カテゴリ:文/cultura( 99 )

夏祭りの夕べ

Una serata della festa estiva a Kagurazaka. Divertiamoci!

 東京に残る粋な界隈のひとつ、神楽坂。お祭の週末。提灯がつり下げられ、浴衣姿も多い。新宿区長による迎賓挨拶の声にもどこかしら上ずった昂揚感がある。んー、お祭だ。ビバ、夏祭り!
 なぜかは知らないが、神楽坂祭では阿波踊りが繰り広げられる。僕は見る阿呆だが、確かに踊る阿呆も楽しそうだ。
     やっとさー! やっとやっとー!
 見物客の視線に恥ずかしそうな踊り手もたくさんいるけれど、ここぞとばかりに持てる技の全てを繰り出そうとするパフォーマーもいる。地元・神楽坂の連(阿波踊りのチームを「連」と呼ぶらしい)の中に、沿道の観客の視線と喝采を浴びながら自信に満ちた表情で楽しげに踊る若い女性がいた。沿道からも感嘆のため息が漏れた。きりっとした顔立ちもいなせで、確かにかっこよかった。
 高崎から来た連もあったが、ほとんどは東京の連なんだと思う。阿波踊りを踊れたりお囃子ができたりする人がこの近所だけでもこんなにもいることに、ちょっと感動したりする。徳島の人ならみんな阿波踊りが踊れるんだろうか。地元に踊りがあって、それが当たり前のように踊れる、というのは、何だかすてきだ。徳島の阿波踊りはすごいんだろうな。いつか見に行きたい。
 帰る道すがらに、思わずいんちき阿波踊りを繰り出しそうになる。僕のDNAの奥底の方に、踊る阿呆成分も澱んでいるのかも知れない。
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【写真について】
 ほとんどをフラッシュなしで撮っているのでピントという概念はない(汗)。夏祭りの浮かれた躍動感を愛でられたし。え、無理? そこを何とか。。。
 以下、小さな解説。各段とも左から右へ。
 上段:夏祭りの夕暮れ/阿波踊り、始まる/真剣に踊る子どもたち。キメのポーズ
 中段:太鼓。これがすごいビートを紡ぎ出す/ソロで踊る女性。かっこいい/笠をかぶったお姉さんも舞う/老舗の軒先につるされたほおずき
 下段:素晴らしき踊る阿呆たち・その1/同その2/同その3

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by mono_mono_14 | 2006-07-29 23:59 | 文/cultura | Comments(2)

TARO MONEY(続編)

b0018597_20103186.jpg 「ほぼ日」でやっている「TARO MONEY」という企画のことを書いたのはずいぶんと前のこと。とっくの昔に僕の手元に届いていたのだけど、第2弾も手元に届いた今日、ようやく取り上げたりする次第。

 「明日の神話」の修復、維持、管理にかかる費用の助けとなるように考えられたこの企画は、これまでに報告のあったところによれば450万円を寄附に回しており、続く400万円の寄附も決定している。その後の売上を換算すると、もう数百万円くらいは何かに回せるんじゃないか。すごいことだと思うが、敵もさる者、お金の使い道はいくらでも、限りなくと言っていいほどいくらでもあるようなのだった。寄附はまだまだ期待されているとのことなので、関心を持たれた方はこちらをぜひ。

 さて、これをどう使えばいいのさ。というところは、実のところ、ほぼノーアイディア。1コ、お守り代わりに財布に入れているけど、それ以外には、ほんとに僕はノーアイディアだ。
b0018597_2011748.jpg 誰かに配る、という、使い方のアイディアという観点からは抜本的な解決にはなっていない使い方もある。「ほぼ日」が配布用のぽちブクロまで用意してくれたので、とりあえず、誰かにあげられるように3枚持ち歩けるようにしてみた。あげる相手が現れずに、ずっと持ち歩き続けるような気がするけれど。ほんのりとイタリア色にしてみたのだが、何となく、おひな様の日の給食に出た菱餅をかたどったゼリーみたいな風合いになってしまった。

 ちなみに、僕(というかこのブログ)も、つい先ほど登録。どうやら5467番目なんだそう。酔狂な方はリストをチェック(ちなみにそれはベラメンテ酔狂だと思います)。あ、ほんとだ、書いてある、というだけですが。
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by mono_mono_14 | 2006-07-16 20:21 | 文/cultura | Comments(0)

