人気ブログランキング |

<   2006年 07月 ( 28 )   > この月の画像一覧

ディテールを移ろう恍惚

 訳者が、作家として自分で書く文章がわりと僕の好みの人だったから、というのが理由で、このハンディな1冊を手にしたのは、きっと僕のことだから、知らないうちに1年近くも向こうの方へと遠ざかっていることだろう。それを今、つつつと読み進めてしまったのは、・・・まあ理由なんてなくてもいいことだよね。

 淡々と進むゴルゴ13のシゴトのような小説。鮮やかな家宅侵入。足の着きようのない抹殺。周到な準備。しかし、なぜに彼がそんなことをしているのかがわからないまま、間抜けに僕は読み進めた。・・・そして、読み終えてしまった。
 かように、ライト・モティーフを掴むということについては、惚れ惚れするほどにしくじっている。本編に引き続いて置かれている訳者ノートには、迂闊な僕を少しは作品世界の波打ち際まで引っ張っていってくれることが書かれているんじゃないかと思うが、それを読む前にこのエントリを書いている。

 モティーフを掴み損ねた空の拳を力無く握りしめながら、それでもページをすいすいと繰ってしまったのは、文章(と言うか文体)にそれだけのチカラがあったからだ。小気味よいリズム、時に遠く時に近く絶妙なフォーカスで表現される何というディテールの描写。僕はこのディテールの描写に惹き込まれていったのだ。少女を背負いながら川を泳ぎ下っていくシーンの風景の描写はとてつもない名演に感じられた。曲も知らない、楽器も詳しくない、演奏法もわからない、でも、今、耳にしているこの演奏はとてつもないものだということには確信が持てる。ライブに出かけたりすると、ときおりこういう経験をすることがあるが、まさにそれと同種の経験だった。このディテールを移ろうブルーズィな恍惚のインプロヴィゼーションこそが作家のライト・モティーフなのに違いない、と思えれば、それはそれで僕の読書も素晴らしい読書だった、ということになるんじゃないか。ならないか。

 この“演奏”が翻訳であることは、ほんとうは驚いていいことなのだと思う。しかし、僕は、この訳者の演奏力に信頼を置いているので、スタンディング・オベーションを送りつつも、どこかでこれくらいのプレイは当然だよな、との思いもある。ミシェル・リオ『踏みはずし』、堀江敏幸・訳。

 さ、訳者ノートを読もうっと。
by mono_mono_14 | 2006-07-31 23:59 | 本/libro | Comments(0)

まわり道

 ・・・と言うわけで、いや、土曜だけをオフに充てるつもりだったので、という意味だけれど、ともあれ、日曜の今日、午後になって会社へ向かう。気象庁としてはまだ梅雨明けと言うわけにはいかないらしいのだが、梅雨の合間と言うよりは梅雨明けという語の方が遙かに似合ういいお天気の東京。まわり道をして会社へ向かうことにした。現実逃避とも言う。
 市ヶ谷駅から四ッ谷駅に向かって線路沿いの高台を巡る散策路風味の公園をたどる。頭上からは蝉時雨が降りそそぎ、そのさらに上方に気持ちのいい青空が広がる。木々の緑は元気に青々としてすがすがしい。土の匂いがほのかに立ちのぼり、それは、真っ黒に日焼けした子どもの頃の夏休みの匂いだった。何だか、実によいな、うん。向かう先が会社だということ以外は。
b0018597_19373967.jpg

 追記。夜のニュースで、関東地方の梅雨明けを知った。
by mono_mono_14 | 2006-07-30 19:37 | 雑/quotidiana | Comments(0)

束の間のイタリア

Si deve fare il suo lavoro soddisfattamente ma allo stesso tempo si deve riposarsi bene. Sono andato a Napule ed a cui ho goduto un buono pranzo e mi sono rilassato molto.

b0018597_17271915.jpg 日常的な業務処理能力の低さゆえ、週末だろうとカタづけた方がいいあれやこれやは山積していて、であれば土曜だろうと日曜だろうと祝日だろうと、その山を少しでも低くすべきなのかも知れないのだけれど、それじゃもたないというか、一層の業務処理能力の低下を招くだけだとも思うので、などともっともらしい言い訳も添えつつ、今日をオフに任命した。

