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ベガーズ・オペラ@日生劇場

 日生劇場にて『ベガーズ・オペラ』を観る。主演は、宗方コーチだったり南原教授だったりトート閣下だったりしている内野“人並みの女好き”聖陽。以下、ゆるーくネタバレかも。

 なお、「内野“人並みの女好き”聖陽」というのは、カーテンコールの挨拶で、内野本人が、役柄が無類の女好きという設定だったことを受けて、「えー、女好きということに関しましては、俳優の内野某という男は、人並みでございます」という、ワケのわからないひとことを残したことにちなむ。

 ステージの真横にも客席が設けられている。あの席で観るのは緊張しそうだ。舞台上にいると言っても過言でないくらいの臨場感は味わえるだろうけど(その証拠にときおりイジられたりしていた)。舞台は、あれやこれやが詰め込まれた濃厚なセット。ちょっと『キャッツ』のセットを思い出したりした。誇り高きアウトローの猫たちと、一匹狼ふうに何でもアリでその日を生き抜く乞食たち(ベガーズ)というのも、どことなく似ているかもと思ったり。

 しかし、率直に言って、うまく乗れなかった。主題のよくわからない作品だったのだ。役者は揃っているから、そこそこ期待していたんだけど。もしかすると、楽曲が気に入らなかったのかも知れない。心に残るメロディがほぼゼロというのは、ミュージカルとしては少し難ありじゃないかと思う。かと言って、どたばた劇を愛でるという感じでもなかったし(もちろん随所でおかしい場面はあり、けっこう噴き出したりはしていたのだけれど、それはそれってことで)。
 島田歌穂、笹本玲奈、森公美子といった女性陣は、さすがにいい声が出ていた。森の白塗りオバケ(たぶんオバケではない)のメイクはすごかった。橋本さとしが『20世紀少年』に出てくる万丈目というオッサンにそっくりな仕上がりだったのが妙にウケた。

 正義やモラルのモノサシって何ですか? という問いかけが主題だったのかな。僕にはそのような視点が最も強く感じられたのだけれど、9・11以降、あるいはつい最近のマンション構造計算書偽造とか某社粉飾決算みたいな「金儲け」というモノサシの歪みを目の当たりにするだけでも、価値観のモノサシの持ち方は、今、悶々と考えるべき事柄のひとつではあるように思える(このことについて、今、読み進めている中沢新一のカイエ・ソバージュ・シリーズはとても示唆的だ。また後日、改めて書きたいと思う)。でも、それがメイン・テーマってこともなさそうなつくりだったように思う。んー。WOWOWで放送があるようなので観てみよう。再発見があるかも知れない。

 日生劇場に行ったのは初めてだったのだけれど、タイル貼りの有機的な曲線(曲面)に包まれた不思議な雰囲気の劇場だった。ちょっぴりガウディっぽいと言うか。天井を見上げていて見飽きないしつらえで、何だか気に入った。壁も何度もすりすりしてみたりして。巨匠・村野藤吾の手になるということは、これを書くためにググッて初めて知った次第(恥)。
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by mono_mono_14 | 2006-01-28 23:59 | 芸/arte | Comments(0)

僕的初蹴りの夕べ

 新年が明けて初めてのあれやこれやを指して「○○初め」とか「初○○」とか「○○始め」と称するけれど、サッカーの場合はたぶん「初蹴り」、さもなくば「蹴り初め」と言うんだと思う。こういうのは1月のなるべく早いうちの方がキマルものだけれど、僕の初蹴りは今日となった。1月のうちに間に合っただけで御の字、という遅さだ。寒風吹きすさぶ神宮外苑のフットサルコートで夜8時からという酔狂な企画だ。実際の僕のプレーぶりは、あれがフットサルだとは誰も認めてくれなさそうな鈍くさくて目も当てられないシロモノだったので、あれはフットサルだったんだよと自称するしかないのだが、それすらも詐称と言われるかも知れない。同行した友だちにも言わなかったけど、本人、けっこうショック&恥ずかしかった&哀しかったので、フィジカル含めてもう少し頑張りたい、と、こんな場所で言ってみる。

