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The Postal Service『Give Up』

 僕がわりと好んで聴いてきたような音楽(例えばベル・アンド・セバスチャンとか)に、僕があまり聴いたことのないような味つけ(何て言うかピコピコした感じ)がなされている。The Postal Service『Give Up』。僕がこの音楽を見つけたのはウェブの片隅で、わかりやすく言えばナウ・オン・エアーのインフォメーション・テロップが目に留まったようなもので、相当に偶然のタイミングがもたらした出会いだ。アマゾンかどこかで試聴ができ、その印象もよかったので、さっそくWポイントの日に買ってみた。とは言え、もう数年は前の作品なのであった(遅)。

 アメリカのエレクトロ・ユニットだけれど、アメリカらしからぬ内省的な世界観を持つ音楽。メロディは美しく、プログラミングも含めてアレンジは繊細で、すっと入っていける。ときおり強めなビートを前面に出した曲もあるが、どちらかと言えば荘厳に響くストリングス(プログラミングだけど)のアレンジなどの方がツボのように思う(少しシガー・ロスを感じた)。心地よく意識が遠のいていく感じ、気持ちよく三途の川を渡らせてくれそうな感じがする、ってちっとも迎えたくない状態を指しているけどホメてます。陶酔感とか言えばいいのか、穏やかだもんな、その方が。
 僕は、エレクトロはあまり聴いていなくて、ケミカル・ブラザースやプロディジーすらも聴いていないのだけれど、もしかすると、ダンスでなければ内省(からさらには荘厳)な方向と相性がいい音楽なのかも知れない。思いがけず、ピコピコいったりするのが気持ちよかったのだ(しかし、この「ピコピコ」っていう表現はなんとかならんのか)。
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by mono_mono_14 | 2006-08-31 21:14 | 音/musica | Comments(0)

スタジアムへ行こう

 どうやら平均的ではなさそうだけれど、おそらく平凡的ではあろうサラリーマンである僕の場合、水曜日にJリーグをやってもらってもほとんど観に行ける気配がないのだけれど、まれに、(1)シゴトの波が適度に穏やかで、(2)国立で試合があるという、大したことないながらもなかなかに得がたい2つの条件が重なった場合に限り、水曜のナイトゲームを観に行くことも可能となる。今日みたいに。
 信濃町からとことこ歩く。神宮に野球を観に行く人、国立にサッカーを観に行く人、心なしか浮かれた足取りでそれぞれのゲートを目指す。駅を出てすぐ左手の横断歩道橋を渡り、2軒のレストランの間を通り抜けて左へ折れる。その先にはビアガーデンがあるが、僕は行ったことがない。フットサルが終わってからも営業してたら必ず寄ってあげるのに。絵画館に向かう通路に入る。右手が聖徳記念絵画館、左手が明治神宮外苑軟式球場。この軟式球場の一角に、僕がたまに会社帰りに寄るフットサルコートがある。冬は寒く、夏は蚊に刺される。軟式球場の向こう側には有名ないちょう並木があり、青山通りへと抜けていく。正面に国立の照明が見える。
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 当日券を買い、トイレを済ませ、ビールを買い求め、スタンドへ。バックスタンドの上段は閉鎖されていたので、中段の上の方のゆったりと空いている席に陣取る。日中はぱらついた雨もどうやらもちそうで、夕暮れの風は心地よく、ビールはひたすらにうまい。
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 懲りずに見どころの薄い低水準のパノラマで、すまん。試合の感想は、また別稿にて。
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by mono_mono_14 | 2006-08-30 23:59 | 雑/quotidiana | Comments(0)

FC東京 vs セレッソ大阪

 国立競技場で行われたFC東京対セレッソ大阪を観戦。早々に告白してしまうけれど、試合というよりは名波を観に行った。
 僕はバックスタンドの中段やや上に陣取った。そこはホーム自由席に相当するものだから、ゴール裏には行けない(≒座って観たい)けれどFC東京をディープに応援している人たちに基本的には囲まれながら、バレないように名波のプレーを追いかけて、次々と繰り出される味わい深いプレーの数々に思わず舌を巻いた。rrrrr。こんな感じ(違)。