 朝ご飯を抜いて(それは寝坊のゆえでもあるのだけれど)、「ナプレ」へ。束の間のイタリア。ランチとしても遅めの時間だけれど、ブランチと呼んでおく。ランチセットは3種類。パスタのコース、ピッツァのコース、パスタに肉か魚も食べちゃうコース。ナプレだもの、ピッツァのコース。平日だとマルゲリータを選べるのだけれど、週末だとちょっと手の込んだピッツァが指定されている。今日の赤(トマトソースありのピッツァ)は、マルゲリータにサラミやナスやスモークチーズも載っけたみたいなピッツァだった。アバウトな描写だな。料理人なら(違う)覚えとけ。

 クズ野菜を盛っときました、みたいないんちきサラダとかではなく、南イタリアっぽい前菜の盛り合わせを出してくれるのが嬉しい。美味しい粉の味がするピッツァは、薪で焼いた匂いとともに。あぁしあわせ。。。記憶の片隅に置いておいた山積シゴトがどこかへ消えてなくなってしまった。

 ・・・いくら何でも誇大広告風味の表題でスミマセン。。。
by mono_mono_14 | 2006-07-29 23:59 | 味/buono | Comments(2)

夏祭りの夕べ

Una serata della festa estiva a Kagurazaka. Divertiamoci!

 東京に残る粋な界隈のひとつ、神楽坂。お祭の週末。提灯がつり下げられ、浴衣姿も多い。新宿区長による迎賓挨拶の声にもどこかしら上ずった昂揚感がある。んー、お祭だ。ビバ、夏祭り!
 なぜかは知らないが、神楽坂祭では阿波踊りが繰り広げられる。僕は見る阿呆だが、確かに踊る阿呆も楽しそうだ。
     やっとさー! やっとやっとー!
 見物客の視線に恥ずかしそうな踊り手もたくさんいるけれど、ここぞとばかりに持てる技の全てを繰り出そうとするパフォーマーもいる。地元・神楽坂の連(阿波踊りのチームを「連」と呼ぶらしい)の中に、沿道の観客の視線と喝采を浴びながら自信に満ちた表情で楽しげに踊る若い女性がいた。沿道からも感嘆のため息が漏れた。きりっとした顔立ちもいなせで、確かにかっこよかった。
 高崎から来た連もあったが、ほとんどは東京の連なんだと思う。阿波踊りを踊れたりお囃子ができたりする人がこの近所だけでもこんなにもいることに、ちょっと感動したりする。徳島の人ならみんな阿波踊りが踊れるんだろうか。地元に踊りがあって、それが当たり前のように踊れる、というのは、何だかすてきだ。徳島の阿波踊りはすごいんだろうな。いつか見に行きたい。
 帰る道すがらに、思わずいんちき阿波踊りを繰り出しそうになる。僕のDNAの奥底の方に、踊る阿呆成分も澱んでいるのかも知れない。
b0018597_18245632.jpg
【写真について】
 ほとんどをフラッシュなしで撮っているのでピントという概念はない(汗)。夏祭りの浮かれた躍動感を愛でられたし。え、無理? そこを何とか。。。
 以下、小さな解説。各段とも左から右へ。
 上段:夏祭りの夕暮れ/阿波踊り、始まる/真剣に踊る子どもたち。キメのポーズ
 中段:太鼓。これがすごいビートを紡ぎ出す/ソロで踊る女性。かっこいい/笠をかぶったお姉さんも舞う/老舗の軒先につるされたほおずき
 下段:素晴らしき踊る阿呆たち・その1/同その2/同その3

by mono_mono_14 | 2006-07-29 23:59 | 文/cultura | Comments(2)

