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新しくしてみたり

Ho comprato un cellulare nuovamente. Ma e' il mio secondo cellulare dopo i lunghi sei anni dell'uso del mio primo.

 携帯電話を新しくしてみたりした。あんまり携帯に興味もなければ必要性も感じていなかった僕が初めて携帯を持ったのは、ほぼ6年前、2000年の暮れの頃だった。その時の端末をずーっと使っていたのだった。その後も携帯にさほど興味もなければ必要性も低かったのだ。さすがに街なかで見かけることはなくなっていた僕の年代物は、しかしながらアンティークの味わいを帯びたりせず、単に満身創痍のくたびれた感じを漂わせるだけであった。惜しい。
 知らぬうちに思いがけず溜まっていた家電量販店のポイントだけで買えてしまった6年ぶりの新しい携帯は、当然のことながら僕にとっては異次元の世界にあり、取説にもロクについていけないのであった。みんな、すごいな、こんな難解なシロモノをやすやすと使いこなして。とりあえず、かかってきた電話に出られて、メールを送れるようになって、写真が撮れて保存できるようになるのが今年の目標ですってなんだこの目標。らくらくホンにしとけって話だ。
by mono_mono_14 | 2006-09-30 23:59 | 雑/quotidiana | Comments(6)

Marisa Monte『Universo ao Meu Redor』

 マリーザ・モンチ。どうやら同い年。ずいぶん前からMPBの歌姫の地位を確固たるものとしていたのだと思うものの、僕はなぜだか聴かずじまいでここまで来ていた。数ヶ月前に2枚同時に出た新譜の1枚がサンバだったので、何度か手を伸ばしてはみたのだが、そのたびに棚に戻していた。ここに来てなぜだか購入。Marisa Monte『Universo ao Meu Redor』。

 胸を張って歌い継いでいく。時間の重みにリスペクトしながら時代に合わせて新たな解釈を加えて演奏する。そういう音楽を持っているというのは素晴らしいことだな、と、アルファ波を誘発しまくる和み系の洗練されたアレンジで歌われるモダンなサンバたちを聴きながら思う。1944年につくられた曲から2005年に書かれたナンバーまで、60年の時の流れが当たり前のように同じ晴れがましさ、はにかみ具合で並べられている。演奏はどことなくハワイアンにも近しい音楽になっているが、それもそのはず、いくつかの曲でマリーザによるウクレレがフィーチャーされている。そよ風と潮騒のサンバだ。気持ちよすぎ。サンバと言えば半裸美女が不眠不休で踊りながら練り歩くイメージが脳裏に浮かぶ人にこそ聴いてほしい1枚。そんなイメージは浮かばないか。すまん。でもトライしてほしい。ニュース的に取り上げるにはずいぶんと出遅れたタイミングなのだけれど。

 それにしても、やはり、ブラジルの他を圧倒するような女性ボーカリストは、どこかしらエリスの影を追いかけることになっているような気がする。マリア・ヒタは除くとしても。スピーカーから流れ出てくるマリーザの声を聴いた瞬間、あ、エリスだ、と思ったのだ。決して悪い意味ではなく。むしろ尊い感じで。
by mono_mono_14 | 2006-09-30 01:13 | 音/musica | Comments(0)

テラス席

 雨降りでなければテラス席でのご飯が気持ちいい季節・第2部が訪れた。昼でも夜でも。第1部は言うまでもなく梅雨に入る前の、僕が生まれた素晴らしい5月とかを指すわけだが、最近の5月は梅雨っぽい天気が多く甚だ不本意だ。逸れた。戻す。知らぬうちに秋は深まるものであるので、そのうちストーブに火が入り、テラスを覆う囲いなんかも立ったりして、それでもテラスで食べるというのは、大した屋外環境が得られるわけではない東京都心部ではなおのこと、何かの修行か求道なんじゃないかと思ったりするのだけれど、これからの1か月かそこらは、説明不要でテラス席に向かっていいと思う。向かった。と言うか、予約の電話を入れたら、満席だがテラスなら空いていると言われたのだけれど。待て。テラスから埋まるんじゃないのか。こんな季節なのに。選べればテラスを希望しようと思っていた僕はどうなるのだ。希望通りテラス席に座れるのか。じゃあいいんじゃないか。いいのか。いいのだな。どうなんだ。よかった。
 頬を撫でていく夜風も、周りのテーブルのざわめきも、メインの華やかさに思わず歓声を上げ携帯で写真を撮る女性客も、テラスが面する路地を行き交う人たちが生け垣越しにときおり投げかける視線も、エントランスのメニューに足を止めるカップルの姿も、フランス人スタッフのミニマムな日本語も、大ぶりなブルゴーニュグラスに注がれるワインも、ヒラメのマリネも、仔牛のグリエも、なにもかもが素晴らしく好もしく思えたのは、テラス席でのご飯が気持ちいい季節のなせるワザでもあるのだと思う。右足のアキレス腱の辺りを1箇所だけしかし力強く蚊に刺されたことだけがいただけなかった。神楽坂のメゾン・ド・ラ・ブルゴーニュにて。
by mono_mono_14 | 2006-09-29 23:59 | 味/buono | Comments(0)

