カテゴリ:文/cultura( 99 )

『空間に生きる──日本のパブリックアート展』

 ・・・モロモロ勘案すると、もう、今しかない。「現地調査」名目の外出を申請して(それは単なるエスケープではないのか?)、ものすごく駆け足で、と行っても地下鉄と徒歩だからちっとも駆けちゃいないのだが、『空間に生きる──日本のパブリックアート展』を観に行った。この週末で終わってしまうのだ。会場は世田谷美術館。以上、何となくデジャビュなイントロ。

 パブリックアートというのは、どうにも掴みどころがない。パブリックアートというのは、街角だとかビルのエントランスの辺りだとかに置かれている、形はわかりやすいけど意味不明だったり、そもそも右の端から左の端までわけがわからなかったりする彫刻のことだ、という認識は、どの程度、正しいのか。企画監修の世田谷美術館館長、一説によれば日本における2大ダニ・カラヴァニストの1人だという酒井忠康によれば、とりあえず「野外彫刻」と思っといてもいいぞ、とのこと。ただ、その「パブリック」の部分、つまり公的意義については、ものすごく考えるべきことがあり、正直、系統だった整理はなされていないのが現状で、従ってこの展覧会は、そういう問題提起の第一歩とすべく日本の現状を総括したものと位置づけられたい、とのことであった。札幌芸術の森美術館を経て世田谷美術館に回ってきたこの展示は、どうやらスペインへと飛びそうな気配。

 展示は3部構成で、「エポックメイキング・プロジェクト」、「ユニーク・プロジェクト」、「戦後パブリックアートの諸相」からなっている。「エポックメイキング・プロジェクト」が全部とは言わないまでも断然おもしろく、「ユニーク・プロジェクト」の中にも目を惹くものがいくつかある。あまり策を弄さず関心の所在を列記する。
●広島平和記念公園/丹下健三(+イサム・ノグチ):未見。日本人なら一度は見ておくべきなんだと思う。とは言え、そのためだけに赴くのは至難の業。少なくとも牡蠣の美味しい季節にすべき。
●大阪万国博覧会お祭り広場/丹下健三+岡本太郎:10数年前に一度だけ行ったことがある。万博時の丹下と岡本のせめぎ合いを感じることが不可能な今となっては、さほど興味は惹かれないが、太陽の塔の中には入ってみたい。お好み焼きの美味しい季節にすべき。年中か。
 以上は、力いっぱい国家プロジェクトと言ってよく、そこで登用されるのが丹下健三であり、容易には御しがたい傑出した彫刻家が存在していることが興味深い。文明史的戦没者鎮魂にせよ戦後的国威発揚にせよ、そういう表現を引き受けられるのは建築と彫刻だけなのではないか。しかし、パブリックアートは、そんなナショナルのレベルにとどまることはなく、むしろあっと言う間にコミュニティのレベルに降り立ち、拡がっていった。その主たる道筋は、公園を含むミュージアム化とストリート・ファニチャー化だったように見える。
●モエレ沼公園/イサム・ノグチ:未見にして必見。特にコメントを要しないと思う。脱線してついでに言えば、牟礼も必見と思う。言うまでもなく未見。なんだこの悲しいエクスキューズ。
●札幌芸術の森野外美術館:未見。きっとおもしろいと思う。ほとんどの作品がこの美術館のための新作なんだそう。
●ベネッセアートサイト直島・家プロジェクト/ベネッセ+安藤忠雄・他:未見にして必見。詣でる人多し。杉本博司の展示で見た護王神社なんかもここ。
 箱根彫刻の森美術館に始まるミュージアム化の流れの、現時点での到達点は、ひとつが札幌で、もうひとつが直島なんだろう。そして、その先にあるのが、恥ずかしながら僕はこの展示で知ったのだけど、砂防事業(地滑り対策)と連動したアートプロジェクトだ。日本の公共事業もやるじゃないの。『犬と鬼』の世界ばかりではなかったのだ。
●室生山上公園芸術の森/井上武吉+ダニ・カラヴァン:事業的な構造がどうなっているのかはよくわからなかったが、何だかものすごく画期的なことのような気がする。今年の夏にオープンした模様。行きたい。
 その他にも「Wave Wave Wave, Umi-Tsukushi」(小名浜港)とか、「アルテピアッツァ美唄」とか、興味深い場所はいくつもあった。
 一方、街角アート(ストリート・ファニチャー化)の方面では、相対的に心惹かれるものは少なかった。それでも、宇部市が野外彫刻展を1961年から、長野市が野外彫刻賞を1971年からそれぞれ現在に至るまで継続していることを知り、ずいぶんと先見の明を持った地方都市があったのだなあということに驚き、そして少し心打たれたり、した。
 