「計画」ということについて。

 「計画」ということについての僕のための覚え書き。そんなのアップしてすまん。

 かつて、ある人が「家庭の奥さんが毎日の献立を考えてスーパーで買い物をするのだってとてつもない計画的な営為だ」と言ったことがある。この場合の「計画的な営為」とは、さまざまな条件をインプットして、総合的に判断して、あるアウトカムを得る、といった意味だ。行き当たりばったりでスーパーに出かけて一回りしながらカゴにぽんぽん食材を放り込むといった、一見、無計画に見える振る舞いですら、たいていは「計画的な営為」の側面を持っている。
 暑いなー、冷たいさっぱりしたものにしようかしら、でも夏バテしちゃうわよね、じゃあピリカラにしよう、ピリカラ、豚キムチとかいいじゃない、うんうん、食べたくなってきたゾ、お肉、お肉、あ、でも、お給料日も過ぎたし、今週末辺りおとうさんが「焼肉行くぞー」とか言いそうな頃ね、そしたら今日はキムチにしない方がいいかしらね、何かありがたみが減っちゃう気がするもんなー、やっぱり、待ち遠しかったぁ! っていう感じが焼肉には欠かせない感じがするもんなー、キムチ食べたらちょっぴりフライングな感じがしちゃうよねーってあたし貧乏くさい? そんなことないよね、あ、お刺身安い!! 手巻き寿司にしよう、手巻き寿司、野菜も多めの手巻き寿司にすれば栄養的にも何かよくない? それに、酢はスタミナのスだし、あ、それに手巻き寿司にしたら冷蔵庫の賞味期限切れそうなタマゴも使えるじゃない、あったまいー、あ、こっちの方が一切れ多い! 以下略。
 こんなお母さんがいるかどうかはさておき、このお母さんは行き当たりばったりのお買い物をしたのか。家で、よし、今晩は「鴨もも肉のコンフィー ジャガイモのソテー添え」をつくるんだ、と決めて、材料を調味料に到るまで全てメモしてスーパーに出かけ、間違いなくそれを買い揃えて帰り、腕を振るって予定通りの絶品の晩ご飯をつくる。こういうお母さんが計画的であって、さっきのお母さんは無計画だ。果たしてそうか。
 手巻き寿司母さんは、暑さが食欲にもたらす影響、食欲と献立に関する一般則、食事が体力に与える効果、時期から判断したお父さんの行動予測、イベントに対する期待感の醸成原則との照応、平時との比較による当日の当該スーパーにおけるコストパフォーマンスの評価分析、冷蔵庫の在庫管理と処分の見通し等々の大量の情報処理を経た結果に「手巻き寿司」に到ったのであり、優れて計画的な配慮を備えた判断がなされていると言ってよい。つまり、「計画」とは、「将来を思い描くこと」のようでもあるけれど、その実、「将来のために、今、何かを決断すること」だったりするのだ。仮に、鴨のコンフィー母さんが、メモした食材が揃わなくて、失意のあまり晩ご飯の調理を放棄したりした場合を考えれば、「将来を思い描く」だけの計画が無意味なことがわかると思う。わからないか。わかってくれ。
 思い描いた通りにならなかった時に、放棄や頑なな決行ではなく、修正したベターな決断を行わなければ、計画に意味はない。
 だから僕は、「計画」あるいは「計画的な態度」というのは、「サッカーの試合における事前のゲームプランと実際の90分間のプレーみたいなものだ」と理解しようとしている。このことについては、またいつか。要らんわ。確かに。すまん。
by mono_mono_14 | 2006-07-28 23:19 | 雑/quotidiana | Comments(6)

膨らむ

 3度目の注文で思い切ってみた。大げさだ。コーヒー豆を注文する時にミルも一緒に買うことにして、焙煎した豆を挽かずに豆のまま送ってもらうことにしただけのことなので。これまではペーパードリップ用に挽いてもらっていた。サラサラした手触りの袋からカラカラ言う袋へと変わった。その感触がちょっぴり新鮮だったのだけれど、ほんとうに新鮮なのは豆だった。嬉し恥ずかし(違)初めてのミル。挽き加減がイマイチわからないまま適当に挽き、フィルタをセットしたドリッパーへ詰める。蒸らすために少しずつお湯を注ぎ入れると、これまでに見たことのない光景が広がった。大げさだ。ふわっと言うかこんもりと言うかコーヒー粉が盛り上がる、盛り上がる。新鮮なコーヒーはお湯を注ぐと膨らみます、というのは知っていたけれど、ほんとうの膨らみはこういうことだったのか。僕がこれまで経験していた膨らみの何と小さかったことか。コーヒー粉があまりにもこんもりするものだから、ドリッパーに注げるお湯の量が少なくなり、何度も小分けにしてお湯を注ぎ入れた。こうして出来上がったコーヒーは、美味しかったに決まってる。親バカみたいな自画自賛(えっと「コーヒー淹れバカ」?)ゆえサクッと読み流されたし。次はモカ問題を解決したい。
by mono_mono_14 | 2006-07-27 12:08 | 味/buono | Comments(4)

A DAY IN THE CARNIVAL

Ma che cos'e' il fascino europeo che sento sostanzialmente? Io voglia trovarne nella mia vita quotidiana per saperne di piu'.

