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OCS『Live Acoustic at Jam House』

Perche' non potevo trovare un cd che volevo ho scelto invece gli altri ed uno tra cui e' quello dei Ocean Colour Scene che non l'ho ascoltato da tanto tempo. Suonano ancora i sound dei OCS. Ho senito un po' di aroma azteco o quell'andino come "el condor pasa" da alcune canzoni.

 CDショップですんごく久しぶりにオーシャンカラーシーンのラックを覗いたら、知らない作品が2、3枚あった。ほんとに久しぶりだから、それも当たり前のこととも思うけれども、何となく僕の中では「休眠バンド?」という思いこみがあったので、あれ、出てんじゃん? みたいなオドロキがあったのも事実。すまん、情報収集を怠っており。
 買ってみたのは、『Live Acoustic at Jam House』。暖かな感じのイラストがあしらわれたジャケットの雰囲気と、タイトルを信じればアコースティック・ライブなんだよな? ということで。スティーブ・クラドックのアコギが聴けるはずだという昂揚感。ほとんどポール・ウェラー・バンドの一員と化しているが、クラドックの籍はこのバンドにあるはずで、とにかく彼のギターは素晴らしく、アコギでもそのスキルはいかんなく発揮される。むしろアコギの方がディテールが際立ったりする。
 一通り聴いてみたら、知ってる曲がなかった。・・・というのはたぶんウソだ。聴き覚えのある曲もあったから。しかし、アレンジのせいなのか、あ、この曲は前から聴いてたな、と確信が持てる曲がない。他のアルバムのリストと見比べてみないと。いかにもOCSな曲調、アレンジ。ブリティッシュ・カントリーとでも呼びたくなるような。都会というよりは田園(あるいはもう少し荒涼たる草原とか岬とか)を想起させる。何曲かは南米というかMUJIのCDというか、そんな世界観と重なるような音づくりだったりした。サイモン・ファウラーのボーカルも変わっていない。U2ほど極端じゃなくても、何を演ってもそのバンドの音がするというバンドがあるけれど、OCSもそんなバンドだと思う。ワンパターンってことなのか? そうかも知れないと、ふと思ったりするが、いやいや、やはりそれは「尊重すべき個性」と呼ぶべきだろう。久しぶりに聴くと、やっぱり魅力的なワンパ・・・揺るがない個性を放つバンドだなと思う。
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by mono_mono_14 | 2006-06-30 20:04 | 音/musica | Comments(0)

SIRIUS B『Casa do Sol』

 シリウスB。ブラジル中毒のイギリス人のバンド(だということを、これまでに何作も聴いていながら、今作のライナーで僕は初めて知った(恥))。新譜の『Casa do Sol』も、よく考えるといいことか悪いことか微妙なのだけれど、予想を裏切らない曲づくり、音づくり。例によってやや端正ではあるけれど、耳だけクラブ通い(なんだそれ)の僕ゆえ、気持ちよく聴ける。ポルトガル語よりも英語の方がずいぶんとドライに響くので(注:当人比)、そのことも端正さとの印象を強めているのかも知れない。
 全曲を通して、控えめながら曲にドライブ感を与えているオルガン風味のキーボードが素晴らしい。ボーカルを取るのはアザーという女性。クールで伸びやかに歌っている(が、惜しくも僕の好みのど真ん中という声質ではない)。
 ビートルズの「Things We Said Today」のカヴァーがすごくいい。UKクラブカルチャーとブラジル音楽のいいところが融合したグルーヴィなアレンジ。炸裂するフルートのソロも素晴らしい。もう何年も(もしかしたら20年近く)聴いていないのだけれど、ビートルズのライブアルバムで若きポールがこの曲を紹介する時の口調を懐かしく思い出した(全く関係ない話だけれど)。ミルトン・ナシメントの「Vera Cruz」も前がかりなビート、「Marlborough Nights」の即興感ある演奏なども気持ちいい。ライナーによれば、カーニヴァルを題材にポルトガル語でオリジナルをつくるというチャレンジを試みたのだという「Un Grande Carnaval」は、サビメロの解き放ち方など、音づくりがところどころクリシェにとどまってしまっている。やはり彼の国のカーニヴァルに立ち向かうのは容易ではなかったんじゃないか。ブラジルへの敬意の表れということはよくわかるにしても。耳に残る部分もあるだけに惜しい。
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by mono_mono_14 | 2006-06-29 16:45 | 音/musica | Comments(0)