 ハンディな展示カタログは、写真が小さいのが惜しいものの、日本のパブリックアートの系譜と現状を簡便に俯瞰できるなかなかの良品で、40分ほどのDVDもついて2,000円。悪くないと思う。
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by mono_mono_14 | 2006-12-20 18:37 | 文/cultura | Comments(6)

『伊東豊雄 建築|新しいリアル』

 ・・・モロモロ勘案すると、もう、今しかない。ランチタイムの拡大を自分に申請して(それは単なる独り言ではないのか?)、ものすごく駆け足で、と言っても地下鉄と徒歩だからちっとも駆けちゃいないのだが、『伊東豊雄 建築|新しいリアル』を観に行った。この週末で終わってしまうのだ。会場は東京オペラシティアートギャラリー。

 せんだいメティアテーク以降の華々しいシゴトを集めた展示。モックアップがたくさんあり、見飽きない。ビデオによる展示も多々あったのだが、残念ながら、そういうのをじっくり観ていられるような時間的な余裕はないので、後ろヅラ引かれながら素通りする。パネルに書き込まれた細かい説明も斜め読みだ。それでも行く価値はあった。
 コンピュータが成立させる設計も、建設作業員が地道に創り上げていくことにより立ち現れるのだ、ということがビリビリと伝わってくる。そこではクリックひとつで自動的にフォルムを生成していってくれるようなマジックが入り込む余地はない。コンピュータが描き出す滑らかにうねる起伏ある屋根面。その形に従って型枠を組み、鉄筋を組み、コンクリートを流し込む。コンピュータが複雑で魅力的な造形を考案すればするほど、その実現プロセスにおける人間の手仕事の重要性が高まるという、興味深い因果関係。各務原市営斎場の屋根型枠のモックアップがあり、昇れるようになっている。起伏ある大地のような曲面。それを構成しているのは、うまく配置された板きれたちで、おそらく計算と経験の賜であろう繊細な型枠工事だ。造形を思いつくだけでは建築になり得ない。コンピュータが試みに引いてみた1本の線は、途方もない英知と経験に裏打ちされた人の手作業で命が吹き込まれるのだ。そのことに感動する。現場の迫力とプライドに敬意を覚える。

 ミキモト柄とToyo Itoのサインが入ったレタリングペンがあったので、つい購入。せっかくだから何か書いてみようってことで、著者サイン入りエントリ。意味不明。しかもへたくそ。やめとけって話だ。
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by mono_mono_14 | 2006-12-19 17:26 | 文/cultura | Comments(0)

本城直季 on TV

 写真家・本城直季がNHKの『トップランナー』に出演。沈黙を愛でるような息詰まるトークセッション。やけにピュアな瞳が印象的。再放送は11/30の24時より総合テレビ(たぶん)。撮影風景をはじめ作品の裏側が垣間見られるテレビもいいのだけれど、とにかくおもしろい写真を撮る人なので、写真集『small planet』を立ち読みしてほしい、と僕は思う。ま、立ち読みを推奨することもないのだが、買ってくれというのはどう考えても行き過ぎ感あるので。・・・なんなら、上のアーティストの名前に張ったリンクから作品が少し観られるので、それで済ませてもいいですよ。。。

 以前に行った本城直季の展示のことを書いてみたのはこちら
 本城直季の写真が堪能できる建築ムックの話がこちら
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by mono_mono_14 | 2006-11-26 23:59 | 文/cultura | Comments(4)

『パラレル・ニッポン』展

b0018597_2204185.jpg この展示は、ここ10年間に日本で竣工した建築、あるいは日本人建築家が手がけた海外の建築を取り上げ、それらを「都市」「生命」「文化」「住まい」という4つの位相から整理し、社会と建築の呼応関係を捉えようとする試みだ。その呼応関係は、大都市(端的にはTOKYO)と地方、グローバリズムとローカリティ、ひたすらに移ろいゆくマネーフローと地域生活に根ざした小さなストックといった対比的な眼差しに射抜かれている。その対比にこそ、現代日本社会の歪みが病巣のように顕在しているのであり、同時に、これからの新たな可能性の足がかりが潜在してもいるのである。・・・ちょっとケンチクな感じを出してみました(誤)。読んでみて意味がわからなければうまく書けたってことです(違)。