 日本では、ワールドカップの余韻もいくら何でも醒めた頃、つまり今だけれど、雑誌が総集編を次々と刊行している。とても買い切れないので、僕は『Number PLUS』だけを買った。形容しがたいジダンの横顔がアップになった表紙の1冊だ。
 その中に、「A DAY IN THE CARNIVAL」と題された、ワールドカップの周辺を切り取った写真が4点あるのに気づいた。野口里佳=写真・文とある。ふぅんと思いつつ眺めるうちに、ふと思い出したことがあり書棚を漁ると、記憶に違いはなく、以前にこちらでも紹介したことのある写真集『In-between』シリーズの1冊を任されていたフォトグラファーだった。プロフィールを見ると、1971年生まれ(年下だったか)、ベルリン在住とある。開催国に住んでいたのも縁だったのだろう。

 この小さな(だけどとても素敵な)写真集シリーズで、彼女が受け持った第13巻に収められているのは、チェコとキプロスという2つの国の風景だ。観光ガイドふうの写真からはずいぶんと隔たったところに位置する写真たち。雪景色のチェコ、鉛色の空、微かに差し込む薄日。くたびれた民家、ぬかるんだ轍、薄暮を抜けるトラム──。秋を迎えるキプロス、海と空の青、灼けた草地。ぼろぼろの建物、年代物の工具、小路の幻灯芝居──。
 僕らの暮らしの方がモダンで豊かだ。僕らの街の方が綺麗で洗練されている。ヨーロッパはパラダイスなんかじゃない。でも、何かに負けてしまっている気が確かにするのはなぜだろう。僕はヨーロッパの何に気圧されてるんだろう。それとも、カモな日本人として暢気に旅行している程度の世間知らずが(というほど旅行すらしていないのだけれど)、勝手にヨーロッパをパラダイスに仕立て上げているだけなのか。
 とりあえずは、何の変哲もない日常に、くたびれて色あせた街かどに、僕がヨーロッパに見ているような何かをひとつでもふたつでも見つけたい。それが、きっと、僕の日本での微笑ましくも誇らしいささやかな暮らしの姿として立ち現れていくのだ。

 『Number PLUS』に掲載されている野口さんの写真は、外から撮した決勝戦のスタジアム(「決戦の夜。」)、ある日のスタジアム近くの芝生広場でくつろぐ各国サポーター(「ハーフタイム。」)、小綺麗な通りでのパブリックビューイングの人だかり(「トルコ人街のPV。」)、クロアチア戦を控えた昼下がりに城の展望台から街を見下ろす日本人(「古塔の街。」)という4点。ピッチのスーパースターたちの悲喜こもごもとは異次元の、それでも紛れもないワールドカップの風景。そして、ヘタな試合の写真より何倍もよかったりする。
 付記すれば、同誌で作家の村上龍が中田英寿の引退に寄せた文章が出色だった。さらに付記すれば、とは言え最近のNumber(サッカー特集号)はクォリティが下がってきているようにも感じられる。『VS.』の特集号も買ってみるかも知れない。
by mono_mono_14 | 2006-07-25 22:27 | 雑/quotidiana | Comments(0)

島村奈津『スローフードな日本!』

Ne voglio che tutti che leggono quell'entry provino a leggere quel libro per vivere meglio nel ventunesimo secolo. Forse dobbiamo rivedere i nostri cibi quotidiani immediatamente con un punto di vista dello slow food imparato dall'Italia.