 さて、神宮外苑のフットサルコートは、立地はバツグンなのだが、設備が十分だとはちょっと言えないのが難点。そのことを端的に示す証拠写真を掲げ、公共スポーツ施設の充実を訴える世論を喚起したい。
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 ひどくない???
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by mono_mono_14 | 2006-01-27 23:59 | 蹴/calcio | Comments(6)

吉報到来

 吉報到来。ポール・ウェラー大先生が来日くださるそうで、わたくし、溢れ出る感涙尽きることありません。
 東京公演分のインターネット先行発売初日の今日、チケットをゲット。公演は超年度末真っ盛りの時期ゆえ、本当にスケジュールの都合がつくかなんてわからないのだけれど、そんなことを考えてはいられない。お台場まで出向いた挙げ句にスタンディングという形式は、弛緩しきった四十路手前のヲジサンを烈しく痛めつけるかも知れないけれど、そんなことも構ってはいられない。それに、よく考えれば、ステージ上のウェラー大先生は五十路を迎えそうなのであった、忘れておったよ。2か月先だけど、楽しみだだー!
【公演スケジュール】(ほんとにこれだけなのか???)
  3/28 サンプラザホール 19時
  3/31 Zepp Tokyo 19時
  4/ 3 Zepp Osaka 19時
 謝辞。このたびの来日情報およびチケット販売情報は某SNSの早耳さんたちに大変お世話になりましたこと、ここに記してお礼申し上げます。

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by mono_mono_14 | 2006-01-26 19:13 | 雑/quotidiana | Comments(0)

「Span Housing Exhibition」@MHL

 『Casa BRUTUS』をぱらぱらめくっていて発見した小さな展示。マーガレット・ハウエルのライフスタイルショップ神南で開催される「Span Housing Exhibition」。スパン社というところが開発した「スパン・ハウジング」と称された40年くらい経ったイギリスのモダンな集合住宅(まだまだ現役)を愛でるマニアック気味の展示。つまるところマーガレットがこの住宅団地群を大好きなのだ。わかる気はする。なにげにRIBAと組んでたりしてオドロキ(RIBAは王立英国建築家協会)。
 ショップの片隅にモノクロ写真のパネルと説明文、スパン・ハウジングでの当時の暮らしぶりを偲ばせるスナップ写真などがこぢんまりと展示されている。スナップ写真の空気感が、僕の子どもの頃の写真の雰囲気で、何となくじぃんとしたり。何て言うか、あ、当時の写真だ、という感じの映り方をしていたのだ。僕は午前中の打合せの後にわざわざ足を運んだわけだけど、そこまでの価値があるかというと、・・・ま、人によるでしょう。僕はあったと思う(し、思いのほか来訪者も多いのだと店員さんが言っていた)。ついでに言えば、早めに行けばモノクロ写真をあしらったちょっとステキなカレンダーがもらえそうです(たぶん。僕はもらった(嬉)というだけのことなので、保証はいたしかねます)。

 スパン・ハウジングの建設当時は、古めかしいイギリスのテラスハウス(ジョージアン様式とか)に飽き飽きした“先進的な”人たちが住んだのだと言う。「スパン」というのは「橋渡し」の意で、「建築家がそれぞれ一軒毎にデザインした家と集合住宅の開発を文字通り結びつける(=橋を渡す)」というコンセプトを表しているのだそう。その視点は、今もなお十分に有効かつ刺激的だ。日本でもそういう考え方に近い集合住宅をつくっている人たちは増えてきているけれど、団地開発(まとまった住棟群の開発)にまではなかなかたどり着けていない。代官山ヒルサイドテラスとか、限られた例しかないんじゃないか。もっとも、イギリスのスパン・ハウジングも限られた例なのかも知れないのだけれどね。ともあれ、このスパン・ハウジングが提示する暮らしの空間は、億ションやお屋敷とはまったく違う種類の“豊かさ”を感じさせるものだし、“何が何でも庭つき一戸建て”志向が薄れてきている大都市部では、こういう集合住宅群(の21世紀版)が、もっと模索されていいはずだと思う。それはリノベーションでもいいと思う。
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by mono_mono_14 | 2006-01-24 23:59 | 文/cultura | Comments(2)

東京的大雪

Oggi nevicava tutto il giorno a Tokyo. Allora caderei io domani?

