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引き続き・・・

Dovevo stare al letto perche' del raffredore, ma dunque, ho potuto leggere i nuovi libri tascabili di Nanami Shiono nella serie di "Le Storie Romane". Li ho letti tutto insieme. Mi piacciono i suoi periodari e mi piacerebbe scrivere cosi'.

 引き続き芳しくない週末。シゴトも進めておきたかった週末なのに、シゴトどころか溜まった家事の類(というかニガテなカタヅケです、はい)もままならない。思うに任せないもので。・・・と言うか、常に週末でのリカバーを見込んでおかないといけないシゴトの進め方、というのがいただけないのだけど。
 ごろごろしながら、塩野七生の「ローマ人の物語IV」を読み進める。この、超有名&超人気な一連のシリーズ、存在を知ったときにはすでに相当数が刊行済みで、しかも大人気だったため、また僕がいまひとつ歴史モノを得意としていないため、どうも素直に手を出せずに、しかし無視もしきれずに横目で見ていた。
 しかし、そんな僕にも、遅まきながら試してみる絶好の機会が、2年前だったか、訪れた。文庫化である。これならば、刊行と同時に手に取れ、いんちきながらもオンタイム感も満喫できる。ここぞとばかりに飛びついた。読んでみると、(悔しいことに?)とてもおもしろい。叙述の立ち位置が絶妙なためか、歴史モノ感があまりしない(だが、歴史スペクタクルであることも間違いない)。語り口も、とても理性的だと思うのに(さすがは哲学科卒業)、感情を織り交ぜて書き留めることへの躊躇もない。補足説明や言い換えなどを挿し挟みながらの、あるいは一歩ずつ踏みしめるように進んでいく叙述も、僕は好みだ。僕にとっては、ああ、こういうふうに文章を書きたいなあ(書けたらなあ)、と思う、お手本のひとつ。
 さすがに単行本の発刊にあっさり追いつくような失礼な文庫化スケジュールは取られず、しばらくインターバルがあったが、この秋、また何冊か発刊されている。寝込まなくとも読み進めないと。
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by mono_mono_14 | 2004-10-31 23:13 | 文/cultura | Comments(0)

アイム・ダウン

Ho il raffredore quindi devo passare un peggio fine settimana. Voglio guarire il piu' presto possibile.

 伏せる週末を過ごしてしまっている(誇張)。1週間前に少し体調を崩したのだが、それはチカラワザで持ち直したつもりだった。違ったみたい。約束もあったのにキャンセルしてしまい、とっても申しわけないことをしてしまった。
 風邪がちな年、というのがときどき訪れる。去年、一昨年はそうでもなかったけど、その前はずるずる風邪っぽかったりして。この冬をそんな年にはしたくない。気を入れ直して過ごさないと。
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by mono_mono_14 | 2004-10-30 23:28 | 雑/quotidiana | Comments(0)

o mamma mamma mamma!!

Ho trovato un gran sito internet dedicato per Diego Maradona, il migliore calciatore nella storia del calcio. Me lo sono divertito molto. L'autore del sito e' un napoletano che lo fa con multilingue. Ecco gli mandaro' un e-mail in italiano.