 企画(の意図、コンセプト)にはなかなか心惹かれるものがあったのだけれど、実際の展示はやや物足りない。パネル展示だったのだが、プレゼンテーションからすると展示よりも書籍の方が向いていると思った。むしろ、書籍化した方が、より豊かな内容を持てるようにすら思う。パネルにしたことの書籍を上回る点は、写真が大きくなる、ただその1点にしかなかった。そして、ちゃんとした展示カタログはないのであった。展示ガイドとして配られる小冊子には三宅理一と五十嵐太郎の解説があり、イントロとしての役割は果たすものの、展示内容を受け止め、咀嚼するには足りないのであった。残念。少しアレンジして世界を回る予定らしい。今回の展示では端折った(ように見えた)コンテクストの解説を丁寧にする必要があるだろうな。そして、そういうのを僕も求めたいのであった。
 選ばれた建築の中では、恥ずかしながら外観写真をちらっと見ただけだった西沢立衛の「ウィークエンドハウス」が、ずいぶんと豊かな室内(空間&環境)を内包していそうに見えた。
 併せて披露されていた建築写真の小さな展示はなかなかおもしろかった。霞ヶ関ビルの写真とか、時代のインパクトを追いかけられる感じがした。
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by mono_mono_14 | 2006-11-12 23:59 | 文/cultura | Comments(0)

『プロ作品展』

b0018597_23104846.jpg 坂道からふと見やったカラヤン広場。展示がある。あぁ、東京デザイナーズ・ウィークだったか。アタマからはすっかり抜け落ちていたのだけれど、毎年、この広場でも展示をやっていたのを思い出す。題して『プロ作品展』。味も素っ気もない。プロのデザイナーによるプロダクトの展示。どうやら今年は「LOVE」をテーマにしたファニチャーがお題らしい。簡単に言えば自由ってことですかね。
 少なからぬ人に共感してもらえるんじゃないかと思うのだけれど、いろいろなデザインを見て回るのはとても楽しい。100個近くのデザイン・プロダクツ。さりげないフツーな椅子から、一歩間違えれば「王様のアイディア」みたいなものまで、ほんとにさまざま。楽しい。何周もしてしまった。

僕的ベスト5を選んでみた。
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by mono_mono_14 | 2006-11-02 23:11 | 文/cultura | Comments(0)

『もうひとつの楽園』

b0018597_2303868.jpg 六本木一丁目駅から泉ガーデンのエスカレーターを上り詰めたところにスウェーデン大使館はある。北欧モダンデザインを感じさせる気持ちのいい建物で、特に外観よりもインテリアの方が優れていると思う。ここを会場とした展示、『もうひとつの楽園』を観る。開幕2日目、平日の午前中。誰もいないかと思ったら、プレスっぽい人たちや外国人の姿がちらほら。あとから展示ガイドを見たら、出展作家たちが勢揃いしていたようだった。

 大使館で行われているのは、Lotta Luhlhorn(ロッタ・クールホン)、Saldo(サルド(=ステファン・ファルグレン+マドレイン・ファルグレン)、Hanna Werning(ハンナ・ベルニング)という3組のグラフィックデザイナーによる“お花畑”の展示。「Wallflowers」展と呼ばれる企画だ。鮮やかな、あるいは落ち着いたデザインのテキスタイルを壁に貼り、天井から長く吊す。色とりどりの布の帯が、柔らかな森のように重なって見える。お花畑というよりは森か林なのだが、その色鮮やかさはやはり花と呼ぶのがふさわしい。個々のデザインには好もしいものもあればさほど惹かれないものもあったのだけれど、ゆったりとした布がふうわりと、高い天井の室内に咲き乱れているさまは、とてもきれいだったし、気に入った。

 3組のデザイナーの作品をあしらったポストカードがあったので、9枚セット(1,000円ナリ)を買い求めた。紙と布では全然違うけど、雰囲気を少しお裾分け。この中ではハンナ(左列の3枚)の植物のあしらい方もきれいだけど、ロッタ(中央列の3枚)の適度な抽象具合が僕は好きだな。サルド(右列の3枚)の真ん中のヤツなどもわりと好み。
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 スウェーデン大使館を出て、まっすぐに駅へと向かう僕ではない(向かえ)。アークヒルズの方へ向かってぶらぶらと坂道を下っていく。
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by mono_mono_14 | 2006-11-02 23:00 | 文/cultura | Comments(0)