『明日の神話』@汐留

 岡本太郎の壁画、「明日の神話」。詳しい話はこちらに委ねるけど、少しかいつまむ。原爆が炸裂する瞬間を描いた壁画。日本の「ゲルニカ」。メキシコのホテルのロビーを飾る予定だった壁画。メキシコオリンピックの頃。僕が生まれてすぐの頃の話。よく考えたら、こんな壁画を飾るホテルというのが想像しがたいな。しかしホテルの企画が頓挫したために、流浪の運命を余儀なくされ、いつの間にか行方知れずに。それが、メキシコの資材置き場で発見されたのが2003年9月。大発見。とりあえず、処分せずに放置プレイで対応してくれたメキシコの人たちに感謝。日本へ送り、大修復。その「明日の神話」が、8月末まで汐留で公開されている。観てきた。
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 コトバにする必要はないと思うが、実際、簡単にはコトバにできない。ナンダ、コレハ! だ。絵のどの部分がどんな意味で、とか、まったく無意味だと思うが、観ている僕は、放たれている何かを受け止めることにはなってしまう。でも、それは、必ずしもコトバなわけではない。表情があるオブジェクトはユーモラスで、無表情のオブジェクトがむしろオソロシイ。踊り狂うかのように炎に包まれる人々のシルエット。四方八方へと放たれる閃光のような骸骨。これも炎上しているが、その無表情さと白さが、つい観ている者を押し黙らせるアウラを放っている。期間中に、また行きたい。
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by mono_mono_14 | 2006-07-15 23:59 | 文/cultura | Comments(0)

ランドマーク・オブ・ニューヨーク

Ho visto delle foto degli edifici storici di New York alla prefettura tokionese. Erano belle pero' un po' piccole per vedere i dettagli.

b0018597_2338445.jpg 海抜202mの高みに身を置きながら、遠くニューヨークを想う。ま、想うと書いてはみたものの、僕は行ったことないんだけどね、ニューヨーク。何年間か赴任していた友だちも先頃に帰国してしまったから、なおのこと行かなさそうだな、ニューヨーク。

 東京都庁の展望室で『ランドマーク・オブ・ニューヨーク』という写真展が開かれている。近くに立ち寄ったついでに覗いてみる。会場となっているのは、都庁第1庁舎45階に位置する南展望室。あいにく霞がちなコンディションで、眺望はさしたる印象を得られなかったのが残念。
 展望室を半周くらい使って81点のモノクロ写真が並べられている。展示は、時代に沿って大きく3つのセクションに分けられている。セクション1は1640年から1860年の建造物群がセレクトされている。住宅とか公共施設とかが多い。印象的だったのは「旧市庁舎」と「聖パトリック大聖堂」。セクション2は1860年から1913年までのランドマークで、高層ビルが建ち始め、シティ・ビューティフル(都市美運動)が展開された時代だ。「自由の女神」とか「ブルックリン橋」なんていうのがこの時代のランドマーク。セクション3は1913年以降の建造物が並んでいる。ミースの「シーグラムビル」とか、ライトの「グッゲンハイム美術館」とか。もう少し大きい写真だとよかったのに。

 この写真展は、「ニューヨーク市ランドマーク保存条例」の施行40周年を記念するというマニアックなもの。少なくとも30年以上経っている建造物で、建物の見た目やインテリアにランドマーク的価値のあるものや、同様の価値を持つ自然景観を指定し、保存するものだそう。ランドマークと言えば、都庁もそうなんだけど、横浜の「ランドマークタワー」みたいに遠くからでもわかりやすい特徴的な建物、というイメージがある。少なくとも、建造物の外観に重きを置いた概念だと思う。日本の古い街並みが残っているところも、外見は古い趣のある町家だけれど、中はモダンなレストランになっていたり、ヨーロッパだって、中世の街並みの内側に一歩入れば別世界ということが多々あるだろう。けれど、ニューヨーク市のこの条例は、一般に入場可能な建造物内の印象的な内装についても、「内装ランドマーク」と位置づけて保存してしまう仕組みになっており、その辺りはちょっと興味深かった。
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by mono_mono_14 | 2006-06-28 23:39 | 文/cultura | Comments(0)

100時間のビートルズ

Nel 1966 i Beatles sono venuti in Giappone per la prima e l'ultima volta. Le foto fatte ai quei momenti fanno emozionarmi. I Beatles erano davvero straordinari.