 すごいサイトを見つけてしまった。
 ディエゴ・アルマンド・マラドーナという、僕らの年代のサッカー小僧にとって(たぶんその他の世代にとっても)ダントツにすごかったサッカー選手がいた。今は、ちょっと脱線人生を送っているが、世界中に彼の信奉者がいる。母国(アルゼンチン)以外では、とりわけナポリに。なぜなら、裕福な北部イタリア(ミラノ、トリノ、ジェノバなど)にバカにされ続けてきたナポリに、はじめてイタリアリーグ優勝をもたらしたのがマラドーナだからだ。ナポリっ子たちにとっては、神様のような存在(脱線人生後は眉をひそめる向きもゼロではないらしいが)。イタリア語講座の先生の中にもナポレターノがいて、僕が初めてシーズンチケットを買った年にナポリが優勝したんだよねと自慢げに話していた。余談だが、1990年のイタリア・ワールドカップの準決勝で、イタリアとアルゼンチンが激突したのだが、その会場がナポリだった。その先生は、そのとき初めてマラドーナにブーイングを飛ばしたんだと言っていた。なんてうらやましいエピソードだ。
 脱線しすぎたが、このように(?)、ナポリにはまだまだマラドーナを敬愛している人がヤマといるわけなのだが、そのなかのひとりの青年がつくっているすごいホームページに偶然たどりついた。その名も「UN OMAGGIO A DIEGO ARMANDO MARADONA(ディエゴ・マラドーナに捧ぐ)」。サイトの作者はどうやら語学堪能らしく英語版などもある。とにかく猛烈な情報量。中でも僕がいたく感激したのは、ファンが歌うマラドーナの応援歌のサウンドファイルがたくさんあること。「o mamma mamma mamma!(ねー、ママ、ママ、ママ!)」、「Maradona e' meglio 'e pele'(マラドーナはペレより上)」などなど、たぶん、このホームページのために友だち集めて歌ったと思しき、微笑ましくも熱い録音が並んでいる。しかも数カ国語での歌詞カード付き。思わず歌ってしまった。
 せっかく(?)「いんちきイタリア語」を添えているのだから、ここぞとばかりに作者宛にいんちきイタリア語のメールを送ってみようと思っている。

 なお、もし、マラドーナをご存じで、1986年ワールドカップの対イングランド戦での伝説の5人抜きシュートもご存じで、しかも酔狂気味、という奇特な方がいらしたら、試しにこのページにあるリストのいちばん上のリンクをクリックしてみてください。アルゼンチンの(たぶんラジオの)実況放送です(注意:mp3ファイルが再生されます)。僕は、微笑のうちにもうっかり目頭を熱くしたりしながら、アルゼンチンにとってのサッカー、アルゼンチンにとってのマラドーナって、いったいどういうものなんだろうな、日本にとって、こういうものってあるのかな、と考えたりしました。この試合は、当時、フォークランド紛争の遺恨とも重ねられたりした試合でした。
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by mono_mono_14 | 2004-10-29 23:24 | 蹴/calcio | Comments(0)

冷え込む夜に

Non mi piace il freddo. Ora infreddollisco anche a Tokyo e indubbiamente di piu' a Niigata. I rifugiati tremerebbero di freddo. Pensavo che gli manderrei delle coperte ma infatti io invece gli ho mandato un po' di soldi. Pazientate tutti i danneggiati a Niigata!

 僕は寒いのがあまり得意ではありません。苦手です。冬が嫌いなわけではありません。重ね着のコーディネートなんて、とても楽しい。でも、寒いのは苦手なのです。暦の上ではもう晩秋で間もなく冬、なんて書きましたが、ほんとうに、ここのところ、夜遅く家路につくときなど、めっきり寒くなりました。きっと新潟はもっと寒い。もし僕が被災地で寒さに凍えていたら、喘息をこじらせてしまうかも知れない。寒いのはつらくてこわい・・・。毛布を送ろう。僕のコストパフォーマンスの評価基準はMUJIだったりするので、無印良品の毛布を何枚か、ほんの数枚しか買えないけど毛布を送ろう。そう思いました。
 でも。新潟県のホームページに、義援金の受け入れと義援物資の受付についてのお知らせがありました。義援物資について見たときには、ある程度の物資は何とかなっている、でも必要なものが以下のとおりあるから引き続き送ってほしい、ただ状況に応じて必要なものは変わるので気をつけて、というような趣旨が書き添えられていました。また、別のホームページでは、ばらばらに物資が届くよりお金の方が助かる、物資は製造元が協力してくれるのがいちばん効率がいいんだし、という書き込みも見ました。確かに。
b0018597_1111342.jpg 糸井重里さんが「ほぼ日」で、被災地近くの工場にストックされていたオリジナル商品のハラマキを、後先考えずに届けることにした、と書いていました。お金もいいけど、彼らは、今、寒くてつらいんだから、そして、彼らに届けられるものがあるんだから、と。僕は寒いのが苦手なので、毛布を送りたかった。でも、僕が送るわずかな毛布は今すぐには届かない。結局、今日、新潟県災害対策本部宛にほんのわずかなお金を送りました。毛布でなくお金にしたのが正しかったかとか、そもそもこんなこと偽善でしかないかなんて、もうどうでもいいや。