 島村奈津『スローフードな日本!』、ようやく読了。買うのは早かったのに読むのはスローだった、ってそんな駄洒落風味の言い訳があるか。数年前、同じく島村さんが書いた『スローフードな人生!』を読み、とてもおもしろかった記憶が残っていたので、書店で背表紙を見つけた時に、すぐにあの続編だとわかり、ほぼノーチェックでレジへ持っていった本。とてもおもしろかった。読み始めたら一気に読み通せてしまうと思う。

 大根、米、豆腐、牡蠣、牛などなど、身近な食材を取り上げながら、戦後の日本がアメリカと手を携えながら工業最優先でばく進してきたツケについて一条の希望の光も添えつつ書き綴る。地に足のついた誠意ある農林漁業と、長い時間をかけて培った生活の知恵的食文化へのリスペクト。僕自身が農林漁業に転身なんてあり得ない(と今は思っている)けど、農林漁業の大事さとかすごさには気づいていたい。農林漁業での誠意と良心とプライドに満ちた取り組みへの敬意や尊敬くらい持てるようでありたい。
 日々の食に警鐘を鳴らす性格も持つこの本は、正直に言って、政治的に正しい臭が鼻につく箇所もある。安全な食にこだわる過度なストイシズムでは暮らしにくくなる一方なことも事実。それでも、コンビニ依存度の高い食生活に傾きがちな自分の日々に対する嫌悪感くらいは持ってしまうし、やっぱり持つべきなんだと思う。
 それは、そんなに難しいことではなく、大手メーカーのレトルトソースを茹で上げたパスタにかけるんじゃなくて、落合さんの教科書を見ながら一生懸命トマトソースをつくってみたらいいだけのこと(教科書はどうでもいいんだけど)。サトウのご飯をチンしてないで、土鍋でくつくつ炊いてみればいいだけのこと(お鍋で炊くとご飯はほんとに美味しいと思う)。報われるべき努力の詰まった食材を選ぶように心がけるだけのこと。せめて週末だけでも。
 東京のスーパーでよく見かけるようになった生産者名入りの野菜が、どれほどの保証となっているのかはわからないけれど、 誠意と良心と努力とプライドが詰まっていそうな食材を選ぼうとする気構えがあるだけでも、ほうれん草の色つやだって違ってくるんじゃないか。きっと、あの生産者名入りの農作物にもワナがあるだろうと思う。でも、値札以外のところも見ながら考えるようにするのが、最初の一歩だと思う。いきなり生産者にはなれないし、これぞという生産者とのパイプもできないのだから。インターネットにはそういう生産と消費の良心のパイプをつくるチカラがあると思うけれど、それにしたって相手を見抜く眼力は求められる。母から仕入れるか。母がいつの間にか食の安全とかに関心がある人になっていた。だから、僕は、高級という意味ではなく安全という意味で比較的恵まれた食材を食べていたのだと思う。しかし、その経験がスーパーでちっとも発揮されないのが口惜しい。やはり母から仕入れるか。

 ともあれ、僕としては、うっかりこのエントリを読んでしまった全ての人に、とりあえず一読を勧めたい。あるいは、もし、まだ読んでいなければ、文庫本が出ている『スローフードな人生!』からでもいい。こっちはイタリアの話。イタリア好き、料理好き、美味しいもの好き、食卓の笑顔好き。以上に心当たりのある人の必読書だと思う。そして、読み終えたら、家族や仲のいい友だちと笑顔に溢れた食卓を囲むこと。なんだこの命令形。そうでなければ僕と。なんだこの付け足し。以上、圧倒的な台無し感とともにエントリを閉じる。チャオ!
by mono_mono_14 | 2006-07-24 17:52 | 本/libro | Comments(4)

街かど三景

 この週末に撮った脈絡のない写真で脈絡なく書いてしまおうという安直なエントリ。許せ。いつもか。

b0018597_1925674.jpg壱。老舗のオーラ。
 銀座の中央通り(銀座通り)。高層ビルに挟まれる少しロッジ調(と言うかロマンチック街道風と言うか)のかわいらしい3階建てに気がついた。かわいらしくてもオーラがある。疎いので知らないが、子供服の店らしい。サエグサ。「SAYEGUSA」とあるからカナは「サヱグサ」かも知れない。「EST. 1869」とある。明治2年、140年近い歴史。すごい(少しググったところ筋金入りの老舗であることが容易に判明した)。東京近代化の生き証人のような店だ。銀座通りもずいぶんと様変わりしてるんだろう。はす向かいの(と言うには少し遠いが)松坂屋がヘンな建て替えを見送ってよかったね。

