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カテゴリ:街/citta( 75 )

「赤色問題」を巡る新聞記事より

 なぜだか東京新聞の夕刊が郵便受けに放り込まれていた。こういう販促は反則だと思う。ゴミ処理を押しつけられているようなものだから。でも、この夕刊、たまたま裏一面を大きく(8段くらい)使って「イタリア文化会館赤色問題」を取り上げていた。今回に限り許してあげよう。もう無駄な投函は控えてな。

 見出しを拾ってみると、「建物の色どうする?/景観論争呼ぶイタリア文化会館/池袋では規制の地区計画も」といった感じだ。すでに周辺住民らは、約2,700名もの署名を添えて環境省、東京都に色の塗り替え指導を陳情しているらしい。近く外務省にも陳情する予定だという。これを受けて東京都は色の塗り替えを要請しているが、文化会館側は「本国に問い合わせている」とのカテナッチョ戦術で対応している模様。この対応が、いわゆるイタリア時間にのっとってなされることは、たぶん間違いないだろう。バカンス前に処理されようはずもなく、バカンス後に覚えていようはずもない(というのは過言。というかむしろ風説の流布ですね)。イタリア文化会館側(ということはイタリア大使館側ということで、つまりイタリア共和国側)は、すでに赤色に塗ってしまっているという意味で1点を先制している状況なので、ずるずると試合を消しにかかるに決まっている。いや、ですから僕の言いがかり的妄想なんですってば。

 この赤色、僕は、表通りから見る分にはOKだと思っている。なかなかニクい赤なんじゃないかと思うほどだ。ただし、あくまでも表通り側に限った話。裏通り(千鳥ヶ淵側)から見た場合は保留。曇り空の日にほんの2、3分眺めたことがあるだけなので。ただ、思ったより億ションとの距離が近かったから、住民の不快度が高そうなことは想像に難くない。一方、例えばお堀に浮かべたボートから桜並木越しに見上げた時にどう見えるか、などと考えると、また違った見え方になることは間違いなく、ただの来街者の目にはなかなかの眺めに見えたりするかも知れない。いや、まったくわかりませんが。もしかすると水面からは見えないか? ま、いいや。

 住民らはクリーム色に塗り替えてほしいと訴えているそうだが、これは受け入れられなさそうな気がする。もし塗り替えるとしたら、フィレンツェの大理石の緑みたいな色を提案してくるんじゃないか、などと妄想する。こんな妄想はともかく、クリーム色と赤色の優劣を決定づける理屈を、今の日本は持っていない。(裁判とかでなく)話し合って落としどころを決める手続きも満足には持っていないし、そういうものごとの決め方にも慣れていない。これは、赤色がどうだという問題でなく、誰が、街の建物の色や形をどうやって決められるのか、どこまで口出しできるのか、あるいは口出しすべきなのか、という問題だ。この赤色問題は、少なくとも21世紀の前半分はかかるオオゴトの第一歩なんだと思う。少なくとも20世紀の後半分をかけてナンデモアリの日本を築いてきたんだから、それくらいはかかると思う。
by mono_mono_14 | 2006-04-25 04:01 | 街/citta | Comments(0)

「有楽杉」

b0018597_1805120.jpg 有楽町の駅前で大きな再開発が動いている。いつもお客さんで溢れかえっていたタイスキ屋のコカレストランが入っていた古い(ゆえに趣のあった)ビルなんかがあった場所なのだけれど、今はすかーっと更地になり、高層ビルの基礎工事が進んでいる。商業のキーテナントに丸井が入るらしい。僕はもう丸井の基本ターゲットには入っていないので(僕も丸井を覗く気にはほとんどならない)、今のところ、あまり嬉しくはないのだけれど、まあ、2007年の完成を待ってみる。
 その工事現場の片隅、ちょうどJRの有楽町駅の改札に向き合うかどっこで、木のいい香りがした。工事現場は仮囲いという無愛想な鉄板などで囲われているけれど、その仮囲いに木材が使われているのだ。どれくらいの人がこれに気づいて足を止めたり、囲いを見やったりしているのかは不明だけれど(僕がこの場にいる間、これにあからさまに関心を持っていたのは僕だけっぽかった。囲いの写真を撮るなど、微妙に怪しげな行動を取っている僕に関心を向けた人の方が多かっただろう)。気づかなかったり、フンと鼻で笑ったりして済ますこともできる。一見、何てことないみたいに見えるしね。でも、よく見てみて。物静かだけれどいい佇まいだと思わない? これが現場を一周するとカッコいいんだけど、ここだけだとすると、ちょっと寂しい。