 月のとっても綺麗な晩でした。写真はちっとも綺麗じゃないけど(と言うか不吉っぽい・・・)。
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by mono_mono_14 | 2004-10-28 23:04 | 雑/quotidiana | Comments(2)

おや、霧?

Vietato fumare, tutto il mondo oggi. Ma ogni luogo nel mio ufficio si puo' sempre fumare, e quindi la stanza si e' gremita con i fumi, e' come le nebbie a Milano. E allora possiamo separare il spazio in due, uno per fumatori e l'altro per non-fumatori? Vediamo.

 おや、霧? ちょっと外出してオフィスに戻ってきたら、室内がうっすらと白んでいる。ここはコペンハーゲンか摩周湖か(古っ!)という霞みようだが、もちろん霧ではない。タバコの煙である。
 このご時世にあって、愛煙家の方々には夢のようなことだと思うが、僕の勤めている会社のオフィスは、全館(と言っても小さなワンフロアだけど)喫煙し放題である。会議室もしかりで、会議などで来社される方にはオアシスと位置づけられているフシさえある。
 僕自身は、20代を通じてそこそこのスモーカーであったが、今は吸っていない。かれこれ5〜6年経つだろうか、禁煙成功者だ。誇ってもいいのかも知れない。もっとも、喘息持ちなので、ほんとは喫煙者になったのが間違いで、このままでは死ぬんじゃない? という怖れ(喘息発作が悪化して一月の間に2回入院して、2回目にはICUで1泊したりして)がどうにか禁煙を成功させたのだと思う。ともあれ、タバコを止められたのはよかった。
 そんな僕は、うわ、煙いなー、と思うことはあるものの、まあ何とかこの状況を受け容れられている(ただ、服がとてつもなくタバコ臭くなるのには閉口。帰りの地下鉄に乗るのが憚られるような仕上がりなのだ)。でも、事務の女性スタッフ(嫌煙家)が言うには、最近、会社にはオフィスの分煙化(受動喫煙リスクの排除)に努める義務ができてるんだそうな(健康増進法第25条というやつのことなのかな?)。彼女は担当役員にアピールしたりしていたが、役員の方は話を聞きつつカチリとタバコに火をつけていたりした(脚色)。うーん、道のりは険しそうだけど、どうなるのかな。
 会社の分煙努力義務のことを検索してたらこんなサイトに当たった。国(と言うか全世界)を挙げてのタバコ対策に大わらわなんですね(危険表示の比較とかおもしろい)。でも、ほんとうは、気ままにタバコを吹かしながら天寿を全うするような、しかも90歳にしてなお子づくりに勤しむような(これは別か)、そんなコンパイ・セグンドみたいな生き方ができたら、その方がいいような気もするけど。
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by mono_mono_14 | 2004-10-27 22:43 | 雑/quotidiana | Comments(0)

イタリア本

Ho dei libri sulla qualcosa italiana (ma non ne ho niente quello italiano). Ora penso che provo a sistemarli e fruirli per costruire le mie idee, sopratutto le ragioni perche' mi piace l'Italia. Mi sembra un progetto interessante.