 朝から雪。1日中降り続け、夜になってから止む。10センチくらいは積もっている。東京的には十分に大雪。週の初めに軽い風邪をひいて(インフルエンザでなくてよかった)、マスクと友だちな数日間を過ごしてきた身とあっては、外出は控えるに限る。本を読んだり、持ち帰ったシゴトとじゃれ合ったり。ニュース映像で見る災害の域に達している大雪とは比ぶべくもないささやかな雪景色だけれど、それでも東京的には十分に大雪。
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 秋口に買い込んだ中沢新一のカイエ・ソバージュの第1巻にようやく取りかかっている(遅)。おもしろい。おもしろく読めるということは、読むべきタイミングに読んでいることだよ、と自分に言い聞かせるタイプの遅読派の僕である。引き続き第2巻に立ち向かう予定。

 追記。2日後、出勤途中にふと見ると、市ヶ谷のお濠が少し凍っていた。ここが凍るのは久しぶりだと思う。東京的大寒。この写真では何もわからないけど、手前半分が凍っています。写真撮って文章書いてる人がそう言うんだからそうなんでしょうよ。その辺りでお収めください。
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by mono_mono_14 | 2006-01-21 23:59 | 雑/quotidiana | Comments(0)

和紙の力

b0018597_20401223.jpg ふらっと行くには不便すぎるため、奮って行くことになるパークタワー。イサム・ノグチのAKARIを集めた展示が終わってしまうので(1/17火曜まで)、えいやと気を奮い立たせて足を運んだ。CONRAN SHOP の前に会場がつくられている。卓上灯、床上灯、天井灯といろいろなタイプのAKARIが渦を巻くように並べられている。展示案内によれば89個。壮観だが、淡い光なので圧倒されるというよりは心和むものがある。ランプシェードとしての和紙の性能に感嘆する。大きなものでも電球は1個だったりするので、大きいAKARIほどぼんやりと浮かび上がる。そして、あまり小ぶりなものよりも少し大きいものの方がカッコいいのであった。そして、これらすべてが一般人にも手の届きそうな価格帯の商品であるというのが、とてつもなく素晴らしい。展示リストによれば、安いのは5,250円からあり、最高でも84,000円となっている。
 AKARIに限って言えば、現代美術館で見た直径2メートルのAKARIを超える感動は覚えないだろうと思う(ただし、牟礼の美術館に行ったなら、また違う感興を催すかも知れない点だけ留保)。でも、AKARIが似合いそうな空間で暮らしたいなあという気はする。我が家の小さなAKARIたちは、残念ながら今ひとつ持てる性能を発揮しきれていない。単にカタヅケが行き届いていないというのが最大の理由ではありそうなので、何とか精進いたしたく...。

 久しぶりに暖かな1日なので、シャトルバスには乗らずに新宿駅まで歩いて戻る。歩いているうちにタイムズスクエアのHMVに寄ることを思いつき、お目当ての1枚を購入。ポイントを使ったので2,500円引き。支払は208円。シアワセ感募る。

