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「サッカー批評・原論」

 『季刊・サッカー批評』という雑誌があった(いや、たぶん今もある)。無駄に小難しくしているような印象のタイトルで、確かに小難しい論文が連載されていたりもしたが、基本は、マジメにサッカーを考えてみる、というような趣旨の雑誌だったと思う。刊行当初の数年間かはマメに購入していたのだけれど、やがて、僕の身勝手な印象としては、紙面から煮詰まった感が漂うようになり、次第に遠のいていった。
 買った雑誌や本はなかなか処分できない人情派(違)の僕だが、貴重な収納スペースには代えられず、手元にあった初期の20冊ほどを処分することにしたのは昨秋の頃だったか。でも、どうしても手元に残しておきたい連載があり、それだけは抜き刷りふうに保存しようと思い、掲載号だけ除けてあった。それから経過すること数ヶ月。ようやく、その抜き刷りが完成した。創刊号の表紙でくるむと、なかなかの1冊のように見える。何か嬉しい。

 そうまでして(というほどの作業ではないのだが)保存しておきたかった連載は、今福龍太の『サッカー批評・原論』。容易に察せられるだろうが、小難しい論文の連載の筆頭だ。「サッカー」という語と「批評・原論」という語のギャップたるやものすごい。「欽ちゃん」と「球団」くらいのギャップか。あ、さほどギャップないか。じゃあ、「ノーパン」と「しゃぶしゃぶ」くらいか。んー、ギャップと言うより違和感だな、これは。まあよい。
 連載のタイトルだけを並べてみても、とてもサッカーについて語られているとは思えない。
   序説 : 「サッカー批評」とは世界批評である
   起源論 : 身体のアルカイックな分節
   伝播論 : 身体帝国の流れに抗して
   儀礼論 : サッカーをいかに「想像」するか
   本能論 : 遊戯の消息、筋肉の機微
   陶酔論 : ドーピングの絶望の淵から
   陶酔論(続) : 身体の自然を愛すること
   遊戯論 : 幼年期としてのサッカー
   戦術論 : 互酬性のリズムに揺れながら
   遊戯論 : カーニヴァル、賭博、あるいはブラジルのホモ・ルーデンス
   遊戯論(続) : サッカーにおける「第三のストラテジー」
 1998年に出た創刊号から2001年の12号にかけて、1回の休載を挟んで連載された11の小論は、遊戯論がうろうろかぶってたりして、気取ったわりには抜けたところのあるイレブンだが、実のところ、ブラジル・サッカーやマラドーナに対する愛の告白に過ぎなかったりするのだった。そこが、いい。

 今福龍太は札幌大学にいるのだとばかり思っていたら、いつの間にやら東京外語大に移っていた。そろそろ、新しい本でも出してくれないかな。めっきり寡作になってしまった。
by mono_mono_14 | 2007-01-30 16:57 | 本/libro | Comments(0)

浮き足だったり

 久しぶりの泊まりがけの地方出張を明日に控え浮き足立ったりする愚かな私。此度は西へ向かうのだ。にんにきにきにきにん。京都を拠点に日帰りを2セットやる感じ。2つとも行ったことのない(&行ってみたかった)街なので楽しみ。ただ、シゴト(と移動)以外の時間がほとんど取れなさそうなのは口惜しい限りだ。ま、出張なのだから当たり前と言えば当たり前なのだけど。でも、せっかく京都泊なのに、切らして久しい黒七味を買うことすらもできなさそうというのは悲しい話だと思う。せめて、訪問地でシゴトの枠を超えた写真くらい撮れるといいな。・・・ちらっとYahoo!天気予報を見やったところ、明後日の訪問地に暴風雪との表示があったりした。・・・。いつものYahoo!天気予報らしく外しておくれ。おみやげ買ってくるから。な?


by mono_mono_14 | 2007-01-30 16:21 | 雑/quotidiana | Comments(2)

増島みどり『In His Times 中田英寿という時代』

A voi a cui piace il calcio consiglio un libro uscito a lunedi' scorso intitolato "In His Times -un'epoca firmata di Hide" che contiene le tante interviste su Hide Nakata fatte da Midori Masujima. Non ho ancora finito di leggerlo tutto ma sono gia' stimolato tanto. Un bel libro.

