉とを兼ねるものとしたい。なんだそれ。兼ねるな。
by mono_mono_14 | 2007-02-27 23:59 | 街/citta | Comments(3)

へなちょこ出張日記(1)

 北前船のオーナーの邸宅を移築したという施設に寄った。その性格はよくわからない建物だったが、造りはすごかった。北前船なんて、小学校か中学校の社会科で耳にしたくらいで詳しくは知りもしないのだが、そういうのってものすごく恥ずかしいことのような気がする。ともあれ、北前船のオーナーは、往時、とてつもない財力を誇っていたようなのだった。
 柱や梁の無垢材の迫力たるやただならぬものがある。30センチ角の柱、梁成70センチはあろうかという緩やかなアーチを描く梁。ひび割れもない。ということは、十分に寝かせた材ということで、つまり、発注は建設の遙か以前になされているということなのだった。
 半間(90センチ)幅の板戸。普通は幅の狭い板材を並べて面をつくるわけだが、ここの板戸は秋田杉の1枚板だ。つまり、少なくとも直径1メートル以上はあろうかという良質な杉の大木を薄切りにして切り出したものなわけで、その板戸1枚を用意するための金額はさっぱり見当がつかないが、ちょっとやそっとの額でないだろうことは容易に見当がつく。造作という造作がこんな調子なのだ。
 また、北前船は、商売先で積み荷を降ろして軽くなった船には、石材を積み込んでバランスを取ったりしたのでそうで、庭には各地で積み込んできた立派な庭石があちこちに配されているのだった。笠の直径が1間(1.8メートル)ある石灯籠とか。ものすごい。
 栄枯盛衰、現在はもちろんそんな財力は街のどこにも残っていないわけだけれど、今に窺い知るこのとてつもなさには、たとえ百科事典のページを繰るくらいのことだとしても、北前船の世界を少しくらい繙いてみようか、という気にさせられる。ひょんなことからその一端を垣間見た、北海道から日本海を辿って瀬戸内を回り大阪(大坂と書くべきか)へと到るこの壮大な産業の輝きは、21世紀のIT長者の不夜城の比ではないのであった。

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堂々たる全景

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風格ある内装

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障子の桟の味わい

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庭の風景

by mono_mono_14 | 2007-02-24 23:59 | 街/citta | Comments(2)

さて、うまく行くだろうか。

 この木曜日から金曜日にかけて、つまりは明日・明後日と加賀を訪れる予定だが、加賀へ行きながら温泉に投宿しないだなんて、日本人としてのナニカが壊れてしまったんじゃないか。出張だから当然か。そうなのか。出張というのはかくも悲しきものであったのだな。時間の余裕と電車の運行のタイミングが合えば、帰りがけに彦根か長浜で途中下車してみたいと思っているが、さて、うまく行くだろうか。
 週が明けた月曜日には、岡山初上陸(上陸?)の予定だが、倉敷に足を伸ばすこともなく、それどころか岡山すらもロクに歩けぬまま事実上の日帰りを余儀なくされるかも知れないだなんて、日本人としてのナニカが壊れてしまったんじゃないか。出張だから当然か。そうなのか。出張というのはかくも寂しきものであったのだな。諸事情が許せば、前泊する日曜日に、せめて暮れなずむ岡山をそぞろ歩き、ゆるゆると郷土料理と地酒でも楽しむ時間をつくりたいと思っているが、さて、うまく行くだろうか。

 追記。というか事後報告。
 加賀。思いがけず拘束時間が長引き、かつ天候も不順。足を伸ばすどころか、東京に帰ってくるのが精一杯といういただけなさだ。
 岡山。望外の展開。夢のような日曜日と、ささやかなご褒美のような月曜日。岡山と倉敷を歩いた。ただ歩いただけなんだけどさ。
by mono_mono_14 | 2007-02-21 13:17 | 雑/quotidiana | Comments(15)