ランドマーク・オブ・ニューヨーク

Ho visto delle foto degli edifici storici di New York alla prefettura tokionese. Erano belle pero' un po' piccole per vedere i dettagli.

b0018597_2338445.jpg 海抜202mの高みに身を置きながら、遠くニューヨークを想う。ま、想うと書いてはみたものの、僕は行ったことないんだけどね、ニューヨーク。何年間か赴任していた友だちも先頃に帰国してしまったから、なおのこと行かなさそうだな、ニューヨーク。

 東京都庁の展望室で『ランドマーク・オブ・ニューヨーク』という写真展が開かれている。近くに立ち寄ったついでに覗いてみる。会場となっているのは、都庁第1庁舎45階に位置する南展望室。あいにく霞がちなコンディションで、眺望はさしたる印象を得られなかったのが残念。
 展望室を半周くらい使って81点のモノクロ写真が並べられている。展示は、時代に沿って大きく3つのセクションに分けられている。セクション1は1640年から1860年の建造物群がセレクトされている。住宅とか公共施設とかが多い。印象的だったのは「旧市庁舎」と「聖パトリック大聖堂」。セクション2は1860年から1913年までのランドマークで、高層ビルが建ち始め、シティ・ビューティフル(都市美運動)が展開された時代だ。「自由の女神」とか「ブルックリン橋」なんていうのがこの時代のランドマーク。セクション3は1913年以降の建造物が並んでいる。ミースの「シーグラムビル」とか、ライトの「グッゲンハイム美術館」とか。もう少し大きい写真だとよかったのに。

 この写真展は、「ニューヨーク市ランドマーク保存条例」の施行40周年を記念するというマニアックなもの。少なくとも30年以上経っている建造物で、建物の見た目やインテリアにランドマーク的価値のあるものや、同様の価値を持つ自然景観を指定し、保存するものだそう。ランドマークと言えば、都庁もそうなんだけど、横浜の「ランドマークタワー」みたいに遠くからでもわかりやすい特徴的な建物、というイメージがある。少なくとも、建造物の外観に重きを置いた概念だと思う。日本の古い街並みが残っているところも、外見は古い趣のある町家だけれど、中はモダンなレストランになっていたり、ヨーロッパだって、中世の街並みの内側に一歩入れば別世界ということが多々あるだろう。けれど、ニューヨーク市のこの条例は、一般に入場可能な建造物内の印象的な内装についても、「内装ランドマーク」と位置づけて保存してしまう仕組みになっており、その辺りはちょっと興味深かった。
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by mono_mono_14 | 2006-06-28 23:39 | 文/cultura | Comments(0)

Garrafieira

 おー。期待感を煽るオープニング。ライブのよう。体に染みついた土着のフィーリングにジャズをまとわせたアーバンでアダルトな・・・って大丈夫か、この形容、澱んでないか? ちょっとソフィスティケートされすぎてる嫌いもないではないのだけれど、リラックスして聴ける心地よいブラジリアン・ジャズ・ブラスバンド。ホーンセクションが気持ちよくブローしているので勝手に名づけてみたが、ブラスバンドと言っても、ちっとも大編成ではなく、ジャケ写に頼れば8人編成と思しきバンドで、半分がホーン・セクション、残りがギター、ベース、パーカッション、ボーカルという感じ。女声ボーカルが誰かに似ているなと思ったのだけれど、典型的なブラジルの声のような気もする(そして、少なくとも僕にとっては、そういう声の先にはエリスがいる)。
 Garrafieira(ガハフィエイラ)なるユニット名で、その名を冠したアルバムを買ったのは、例によって“何となく”に過ぎなくて、予備知識もゼロ。「ジャズよりもパゴーヂ」という彼らのモットー(スタイル)に、何となくサンバを求めていた僕のキブンが引っかかったのだと思う。先に記したとおり、思ったよりも洗練されていて、もう少し土っぽい、あるいはストリートっぽい香りを求めていた僕のキブンにジャストフィットしたわけではなかったが、リラックスした夏の夜のささやかなときめきのような、僕のキブンの方をアジャストさせていってもいいかな、と思わせる音だった。
 オリジナルとクラシックを半々くらいのバランスで織り込んだアルバムで、オリジナルでは「mais pagode do que jazz」や「garrafeira」、「serramar」が心地よく、クラシックでは「o morro nao tem ves」や「lamento no morro」、「samba da minha terra」がイイ。ボーナスに入れてくれた「bananeira」のリミックスもマル。
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by mono_mono_14 | 2006-06-28 22:46 | 音/musica | Comments(0)

『オシムの言葉』

Il nuovo ct del Sol Levante sara' il gran Ivica Osim. In fretta ho comprato un libro su Osim intitolato "Parole di Osim" e forse ci sarebbero tante persone come me. Allora leggiamolo!