 読みかけの本だけど、もう薦めてしまおうと思う。『In His Times 中田英寿という時代』。書いたのは、今のところ、日本でサッカーを書かせたら一番いいシゴトをする(と僕は思っているが、客観的に見ても3本の指には必ず入ると思う)増島みどり。中田英寿が、プロサッカー選手として活動していた時期をクロノロジカルにたどる1冊。他の媒体で発表した記事の採録が中心なので、マメにNumberとかを読んでいた人には、心覚えのある文章も散見されると思う。だとしても、それをこうして1冊にまとめて通史的に読めることの価値を損ねるものではないと思う。引退後に新たに起こされた多くの関係者へのインタビューも読み応えがある。
 こうして改めて、何気なく読み辿るプロ・フットボーラーとしての中田英寿の足跡は、ちょっと美談に響きすぎるところもないとは言えないけれど、しかし、その都度のささやかな興奮を呼び覚ましながら、それがどれほどの困難に満ちた偉業であったのかを思い知らせてくれる。・・・ワールドカップフランス大会の3試合、ユーヴェから2点を奪ったデビュー戦、名波との日本人デルビー、ローマにスクデットを引き寄せた(またもや)ユーヴェ戦の豪快ミドル、チャンピオンズリーグを逃し、苦悩に彩られたパルマ時代、ロッソブルあるいはヴィオラに身を包んだ日々・・・。自宅にロクな映像ライブラリがないことが悔やまれる。
 中田英寿が疾走した1994年(ないしはイタリアに渡った1998年)から2006年は、そんなことを意識していたわけでは決してないけれど、僕らもヒデを追いかけて走っていた時代だったのだ。

 どうでもいい話として、タイトルを見た時、あらら、「His」が複数形になってないじゃん、と思ってしまった僕である。「Hiei」とかにしたかったのか、オレ。ひえーぃ。・・・えっと、風邪など召されませぬように、暖冬とは言え寒いようですから。・・・台無しだ!
by mono_mono_14 | 2007-01-29 16:52 | 本/libro | Comments(2)

リベンジの一皿

Ancora una volta ho provato la pasta all'amatriciana, stavolta con le penne rigate. Una bella rivincita soddisfatta! Erano buone abbastanza, almeno per me. Nonostante non potevo preparare della pancetta ancora, ma me ne fotto.

 教科書クッキングなど。流行を積極的に取り入れ、微妙に賞味期限の切れたブロック・ベーコンを使ったアマトリチャーナ風ペンネ。謝罪広告は後日。引責辞任は世論次第。
 どう考えても美味しくしかつくれないはずのアマトリチャーナを微妙に失敗した苦い記憶を払拭せなばならぬ! などと気負うわけではないが、今回も微妙だったら、相当にヘコむだろう。“嫁入り本”(略しすぎ)にペンネのリチェッタがあったので、今回はそれをなぞってみる。それにしても、同じ(ような)料理のはずなのに、リチェッタが幅広いこと、幅広いこと。
b0018597_14571673.jpg オイル担当も兼ねる賞味期限切れベーコンが少し足りなかったので、リチェッタにはなかったオリーブオイルを少し足した他は、概ねリチェッタ通り。トマトソースを煮詰めに煮詰めるところが、このリチェッタのミソだったと思う。煮詰まっていくトマト缶(もちろん中身な、缶カラじゃないぞ)は、とても美味しそうにその濃度を上げて行っていて、フライパンを眺める僕の目にも慈しみに満ちた微笑が浮かぶ。・・・すまん、どうでもいい誇張と言うか捏造だった。つい流行りを追ってしまった。申し訳ない。
 例によって美のカケラもないてんこ盛り(改め、正統派トラットリア盛り)。おお。美味しい。今回は、何の迷いも気負いも後ろめたいところもなく正々堂々と自皿自賛を繰り出せる。とうとう、あの屈辱の記憶を追い払ったのだ。僕は、さながら、98年のワールドカップの初戦でPKを決め、94年の決勝におけるPK失敗の記憶を追い払ったロベルト・バッジョのような心境だ。・・・はい、言い過ぎました。ものすごく言い過ぎました。と言うか、何かを間違えました。すみません、すみません、すみません。すみませにっしも。許されたし。
 しかし、なぜ自皿自賛を繰り出すのに迷ったり気負ったり後ろめたかったりしなければならんのかはナゾだ。自皿自賛くらい気兼ねなく自由に繰り出せって話だ。でも、美味しくできるのはシアワセなことではある、とてつもなく小さなシアワセのカケラではあるけれど。