Eddie Roberts『Roughneck Live in Paris』

 ・・・というわけで、エディ・ロバーツのジャズ寄りのプロジェクトも聴いてみたわけなのだけれど、なかなかよかった。ヘンな言い方だけど、ジャズにのめり込みすぎていないジャズ感が心地よかったと言うか。ライブならではのグルーヴィなノリもよかった。あー、スタカンもこんなセンをやりたがってたなーなどと少し思ったり。実際、ミック・タルボットの趣味は、本作が織り上げている世界に近しいジャズ/クラブジャズの辺りにあったわけだし。本作は、銀河系最高のファンクよりも味わい深かったような気すらする。

 ファンク版と較べて大きく違うのは、やはりリズムセクションの色合いで、特にファンク色を牽引していたベースの飛び跳ね具合はなりをひそめている。その代わりと言っては何だが、ここでジャズ色を引っ張っているのは、ドラミングの風情もあるが、僕にはピアノの音色の力が大きいように感じられる。ギタリストのリーダー作としては、ギターの押し出しはさほど強くなく(もちろんトゥリルリトゥリルリ弾いてるけど)、バンドとしてのアンサンブルで聴かせている辺りも好もしい。

 エディ・ロバーツ本人名義のプロジェクトになっている分(と言うかソロなのか)、思い入れというか、嗜好性/指向性はこういう音楽なのかも知れない。イタリア語が多用された新作(と言っても、たぶん歌が入っているわけではないので、アルバムや曲のタイトルにイタリア語が使われているだけなんだけど)も聴いてみる? 試聴の印象が微妙だったりもしたので見送っているのだけれど、このライブ盤は雰囲気よかったからなー。ライブだからかも知れないしなー。
by mono_mono_14 | 2007-02-21 13:10 | 音/musica | Comments(0)

東京マラソンの風景

 東京マラソン。異常なまでに暖かい冬だというのに、何もよりによって、こんなに冷え込まなくてもいいじゃないか、という氷雨模様をついて、3万人が東京を走る。僕は走らない(正しくは「走れない」だ)。
 出かけなければならない場所がマラソンコースの近くだった。用事を終えて大通りまで出てみると、走ってる、走ってる。ひっきりなしに走ってくる。それは、それなりに圧巻で、確かに見たことのない東京の風景なのであった。
 それにしても、42.195キロメートルを走りきる市民ランナーがこんなにたくさんいるなんて。電車に駆け込もうとしてほんの42.195メートルを走るだけで倒れそうなまでに消耗してしまうメタボリークな誰かさんとは大違い。
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by mono_mono_14 | 2007-02-18 23:59 | 雑/quotidiana | Comments(2)

The New Mastersounds『102%』

 「銀河系最高のファンク・バンド」などという惹句には、ベッカムやロナウドも思わずげんなりと籍を移してしまう気がするが、こういうベタなフレーズについそそのかされてしまう輩も出てしまうわけで(僕のことだ)。予備知識ゼロで手にした The New Mastersoundsの『102%』。
 一聴してファンクがずいぶんとオトナな音楽だということを感じさせるつくりだ。・・・単にいかに自分のファンク観がお子ちゃまであるかを白状しているだけかも知れない。しまった。

 エディー・ロバーツなるギタリストが率いるファンク・バンドの最新アルバム(と言ってもリリースは昨年末の模様)。エディー名義のソロ・プロジェクト(よりジャズ寄り)の新譜が店頭に並べられていて、それを試聴して、悪くないしタイトルがイタリア語だったのでぐらっと来たものの(伊コヒイキ)、しかし、それは買わずにおいて、帯の惹句からリーダーを務めるバンドの存在を知り、そのバンドの作品の方を聴きもせずに買ってみた。なかなかに理解に苦しむ判断だ。そして、なかなか理解に苦しむ文章でもある。すまん。しかも、ソロ・プロジェクトの旧譜(ライブ盤)は買ってみたという。ますますもって理解に苦しむ判断だ。