『安河内羔治遺作展』

 ランチのついでにポートレートギャラリーを覗く。開催中の展示は安河内羔治遺作展。松屋銀座のフォトスタジオの主だった人らしい。文化人のポートレート、長きにわたる横尾忠則の継続的なポートレート、下町浅草の老舗の主人たちをそれぞれの店頭や店内で収めた写真などが並んでいた。
 文化人の写真では、亀倉雄策や福田繁といったグラフィックデザイナーたちの鋭い眼光が印象的だった。建築家は谷口吉郎ただひとりしか見当たらず、少々寂しい思いもした。丹下健三とか槙文彦とかあってもよかったのに。浅草の老舗の店構えには、いくつかとても心惹かれるものがあった。若旦那や若女将も多かったのが、少し意外だったが、老舗だからこそ早め早めに現場を次の代へ渡していった方がよかったりするのかも知れない。横尾忠則の変遷もおもしろかった。形容しがたい力強さがとぐろを巻いているような表情だった。

 しかし、僕がいちばん長いこと目を奪われていたのは、写真家の作品とは言いがたい松屋銀座の宣伝ポスターだった。「家族日和。」と書かれたポスターには、昭和35年以来、毎年5月に松屋で家族写真を撮り続けてきたという家族の30年間が並べられていた。8枚目からは僕の人生とリアルタイムでかぶるわけで、スタジオで撮った家族写真なんてない僕にだってその頃の空気が収まったスナップならば残っていて、やはりそれと似たような空気が漂っているのだった。この写真を撮り続けてきたのが、もしかすると安河内さんなのだろう。
 1枚目の写真に夫婦と赤ちゃんが写っているので、たぶん第一子が生まれた記念に撮り始め、撮り続けて今日に至ったのだと思う。2枚目には弟も加わっている。10数枚進むと、男の子はお父さんの背丈を追い抜いていて、もう数枚進むとお姉ちゃんはお化粧をしている。やがて花嫁衣装の1枚があり、翌年の写真は3人家族だ。お姉ちゃんはお嫁に行ったから、もうこの家族写真には入ってこないのだ。そうこうするうちに弟がお嫁さんをもらっている。お嫁さんは新しくこの家族に入ったので、その年からはずっと一緒に写真に収まっている。すぐに孫も加わるようになる。赤ちゃんを膝に乗せて、お父さんお母さん(お祖父ちゃんお祖母ちゃん)は、恥ずかしさと晴れがましさと誇らしさがないまぜになったような表情でカメラの方を向いている。長女を連れてきた30年前のあの日と同じような表情で。僕はなんだか泣きそうになった。何に心を打たれているのかわからないけれど。無理やり探せば、たぶん「昭和」に心打たれたんじゃないかという気がする。

 この写真展でよかったことのもうひとつは、「ご自由にお取り下さい」のコーナーで、東京都写真美術館で開催中の『パラレル・ニッポン』の招待券を見つけたこと。無料のギャラリーで700円相当の招待券を持ち帰る。なんてしあわせ。まったくもって素晴らしい写真展だった。
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by mono_mono_14 | 2006-10-25 16:58 | 文/cultura | Comments(2)

七福神めぐり

 日本人の皆さんへ問題です。はい。問:七福神を全て挙げ漢字で記してください。答:・・・大黒様とか?
 過日、ひょんなことから「日本橋七福神巡り」など、してみた。その記録。最近、日本だとか歴史だとか風習だとかが気になったりするわけで。ふふん、なるほど、オレも人間的な深みが溢れ出ようとしているのだな、などと思い込む。読者諸兄ご賢察の通り、単に加齢臭が滲み出ようとしているのかも知れないのだな。嗅いでみます? ・・・どんな枕だ。

嗅いでみる(違)
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by mono_mono_14 | 2006-08-22 19:26 | 文/cultura | Comments(2)

岡本太郎記念館にて

b0018597_2135548.jpg 芸術が爆発かどうかはさておくとしても、岡本太郎が遺した作品は、やっぱり何かが奔放に迸っていて、そのことを「爆発」と呼ぶのなら、確かに芸術は爆発だ、少なくとも岡本太郎の芸術は爆発だと言えそうだ。もっとも、爆発という語から思い起こされる「荒さ」とか「破壊」とか「恐ろしさ」なんかとは、ずいぶん違う趣だとも思う。もっと暖かく微笑ましい、何て言うか、「抑えきれないやんちゃな気持ち」だとか、「慈しみ尽くせない優しい思い」とか、そういう類のエモーションが溢れ出てくる感じだ。
 青山の岡本太郎記念館で、蚊に刺されたりしながらも、岡本太郎の作品を観てきた。あの作品たちは、もう半ば地霊になりかかってるんじゃないか。おもしろかった。それ以上のコトバはなくてもいいんだと思う。館内も庭も写真を撮り放題なので、足を運ぶ際はぜひカメラの用意を。
 ・・・というわけで、あとは野暮ったいコトバに代えて拙い写真を(ってどっちもどっちだな)。無意味にいつもより写真を大きくしてみた。

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アタマデッカチに理解しようという姿勢が間違い。そういう気になる。

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アトリエ。シゴトが放つピリピリした空気が感じられる。

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リビング。を使った展示スペース。だと思いたい。それともこんな感じで生活してたのか?