 HMVを後にしてエスカレータを降りて行く途中、タカシマヤ店内で中国の書画家がサイン会をやっているのを目撃。とりあえず途中下車(エスカレータを、ですが)。婁正綱(ろう・せいこう)という女流書画家らしい。12歳で見出された天才なんだそうだけれど、僕は全然知らない。しばし迷った末に展示を覗いてみることにした。主な理由は2つ。1つは、チラシによれば婁さんは1966年生まれで、僕と同世代なこと(ちなみに、自分が高校1年の時の3年生から高校3年の時の1年坊まで、つまり上下2歳、という辺りが僕の同世代感だ)。同世代がどんな活躍をしているのか、ということに興味がある。自分を省みて寂しい思いをすることになるのだけれど、それでも。2つめ、つい先ほどイサム・ノグチのAKARIをたっぷりと眺めて来たわけで、そんな日に同じく和紙を表現上の重要な要素としている芸術に行き当たった偶然を大事にしたい気がしたこと。こういう行きがかりというか言いがかりというか、そういう流れにはできるだけ乗ることにしている僕なのであった。
 盛りだくさんの展示。漢詩を抜き書きしたようなものもあれば、漢字1字を少しデザインして表現したものもある。僕は、この漢字1字をタイポグラフィックに表現した作品がとても気に入った。「心」「和」「山」「花」などなど。筆の勢い、墨の無限のグラデーション、それに負けない和紙の控えめな存在感。和紙に墨と筆で文字を書くという行為が作品に与える躍動感は、やはりマウスやペンタブレットとは全く違う。漢字をモティーフにしたデジタルデザインの秀作もたくさんあると思うが、何て言うか、「手」の力強さを感じる作品だった。現代を代表する文化人の座右の銘を書いた作品も数多く展示されていた。テレビ番組とタイアップしている企画らしい。こういうふうに書いてもらえるのだととしたら、僕ならなんて書いてもらうだろう。・・・としばし考えたのだが思い浮かばなかった。悲しい。座右の銘だから難しくありがたい言葉を掲げている人もいるのだが、作品として最も素晴らしいと思ったのは、隈研吾が書いてもらったという「自由」だった。
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by mono_mono_14 | 2006-01-15 20:41 | 文/cultura | Comments(0)

『前川國男建築展』

b0018597_1719045.jpg 東京駅にある東京ステーションギャラリーで開催中の『前川國男建築展』を覗いた。思いがけずとんでもない濃度の展示だったのでアテられてしまった。徹夜明けだったからか。何度も「休ませてー」と思った。と言うか休んだ。
 会場には全国の大学生が嬉々として(あるいはへろへろになりながら)つくった力作の模型がところ狭しと置かれ、鉛筆書きの年代物の大判の図面が壁を埋めている。展示はなんと前川御大の帝大の卒業設計から始まる。烏口によるインキングに手書きのレタリング。卒業した夜にそのまま渡欧してコルビュジェ門下生になったのだと言う。コルビュジェ事務所で手がけた図面の原図も貼りだしてある。なんかこの歴史的迫力だけでもクラッと来るよ。美術館、音楽ホール、文化会館、みたいな公共建築の作品が軒並みかっこいい。最近の流行りは風のように軽やかな建物で(金沢21世紀美術館とかまつもと市民芸術館とか)、これはこれでいいのだが(ってどちらも未見だけど(汗))、年季の入ったマッシヴなコンクリート打ち放しも捨てがたい魅力を放っているよなあ。
 平日のお昼時にも関わらず、なかなかの人の入りで驚いた。巨匠、強し。丁寧にメモやスケッチを描きながら見ている建築学科と思しき女の子なんかもいて、図面を読みとろうと思うとクラッとくるヲヂサンにはとても眩しく映ったものじゃよ。ま、若い婦女子ならみな眩しいものじゃけどな、ふぉっふぉっふぉ、ってそんなオチなのか、オチてないし。いや、よくわからないけど、SANAAとかH&dMとかに憧れてそうなのに、前川國男や吉村順三や清家清からもガシガシ学ぶんだなー、ふーん。と、何となく思った次第。
b0018597_17191579.jpg ギャラリーの窓から前川の作品「東京海上ビルディング」が見え、その場所にその図面と模型が展示してあったのがニクかった。記念にそのビルを写真に収めてみたけど収まったような収まってないような...。その後、交差点を挟んだはす向かいの丸ビルに向かい、ピッツァでも食べるかーと思いながら、気がつくと博多ラーメンと高菜ご飯を食べていた。
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by mono_mono_14 | 2006-01-13 23:59 | 文/cultura | Comments(6)