 この仮囲いのコンセプトが掲げられていた。少し長くなるけれど引用してみる。

「有楽杉・うらくすぎ」

 この仮囲いは「杉」でつくられています。
 江戸時代、主要な建築木材であった杉は、建物や建造物にも多く利用されていました。
当時関東周辺に用いられていた木材は、現在の埼玉県の南西部、荒川支流の入間川・高麗川・越辺川の流域から木材を筏(いかだ)により江戸へ流送していたので、「江戸の西の方の川から来る材」という意味から、「西川材」と呼ばれるようになりました。
そしてこの仮囲いにも同じ西川材の杉を用いています。
 また、有楽町駅は一九一〇年開業、すでに完成後九五年の歴史を持った駅です。町名、駅名は、織田信長の弟であった織田有楽斎(おだ・うらくさい)の邸宅がこの地にあったことによるといわれています。
 これから再開発を遂げるこの有楽町に杉の仮囲いを設置することによって、歴史を尊ぶとともに、木のぬくもりを改めて感じ、都市と森林の関係を考えるきっかけになればと願っています。
 そんな想いを込め、この仮囲いを有楽杉と名付けました。

                                        大成・鹿島・清水JV
                                        株式会社 トーニチコンサルタント
                                        デザイン:ナグモデザイン事務所

 トリビア的な話題を盛り込みつつまとめられたコンセプトには、いくぶん政治的な正しさとかエエカッコしい的な感じが気になるところは正直ある。あるのだけれども、たとえそういう若干の居心地の悪さが残ったとしても、こういう方向を向かざるを得ないんじゃないか。ふてぶてしく、あるいはおずおずと、こういう方向を向くべきなんじゃないか。こういうのが“毎日の環境学(的態度) ecological attitude of everyday life”ということになるんじゃないか。有楽杉のプロジェクト自体は、必ずしも環境的な視点ではないかも知れないけれど。それぞれの手の届く範囲でささやかな態度を示す。それらが知らぬ間に織りなされていく。そうして、これからの都市や生活が決まっていくんだという気がする。そういう意味で、これは、ささやかながらカッコいい、というところが決定的に大事な点だ。「工事中景展」で見たあれやこれやよりずいぶんと慎ましやかでオトナな解答だと思う。
 デザインを担当しているナグモデザイン事務所というのは、僕が最近、まとめ読みをしている土木系・ランドスケープ系デザインの書籍に頻出するデザイン事務所だ。こんな感じで、今、土木の“感度”がいいと思う。都市はずいぶんと後塵を拝してしまっている感じがする。
by mono_mono_14 | 2006-04-12 18:02 | 街/citta | Comments(0)

虚ろなヴィーナス

 豊洲まで伸びて少し便利になった「ゆりかもめ」に乗ってお台場へ。ゆりかもめに乗るのもお台場に来るのもたぶん2回目だと思う。とてもとても縁遠い場所だ。ゆりかもめの本数がたくさんあることに驚き、ヴィーナスフォートの場末感に唖然とした。
 ヴィーナスフォートは、バブルが弾けて埋立地がさっぱり売れなくなって焦りに焦った東京都が、とりあえず10年間だけ好きなことに使っていいから誰か借りてくれないか、と持ちかけたのに応えて1999年にできた商業施設。完成当時は、天井が移ろいゆく空になっているのがウケたりして、何だかとても賑わっているとのニュースが流れたものだけれど、今日、訪れたヴィーナスフォートは、以前と変わらず天井に青空を映し出してはいたのだけれど、とてつもなく虚ろだった。中学生の頃、ニチイ(今のサティかな)というスーパーの地下でヤキソバとかを買い食いしていたあの感じ。あの感じに満ちていた。何だかしみじみした。10年間限定という事業スキームも含めて、一時は確かに時代の寵児だったのに、10年間の半分ももたなかったんだな。そして、どんなに話題を集めても、商業施設はやっぱり“街”ではないんだということを、思った。あと数年、この“女神”は虚ろな眼差しで立ちつくしているのだろうか。
 一方、ゆりかもめは、海辺を高みから見渡せるという点で、少しアドバンテージがあるなと思う。言うまでもなく、そのアドバンテージは「海」がもたらしているわけだけれど。