試合というか名波を観る
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by mono_mono_14 | 2006-08-30 23:59 | 蹴/calcio | Comments(0)

テレビが届いた。

 ざっと9年前。とりあえず海外で暮らすことになったからということで、友人から実質タダで譲り受けた25型のテレビ。日本が戦った3回のワールドカップをともに過ごしてきたそのテレビを送り出すことになった。電源を入れるとしばらくは砂嵐。僕が施した対策と言えば、ここだというタイミングで筐体を引っぱたくことだった。しかし、もうちょっとやそっと引っぱたいたくらいでは画面は戻ってこない。陶酔したコンガ奏者のように筐体を叩く、叩く、叩く。
 そんな日々に別れを告げた。今朝、新しいテレビが届いた。もう筐体を引っぱたくことはないのだ。37型の薄いテレビは思いがけず存在感も薄く(よい意味で)、狭い部屋に置く身としては救われた感がある。たまたまBS-hiで再放送をしていたワールドカップのドイツ対イタリア戦を少し観た。ものすごく美しかった。もっとも、僕的には、この試合自体がもともとものすごく美しいのだけれど。
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by mono_mono_14 | 2006-08-26 23:59 | 雑/quotidiana | Comments(0)

日本橋景観問題

 日本橋景観問題。日本橋と日本橋川の上空を首都高がべったりと塞いでいて、せっかくの日本橋の景観が台無し。あの首都高、埋めちゃえ。以前からそういう話題だけはあったのだけれど、小泉首相が発破をかけたために、どたばた気味ながら、マジメに取り上げられるようになってしまった。今や、「日本橋と首都高」は、景観問題の代名詞のようですらある。
 というわけで、現地へ赴き写真を撮ってきたりしてみた。七福神めぐりのついでに(ん? 主従がヘンだな)。街の景観の問題として、美醜の問題として、水辺のあり方として、見る人にはどんな感興を惹き起こすだろうか。「何だか写真がへたくそだなぁ」。・・・おぉ、その感興はどうか皆さまの胸の内に...。
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 引き続いて景観問題について書き綴ろうと思っていたのだけれど、下書きしてたらどんどん拡散していってしまったので、別稿を起こすことにした。
 ついでに景観問題にからめて1冊。都市や建築に携わる大学院生から20代、30代、何なら40代半ばくらいまでは(もしかするともっと上の年代にとっても)、無視しにくい存在に育ってきた『10+1』。この『10+1』の「No.43 都市景観スタディ」が、なかなかにおもしろい。珍しく(?)時代的関心ともうまく合っている。これはマニア(?)向けなので、この場では立ち読みすら勧めないけれど、でもお勧め。なんだそれ。いやまじで。
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by mono_mono_14 | 2006-08-25 19:20 | 街/citta | Comments(6)

ナントカとケムリは

 ナントカとケムリは高いところへ上りたがるなんて言うけれど、高さが与えてくれる見晴らしは、ケムリでない方のタイプにとっては、やっぱりなにがしかの昂揚感なり爽快感なり、あるいは感嘆や驚嘆を与えてくれるものだと思う。だから、できればナントカと呼ばないでほしい。

 東京都心部から少し海の方へ下ったところに新築なった、とある高層賃貸マンションが内覧会をやっている。その31階のフロアから眺めたパノラマビューは、やはりナントカの心を大いにくすぐった。住むところを探しに来たわけではなく、ただ、この高みからのパノラマビューを愛でに来ただけなので、そんなヤツはやっぱりナントカと呼ばれても仕方ないのかも知れない。
 古典的な手づくり感溢れるパノラマビューを掲出。・・・見どころの薄い写真ですまん。でも、これが31階のある住戸(のベランダ)からの眺めなのだ。何だか、家の窓から見ている景色、という実感が伴わない(≒庶民の証)。
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 この写真から何となく場所が特定できれば、内覧会の会場も調べがつくと思う。9月3日までやっているようなので、ケムリと同類系の方、もちろんお住まいをお探しの方も、よろしければぜひ(?)。