Caetano Veloso『ce』

 意欲作だとか問題作だとかの前評判を漏れ聞くカエターノ・ヴェローゾの新譜『ce』(eの上には^が入る(表示可能だが主として面倒を理由にアクセントの類は割愛する方針))。ロックなのだという。なにげに発売が待ち遠しかった1枚。
m01「outro」:軽やかなドラミング。くぐもった音色のギター。80年代(あるいはもう少し前)のようなリフ。抑えた、という表現がふさわしいバッキング。シンプルな曲。それに乗るカエターノの声。それにしても何という声! 芯の太さと儚げなニュアンスが同居し、淡々としたパフォーマンスのようで沸々としたパッションが渦を巻いて底を流れている。柔らかなパンクと呼んでもいい。佳曲。
m02「minhas lagrimas」:荒野のハミングバードのようなアコギのトレモロが印象的。引き続き抑えた印象のスローナンバーだが、ボーカルはいっそうエモーショナルだ。ファルセットのように舞い上がる高音の表現力。カエターノ節。切なさとともに凛とした矜持が感じられる。
m03「rocks」:タイトル通りと言うか、軽快なポップロック。カエターノが歌う「rocks」は「ホックス」と聞こえる。ギターのフレーズがジャムみたい。お、そういうことなのか、もしかして。つまり、モッズなのか。ギターソロまでへたっぴだった頃のウェラーのようだ。めちゃくちゃうまい人が弾いているのに。曲に合ったソロがあるってことだな。
m04「deusa urbana」:これも抑制気味の、やや実験的なトーンがあるナンバー。どちらかと言えばミニマルな音を重ねた現代美術っぽいつくり。フランスっぽいニュアンスを感じるが、それを説明できる僕ではない。それにしてもカエターノの声は抜けていく風のようだ。
m05「waly salomao」:一定のテンポで厳かに鳴り響く太鼓の低音が曲の印象をつくる。朗読か祈祷のようなカエターノのボーカル。幻想的な音色で翳りのある音を紡ぐギター。原初の音楽。
m06「nao me arrependo」:ドラマティックなドラミングに乗せてカエターノが切々と歌い上げる。穏やかで慎ましやかな色合いの曲ながら、とてもポジティブなヴァイブに満ちている。僕は好きだ。なぜだかツェッペリンが頭をよぎった。似てないのにな。
m07「musa hibrida」:エフェクターの効果を前面に打ち出したファンキーなギター。しかし、曲はファンクというわけではない。どこかしら山下達郎の音づくりのよう。つまり多彩な抽斗と確固たる自己。切れ味鋭い独特なギターカッティングが聴ける。来日公演での驚愕のプレイを思い出す。
m08「odeio」:アップテンポ。それにしてもシンプルなリフ。2音しかない。それなのにとても豊か。コドモとは違うワクワク感に溢れたポップロック。怒りとは違うエモーションに裏打ちされたオトナなパンクなんじゃないか、やっぱり。カエターノの歌い出しはローラーズのサタデーナイトかと思った。
m09「homem」:ビート感やメロディの端々にビートルズを感じる。そう思って聴くとマッカートニーみたいに聞こえてくる。ブリッジのギターとか古き良きロックへのオマージュのよう。微笑ましく愉快な曲だが、それを楽しげに歌うカエターノの声には、いくばくかの毒気が宿っているような気がする。それにやられたのか、エンディングにかけて少し狂気が宿る。まったくもって一筋縄ではいかないパフォーマーだ。
m10「porque?」:「しゅとまびーる」ばかりが繰り返される(歌詞カードによれば estou-me a vir、意味はわからない)。何かがひたひたと押し寄せてくる。バックに流れているギターとキーボードは少しジャズがかった気持ちのいいフレーズを奏でているのだが、ボーカルがシュールな空気を醸し出している。
m11「um sonho」:口伝の民謡のような素朴なつくりで、タイトルの通り夢想的な雰囲気だが、白昼夢的な夢だ。民話が持つ神話的な部分を引きずり出しているみたいな曲。実際の歌詞は全然違うのかも知れないが、それが僕のインプレッションの売りだ。そんなの売るな。
m12「o heroi」:不安げなトーンの演奏に乗ってカエターノが詞を朗読する。ラップではない。最後のフレーズにだけメロディがついている。セウ・ジョルジの「Eu Sou Favela」と同系列のパフォーマンス。きっとテーマも似ているんじゃないか、などと類推する。怨霊の叫びのようなノイズが徐々に高まり首を絞められたかのように不意に音が止むエンディング。こわい。
 ラスト3曲は、心の影の部分に意識を向けさせられるような曲で、身も蓋もない言い方をすれば、やや後味が悪い。