 こんなわずかな時間の中でしみじみ思ったのだけれど、よほどの理由がなければお台場には行けないよ。そして、今日はよほどの理由があったのだった。ポール・ウェラー追加公演@ZEPP TOKYO。東京最終日。これは改稿ってことで。
by mono_mono_14 | 2006-04-01 23:59 | 街/citta | Comments(0)

表参道ヒルズに行ってみた。

Sono andato all'Omotesando-Hills. C'erano tanti visitatori per cui non ho potuto vedere quel luogo attentamente. Devo visitarci ancora.

b0018597_2040965.jpg 時間が経つに連れて天気がどんどん悪くなるという触れ込みだったのだけれど、思いのほかいい天気が続いた日曜日の東京。そろそろ一段落した頃合いかなと思い、オープンからほぼ1ヶ月を経過した表参道ヒルズに行ってみた。甘かった。大甘の皇子だ。博覧会のちょっとした人気パビリオンのような人出。入場制限こそないものの動線制限はある。ただ順繰りに通路をぞろぞろ歩くだけ、といった状態だ。入場者数(建物の中に入っている人)に較べて入店者数(ショップ内に入っている人)が少ないこと、少ないこと。ウィンドウを眺めることすらしていない感じ。「表参道ヒルズに行ってみた」ということがバリューなのだ(当然か)。物販店が空き気味だったのと対照的に、飲食店は店外にも待ち行列が続いていた。
【左:表参道駅側から近づく。右:ガラスのファサード。】

b0018597_20405583.jpg 建物の中央には吹き抜けがあり、それをらせん状にスロープが取り巻いている。このスロープに面して小割のショップが並んでいる。ちょっと吹き抜けのあるデパートみたいな風情なのだが、ポイントは、吹き抜けを取り囲んでいるのが各フロアではなくひとつながりのスロープだということ。最上階(3階)から最下階(地下3階)まで一筆書きみたいに歩いているうちに移動できてしまう。スロープの勾配は表参道に合わせたのだそうで、建物の中に表参道が折りたたまれて詰め込まれている感じか。これがこの建物(商業施設)のミソで、ミソはこれだけだと思う。
 スロープの幅は、これだけの混雑からするともちろん狭すぎで、せいぜいこの1/10くらいの人出が適正だろうなという空間感覚だ。実際、そんな程度が想定されているんだろうと思う。今は異常事態。
【左:吹き抜けの大階段から見上げる。中:吹き抜けを上から見下ろす。右:層をなす激混みスロープ。】

b0018597_2114401.jpg ディベロッパーは森ビル、建築設計は安藤忠雄。ケヤキ並木と周辺の街並みに配慮して中層に高さを抑えた建物(ただし地下深く掘られている)。そのことは僕はとてもいいと思った。裏側は細い通りを挟んで低層の建物が並んでいる。裏通りの圧迫感のなさは、再開発後の街並みとしては画期的だと思う(調べるのを怠ったけれど、もしかすると法的規制のなせるワザだったりするかも知れない)。再開発をやれば、周辺から突出したボリュームの建物が立ち上がってしまうものなのだ。同じ森ビルがディベロッパー役を務めた六本木ヒルズを見ればよくわかる。もっとも、ボリュームで突出できる見込みがあるから、ディベロッパーを買って出られるのだけれど。大きなビルに建て増した部分を売ったり貸したりして投資額の元を取る仕組みだから。
【左:裏通り沿いの風景。中:躯体はもちろん打ち放しコンクリート。右:安藤ワールドな駐車場入口。】

b0018597_2182624.jpg 安藤の代名詞である打ち放しのコンクリートは、キレイすぎなほどキレイ。裏通りの外観が思ったよりイイカンジで、表参道側のファサードは、まあ同じサイドの歩道を歩いている限りは見えにくいというのもあるけれど、思いのほかカッコよくない。ついでに言うと、「参」の字をあしらったロゴ(?)があって、基本的にはかなり評判がよい印象なのだけれど、僕はあまりいいと思わなかった。特に、表参道駅側から歩いて来た時に最初に目に入る、同潤館の壁面に大きく掲げられているロゴは、いただけない感が噴出していた。エントランスに掲げられているロゴの方はさほど違和感がなかったから、デカすぎるのかも知れない。
【左:同潤館の大ロゴ。右:メインエントランスのロゴ。】