 エネルギッシュなとあるおじさんの世が世なら切腹ものの大失態で、ジーコの跡を引き継ぐのがオシムらしいということが明らかになった。オシムがすごい、という話は、ずいぶん前から広まっていたし、ジェフの試合を観に行きたいという気持ちもあった。失態おじさんが感心したという本が出ているのも知っていた。東欧方面でいい取材をしている木村元彦がまとめたものだが、しかし手には取っていなかった。今日、新宿の大きな書店でその本を探したが見当たらなかった。あー、僕みたいに遅まきながら読もうと思った誰かが、なけなしの1冊を持って行っちゃったかな。そう思った矢先、店員さんが何冊も抱えて持ってきて、書棚の一番目立つ位置に表紙を見せながら詰め込んでいった。僕みたいなやつがたっぷりいるらしい。『オシムの言葉』。1冊レジへ。
 1990年、イタリア大会。素晴らしいと評判だったあのユーゴをオシムが率いていたのを、ページをぱらぱら繰っていて遅まきながらに知った。ジーコは選手として超一流だったが、監督としてのキャリアはほぼゼロのまま日本代表を率いた。オシムは、選手としても優秀だったようだけれど、コーチとしての名声の方が遙かに轟いている。プロ中のプロの監督だ。クラブチームのように首尾一貫したトレーニングはできないけれど、どういう代表をつくるのか楽しみ。
 オシムが率いたユーゴは、民族対立や独立運動の激震の中にあったようで(クロアチアもスロベニアもセルビアもモンテネグロもボスニア・ヘルツェゴビナもマケドニアも同舟だった最後のチームだと思う)、こういうニュアンスは、本を読んでわかった気になってみても、実際にはほとんど何一つ理解することができない。単なるサッカー物語としてだけは読めないが、しかし一貫してサッカーの物語になっているという本。
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by mono_mono_14 | 2006-06-28 19:48 | 本/libro | Comments(0)

100時間のビートルズ

Nel 1966 i Beatles sono venuti in Giappone per la prima e l'ultima volta. Le foto fatte ai quei momenti fanno emozionarmi. I Beatles erano davvero straordinari.

 僕が生まれるちょうど1年前くらいのこと。ビートルズが最初で最後の来日を果たし、ほんの100時間ほど滞在し、列島中に旋風を巻き起こして去って行った。その夢のような100時間を公式フォトグラファーとして写真に収めたのは、駆け出しの若き浅井愼平。きっと無我夢中でありとあらゆるものを収めようとしたことだろう。灰皿だとか、バスルームだとか、ドアのナンバープレートだとか、世紀の4人組の日本滞在にまつわるあらゆるものが写された写真が、メンバーのポートレートやスナップ写真に混じって展示されていたからだ。

b0018597_177115.jpg 6月26日から7月17日まで、銀座のソニービル8階のイベントホールで、『THE BEATLES IN TOKYO 1966 浅井愼平・写真展』が開催されている。僕は、たまたまソニービルの前を通りかかって開催を知り、軽い気持ちで覗いてみたのだけれど、いや、すごかった。彼らを乗せた日航機が羽田に到着して、また飛び立つまで、モノクロームの写真が時系列に沿って並べられているだけなのだが、写真から放出される彼らのオーラがとんでもない。いや、ほんと、とんでもない。ジョンもポールもジョージもリンゴも。会場内に流れる彼らの音楽も、いつまで経っても古くさくならないどころか、最先端のモダンささえ感じさせながら鳴っている。そのこともすごいと思う。すごいなんていう語ではちっとも表せてないけれど。
 1966年の東京は、ほんとに嵐が駆け抜けた感じだっただろう。足を止め案内に目をやるおじさん(写真)も40年前の猛烈な嵐に巻き込まれたのかも知れない。
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by mono_mono_14 | 2006-06-27 17:07 | 文/cultura | Comments(1)