 こちらはオマケ。“先立つ親不孝をお許しください”ビュー。思いっきりヘコんだ晩とかには、つい、ほんとうにふらっと柵を乗り越えたくなったりしそうでこわい。僕には住めん。誰かが住んで、花火大会の晩だけ呼んでほしい。キッチンお借りできればパスタくらいつくりますから。
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by mono_mono_14 | 2006-08-24 17:47 | 雑/quotidiana | Comments(2)

七福神めぐり

 日本人の皆さんへ問題です。はい。問:七福神を全て挙げ漢字で記してください。答:・・・大黒様とか?
 過日、ひょんなことから「日本橋七福神巡り」など、してみた。その記録。最近、日本だとか歴史だとか風習だとかが気になったりするわけで。ふふん、なるほど、オレも人間的な深みが溢れ出ようとしているのだな、などと思い込む。読者諸兄ご賢察の通り、単に加齢臭が滲み出ようとしているのかも知れないのだな。嗅いでみます? ・・・どんな枕だ。

嗅いでみる(違)
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by mono_mono_14 | 2006-08-22 19:26 | 文/cultura | Comments(2)

岡本太郎記念館にて

b0018597_2135548.jpg 芸術が爆発かどうかはさておくとしても、岡本太郎が遺した作品は、やっぱり何かが奔放に迸っていて、そのことを「爆発」と呼ぶのなら、確かに芸術は爆発だ、少なくとも岡本太郎の芸術は爆発だと言えそうだ。もっとも、爆発という語から思い起こされる「荒さ」とか「破壊」とか「恐ろしさ」なんかとは、ずいぶん違う趣だとも思う。もっと暖かく微笑ましい、何て言うか、「抑えきれないやんちゃな気持ち」だとか、「慈しみ尽くせない優しい思い」とか、そういう類のエモーションが溢れ出てくる感じだ。
 青山の岡本太郎記念館で、蚊に刺されたりしながらも、岡本太郎の作品を観てきた。あの作品たちは、もう半ば地霊になりかかってるんじゃないか。おもしろかった。それ以上のコトバはなくてもいいんだと思う。館内も庭も写真を撮り放題なので、足を運ぶ際はぜひカメラの用意を。
 ・・・というわけで、あとは野暮ったいコトバに代えて拙い写真を(ってどっちもどっちだな)。無意味にいつもより写真を大きくしてみた。

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アタマデッカチに理解しようという姿勢が間違い。そういう気になる。

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アトリエ。シゴトが放つピリピリした空気が感じられる。

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リビング。を使った展示スペース。だと思いたい。それともこんな感じで生活してたのか?

さ、もう何も言うまい。つか言えない。めくるめく太郎ワールド。蚊や蜂に注意して満喫すべし。
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by mono_mono_14 | 2006-08-18 23:59 | 文/cultura | Comments(2)

『さよならナム・ジュン・パイク展』

Mi sono visto una mostra commemorativa di un grande artista coreano. Addio Nam June Paik...

b0018597_17481473.jpg 何でも正直に告白すればすべからく免責になるわけでもないのだろうが、とにもかくにもこのひとことのエクスキューズから始めないことには始まらない。

 僕はナム・ジュン・パイクを名前しか知らない。あるいは名前だけは知っている。

 以下のリンクに埋もれているのは、パイクとの出逢いが彼を偲ぶ追悼展となったウルトラビギナーの、つたなく的外れな、それでもいちおう真摯に綴ったつもりの感想文だ。

『さよならナム・ジュン・パイク展』にて
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by mono_mono_14 | 2006-08-17 23:59 | 芸/arte | Comments(4)