 今日までの間にも、アサリの缶詰で超手抜きヴォンゴレをつくったりはしていたが、それは割愛。いいアサリ缶ならそれなりに美味しくつくれそうな手順を発見した。で、いいアサリ缶のストックは切れた。うまくいかんのう。
by mono_mono_14 | 2007-01-28 23:59 | 味/buono | Comments(0)

『朧の森に棲む鬼』@新橋演舞場

 率直に言って、DVDでも度肝を抜かれる『アテルイ』の出来たるやすさまじいもので、それを新橋演舞場で観ることができなかったのは、まだ何も知らない幼子同然だったとは言え(なにがだ)、痛恨の極みだ。
 それから時は流れること数年。今日、ようやく、新橋演舞場にて、市川染五郎が劇団☆新感線と組んだ舞台を観ることができたのだった。『朧の森に棲む鬼』。あろうことか、東京公演千秋楽だ。しかも、前から5列目だ。近すぎて落ち着かない小心者の僕であった。周囲を埋め尽くすディープな演劇ファンと思しき妙齢のご婦人方との違い、くっきり。頑張れ、オレ。

 相変わらずの素晴らしい舞台セット。今回は、舞台上に雨が降ったり、滝や川が流れたりして、エンディング、びしょぬれで最期を遂げる市川染五郎の迫力は、音を立てて奔流するホンモノの水がもたらした迫力だったと思う。いや、アイディアさえあれば、まだまだいろんなことができるんだな、あの狭い舞台の制約の中でも。狭い我が家も工夫しろ、という教訓を導き出すことにする。

 市川染五郎。何て言うのか、歌舞伎の底力を思い知ると言うか、オーラがあった。とことんの悪人を演じたが、その嫌な感じ、生理的に受けつけたくない狂気が、高らかなる声から、研ぎ澄まされた身体所作から、だだ漏れだった。妹もあっと言う間に狂気が宿る恐ろしい女優だと思っているが、兄もやはりそうなのであった。ビバ、血筋! 高麗屋! 僕の遅刻肌は新婚旅行の新幹線にすら乗り遅れかかった母譲りだ。ビバ、血筋! こりゃだめや! なんだ、この違い。・・・ちょっと無理あった。すまん。

 阿部サダヲのキレっぷりは、アクターを超えてアスリートのようですらあった(それは市川染五郎にも言えることだけれど)。特に、失明以後の殺陣のスピード感はすさまじく、よく考えたら、あの殺陣では目を閉じてはいないにしても、薄目程度にはつぶっているはずで、そんな簡単なことではないことに、家に帰ってから気づいた。よくよく考えれば、あれはものすごいことだったのだ。そして、同時に、どれだけ売れようとも小劇団スピリットを失っていないところが、とてもすてきだ。途中、まとわりつく女優にドロップキックを見舞う場面があったのだけれど、そのキックが異様な高さだった。そんなに跳ぶな。しかし、彼女はあの蹴りを1ヶ月間受け続けてきて、これからの1ヶ月間も受け続けるのだろうか。そう考えると、彼女も小劇団スピリットに満ちていると言わざるを得ないな。

 古田新太も、舞台映えのする立ち姿と張りのある魅惑のボイスで、圧倒的な存在感を放ったが、彼はアスリートではないな。身体が横方向に伸びやすい生地でできているのだろう、きっと。親近感。実際には、それなりに鍛えられた身体ではあるのだと思うけれど。
by mono_mono_14 | 2007-01-27 23:59 | 文/cultura | Comments(0)

本を買ってみたり

Starei dimenticando e/o perdendo il modo per aggiornare il blog come sapreste. Stavolta faccio un saggio cosi' peggio. Boh, ma, comunque continuero'.