アッラ・イタリアーナ Germany2006 #12

L'Italia ha vinto noiosamente ancora ma tutto bene. Un bel rigore di Totti. Voglio un Del Piero piu' emozionato.

b0018597_17134183.jpg アルゼンチンとメキシコとか、オランダとポルトガルとか、それなりの(つか文字通りの)死闘の皆さんと較べると、アッズーリのユルさたるや、ものすごいものがある。リアリスティックでプロフェッショナルなユルさではあるけれど、それにしても。ふと見ると、イタリアの山は、もったいぶって言えば通好みな、有り体に言えば小粒揃いのなだらかな山なので、イタリアはベスト4到達はほぼ義務だと思うが、まさに義務だからやりましたよ、てな風情の試合だった。
 ・・・やや言い過ぎた。すまん。それに、実際問題として、こんな試合でも、僕はそれなりの情熱を持って見守った(稀有な人だ)。ただ、守備を愛でられる人でないと、愛でどころがイマイチわからないとは思う。スペクタクルでもないしね。

 ペロッタとガットゥーゾ。カンナヴァーロにブッフォン。トーニ。この辺りの皆さんがご健闘だったと思う。中盤より後ろ側の誰もが、オーストラリアのボールホルダーと絶妙の間合いで対峙し、落ち着いた応対を披露しており、この辺りは「さすがイタリア」であった。イタリアと較べると日本がいかに間合いを空け過ぎか、アプローチも遅いか、1対1が受け身かというのがわかる。日本に足りないのは決定力だけみたいに言われてるけれど、シュートだけでなく、こういう細かなあらゆるところでも体に染みついたディテールの違いは歴然だ。
 満を持してスタメンのアレッサンドロ・デル・ピエーロは、えーっと、んー、なんつうの、ほら、そこかしこに独特のクオリティの高さを垣間見せてはいたけれど、まあ、その、なんだ、んー、・・・あれ、電波が入らなくなってきちゃった、もしもーし。・・・。

 トッティのPKは、そんなにラクなものではなく、あそこであのキックができるのは、さすがだなあと思う。日本だったら誰が蹴るんだろう。オダギリくんにカードを引いてもらって決めよう。
 あのPKは、ファウル(という判定)を誘ったグロッソの、やや大根気味の演技のたまものだが、ああいう状況で、撃たれる気配もなければ抜かれかかってもいないうちからスライディングをかけているオーストラリアのディフェンスが青かった、ということに尽きる。ネスタやカンナヴァーロがあの位置でああいうプレーをすることは、まず考えられない。スライディングをよけてボールを推し進めた上で、満を持して相手の体に引っかかっていくグロッソ。もはやヒディンク・マジックを繰り出す時間は1秒たりとも残ってなかった。ま、This is football ってことで。
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by mono_mono_14 | 2006-06-27 15:22 | 蹴/calcio | Comments(0)

何てエモーショナルな Germany2006 #11

Che emozioni!

b0018597_17134183.jpg ・・・すげえな、こいつら。中田英寿は全身全霊をかけてプレーしたと思ったけれど(確かにそうではあったのだけれど)、今日のオランダとポルトガルの選手たちと較べれば、それほどでもなかったか、と思ってしまう。何てエモーショナルな戦い。どこまでもアドレナリンが出るんだな、彼らは。そのくせ、確かに試合は荒れはしたのだけれど、最後の最後まで技術の精度が落ちてこない。カッとなってラフっぽくなる場面もあるにはあったけど、両チームの勝利へのすさまじい執念が、荒ぶる魂に必要最小限の冷静さをもたらしている。そして、オランダはあくまでもオランダらしくプレーし、ポルトガルはあくまでもポルトガルらしくプレーしている。世界は、すげえよ。

 ポルトガルは、次のステップに進むのに相当のコストを支払ってしまったので、イングランドとの準々決勝はしんどい試合を余儀なくされるかも知れないけれど、しかし、イングランドがまた今日みたいな試合に終始するのであれば、そしてポルトガルが今日のように躍動するのであれば、端から勝負は決している。もちろん、コトはそう簡単には運ばないとも思うけれど。
 イングランドは、選手は揃っているはずなのに、不思議なほどしっくりきていない感じがする。