 ロックという前評判は偽りではないにせよ、僕が勝手に想起したロック像とはやや趣を異にしていた。カエターノをたくさん聴いているわけではないので、こういう曲調自体が珍しいのかも知れない。もっとも、ロックかどうかなんてどうでもいい。ジャンルなんて関係なく、稀代のボーカリスト、カエターノの声を、年を重ねても少しも老いさらばえていかない艶やかで深みのある声を堪能すればいいのだ。あと、ドラムが素晴らしい。かっ飛ばしているわけではないがものすごくグルーヴィで、こちらもオトナな気配だ。
by mono_mono_14 | 2006-09-29 19:29 | 音/musica | Comments(2)

新宿 in italiano

 新宿駅南口の辺りは道路工事が真っ盛りで仮囲いがずらっと並んでいるのだけれど、それがちょっとしたパブリックアート気分の仕上がりになっている。と言っても写真やメッセージで覆い尽くされているだけのことで、かえって乱雑感を増しているような気もするが、まあ「工事中」の風景をどうするかということについては、最近、あれこれ考えられるようになっていて、これもその一環だ。
 ふと、メッセージにイタリア語が混ざっていることに気がついた。また端までもどってチェックし直す酔狂な僕である。結果、3つのメッセージが発見できた。それがこれ。
b0018597_17161048.jpg

 掲出するイタリア語はいんちきであることが本ブログのポリシーではあるが、たまにはいんちきでないと思われるイタリア語も掲げてみた。・・・いや、普段だって、決していんちきなイタリア語を掲げたいわけではないのですよ、すみません、すみません。

訳文はこちら
by mono_mono_14 | 2006-09-29 17:06 | 伊/italia | Comments(2)

シゴトってヤツ

L'anno sociale della mia ditta comincia al primo ottobre ed ovviamente finisce al fine settembre. Ed oggi mi sono ricevuto una piccola gratifica distribuita del profittino di questo anno. Non penso mai che lavoro per solo i soldi ma ovviamente questa gratifica mi fa contento. Allora ragazzi, perche' non andiamo a Napule per mangiare una pizza? Pago io, chiamami! ...Scherzo.

 雨上がりの薄曇りの東京。すでに夏のことを思い出せない程度には秋。シゴトってヤツを等身大で考えてみたりする。シゴトは収入を得るためにやっていることは間違いないわけではあるけれどそれだけではなく、社会のお役に立ちたい一心でなどという高邁な精神は持ち合わせていないものの役立つとしたらそれはとびきり嬉しいことだし、職業に貴賎はないにしても好き嫌いはあるので(選択の自由は思ったほどないと思うけれど)できれば「好き」に近い職業に携わりたいと願い、そのくせそんなシゴトであったとしても往々にして憂鬱な気持ちで向かうことも少なくないわけで。シゴトとジブンとの関係は、何だかつかみどころがないものだと思う。シゴトについてハッキリ言えるのは、国民の義務だから働いているのだという実感もつもりもゼロだ、ということくらいだな。・・・などということをこの季節には考えることになる会社に勤めている僕なのであった。今日のちょっとした嬉しい出来事はアルファベットに埋めてしまった。おしまい。
by mono_mono_14 | 2006-09-27 18:00 | 雑/quotidiana | Comments(4)

なんでだか思い立ち小声にて

Onestamente adesso non faccio quasi niente di studiare la lingua italiana. Attualmente non intendo di smetterlo ma.... Forse devo forzarmi a cercare i tempi per studiarla. Ok, d'accordo, allora da questo fine settimana ricomincio a studiarla da solo pian piano, anche se per una decina di minuti al giorno. E' un piccolo entry per forzarmi. Cari lettori, scusatemi!