 昨日に出たばっかりだし1冊ぐらいあるだろ。例によってランチがてらに本屋を覗く。ない。ないんでやんの。試しに入れた1冊が早々に売れてしまったのかも知れないけれど。ふん、やっぱり、この本屋は気に入らない。半ば言いがかりのひとことは円やかなモンローカーブを描くお腹の中にしまい込んだ。これは昨日の話。従って、冒頭の「昨日」は「一昨日」を指す。ま、どうでもいいことだけど、いちおうね。
 たぶんないだろ。そう思いつつも、またもやランチがてらに本屋を覗く。ない。やっぱりね。ま、いいや。うん。目的の本を入手できないまま、店内をぶらぶらしていて、素っ気ない体裁の、しかしそこに刻まれた文字に思わず目を留めてしまった1冊。タイトルは『建築を読む』。著者は梅本洋一。帯には「こうして風景は消えてゆく」の惹句。表紙のフチに小さく「アーバン・ランドスケープ Tokyo-Yokohama」とある。
 著者の名に心当たりはない。本の体裁に負けず劣らず素っ気ない著者プロフィールから、パリで芸術を学んだ大学教授だということを知る。ふうん、てなもんだ(どうやら映画の人らしいことを後刻の検索で知った)。ページを開く。著者のノスタルジックな横浜の風景の描写から始まっている。ふうん、てなもんだけど、直感的な好印象がうっすらと立ちのぼる。もう少しページを繰る。『「Casa BRUTUS」的東京』の小見出し。『建築学科に入学した学生は、まず「Casa BRUTUS」(マガジンハウス)で建築の基礎を学び始める。友人の建築家はそう苦笑いしていた。』という書き出しの1行(正確には1行半)で、この本はオッケーだろうと、僕は思った。ちょっと過剰に褒めるとすれば、僕もこういうタッチの文章が書きたいと思う、そんなひとつのひな型(は言い過ぎなので、その素描くらい)なんじゃないか。加えれば、フィールドが東京と横浜というのも、親近感ではある。こういうことがあるから、気に入らない本屋も捨てきれない。
 というわけで買ってみたのだけれど、当然のことながらまだ読んでいない。それなのにこんなところに書いてしまっているのは、我ながらいただけない限りだ。願わくはさほど長きにわたり積ん読くことのないように...。
by mono_mono_14 | 2007-01-24 16:50 | 雑/quotidiana | Comments(0)

Lettuce『LIVE AT BLUE NOTE TOKYO』

 くっそー、こんなライブがブルーノート東京であったなんてなー。2003年11月というから、もう丸々3年以上前のことで、今さら何を言っておるのか、という話なんだけど。今、地団駄を踏みながら聴いている、その東京公演を収録したライブアルバムも2004年の秋頃にリリースされたもののようだから、それすらも今頃聴いておるのか、という話なんだけど。Lettuce(レタス)というグループの『LIVE AT BLUE NOTE TOKYO』。

 このアルバムを発見したのは、先日、57歳の若さで他界したマイケル・ブレッカーの追悼記事を(実は彼を聴いたこともないくせに)いくつか読んでいた流れから、たまたま見かけたからなのだけれど(これ)、ソウライブのメンバーが仕掛けたファンクという情報だけで、もう、聴いてみたい願望がだだ漏れになってしまった。ソウライブがBNTで演ってるのは知ってたけど(行ってない)、こんな派生ユニットがあったというのは、恥ずかしながら、ここで初めて知った。でも、その日のうちに買いに行ってるんだから、なかなかの反応なんじゃないか。