 やっぱり、日本が「ワールドカップ(=1/8ファイナル以降)」に出ているところを観てみたいと強く思う。そして、今年の出来では、その資格はやはりなかったと断言できる。残念だけど。
 しかし、連日、技術や戦術以前の(あるいはそれらを超越した)戦う姿勢、気持ちの部分に僕はやられっぱなしだ。
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by mono_mono_14 | 2006-06-26 06:44 | 蹴/calcio | Comments(0)

激突するスピリット Germany2006 #10

Purtroppo devo dire cosi'; finalmente i Mondiali hanno cominciato ed il Giappone non c'e'. Dagli ottavi sono i Mondiali, senza dubbio. La Germania ha giocato con le grandi emozioni e la Svezia invece ha perso i suoi giocchi. Il Messico ha fatto una partita grande pero' l'Argentina non l'ha accettata.

b0018597_17134183.jpg ああ、やっぱり1/8ファイナルからがワールドカップなんだな。そう思わざるを得なかった。グループリーグはまるで単なるウォーミングアップだったかのようだ。そしてオーストラリアはこの場でイタリアに臨むのだ。どうしてそれが日本でなかったのだろう。言っても詮ないことだけれど。はぁ。

 とうとうワールドカップ(=決勝トーナメント)が始まった。ホームのドイツは、スタンドも含めた一体感を持ってスウェーデンを飲み込み尽くし、メキシコは臆するところなくアルゼンチンを迎え撃ち、アルゼンチンもやすやすとは撃たれなかった。寝ぼけ眼でテレビモニタを眺めるだけでも、前日までとは全く別のイベントになっていることがはっきりとわかる。グループリーグの3試合とは全く違う世界。そして、繰り返すけれど、そこに日本は参加していないのだ。

 スウェーデンはやや自失気味の試合運びを呈してしまったが、他の3チームはそれぞれに異なるスピリットを披露した。ホームのドイツは使命感に裏打ちされた武骨ながら尽きることのないゲルマン魂を、メキシコは南米の雄に勇猛果敢に挑むアステカ戦士の研ぎ澄まされた闘争心を、アルゼンチンは思うに任せないコンディションながら、決して負けないという強い気持ちを胸に輝く2つの星のプライドに込めた。
 中でもメキシコの戦いぶりは素晴らしく、本来、日本がブラジルを相手に披露すべき戦いがどんなものであったのかをデモンストレーションしてくれているかのようだった。アルゼンチンとメキシコの力の差は、ブラジルと日本のそれよりは遙かに小さいけれど、それでも、この試合でメキシコが勝てばグレイト・アップセットだったのは間違いない。そして、ほとんどそれに成功しそうな試合ができていたのだ。しかし、そうは問屋が卸さないのが一握りの列強の列強たるゆえんで、サッカーの神様がボールに宿ったかのようなマキシ・ロドリゲスのボレーシュートでアルゼンチンが次のステップへと駒を進めた。ドイツとの決戦が楽しみ。
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by mono_mono_14 | 2006-06-25 16:03 | 蹴/calcio | Comments(0)

『「絵になる」まちをつくる』

Comunque credo che noi dobbiamo imparare tante cose dall'Italia per fare le nostre citta' meglio.

 ずいぶん前に感想を書くそぶりを見せたまま驚くほどの放置プレイ(そんなのばかりですが)。民岡順朗『「絵になる」まちをつくる』。サブタイトルに「イタリアに学ぶ都市再生」とある。イタリアで美術修復を学んできた(こう言っては何だけれど風変わりな経歴を持つ)都市計画畑の人が書いた本。

 失礼なほど大づかみに捉えれば、著者の問題意識は大きくふたつで、ひとつは日本の人口がこれから減る一方なので、それに対応する手だてが必要だということ、もうひとつは街は記憶(歴史)を重ねた存在としてあるべきで、そのための手だてを構想したいということ。たぶんこのふたつを、記憶の固まりのようなイタリアの街そのものと、自らが学んできた美術修復という世界が携えている理念(適切かわからないけれど、とりあえず理念と書いておく)を重ね合わせながら、ある方向を示すものとして書き起こしたもの。日本を酷評しイタリアを絶賛する気味があるところには抵抗があるが、論を明確にするためのやむを得ない犠牲と思って目をつぶろう。