 僕が生まれるちょうど1年前くらいのこと。ビートルズが最初で最後の来日を果たし、ほんの100時間ほど滞在し、列島中に旋風を巻き起こして去って行った。その夢のような100時間を公式フォトグラファーとして写真に収めたのは、駆け出しの若き浅井愼平。きっと無我夢中でありとあらゆるものを収めようとしたことだろう。灰皿だとか、バスルームだとか、ドアのナンバープレートだとか、世紀の4人組の日本滞在にまつわるあらゆるものが写された写真が、メンバーのポートレートやスナップ写真に混じって展示されていたからだ。

b0018597_177115.jpg 6月26日から7月17日まで、銀座のソニービル8階のイベントホールで、『THE BEATLES IN TOKYO 1966 浅井愼平・写真展』が開催されている。僕は、たまたまソニービルの前を通りかかって開催を知り、軽い気持ちで覗いてみたのだけれど、いや、すごかった。彼らを乗せた日航機が羽田に到着して、また飛び立つまで、モノクロームの写真が時系列に沿って並べられているだけなのだが、写真から放出される彼らのオーラがとんでもない。いや、ほんと、とんでもない。ジョンもポールもジョージもリンゴも。会場内に流れる彼らの音楽も、いつまで経っても古くさくならないどころか、最先端のモダンささえ感じさせながら鳴っている。そのこともすごいと思う。すごいなんていう語ではちっとも表せてないけれど。
 1966年の東京は、ほんとに嵐が駆け抜けた感じだっただろう。足を止め案内に目をやるおじさん(写真)も40年前の猛烈な嵐に巻き込まれたのかも知れない。
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by mono_mono_14 | 2006-06-27 17:07 | 文/cultura | Comments(1)

写真の日とベトナム

Lo sapete che il 1 giugno e' il giorno della foto? Non lo sapevo. Ed adesso ci sono tenute le tante mostre fotografiche a Tokyo e ne ho visto una titolata "I paesaggi di Hue, una citta' vecchia vietnamita dai fotografi della propria citta'". Mi ha interessato e mi sarebbe piaciuto ascoltare un racconto da un amico che ha viaggiato in Vietnam un mese fa.

 6月1日はてっきり「衣替えの日」だと思っていたのだけれど、いや、それはそれでまつがってないんだろうと思うけど、「写真の日」とされていることを初めて知った。
 四ッ谷駅のほど近くに、ポートレートギャラリーという写真展示のギャラリーがある。以前にもここで見た写真展のことを少し書いた。ちなみにこれこれ。ランチの帰り道、このギャラリーで、ちょうど『古都フエの情景 ─フエの写真家たち』という展示をやっているのに気づいたので、どれどれ、と覗いてみた。すると、それは「アジアの写真家たち 2006 ベトナム」と銘打たれた企画のひとつで、この企画自体は「東京写真月間2006」と銘打たれたイベントの国際展と位置づけられていた。ここで「写真の日」という存在を知ったのだった。

 展示は、フエという、南北に細長いベトナムのほぼ真ん中に位置する街の風景を、5、6人のベトナム人写真家が収めた写真で構成されている。ついでに、ホーチミン(サイゴン)が南の端っこの方で、ハノイが北の端っこの方というのも、改めて知った次第。
 展示されていた作品は、えっと、こういうことを言っては不遜&失礼にもほどがあるけれど、鋭意発展途上中、という感じを受けた。水田をはじめとする豊かな水と、東南アジアと言うよりはモンゴルの辺りをイメージさせる雰囲気が強かったことが印象的だった。あるいは、日本の東北辺りにも、こういう水田の田園風景がありそうかな、とも思ったり。あの笠をかぶってるところだけが、色濃くベトナムが刻印されていたけれど、その笠に花でもついていれば、にわかに山形っぽくもなるのかも知れない。
 風景の他にも、綺麗なシロザイをまとってスクーターにまたがる若い女性を写した写真などもあり、・・・え? 何? ・・・うん、だからシロ・・・え、アオザイのアオは色じゃないの? 青いのがアオザイで白いのはシロザイじゃないの? 黒い犀がクロサイで、白い犀がシロサイだろ? 白くてもアオザイなの? もう書いちゃったよ、早く言ってよ ・・・えっと、つまり、輝く白さが眩しい純白のアオザイが、スクーターを駆る女性の洗練されたルックスとあいまって、エスニック感とモダンさの好もしい調和を呈していた。

 カウンターに置いてあったDMには、他会場で行われている4つの展示も紹介されていて、しかし、よさそうと思った「ハノイ・エモーション」はすでに終了、「イメージ&シャドウ ─ベトナム中部の風」も会期終了間際で行きづらいのだった。んー惜しい。
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by mono_mono_14 | 2006-06-01 23:59 | 文/cultura | Comments(0)