 いそいそと聴いてみるに、「INTRO」に続く「NYACK」のグルーヴで、もう、腰抜け前厄野郎と化してしまった。すげえな、これ。しかし、まあ、率直に言ってしまうと、その後、アルバムの中盤は、キレがありつつもまったりとした和み系ファンクが続くのだが(もっとも、ステージを通してNYACKな勢いで演られてしまっても困るだろう)。さすがに、ラストの「SQUADLIVE」はモリモリッとグルーヴ感を強めた演奏が弾け、頬はゆるみ、腰は砕ける。厚みのあるブラス、どす黒いオルガン。ファンクばっかり聴こうという気にはなれない弱腰前厄野郎ではあるが、ときおり聴くと、抜けたり砕けたり弱ったりしている腰にガツンと来て、それはやっぱり心地よい。
 残業中にイヤフォンで聴き、美しく言えば独特の、率直に言えば調子はずれのリズムで、美しく言えば独特の、率直に言えば気色悪い動きを披露しつつ、ミスタイプを繰り返す陶酔の前厄野郎。会社と同僚の度量に深く感謝する次第。しかし、本当に今年は前厄なんでしょうか?
by mono_mono_14 | 2007-01-18 23:59 | 音/musica | Comments(0)

e.s.t.『tuesday wonderland』

 e.s.t.。ベーコン、レタス、トマト? 全然違う。じゃあ、エーコン、セタス、トマト? うるさいな。
 「エスビョルン・スヴェンソン・トリオ」の略記だそうで、エスビョルン・スヴェンソンはリーダーのピアニスト。スウェーデン全開な名前。ラーションを影で支えてたりしそうだ。
 決して新しいアーティストではないようだが、僕が知ったのはほんの昨日のことだったりする。こちらを読んだのだった。話題に上げられている昨秋リリースの『tuesday wonderland』を聴く。

 彼らが紡ぐ音は、チェーザレ・ピッコと同じような流れにあるように見える(聴こえる、か)。そこはかとなくクラビィな味つけの端正気味な(あるいは耽美的な)ジャズ・ピアノ・トリオだ。ピッコよりは少し重い(つまり、ロック風味が強い)かも知れない。特にオープニングの「fading maid preludium」はその印象が強い。ちょっとシガー・ロスみたいだな、と思ったり。しかし、2曲目からは、ジャズの色合いが一気に強まる。心地よく軽やかなメロディが重々しいリズムに重なるタイトル曲のM02「tuesday wonderland」。メロウでセンチメンタルなM03「the goldhearted miner」。ドラムのブラシがさざ波のようだ。少しエキゾチックなフレーズに導かれるグルーヴィなM04「brewery of beggars」は、アルバム前半のハイライトだ。派手ではないもののライブ的な陶酔感に満ちた演奏に惹き込まれる。
 静かで短いM05「beggar's blanket」を挟んで、ポジティブなヴァイブに満ちたM06「dolores in a shoestand」が展開される。これも気持ちのいい佳曲で、スタジオライブで収録されたようでもある。“いかにもジャズ・ピアノ”な落ち着いたバラッド(必ずしも僕のストライクゾーンではないのだけれど)のM07「where we used to live」、少しグルーヴ感を強めたM08「eighthundred streets by feet」を経て、M09「goldwrap」へ。この曲は4分弱と短いのだけれど、抑えの効いたオトナのグルーヴに満ちた曲で、僕は好きだ。アルバム終盤のハイライトに位置づけたい。プログラミングも多用されていて、ピッコに最も近いのはこの曲だと思う。
 朴訥とした環境音楽のような(あるいは北欧の春の息吹のような)M10「sipping on the solid ground」、オープニングと対をなすノイズを効かせたM11「fading maid postludium」(シークレットトラックあり)で閉じる。
 もうひとトンガリを期待してしまう汚れた僕だけれど、それでも心地よく聴ける佳作。ジャズというフィールドの懐の深さも感じる。

 というわけで(どういうわけで?)、ようやくCD買い初め。ただ、自主的拡大昼休みでの敢行だったゆえ、非常にもの足りない。
 話は少し脱線するけれど、昨日だか一昨日だか、もしかすると一昨々日だったかも知れないが、ともあれ非常に近い過去に、渋谷陽一が、マイ・ケミカル・ロマンスの好意的なライブ評を新聞紙上で書いていた。ちょうど、その数日前、CDショップの店頭で、たまたま目に留まった彼らの新譜を少し試聴したところだったので、このタイミングに乗るべきかどうか、少し迷っている。今日も迷った。むむむ。
by mono_mono_14 | 2007-01-18 18:40 | 音/musica | Comments(0)