 なんだかね、イタリア語からはずいぶんと遠ざかっているような気がするわけで。ずるずると日常に流されてるばかりで。ガゼッタやレップブリカのサイトをチラ見してジョヴァを聴いているくらいで。検定とかを受けたりもしないし。いかんですよ。・・・と、なんでだか思い至り、少しぐらい勉強する時間を捻出する努力を課すことにするか(って回りくどいな)、となんでだか思い立った。・・・ということをメモにしておくためのエントリ。おおひどい。すまん。でも、こうやってエントリすると、ちょっぴり効いたりするのでお許しあれ。必ずしもいつもうまくいくわけではないのだけれどね。
by mono_mono_14 | 2006-09-22 22:00 | 伊/italia | Comments(2)

躍動する紅顔の美中年たち

 紅顔の美中年・今村ねずみ率いるザ・コンボイ。老体に鞭打って躍動する7人の中年侍。抗いがたいフィジカルの衰えとか、成功ゆえのマンネリズムとか、ここ数年はイマイチ評価しづらい部分も感じていたのだけれど、結成20周年(!)の今年、ビデオでしか観たことがなかった往年の名作『ATOM』を再演するというので観てみた。期待と不安が相半ばする。もしかすると時代の確かな終焉を体感することになるかも知れないのだから。

 結論だけ言うと、コンボイは死んでいなかった。それどころでなく感動的に闘っていた。メンバーのほとんどが僕より年上で、リーダーの紅顔の美中年・今村ねずみは48歳だ。「走り出したら止まらない」がグループのキャッチフレーズだが、その看板に偽りなく、疾走感をたたえたまま、2時間半のステージを走りきり踊りきった。ATOMに匹敵するような新作が書けるかどうかは、また別の問題としてあるにせよ、コンボイの気迫は、僕の胸を打った。胸だけでなく、彼らの引き締まった体躯は、僕の洋なし部分を容赦なく撃ち続けた。痛いです、痛いです、やめてほしいです。7人の猛る美中年に平伏そう。何につけすぐに平伏してしまう僕であった。今村ねずみにはカズと同じ匂いを感じるよ。

 もしかすると20年間追いかけているのかも知れないなぁ、という、妙齢のご婦人方(妙は自由に解釈されたし)も大勢いたが、今日、初めてコンボイに出会ったらしき妙齢の女性(妙は再び自由に解釈されたし)などもおり、はたまた野太い声援が飛んだりもしていたから男性客もそれなりにいた模様で、やはり闘うおじさんの姿は人々に訴えかけるナニカがあるのだなあと、洋なし部分をエンドレスに攻撃されながら思った次第。

 舘形比呂の肉体と舞踊は、そっちが本業だから当然かも知れないが、すさまじいものがあった。圧倒された。当然のことながら、自分のナイスバディは見ないように努めた。
by mono_mono_14 | 2006-09-21 23:59 | 芸/arte | Comments(0)