   ─ Perche' ti piace l'Italia? Perche' studi l'italiano?
   ─ なんでイタリアが好きなの? どうしてイタリア語を始めたの?
 入門レッスンの定番の質問(飲み会とかでも)。だけど、僕には実に答えにくい(こんなこと、前にも少し書いた)。先日、「なぜイタリア人は幸せなのか」(山下史路・著、毎日新聞社)という本を見つけ、目次と最初の方をぱらぱら眺めて買ってみた。このタイトルが、冒頭の答えにくい質問に対する僕の答のいくらかを表現しているからだ。イタリア暮らしの経験はおろか、イタリア人の友人がいるわけでもない僕が、こんなことを思うのはヘンなんだけど。

 実際に読んでみると、イタリア礼賛とそれと照らし合わせた日本への落胆、といったところで、正直、ちょっと偏りすぎている感はある。礼賛と落胆の双方を割り引きながら読む必要はあると思う。あるいは「破産しない国イタリア」(内田洋子・著、平凡社新書)とか、「ラ・ヴィタ・イタリアーナ」(坂東眞砂子・著、集英社)とかを思い出しながら読むとか。それでも、“割り引いた礼賛”をひとつの目安に、日々の自分の暮らしを振り返ったりするのには意味がありそうかなあと思う(日本全体にまで広げて読むのはシンドイ)。
 この本の切り口は、街・住宅、福祉・政治、教育、食、美意識という感じ。日本がアメリカと手を取り合って50年間の爆走を続けている間にどさどさと落としてきてしまったものばかり。でも、遅ればせながら少しずつ軌道修正の必要を感じている人が増えている。僕もそんなひとり。で、その大いなる一助がイタリアにありそうな、そんな直感が僕にはあって、そんな直感にすがりながら注意深く読めば示唆的だ(もっとも、注意深く読まなくてもタメになる本が他にたくさんあるんじゃないかという説はあるけど)。

 ・・・こんなのを書き始めたら、けっこう「イタリア本」(ヘンなくくりだ)を持っていることに気がついた。整理、再読しながら、何冊かを重ね合わせて、少しずつ僕なりの「Perche' mi piace l'Italia?」の答を探してみようかな、という気になったり、した。不定期で続く(?)。
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by mono_mono_14 | 2004-10-26 23:37 | 伊/italia | Comments(0)

地球から僕へ

I pioggioni, i tifoni e i terremoti..., tanti disastori assaltano sul Giappone questo anno. C'e' un fiume vicino al mio appartamento e quando piove tanto abbiamo sempre una paura dell'allvione. Noi dobbiamo sapere che non e' possibile di controllare la nature perfettamente.

 この数ヶ月というもの、立て続けに自然災害が日本を襲っている。梅雨時の長雨で川の堤防が決壊(僕も川べりを歩いたことのある福井の足羽川も決壊した)、次々とやってくる台風、そして新潟中越地方を直撃した大地震...。被災された方々には心よりお見舞い申し上げます。

 僕が住んでいるマンションのそばを神田川が流れている。ここのところの台風の際には、その水位もときおり危険な域にまで上昇したようだ。CATVの地域チャンネルには各地点の水位が表示され続けていたし、消防団(?)も見回りをしていたようだ。もっとも、ほんとうに溢水の危険が高まると、お濠かどこかへ放水する仕組みがあるのだろう、途中で水位は急激に下がり、さいわい溢れるには至っていない。
 昔はしょっちゅう溢れて水に浸かっていたらしい。いわゆる“水が出やすい”土地柄なのだ。近所の酒屋さんの入り口には防水板の設備があるし、僕が住むマンションも土のうを備えている。

b0018597_124181.jpg 水が出やすい場所と知りながらマンションを建て売りさばく。買う側もその辺は無頓着なまま住んでいる。ローンまで抱えて(僕だ)。そんな、みんなの意識が折り重なって、今の日本の街がある。でも、地球が機嫌を損ねたら、人や街はとうてい太刀打ちできないのだ。それほどに無力だとしても、でも、街は要ると思っているけれど。
  ─あなたは街づくりに関わっているんでしょう、よくよく考えてくださいね。
  ─・・・はい。

 写真は今宵の神田川。すっかり穏やかな水面に映るごちゃごちゃした街の灯。これからも溢れないでください。
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by mono_mono_14 | 2004-10-25 21:54 | 街/citta | Comments(0)

銀座をぶらぶら

In una passeggiata a Ginza mi sono ritrovato se' stesso. Cioe' mi sono ricordato che mi piaceva avere dei gadget come un quaderno di "moleskine". Ho comprato uno anche se non decido a fare con quello. Ginza ha una grande abilita' che mi fa sentire qualcosa di importante.