淺井愼平『銀塩肖像』

 淺井愼平と言えば、ちょっと有名な人なんじゃない? ・・・たぶん、ちょっとどころじゃなく有名な人だと思うのだが、ランチついでに時折足を運ぶ新刊書店の脇に写真展の案内ポスターを見つけた時は、僕がランチついでの定番コースで見つけるにはあまりに不釣り合いなビッグネームに思え、違う人のことかもと思ったりしてしまったのだ。ちょっとどころじゃなく有名な淺井愼平で合っていた。
 四ッ谷のポートレート・ギャラリーで開催中の『銀塩肖像 1966-1977 ビートルズから始まった』と題された写真展は、ざっと30-40年前に撮られた内外著名人の大判のポートレート約50点を集めたもの。最初に展示されているのはビートルズの4人。いきなりノックアウト。シャレにならないカッコよさ。そこからにじみ出る内省的な翳り。タバコに火をつけるリンゴの美しさは衝撃的なほどだった。
 ビートルズに続いて映画俳優、ミュージシャン、女優にタレントと、現在も活躍中の顔が並ぶ(もちろん中には他界した顔もある)。ほとんどの作品がモノクロームで、ロケではなくスタジオでの撮影だ。
 それにしても、被写体が放つたぎるような迫力は何なんだろう。時代? 豊かさの階段を挙国疾走していた時代がたぎっていたんだろうか。若さ? 現在の姿を透かして見る彼らの若さがたぎっているんだろうか。写真が放つ緊張感に気圧される。懐かしさはほとんどない。ただただ迫力だけがある。ひとりずつに見とれてしまう。月末までやっているからまた見に行こうかな(何しろランチついでに寄れるのだ)。今日のスターたちを撮って40年後に眺めたら、どのようなヴァイブが放たれるんだろう。40年後の鑑賞者もやはり気圧されるんだろうか。そんなことが、ふと、気になった。
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by mono_mono_14 | 2006-01-11 18:33 | 文/cultura | Comments(0)

大吉@コント風味

b0018597_16114234.jpg 何となく気が向いて足を運んだ東京のお伊勢さんで、コントとしか思えないような大吉を引いた。
おもうがまゝになる運です 短気をいましめて身をつゝしみ 何事にも心静かに他人とよくよく相談して事をなさい すべて心のまゝになるでしょう
 こんなの信じろって言われても信じられないよ。でも、まあ、肌身離さず持ち歩くことにするか。・・・いえ、信じたりしてませんってば。
 何だか知らないけれど、東京大神宮は、いつの間にやら恋のカミサマってことになってるんだそうで、若い女のコがたくさん連れ立って来ていて驚いた。ヘタに雑誌に載ったばかりにヘンに混むようになってしまったお気に入りの定食屋を見たみたいなキブンがした。でも、まあ、恋のカミサマにお詣りしたくなるなんていうのは、とてもステキなことなのでしょう(ものすごく遠い目のままフェイドアウト)。
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by mono_mono_14 | 2006-01-08 23:59 | 雑/quotidiana | Comments(0)

思いがけない富士山

 たまたま夕暮れ時だった。西の空はまだほんのりと明るく、雲の合間に富士山のシルエットがくっきりと浮かび上がっていた。新幹線に乗っていて、富士山の姿がはっきりと見えると、トクしたキブンになる。冬晴れの羽田空港のロビーから富士山が望めた時も早起きが報われたキブンがした。何かの折りに富士山が垣間見えると嬉しく感じるのは理屈抜きのことのように思える。六本木ヒルズのシティビュー(展望フロア)でそんな理屈抜きのトクしたキブンに包まれながらシャッターを切りまくってみたものの、予想通り、写ってんだかどうなんだか、な仕上がり満載。構わず掲載。
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 左の写真から富士山を発見するのは至難の業だ。富士山をクローズアップした右側を見ても富士山かどうか心許ない。と言うか、私はUFOを見た! 特番みたいな写真だ。微失笑を禁じ得ないが、僕的には思いがけない富士山の姿がそれくらい嬉しかったってことで、ここはひとつお収めください。

b0018597_19474573.jpg 六本木ヒルズの足下ではクリスマスが名残っている。けやき通りのイルミネーションもキレイなことはキレイだけど、こういうキレイさとは次元の違う美しさが富士山にはあると思う(って、このエントリでは説得力ないですが)。
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by mono_mono_14 | 2006-01-08 23:59 | 雑/quotidiana | Comments(2)