 僕の感想を端的に表せば、総論賛成結論反対。結論と言っても、結論らしきものはいくつかちりばめられているので、僕が全く頷けないのは「山手線の内側を全て森にする」という部分だけにとりあえずは限ることにしたい。
 人口が減り、土地需要が減る。必要な建物の絶対量が減るのだから、その分を森に戻したらいい。哲学としては合っていると思うし、建物を壊して自然的な土地利用に戻す部分があるのは当然で、目指すべき方向のひとつではあるけれど、現代日本の都市文化や都市活動の舞台として、最も重要な役割を果たしている東京都心部をすっかり破壊することのメリットは何一つない。

 ただ、東京都心部森林化構想には賛同できないものの、他の主張には共感できるところも多い。日本の各都市が、繁栄と錯覚しながらひたすらに均一化の道をひた走って自滅しつつあることに対する懸念などは、正鵠を射ているものだと思うし、幅広い意味での歴史の刻印こそが都市の魅力の根幹であるという主張も、21世紀の都市を考える最も基本的なコンセプトのひとつだと思う。

 少し(大きく?)脱線しようと思う。僕の祖母は、ボロくなっていく一軒家の世話をしながら老いさらばえて人生を終えるなんてまっぴら御免だ、私のために時間を使いたい、と祖父を説得し、家を売り払ってケア付マンションに入居した。僕の夏休みやお正月の思い出とともにあった小さいながらも趣のあった庭付き一戸建ては、ほどなくワンルームマンションに建て替わった。
 家に手のかからない夢の暮らしにいそいそと取りかかった祖母は、残念ながら本人が思い描いたほど余生を満喫することなく病魔に倒れてしまったのだが、祖母の素朴な人間としての思い、戦争をくぐり抜け、夫に仕え、子どもたちを一人前にして、必死の思いで人生の最終コーナーにたどり着いた時に、少しくらい私のために人生を生きたい、と願うその思いを、都市の論理で押しとどめることは到底できないなあ、と思った。そういうささやかな個人の願いを踏みにじって都市計画もへったくれもないんじゃないか、と思った。
 もちろん、時あたかもバブル最盛期だったからこそ、ささやかな土地はびっくりするような価格がつき、それゆえに、これまたびっくりする出費を余儀なくされるケア付マンションを手当てすることができた、というのも事実で、そういう特殊事情がなければ、祖母とて泣く泣くそれまでの暮らしにとどまらざるを得なかったかも知れない。でも、やりようがないのをガマンするのと、やればできるものをガマンするのとは、やはりとても違うことだと思う。そして、都市計画は、往々にして、やればできるものをガマンしろよ、と言いがちなところがあるのだ。そういうアプローチをしている限り、総論賛成各論反対(か無視)か、絵に描いた餅を量産することになるだろう。もちろん、そういうアプローチを取らざるを得ない場合もあるし、取るべき場合もある。本来、個の事情を逐一聞き入れていては到底成立しない領域なのだ。それにしても、自分の事情を無視する世界に、人がついていけるはずがない。自分の価値観に響いてこない世界が嬉しいはずがない。成長とか発展という夢をみんなで共有していた時代ではなくなったのだから、たぶん、これからは、少しずつそういうところを立脚点にしながら組み立てていくんだと思う。年収を大きくしたいというのではない働き方、みたいなものだと思ってもらえれば、少しピンと来るんじゃないか。違うかも知れないし、甘いかも知れないけど、何となく、その辺をうろうろしてみようと思う。・・・脱線したまま戻れなくなってしまった。

 ところで。フォントをひそめて言ってみようと思う。僕のブログに遊びに来てくれる方は、誇張でも謙遜でもなくものすごく少ないのだけれど、そのうちの何人かは「イタリアで美術修復」と聞けば、何だか思うところのある方も(片手で足るほどだけれど)いらっしゃると思う。そういうワシントン条約に登録されそうなほど希少な方(笑)に、おずおずと言ってみる。もし、興味があれば、この本を読んでみて、思うところを聞かせてくださいませんか? 「イタリアの街ってやっぱりステキだよね、ところで都市計画って何?」という人たちにこそ読んでもらって、考えてもらえるといいんじゃないか、そう思う事柄が書かれているから(そういう意味では、揶揄なんかでは決してなく、絶妙なタイトルをつけたと思う)。
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by mono_mono_14 | 2006-06-25 04:08 | 本/libro | Comments(2)