 せっかくなので銀座についてもう少し。


b0018597_14101373.jpgb0018597_1495785.jpg 週末の銀座、歩行者天国。今ひとつ晴れきらない空にも関わらず、多くの人が銀ブラを楽しんでいた。歩行者天国って、ネーミングはベタだけど、すごく効果的な作戦だと思う。通りが公園に近くなる。もう少し飲食のスタンドが出ればもっといいと思うけど、いろいろとハードルがあるんだろう。

 松屋銀座の7階にデザインコレクションというデザイン雑貨を扱うショップ(コーナー?)がある。何となく気が向いて「モールスキン」の小さなノートを買った。ヘミングウェイやマティスも愛用したという。もちろん、そんな歴史に惹かれたりしてのことだ(売り手側の思うつぼ)。グレーの方眼が広がる小さなノート。何を書くのか、わからないけど、自分がそんな小物を持ち歩いて悦に入るお間抜けでおめでたいタイプだったのを思い出した。そんなのも忘れかけてた。思った以上に日常に埋もれてるんだな。この小さなノートにあれやこれやを書きつけるための、キレイな青か紺のボールペンか何かを見つけたい。伊東屋にも寄ればよかったかな。

 ジョアン・ジルベルトのコンサート評が掲載されている「ラティーナ」という雑誌が20日に出ているはずで、近所の本屋などうろうろしたのだが見つけられずにいた。ふと、山野楽器にあるんじゃない? と思いつき、初めて銀座本店に入ってみた。思った通り、5階の雑誌コーナーに平積みされており、初めてのラティーナを買った。スタバで読んだコンサート評には、僕が前に書いたような趣旨も少し書いてあり、ちょっと嬉しかった。
 さて、山野楽器の店内は狭く、上りはエスカレーターがあるが、下りは階段だ。のんびり降りていくと、ギターフロアじゃないですか。思わず覗いてしまった。ギター売場を覗くのなんて、何年ぶりだろう。中学1年の冬、お年玉を握りしめて、友人と連れ立ってモーリスの安いフォークギターを買い、アッという間に脱落した身であっても、ギター売場はわくわくする。僕は、自分がポール・ウェラーやジョアン・ジルベルトになった錯覚を満喫できるお間抜けでおめでたいタイプなのだ。こんな感覚も忘れてた。思った以上に日常に埋もれてるんだな。さすがにギターを衝動買いすることはなかったけど、ちょっとワクワクの10分ほどを過ごした。

 実は、銀座で買い物をすることはあまりない(有楽町阪急を除く)。でも、ぶらぶら歩いて、いくつかのお店を冷やかしたりしている間に、思いがけず10年、20年前の自分のことを思いだした。そんな気持ちにふっと触れる何か、そんな記憶をそっと揺り起こす何かが、ぶらぶら歩く銀座のあちこちにあるんだと思う。これが、街だ。
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by mono_mono_14 | 2004-10-24 23:24 | 街/citta | Comments(0)

銀座ギャラリー3景

Ho visto tre mostre a Ginza e me le sono divertito molto. In quella una le foto di Ginza negli anni Trenta sono state mostrate, in cui ho potuto sentire un gran glorioso di Ginza dove sta ancora una citta' straordinaria in Giappone.