b0018597_1933586.jpg弐。都市の静脈。
 銀座の北側は首都高速が切り取っている。首都高ができたのは東京オリンピックの頃だから、高度経済成長期の遺産(ってまだバリバリの現役だけど)。JRと併走するその狭間には、見なかったことにしようか、と思わせるような「ウラ」の空間が抜けていた。首都高の下は飲食店が連なるコリドー街、JRのガード下も飲食店が肩を並べておいる。表は華やいでいる。その両方のウラが向き合ったスキマだ。エミール・ゾラが描くパリにもあったウラのような銀座のウラ。都市の静脈。通り抜けたら怒られちゃうかな。自分が通り抜けたいのか、よくわからないけれど。

b0018597_1942226.jpg参。粋なサイン。
 これは銀座ではない。飯田橋。「みゝづくや」というタバコ屋さん。もう営業してないかも知れない。タバコ屋なんて、成立しなくなってしまった。煙突のような櫓のような形の小さな塔が建っている。小さなを貼り込んで赤地に白く「タバコ」と書いてある。その上にみみずくを模したマーク(なかなかいい)が添えられており、屋根の端にもちょこんとみみずくをかたどった鬼瓦が通りを見下ろしている。今の世で、ただ闇雲にタバコ屋を残せとは言いにくいけれど、こういう気の利いた味わい深い看板やサインがなくなるのは残念。残れ!(って闇雲すぎ。)
by mono_mono_14 | 2006-07-23 19:04 | 街/citta | Comments(0)

『ダンス・オブ・ヴァンパイア』@帝国劇場

 『ダンス・オブ・ヴァンパイア』を帝国劇場にて。出演は、山口祐一郎、市村正親、大塚ちひろ、浦井健治、駒田一、吉野圭吾など。
 ストーリーは、・・・まあどうでもいい感じ。耳障りのいいキャッチーな曲が連なる歌と踊りとお笑いのバラエティ・ショー、は失言か。でも、お気楽な娯楽としてオッケーだと思う。

 山口祐一郎:歌う、歌う。とにかく、歌うのって気持ちいいなーと聴いている方も思う。演技? なかったですけど何か? 歌い上げ、拍手喝采、ショーストップ。拍手を浴びながら広げる両手はプラシド・ドミンゴのようだ。中空でコウモリの羽を広げながら歌うサマは、小林幸子とか美川憲一の系譜に連なるような気がした。ちょっと恰幅がよくなってきましたか?
 市村正親:ほんとにうまい人だなーと思う。山口的な意味で歌がうまいかというと、そういうわけでもないと思うが、とにかくスミからスミまで計算され尽くした結果の一見スキだらけの味わいがすばらしい。今日は歌詞がすっ飛んで「ダバダバダバ〜」になってしまったが、ああいう歌なんだろと思ってしまうほどのナチュラルさ。何もかもが経験が奏でる極上の演技のようにキマる。
 大塚ちひろ:かわいかった。なんだ、このおぢさん風味あふれる感想。歌が特別にうまいなと思ったわけではないのだけれど、舞台上でのオーラがあった。鮮烈な存在感があった。入浴シーンのせいではないと思う。と思う。と思う。
 浦井健治:さわやかな好青年(ただしアタマ弱そう)がハマっていた。ミュージカル俳優も歯が命、そう思わせるような笑顔(ややいんちきくさい版)が炸裂していた。でも声がもう少し伸びるといいのに。大塚と組む場面が多かったのだが、正直に言って、食われてた。
 駒田一:違う人みたいだった。クセのある役を過剰にならない範囲の演技でうまく表現してたと思う。
 吉野圭吾:彼はどこへ行こうとしてるんだろう。ケツ出てたぞ。新感線だろ、このテイストは。もしかしたら、すごいところへ駆け上がっていくかも知れない。そこがどこかはわからないけど。東宝ミュージカルに出られる人としては、ちょっと他の追随を許さない(よくも悪くも)。注目。

 1曲、僕が10代の頃にヒットしていた洋楽が使われてるんだけど、それが誰の何だったかが思い出せなくて気持ち悪い。
by mono_mono_14 | 2006-07-22 23:59 | 芸/arte | Comments(0)