周杰倫『依然范特西』

 驚くことに4枚も買っている。おお。ファンでもないのに。それとも4枚も買っていれば十分にファンなのか。僕の中ではファンではなく、関心のあるアーティストという位置づけだけれど、まあ、その辺りは深く考えないことにする。とりあえず聴きながら全曲レビュー。周杰倫『依然范特西』。
01「夜的第七章」:物憂げなストリングスと独特の中華ラップ、いたいけな(?)女子とのデュエット。ジェイ・ポップ(J-POPではない)のボキャブラリーが勢揃い。タイトルの通り、ワケありの夜の風景のような曲。ワケありの夜ってどんなかなんて尋ねちゃいけないよ。
02「聴媽媽的話」:うまい。きれい。ポジティブ。ポップソングとして素晴らしい完成度だと思う。僕は好きだ。若人よ、卒業式にかけて泣け。J-POPでもこういう曲をやる人たちはいるような気がするけど(ほとんど聴かないけどドラゴン・アッシュとか?)、ジェイに分がありそうに思えるのは、音楽的才能だけでなく言語の音楽性にも違いがありそう。日本語は不利な気がする。跳ねるような転がるようなピアノ(あるいはチェンバロ?)が利いている。サビメロが少しだけ「Ruby Tuesday」みたい。
03「千里之外」:一聴して中華なのだけれど、中華というフィールドに収まりきらない伸びやかさみたいなものを感じる。スケールの大きい佳曲。ジェイの中国土着の音楽(楽器にしろ旋律にしろ)を21世紀のボーダレスな世界に融合する能力は、ものすごいものだと思う。だって、真正面から伝統的な雅楽器と向き合っているJ-POPのアーティストなんて、ほとんどいないんじゃないかと思うが、どうだろう。沖縄がわずかな例外なんじゃないか。何だか聴いたことあるような曲だなーと思ったのだが、それは事前にプロモを聴いたからのような気がしてきた。間抜けだな、おれ。
04「本草綱目」:ケミカル・ブラザーズだ。違うか。違うな。でもいいぞ。これはリミックスをつくってみてほしいなー。インストにしてもいいし、ジェイのラップをサンプリングしてもいいと思う。微妙にオマケの違うヴァージョンをいくつも出してないで、リミックス盤でもつくってみませんか? ラップもいい味を出しているのだけれど、バックの演奏(アレンジ)が素晴らしい。アレンジャーの力量も高いのだと思う(Michael Linって人?)。もう少しエッジを効かせてもいい、というのは単に僕の好みの問題だけれど。
05「退後」:前曲を忘れてもらいたいかのようなクラシカルでメロディアスなピアノフォルテのイントロ。手堅いメロウなポップソング。こういう曲のネクストステップがあるのかどうかは少し気になる。ボーカルは伸びているけれど、あーお得意の美メロだねーという感じに響いてしまう難がある。それは僕に難があるのか。美メロでOKってことなのか。そりゃそうだよね、OKだ。でもなぁ...。メロウでセンチメンタルでインターナショナルなポップメロディ、それがさらなる高みへ飛翔するのか。その辺りが僕にはよく見えないけれど、飛翔したらすごいな。そうしたら世界のポップ史に名を残すと思う。大げさか。
06「紅模仿」:おいおいコテコテのラテン歌謡かい。しょうがないな。前奏の間にいそいそとつけひげをつけて、「コモエスタ、セニョ〜ル」と歌い出そうとしたところで、意表を突いてラップが響いた。おお。たぶん世界で誰もやってないんじゃないか、こんな曲。ラップと伴奏のギャップがすごいのだが、それが完璧にマッチしているのは、どう考えてもすごいことのような気がする。それにしてもコテコテな伴奏でおかしい。上司のカラオケのようだ。行かないけどさ。
07「心雨」:手堅いロマンティックなバラッド。「退後」と同じような余計なお世話を思う。もっとも、サザンのバラッドに新旧がないように、ジェイのバラッドにも新旧がなくなるような気がする。聴き手のその時々の環境に合わせて勝手に染み込んでくるようになるのだろう。そういう意味では、バラッドを必要とする人たちのために、コンスタントにこういう美しいバラッドを出し続けるのは、ジェイの義務かも知れない。おそらく桑田佳祐にとってもそうであるように。
08「白色風車」:少し歌謡曲っぽいところはあるものの、伸びやかな佳曲。エモーショナルなボーカルが印象的で、サビメロの表現力は「ながら聴き」をやめさせるようなチカラがある。これがジェイ的スタンダードのひとつなんじゃないか。
09「迷迭香」:ラテン調の日本の歌謡曲のよう。原坊とかが歌い出しそう。しかし、こういう曲調になるとどこの国やらわからない無国籍感というか、不思議な感じ。間奏のピアノを聴いていて思ったのだけれど、こういうところにホンモノのラテンのアーティストを使ってみたら、また少し違った刺激的なヴァイブが生まれるような気がした。よろしくご検討ください。
10「菊花台」:中華色強し。伝統的な楽器をうまく取り入れたお得意のアレンジ。スローな優しい曲。伸びやか。悠久って感じ。お、話題の字だ。琴ライクな音のする楽器(すまん)の音色が心地よい。こういう曲、つまりヘタすれば単なる懐古趣味か民謡になりかねない曲をつくり、アルバムのラストに置いてしまい、それが破綻しない辺りが、ジェイのスケール感なんだと思う。
 立て続けに4周ほど聴いてみて思うに、ジェイっぽいアルバムなんだと思う。だったら、それでいいはずなのだが、途中でも書いたような身勝手リスナーの贅沢な不満としては、高みでマンネリしてる感じがちょっとする。が、それは聴き手としての僕のマンネリかも知れない。ジェイと僕とどちらがマンネリしてるだろうかと問えば、考えるまでもないことであった。うむむ。。。手元の4枚とも聴き直して修行しなきゃだめか。
 ともあれ、今作に沿って言えば、「聴媽媽的話」、「本草綱目」、「白色風車」の路線をそれぞれ突き詰める方向だと僕は嬉しい。分裂しそうに異なる曲たちだけれど、絶対うまくいくと思う。
 ひとつだけ苦言を呈したい。僕にはパッケージが過大にして華美にすぎる。もう少しひっそりしたなりのパッケージで(も)出してくれ。
by mono_mono_14 | 2006-09-21 17:58 | 音/musica | Comments(3)