TARO MONEY

 ここでもいくたびか書いたことがあるのだけれど、僕は最近の『ほぼ日』がやっている企画の少なからぬ部分にポジティブな印象を受けている。賛同できる。例えば、中沢新一の取り上げ方とか。『アースダイバー』という中沢の会心作あってのことではあるけれど、それを即座に取り上げた『ほぼ日』(と言うか糸井重里と言うべきなのか)の感度も素晴らしかったと思う。他の追随を許さない、という感じの軽やかで楽しげなフットワークだ。そして、今、僕がいちばん注目している『ほぼ日」の企画は、「TARO MONEY」である。

 岡本太郎の伝説の壁画「明日の神話」がメキシコで発見され、現在、愛媛県で修復作業が大詰めを迎えている。今夏、汐留で一般公開されることも決まっている。当然のことながら、その修復や運搬、保管等々には、それなりの費用がかかるが、こういうコストを負担する(できる)主体は多くない。と言うか、誇張して言えば「いない」のだと思う。で、経緯は省くが、『ほぼ日』は、このコストを負担する人たちを広く浅く募る作戦を立てた。つまるところ小口寄付なのだが、単なる寄付ではなく「TARO MONEY」という商品を販売し、その利益全額を寄付に充当する、というシカケだ。賛同者(購入者)が支払った総額と実際の寄付総額の間には相当の差が発生してしまうのだけれど(試算では歩留まり36%)、寄付賛同者の手元にはTARO MONEYというブツが残る(と言うか、構図としては商品を買うのだから、その商品が手元にあるのは当然のこと)。
 TARO MONEYというのは、マネーと称されているけれどおカネであるワケがなく、興ざめな言い方をすれば「土産物のメダル」に類するものなのだが、相当に気合いを入れてつくられたようだ。こういう企画は、とことんこだわって真剣に遊ぶに限るので大正解だと思うが、このTARO MONEYという得たいの知れないブツがなかなかに侮れなさそうなのだ。
 単なる寄付であればサイフからサイフへとおカネが1回動いてオシマイ、なのだが、このTARO MONEYは、その後も、しぶとく何度でも、誰かの手元から誰かの手元へと、あるいは誰かの心から誰かの心へと移ろっていく。もちろん机の抽斗の奥の方にしまわれたっきり移ろわないかも知れないが、少なくともそういう可能性を秘めている。この移ろいやすい善意のアニマをどんなふうに解き放ったり受け止めたりするのがシゲキ的でオモシロそうか。今月下旬には僕の手元にやってくるはずなので、僕も本格的にTARO MONEYの“アソビ方”を考えないといけないワケなのだった。

 TARO MONEYは、昨日(5/9)、第1陣の5,000セット(単価2,000円、すなわち販売総額1,000万円)が発売され、丸1日も経たないうちにソールド・アウトしたらしい(無視し得ないチカラを感じさせる)。第2陣が着々と準備されているらしいので、興味のある方はぜひ。
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by mono_mono_14 | 2006-05-10 16:59 | 文/cultura | Comments(0)

迫力の代々木第1体育館

 フットサルの試合を観に(1つ前のエントリ参照)初めて代々木第1体育館に入った。先年、大往生を迎えた巨匠・丹下健三の代表作。この代々木の体育館と関口の大聖堂は、丹下の大傑作に数えられてしかるべき、おそらく日本の近代建築が世界に誇れる建築のうちの2つだ。

b0018597_19102215.jpg 外側からはいつでも観られる。ケーブルで吊られたダイナミックな造形は、雨仕舞やメンテナンスなどいろいろな問題があっただろうことは想像に難くないけれど、心に訴えかけてくる強烈なチカラを秘めている。そして、初めて入ることができたのだ。コンサートなんかではなくスポーツ観戦の場として入れたのは嬉しい。オリンピック体育館だもの(と言うかオリンピック・プールだが)。
 内部空間は、コートの両側を緩やかな弧を描いた2階建ての観客席が挟んでいる。中央部の天井は高く、面的に照明になっている(ちょっとした天の川のよう(微過言))。そこに吸い込まれていく曲面が力強く美しい。素晴らしい迫力。フットサルの試合が満員の盛況だったので、つい2階席やトイレ、売店などを覗いてくるのを失念してしまった。しまった。またフットサルの試合がないかしら。