 で、『102%』。ホーンはあまり使わず、ギターとオルガン、ベースとドラムというシンプルな編成で繰り出すファンクは、ヴァラエティに富んでいるが、いずれもシャイなヤンチャ心を秘めたオトナなフレイバー(どんなだ)。ギラギラとどす黒かったりコテコテに土っぽかったりするわけではないが、グルーヴ感を欠いているわけではまったくない。思うにベースがファンクのグルーヴ感を牽引するのだな。船酔いしそうにうねるベース。その上で繰り広げられる控えめに弾ける(シャイでヤンチャな)ギターとオルガン。シックなグルーヴ。聴き込んだとは言えない段階ながら好印象だ。「銀河系最高」という形容の大げささはふさわしくないような気はする。
by mono_mono_14 | 2007-02-15 23:06 | 音/musica | Comments(0)

The Answer『Rise』

 CDショップでの激賞コメントに目が留まり、試聴。迷った末に見送り。数日前のこと。しかし、あー、やっぱり買えばよかったなーとの思いが募る。本日、打合せからの帰りに寄り道して購入。The Answer『Rise』。
 ブリティッシュ・ハード・ロックの正統的後継者と英国各誌が絶賛したそうだが、伸びやかなヴォーカルと重くブルージーなギターは、確かにロバート・プラントとジミー・ペイジなどを彷彿とさせるところがある。やや荒削りな前のめり感がひしひしと伝わってくる。嫌いじゃない。・・・斜に構えてみた。率直に書けば、好きだ。重いだけでなく、ポップな感覚もほの見えるのがまたいい。若かりし頃、パープルやツェッペリンを聴いていて、その名残がメタボリークな曲線美を誇る円やかな腹部に数滴程度は残っているオトナが、かつて聴きまくった懐かしい1枚ではなく2007年の今の音として聴ける。そういう1枚を見つけ続けることって、けっこう大事なんじゃないか、と思ったりする。CDケースが破損してなかったらもっとよかった(って、これは音楽には関係のないことだけど)。

 それにしても、僕が好んで聴く音楽には、ミドルティーンの頃と変わらなかったりする部分が色濃くあって、何だかおかしい。僕の音楽的三つ子の魂は、その頃によく聴いていたハード気味のギターロックなんだな、きっと。
by mono_mono_14 | 2007-02-15 21:38 | 音/musica | Comments(0)

エディアールの一番摘みジャム

 確か、誰かからの内祝いか何かだったのだけれど、エディアールのレモンのマーマレードをもらったことがあり、それが衝撃的に美味しかった記憶が色褪せず、とは言え、安くはないジャムなので、頻繁に、というわけにはいかないのだけれど、まあ、ときおりは自分で買い求めたりもしている。エディアールのレモンのマーマレード。お試しあれ。1,700円くらいするけど。
 エディアールでは、一番摘みジャムというシリーズがあり、まあ、新そばとか新米とかノヴェッロみたいなものだと思うけど、収穫を迎えたフルーツで真っ先につくったジャム。その第一弾(2007年の、という意味だと思う)として、タンジェリンジャムというのが棚に並んでいた。マンダリンとビターオレンジを掛け合わせた品種だというタンジェリン(彼の地フランスではクレマンティンヌと呼ぶらしい)。最高の産地だというコルシカ島産。何だか美味しそうにもほどがあるので、CD1枚分のお値段がするジャム離れした高値のジャム(当人比)だけど、つい買ってしまった。フレッシュ感を残したその味わいは、言うまでもなく美味しかったわけで。自選自賛。
 まったく関係ないが、僕にとって、タンジェリンと言えば、「picture yourself in a boat on a river with tangerine trees and marmalade skies」しか思い浮かばない。あ、ほんとにまったく関係ない。
 ※英文を読んでも意味不明な方のための補注:あれは Lucy in the Sky with Diamonds の歌い出しの部分。意味は訊いてくれるな。

 ついでに言うと、最近の朝食はいわゆるパン富豪だ。何がいわゆるだ。3種類くらいのパンを1〜2切れずつ盛り合わせる。自選自賛のジャムや自淹自賛のコーヒーと一緒にご満悦なひとときを過ごす。遅刻なんて気にしない(気にしろ)。パンはスライスして冷凍しておけばいいので、一人暮らしだろうと小食だろうと、気にせず美味しそうな大きなパンを買い込んで大丈夫。もちろん限度はあるぞ。で、このパン富豪、トーストを2枚食べる、とかよりもずいぶんといい気分。やったことのないパン好きはぜひ試されたし。
by mono_mono_14 | 2007-02-13 23:59 | 味/buono | Comments(0)