さ、もう何も言うまい。つか言えない。めくるめく太郎ワールド。蚊や蜂に注意して満喫すべし。
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by mono_mono_14 | 2006-08-18 23:59 | 文/cultura | Comments(2)

若冲を見たか

 8月アタマに出たBRUTUSでも特集されていた伊藤若冲(いとう・じゃくちゅう)。現在、上野の東京国立博物館で27日までの会期で『若冲と江戸絵画』という展示が行われている。観てきた。観てない方へ。観とくべき。若冲の作品だけでもいいから。かなり混んでるけど。なお、秋に京都、新年に太宰府、春に名古屋と巡回していくようなので、上野が無理でもぜひそちらで。いやまじで。

 ジョー・プライスというアメリカの大金持ちが自分で買い集めた日本の絵画を見せてくれるという、微妙に屈折した感もあるこの展示。こういうコレクションができる金持ちってなんだべ? という庶民の感想はコインロッカーに放り込み会場へ入る。「第一章 正統派絵画」、「第二章 京の画家」、「第三章 エキセントリック」、「第四章 江戸の画家」、「第五章 江戸琳派」という5部構成で、若冲は「第三章 エキセントリック」をほぼ独りで占めている。とにかくここが圧巻。もちろん、長沢芦雪とか鈴木其一とか素晴らしいなと思った作品は多々ある。円山応挙だってある。それでも、やはり若冲を愛でる展示だと思う。若冲を観てから江戸の絵画を観る構成になっているのだけれど、若冲の後に観ると、こう言っては悪いけど、あー、上手に描けてますねー、はいはい、という感じで、どうでもよくなってしまう。いや、この鑑賞法は間違いというかもったいないというか決してお勧めできるものではないのはわかっているけれど、実感というものはどうしようもない。

 「花鳥人物図屏風」、「鶴図屏風」という六曲一双の屏風に仕立てられた、それぞれ12枚ずつの一連の作品がとても素晴らしい。特に鶴たちがすごい。一息で描かれた鶴の輪郭、その揺るぎのなさ。ああいう曲線を、筆の運びも含めて、一発で決めてしまうことのものすごさ。そして、軽やかでスピーディで滑らかな鶴の体とは対照的に定規のような精密さで真っ直ぐに伸びる脚の力強さ、描き込みの緻密さ。墨の濃淡だけで紡ぎ出される豊饒な表現。見飽きない。いや、もちろん、後ろの人がつかえるからその場で飽かず眺めているわけにはいかないのだけれど。
 しかし、それらの作品を凌駕して、とんでもないところまで連れて行ってくれる作品が「鳥獣花木図屏風」。これこそほんとうに見飽きない。方眼に切られたマス目の上に描かれた絵で、まるでタイルモザイクのよう。そこに描かれたあらゆる動物がひしめく空想の世界。そこにどんな世界を観ていたのだろう。どんな物語が広がっていたのだろう。宇宙的な絵だ。ほんとに見飽きない。いや、もちろん、後ろの人がつかえるから、ここでもまたその場で飽かず眺めているわけにはいかないのだけれど。
 他にも、アジサイの花とともに誇り高く描かれた鶏(「紫陽花双鶏図」)、松の枝に雄々しく留まる鶏(「旭日雄鶏図」)なども迫力満点で、若冲の描く鶏はさながら鳥類の王様のようにすら見える。

 若冲は画家としての力量はもちろんとても高いのだと思うが、それ以上にグラフィック・デザイナー、あるいはアート・ディレクションの力量がものすごい人のように思う。件のBRUTUSの表紙に書きつけられたフレーズはこうだ。「21世紀のクリエイターに最も影響を与える江戸時代の天才画家」。緻密に描き込んだ絵からも、さらさらっと書いたクロッキーやデッサンのような絵からも、おびただしいクリエイティビティがあふれ出て、観ている僕らを捉えて離さない。すごい。観るべき。いやまじで。
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by mono_mono_14 | 2006-08-16 23:59 | 文/cultura | Comments(4)