 これからもかっこいい体育館はつくられ続けていくだろう。しかし、これほど過剰で力強く崇高な体育館はもうつくられないんじゃないか。それは善し悪しの問題ではない。時代が求めるものが違うということでもあるし、公共建築とイデオロギーとの距離感の違いでもあるし、建築デザインの流行や技術革新の反映でもあるだろう。だから、21世紀につくられる体育館は、21世紀を代表する素晴らしい体育館であってくれたらいいと思う。そして、この代々木第1体育館は、20世紀を代表する体育館としてできる限り長く存続してほしいと思う。アスベスト問題とかがあるらしいけれど、それに負けずに。
 ちょっと脱線するけれど、東京が2016年のオリンピックを誘致したいと画策していて、この体育館を再開発しちゃうという案があったりするとも聞く。それはなしでしょう。都民(納税者)としてもただの建築ファンとしてもそんなアイディアには大反対だ。福岡を応援したい。福岡という街を世界にアピールできるのは、日本にとってもいいことだと思えるし。
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by mono_mono_14 | 2006-05-05 23:59 | 文/cultura | Comments(0)

TAKEO PAPER SHOW 2006

 青山はスパイラルホールにてTAKEO PAPER SHOW 2006を。最終日。激混み。学生の嵐。何を学んでいる人たちかわからないけど、あまり建築っぽくはない。グラフィックとかでしょうか。心なしか、ヲジサン浮き気味だ。

 今回のテーマは「UNBALANCE/BALANCE」(ちなみに、去年はこんな感じ)。1階には、多彩な表情を伴う多様な目的の紙製の既製品を一堂に集めた展示(こちらが「BALANCE」と題されている)。紙製品のみの東急ハンズ状態というか。CDホルダー、ペーパークリップがカッコよかった。んまぁ、いろんなものがいろんな紙でできているのねぇ、ということではあるが、それだけにとどまる展示な印象。激混みなこともあり、あっさりと立ち去り3階へ。

 3階は、10組のクリエイターによる紙製品の架空提案プロジェクトの展示(こちらが「UNBALANCE」)。1階にもまして激混みで萎える。が、これを見ずして退くわけにはいかない。受付を済ませて参戦。
 紙の特徴・特性を捉えた5つのキーワード「パリパリ」「ふんわり」「スケスケ」「ツルツル」「ザラザラ」。各クリエイターともキーワードごとに1作品、都合5つの提案作品を展示している。会場全体では50作品になり、これはなかなかに見応えがある。しかも、架空のクライアントを設定した作品なところがとてもおもしろい(あるいは、クライアントはクリエイションの大きな原動力なのかも知れない)。
 この展示で不満があるとすれば、作品を手に取れないこと。まあ、やむを得ないかも知れないけれど、こんな身近な日用品みたいな作品をすぐそこに見ながら「手にするな」というのは、なかなかに酷なことだと思う。
 とは言え、このショーは、竹尾という会社の天晴れな心意気が感じられる素晴らしい企画。営業の一環だとしても素晴らしい。竹尾のない日本デザイン界なんて、たぶん考えられないんだと思う。アプローズ。

不遜にも寸評
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by mono_mono_14 | 2006-04-15 18:14 | 文/cultura | Comments(0)

雲太・いにしえの出雲

 少し前を歩く上司がふと振り返る。京王プラザホテルに出雲大社の模型が来てるらしいぞ。行ってみよう。口を挟む間もなく打合せの帰り道は緩やかに駅への最短距離から逸脱していった。道草、歓迎。望むところだ。

 「出雲大社の模型」というのは正確には間違いだ。出雲大社は今も厳かに建っており、京王プラザにある模型は、その出雲大社ではなかったからだ。立派な木製の模型に写されたのは、「雲太」という、その昔、かつてあったかも知れない出雲大社。天高く掲げられた社。そこへ向かう長い階段。一説によれば、天空の社の高さは48メートルとも96メートルとも言われ、そこに到る階段は長さ100メートル以上にもおよぶという(高さ48メートルの場合)。この模型は1/10のスケールだから、高さは5メートル弱、階段の長さは10メートル強ということになり、立派とは言え、何となく「おおきなきがほしい」のかおるくんの小屋だ。でも、この10倍のスケール感を想い描いたとき、いにしえの民のスケールの大きさに圧倒される。すごいよ、これ。ほんとに10倍のサイズで昔の出雲に建っていたのなら。
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 出雲だか島根だかをPRする企画らしく、県花だというボタンの花も飾られていた。ボタンの花をよく知らないのだけれど、すごく立派な花だ。とは言え、トータル的には微妙なPR空間ではあった。つか、なにゆえ京王プラザホテル?
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by mono_mono_14 | 2006-04-13 23:38 | 文/cultura | Comments(0)