若冲を見たか

 8月アタマに出たBRUTUSでも特集されていた伊藤若冲(いとう・じゃくちゅう)。現在、上野の東京国立博物館で27日までの会期で『若冲と江戸絵画』という展示が行われている。観てきた。観てない方へ。観とくべき。若冲の作品だけでもいいから。かなり混んでるけど。なお、秋に京都、新年に太宰府、春に名古屋と巡回していくようなので、上野が無理でもぜひそちらで。いやまじで。

 ジョー・プライスというアメリカの大金持ちが自分で買い集めた日本の絵画を見せてくれるという、微妙に屈折した感もあるこの展示。こういうコレクションができる金持ちってなんだべ? という庶民の感想はコインロッカーに放り込み会場へ入る。「第一章 正統派絵画」、「第二章 京の画家」、「第三章 エキセントリック」、「第四章 江戸の画家」、「第五章 江戸琳派」という5部構成で、若冲は「第三章 エキセントリック」をほぼ独りで占めている。とにかくここが圧巻。もちろん、長沢芦雪とか鈴木其一とか素晴らしいなと思った作品は多々ある。円山応挙だってある。それでも、やはり若冲を愛でる展示だと思う。若冲を観てから江戸の絵画を観る構成になっているのだけれど、若冲の後に観ると、こう言っては悪いけど、あー、上手に描けてますねー、はいはい、という感じで、どうでもよくなってしまう。いや、この鑑賞法は間違いというかもったいないというか決してお勧めできるものではないのはわかっているけれど、実感というものはどうしようもない。

 「花鳥人物図屏風」、「鶴図屏風」という六曲一双の屏風に仕立てられた、それぞれ12枚ずつの一連の作品がとても素晴らしい。特に鶴たちがすごい。一息で描かれた鶴の輪郭、その揺るぎのなさ。ああいう曲線を、筆の運びも含めて、一発で決めてしまうことのものすごさ。そして、軽やかでスピーディで滑らかな鶴の体とは対照的に定規のような精密さで真っ直ぐに伸びる脚の力強さ、描き込みの緻密さ。墨の濃淡だけで紡ぎ出される豊饒な表現。見飽きない。いや、もちろん、後ろの人がつかえるからその場で飽かず眺めているわけにはいかないのだけれど。
 しかし、それらの作品を凌駕して、とんでもないところまで連れて行ってくれる作品が「鳥獣花木図屏風」。これこそほんとうに見飽きない。方眼に切られたマス目の上に描かれた絵で、まるでタイルモザイクのよう。そこに描かれたあらゆる動物がひしめく空想の世界。そこにどんな世界を観ていたのだろう。どんな物語が広がっていたのだろう。宇宙的な絵だ。ほんとに見飽きない。いや、もちろん、後ろの人がつかえるから、ここでもまたその場で飽かず眺めているわけにはいかないのだけれど。
 他にも、アジサイの花とともに誇り高く描かれた鶏(「紫陽花双鶏図」)、松の枝に雄々しく留まる鶏(「旭日雄鶏図」)なども迫力満点で、若冲の描く鶏はさながら鳥類の王様のようにすら見える。

 若冲は画家としての力量はもちろんとても高いのだと思うが、それ以上にグラフィック・デザイナー、あるいはアート・ディレクションの力量がものすごい人のように思う。件のBRUTUSの表紙に書きつけられたフレーズはこうだ。「21世紀のクリエイターに最も影響を与える江戸時代の天才画家」。緻密に描き込んだ絵からも、さらさらっと書いたクロッキーやデッサンのような絵からも、おびただしいクリエイティビティがあふれ出て、観ている僕らを捉えて離さない。すごい。観るべき。いやまじで。
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by mono_mono_14 | 2006-08-16 23:59 | 文/cultura | Comments(4)