Mart'nalia『Ao Vivo』

 レコメンにあったカエターノ・ヴェローゾの「彼女はベスト・オブ・リオさ」のひとことで買ってみた『Menino do Rio』がよかったので、古いライブ盤も取り寄せてみた。Mart'nalia『Ao Vivo』。ジャケットから放散されるアーティスト本人のシアワセ成分だけで、もう楽しげなアルバムであることが予想できるが、聴けば聴くほど予想に違わぬ心地よさだ。

 くせのある声が、ものすごく軽やかな伴奏に乗って、風のように抜けていく。前半はどちらかと言えば翳りのある叙情的な演奏が多い。冬に向かう海岸沿いの石畳を靴音を空に残しながら歩いてるみたいな。とは言え、ヤツらは揃ってブラジルだ。演奏の端々に太陽が顔を覗かせている。思わず立ち止まってジャケットを脱ぐ。そう、立ち止まって穏やかな水平線を見やるような演奏だ。そして、気がつくとカイピリーニャのグラスを手にしていそうな。力みのない暖かいライブ。いきなりの2曲目にカエターノと「Pe' do meu samba」を歌う。カエターノの声の若々しさと、マリチナーリアの声のシワ感との対比が印象的だ。

 そして、後半はめくるめくサンバ大会へと移行する。ジャケットどころかとっくにTシャツに着替えている。下手したら海パンにビーサンだ。とは言え、脳天気なサンバではない。甘く楽しいばかりじゃない人生のあれやこれやが詰め込まれている。涙もため息も引っくるめてささやかな毎日に向き合う人生讃歌がサンバで、それがサンバのめくるめくリズムにつながっている。僕はその感じを(勝手に)モナルコから学んだ(と思い込んでいる)が、そのモナルコの「Tudo menos amor」からサンバの部(?)は始まる。ブラジル音楽では誰もが当たり前のように他人の楽曲を演奏し、録音するが、この作品を分かち合うかのようなリスペクトフルな仕組みがすごいと思う(きっと何か仕組みがあるんだと思う)。そして、その曲をサンバの大御所で父親のマルチーニョ・ダ・ヴィラと共演する。このファミリー感もすごい。と言うか世襲制の伝統芸の一種なんじゃないかとすら思う。ブラジル音楽が伝えてくるこういった感覚と、カカのラストパスやロビーニョのドリブルも根っこでつながっているんだろうなと想像すると、日本サッカー協会の努力だけでブラジルに追いつこうということが、ほとんど絶望的な間違いのようにすら思える。あ、脱線した。カイピリーニャの飲み過ぎかも知れない。

 これがどういうライブなのか、今ひとつわからない。カエターノやジャバンといった豪華ゲストが次から次へと出てきて共演して去っていく。ライブ音源でつくられているけれど、アルバムの構成はライブとしてのまとまりに欠ける。ま、演奏が気持ちいいからどうでもいいことだけど。
by mono_mono_14 | 2006-09-20 20:56 | 音/musica | Comments(0)