経験に関する一考察

Ho fatto le penne all'arrabbiata con i gamberetti ingombranti del frigo per il primo ed anche ho provato il maiale al latte per il secondo poi l'ho sbagliato. Se ce l'abbia un po' di esperienza di cucina non avrei fatto quel sbaglio cosi' facile. E' veramente importante l'esperienza.

 やはり経験というのは大事だ。経験があってこそ、カンも働くというものだろう。まっさらの状態から何かを始めるのは、やはり何らかの教科書なり教師なりが必要だが、それは、経験の受け渡しにほかならない。従って、教科書をなぞっていれば、あるいは教師の教えを守っていれば、最低限の成果にたどり着くだろう。それでも、その過程においては、当人のありとあらゆる経験の蓄積が総動員されているのだ。・・・久々の教科書クッキングに見事に失敗した、というだけの話を、ことさら大げさに始めてみているのだけれど。

 賞味期限が間近に迫った豚ロース(@平田牧場)のカタマリがあったので、それを使えそうな料理を豊富な教科書から探し出し、マイアーレ・アル・ラッテ、豚肉のミルク煮なんていうのに白羽の矢を立てた。シンプルな工程で、時間さえ厭わなければ、さほど失敗しようのなさそうな一品だった。2つのリチェッタがあり、魔が差した教科書クッキンガーは、かのエリオ・ロカンダ・イタリアーナ(@半蔵門)が腕を振るった方を選んだ。ふっ。バカめ。

 豚ロースに塩胡椒をし、小麦粉をはたく。僕のアタマは小麦粉でパンパンだった。要は、塩胡椒を忘れたってことなんだけど。なぜ、リチェッタの1行目からまつがっているのか。しかし、そのことに気づくのは、もちろんずいぶんと後になってからだ。ローズマリーとバターを投入した鍋を熱し、肉に焼き色をつける。まだ塩胡椒を忘れたことには気づいていない。必死で肉のカタマリを動かしながら全面にどうにか焼き色をつける。ひたひたになるまで牛乳を投入。沸騰した後、弱火に切り替える。凡百の教科書クッキンガーと同様に、僕もここで少し人心地がつく。そして、塩胡椒を忘れたことに気がつくのだった。とりあえず、鍋に向かって虚しく塩胡椒を振りかけてみた。軽く打ちひしがれながら1時間ほど煮る。ときおり鍋肌をこそげ、その都度、少し牛乳をこぼし、レンジを汚す。そういうわけで、ずっと軽く打ちひしがれるわけなのであった。
 煮えたら肉を取り出し、鍋の牛乳をソースにする。肉にはたいた小麦粉の残りをバターで炒める。そして、それを鍋に投入。軽くとろみをつける。リチェッタはこんな感じで、僕がやった調理もこんな感じ。・・・文章にすれば、ね...。

 小麦粉がずいぶん多いなーとは思わないでもなかったが、いちおうはリチェッタ通りのはずである。小さな不安を打ち消しながら、肉のうま味に満ちた牛乳に、バターをたっぷりと吸い込んだ小麦粉を投入。さらーりとろーり、美味しいソースのできあがり〜、と、期待に胸が膨らむ前に、鍋の牛乳の方がもこもこと膨らんでしまった。ほとんどポテトサラダと見分けがつかない、ヘンな白っぽい物体だ。百歩譲っても、いや何万歩譲っても液体には見えない、と言うか固体にしか見えない何者かが鍋にどどーんと鎮座していた。2回か3回、Command+Z(Ctrl+Z)を押してみたいんですが。だめですか。そうですか...。・・・僕のソース...。小麦粉を全量投入する前にこの結果を予想しろって話だ。自らの経験のなさに打ちのめされる教科書クッキンガー。お皿には、牛乳煮豚がぶよんと載っかっている。ざっと1時間半かけてこれをつくっていたんですか、僕は。そうですか...。