作戦

"...Lui ha gia' smesso di fare il blog?" Alcuni avrebbero pensato cosi' ma no, forse no. Onestamente la mia motivazione a farlo e' decresciuta un po' ma non ho intenzione di smetterlo ...per il momento. So che ci sono i pochissimi ma carissimi lettori del mio blog e se ce ne sia solo uno continuerei quel cattivissimo blog. Comunque andiamo.

 新年も半月が経過したにもかかわらず、まだ1冊の本も読めていないというのはどうしたことだろう。読もうと思った本が難解(と言うかシンタクスが肌に合わないと言うか)だからだ、と、他人のせいにしてみよう。行きがかり上、読んでおいた方がいいんじゃないかと、背伸びして手にしてしまった教育哲学の本。ジョン・デューイ『経験と教育』(我ながらどよめくな、このチョイスは)。
 とにかく、同じところをぐるぐると読んでしまうタイプの文章で、ちっとも進まない。3歩進んで2歩下がるのを繰り返し、必死で10歩ほど進んだところで、一気に8歩くらいは戻ってしまう。そんなことを年末から繰り返している。というわけで、ブログに書いて自らの尻を叩こうという作戦に出てみた次第。この作戦、ときおりうまくいくのだけれど、最近、その打率も落ちてきているような気はする。

 僕は教育学部ではないけれど、サッカー部には教育学部に在籍していたヤツらもいて、彼らも大学4年の時にはいわゆる教員採用試験を受けた。サッカーの試合に向かう車の中で、いんちき一問一答の受験勉強をやったりもしたのだが、その中にデューイの名もあったのを覚えている。デューイは、僕にとってはそんな程度の、しかしある意味では懐かしい名前だ。まさか、その人の本を読もうとする未来が来るなんて、22歳の夏には予想だにしていなかったな。たぶん、教職に進んだ彼らだって読んじゃいないと思うような本なのに。
by mono_mono_14 | 2007-01-15 13:21 | 雑/quotidiana | Comments(0)

教科書クッキンガー初め

Ho fatto i primi spaghetti in questo anno nuovo. Il piatto di stasera e' quello degli spaghetti all'amatriciana finti (sempre finti...). Sono molto facile di fare ma non erano buonissimi. Perche'? Non lo so, ma mi e' parso che il profumo di olio fosse troppo forte.

b0018597_19484889.jpg 教科書クッキンガーにも新年は訪れ、またもやハンパな材料に忸怩たる思いも覚えつつ、最初の(しかし初挑戦というわけではない)一品に挑む。・・・挑むというほどのことはなく、それどころか果てしなく簡単な部類に入る。アマトリチャーナ。
 リチェッタに「パンチェッタ」と書いてあるのは読まないことにする。これが新年の抱負だ(嘘)。平田牧場の豚バラも買いに行けないし、冷蔵庫にあったベーコンで済ませ、気にしないことにする。白ワインも切らしていたので無視する。白ワインが入らないリチェッタもあったし。
 我ながら、なかなかの手際で完成にこぎ着けた。・・・のだが、何だか、いまひとつ。アマトリチャーナは、これまでに何回かつくってみて、天井桟敷から惜しみない自皿自賛の嵐を浴びせていた一皿なのに。教科書クッキンガー初めなのに。僕の味覚的にはオリーブオイルの風味が少し強く出すぎていた。お義理の自皿自賛をひとつ置き、席を立った。・・・立ったところでどこかに行くアテがあるわけでもないので、また腰を下ろすわけだが。2007年、教科書クッキンガー、微妙な船出である。そして、いつもながら写真も微妙である。セブンイレブンのナポリタンのようだ。
by mono_mono_14 | 2007-01-08 23:59 | 味/buono | Comments(4)