 銀座をぶらぶらして、3つほど小さな展示を観て回った。

 最初は、松屋銀座のデザインギャラリー1953でやっている「21世紀の東京夜景」展。7階にある小さな小さな展示スペースだが、けっこう旬な人が入れ替わりで企画をやっている。今回の監修は面出薫、ひとことで言えば光りの風景をつくる人だ。面出さんと彼のゼミ(武蔵野美術大学)の学生は一生懸命やったのだと思うが、出品している人のチカラの入れ方はさまざま。センスや名声を隠れ蓑に手抜きで済ませた人もいる。明るくなりすぎた東京の夜に暗さを取り戻すという方向を示唆したものは共感できるが、人間自体が発光体になるなどの主張は、その当否を超えて好きになれない。

 続いて、ギンザ・グラフィック・ギャラリー(ggg)でやっている「疾風迅雷・杉浦康平雑誌デザインの半世紀」展。ページレイアウトなんかが案外好きな僕としては、興味津々で出かけたのだが、彼がつくる世界は僕の趣味とは少し違った。でも、対象となった雑誌の幅広さは尋常じゃないし(哲学、教育、建築、ゴシップ、数学、文学、昆虫、法律、風流・・・)、緻密なデザインだと思う。特集の解説文を表紙に書き込みながら、そのレイアウトで図像をかたどっているところなど、マネしたい。ブータンを取り上げた赤い冊子が気に入った。会場にはたまたまスチール撮影のチームが来ていた。何に載るのかな。


b0018597_1522188.jpgb0018597_1523396.jpg 最後は、gggからもほど近いHOUSE OF SHISEIDO(ハウス・オブ・シセイドウ)でやっていた「GINZA PHOTO STREET 1930s/2004」展。僕よりも若い世代の写真家が現在の銀座を切り取った展示(2004)と、師岡宏次という少し前に亡くなった写真家がフィルムに収めた1930年代後半の銀座の展示(1930s)。僕には、圧倒的に「1930s」の方が訴えるものがあった。僕らの世代にはピンと来にくい「銀座の銀座たる所以」がそこここに刻まれていた。当時の和光の輝きを放つ場所が、今の日本のどこかにあるだろうか。六本木ヒルズの輝きには、こういうチカラは感じられない。会場で上映していた1966年のフィルム(銀座八丁にちなんで銀座を8章で説明する18分の作品)が面白かった。僕の父が生まれた頃の銀座の写真、僕が生まれた頃の銀座のフィルム、今の銀座。チカラは移ろっているだろうが、銀座は銀座として生き長らえている。これが、街だ。

 夜景と写真の展示を観たので銀座の夜景の写真など載せてみました。
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by mono_mono_14 | 2004-10-23 22:33 | 芸/arte | Comments(0)

暦の上ではもう晩秋だそうで

Pensate che ci sono quattro stagioni in Giappone? No, ne abbiamo ventiquattro. Domani, si dice "soukou", e' il giorno che ci notizia il fine dell'autunno. Presto un po'...

b0018597_1435848.jpg タイミングとしては台風一過という感じではないけど、やっと晴れた。やっぱりいいお天気は気持ちいい。いよいよ秋本番、到来。・・・と思ったら、暦の上では、もう秋は終わろうとしているらしい。
 以前、仲よしの友だちに教えてもらった「和の学校」というところからメルマガが届いた。彼女は、わりと自分の判断基準がきちんとしていて、その基準がなかなかステキなので、いろいろ教えてもらうことが多いのだが、この和の学校(のメルマガ)もそのひとつ。日本の暦には二十四節気というのがあり(というのも彼女に教わったんですが)、このメルマガはその二十四節気の前日に届けられる。月2回、秋も終わりですよ、とか、もう春ですね、とか、日常のばたばたに追われてるときに一声かけてもらえるわけで、なんか穏やかな気分転換になる(ちょっとほめすぎか)。
 明日は「霜降」というらしい。「しもふり」でなく「そうこう」と読む。温暖化な東京に暮らしていると、もう霜かよ、と思うが、次はなんと立冬なんだそうな。ちょ、ちょっと早いね。冬が来る前に、芸術とか、スポーツとか、食欲とか、もう少し秋を満喫しなければ!

 写真は上智大学の聖イグナチオ教会の上に浮かぶ月。UFOではありません。
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by mono_mono_14 | 2004-10-22 20:50 | 文/cultura | Comments(0)