 辛いペンネもつくる。ここまでの流れで涙してしまった読者諸兄には「つらいペンネ」と読めてしまうかも知れないが、「からいペンネ」なので、念のため。リチェッタにはない海老を投入する。冷凍庫で場所を食っていたむき身の海老があったから。珍しく微妙に自我を主張してみる教科書クッキンガー。もしや、第1次反抗期なのか。まさか、第2次性徴か。いやん。ま、適当に解凍した海老を適当なタイミングで放り込むだけのことなんだけど。ちょっと火が通りすぎたかも知れない。が、足りないよりはいい。

 食べれば、それなりに自皿自賛を繰り出すわけだが、プリモ、セコンドとつくろうという野心的な日にしてこの結果、何とも悔やまれる一戦ではあった。やはり経験というのは大事だ。あと、より簡単そうなリチェッタを選ぶ謙虚さも必要だ。浅い経験のまま、つい背伸びして手の込んだリチェッタに挑み、教科書の何気ない一文一文に翻弄されまくる教科書クッキンガー。しかし、この看板を下ろすつもりはさらさらない。いかに向かい風、強く吹こうとも、次なる挑戦へと前進あるのみだ。どこへ行くのだ、この文体は。
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by mono_mono_14 | 2007-02-11 23:59 | 味/buono | Comments(2)

東浩紀・北田暁大『東京から考える』

 んー、どう言ったらいいものか。著者らの弁は立つわけだから、いっそう口ごもってしまう感じだ。東浩紀・北田暁大『東京から考える』読了。
 東は、『存在論的、郵便的』で華々しくデビューした若手批評家。とは言え、僕はこの本は読んでいない。ただ、タイトルを見て、「郵便的て・・・」という、いかにも頭の悪そうな感想を覚えたことを覚えている。一方の北田は、お、『ナポリのマラドーナ』を書いた人じゃない? と思ったのだが、それは北村暁夫という人だった。まつがいだ。そういうわけで、この人の本は読んでいないと思うが、『嗤う日本の「ナショナリズム」』というタイトルは、本屋で見かけた記憶はあるような気はする。ともあれ、僕にとって著者らは、せいぜい名前を知っているかどうか、というくらいの疎さなのであった。
 にもかかわらず、わりと一も二もなく本書を手にして、比較的とは言え、わりと手早く読んでしまったのは、言うまでもなくタイトルの魅力だ。副題に「格差・郊外・ナショナリズム」とある(しかし、なぜ、現代思想系の本は、3つの単語を列記することが多いんだろう)。

 今の東京が抱える問題あるいは現象としての都市の実像を巡り、頭のよさそうな議論が飛び交うわけだが、頭の悪い読者としては、その頭のよさそうな芳香にあてられて気分が悪くなってくる。乗り物酔いのようだ。いや、自分のことを頭の悪い読者だなんて言ってはかわいそうなので、抽象的なレベルで鍛え上げてからものを言う(読む)という訓練が足りてないがためについていきづらい、と言い換えよう。ま、結論としては、乗り物酔いだ。トリブララ。
 興味深い話題はいくつも見つかるのだが、悔しいかな、どうも自分の実感に響くなり、問題認識に斬り込まれるなりといったところまでたどり着かない。悶々とするばかりだ。その理由は、読者の力量不足にあることは明白で、それまた悔しい。それは、彼らが鋭く賢い人で、僕が鈍く愚かな人だ、という意味ではなく(相当の部分でそれは正しくはあるのだけれど)、彼らが議論している強度で僕がものを考えていない、ということだ。どちらかと言えば、僕のフィールドに近い議論であるのが、また悔しい。拾い読み的再読をしながら、僕なりの考えを形にしていかなければいけないような気がする。以上。・・・って、なぜ、こんな敗北宣言を掲出しているのだろう。すまん。
by mono_mono_14 | 2007-02-09 22:39 | 本/libro | Comments(0)