b0018597_20432756.jpg そのいただけない大きなロゴが掲げられている同潤館は、かつての同潤会アパートを再生した部分で、ショップやギャラリーが入る小さな建物。階段室から切り取られる表参道の風景がとても素敵だった。吹き抜けを囲むスロープは屋外に面していないため、少し閉塞感があり、この風通しのよい階段室の心地よさがかえって浮き彫りになっていた。
 ただ、同潤館と本体とは必ずしもイイカンジでフィットしているとも言えない。また、こういう状態を「都市の記憶の継承」と言い得るか、という点も若干の疑問が残る。あまりにちっぽけなピースに過ぎるように見えるのだ。
【左:同潤館の心地よい階段室。右:同潤館の外観。】

b0018597_20435529.jpg 住宅部分がどんな感じなのかは知りようがない(誰か住んで招待してくれー)。通りから窺える外観は、こじゃれた寮みたいな感じだけれど、窓越しにケヤキ並木の梢が広がるのは気持ちよさそうだなと思う。自宅がこれだけの観光名所になるという状態がコンフォタブルかどうかはわからないけれど。
【左:ケヤキと向き合う上層の住宅部分。右:住宅部分の見上げ。】

 以上、雑ぱくすぎるけど、とりあえずレビュー第1弾としたい。今はオープンのご祝儀相場的なにぎわいだけれど、もう少し落ち着いた頃合いを見計らって、また行ってみるつもり。
by mono_mono_14 | 2006-03-12 23:58 | 街/citta | Comments(5)

世界のすんごいストリートから

Penso che la maggior parte dei fascini della citta' dipenda sulla struttura stradale, poi si senti la qualita' dei contenuti tra le strade.

 世界にはいろいろな街がある。などと切り出すには僕の世界経験はあまりにも狭く乏しいのだけれど、妄想に花を咲かせるのも少しくらいならば大目に見てもらえるんじゃないかしら。
 『Great Streets』という本がある。なかなか見栄えのよい大判の本で、英語とかいう言葉で書かれている。洋書だ。従って、本というよりはインテリア雑貨に分類すべき逸品である・・・って英語が読めないってのも洋書がインテリア雑貨になるってのも、実に冴えない人物像を浮き彫りにさせる。
 この『Great Streets』は、アラン・ジェイコブスというアメリカの都市計画家が書いた本なのだが、この中に世界39都市のセイム・スケール(同じ縮尺)の街路パターン図(黒地に街路(と水路)だけを白く浮かび上がらせた地図)が50枚掲載されている。これがとてもおもしろいのだ。街を楽しむというのは、実体験的には通り(ストリート)を楽しんでいるということなのだ。そこを無視するから昔からある商店街とイオン・ショッピングセンターとをダイレクトに比べたりする議論が起きたりするのだと思うけれど、それはまた別の機会に譲ることとして(という常套句で混濁茶をお出しして)、ジェイコブスが掲げてくれた50枚の地図からいくつか選んでみた。ただ並べてみるだけではいまひとつ芸がないので、覗き窓をつくることにした。

こっそり覗く
by mono_mono_14 | 2006-03-11 19:57 | 街/citta | Comments(2)

「絶対反対」の垂れ幕に

Allora dovremmo cercare un'altra soluzione di valorizzazione urbana.

b0018597_20131613.jpg JR飯田橋駅の裏側で市街地再開発事業が進行中なのを、恥ずかしながらついこないだ知った(駅の裏側と言ったけど、僕の家から駅に向かうと駅の向こう側になる、という意味に過ぎないのでご了承を。そもそもJR飯田橋駅はどこが正面なのかがわかりにくい駅だから、表も裏もないような気がする)。市街地再開発事業をやると、それなりに高い建物が建つ。昨今の東京で再開発をやれば、たいていは見上げると首が痛くなるようなタワー棟が建つ。タワーにならなかったのは「表参道ヒルズ」(表参道の同潤会アパートの建替え)くらいかも知れない。この飯田橋の再開発でもオフィスと住宅のタワーが建つ計画になっているようで、そんな予想図が貼りだしてあった。再開発は、誤解を恐れずに言えば、大きなビルを建てて、貸しオフィスのフロアや分譲マンションをたくさんつくり、それを貸したり売ったりして事業費のモトを取る、という仕組みだから、当然と言うかやむを得ないと言うか。
 この再開発計画地のすぐご近所で「一四〇メートル超高層ビル絶対反対」の垂れ幕がかかっていた。これまでせいぜい4、5階建てが並んでいたところに140mが来るとなれば、多少のアレルギー反応も当然と言うかやむを得ないと言うか。しかし、おそらくこの抵抗は実を結ぶことはなく、計画通りに超高層が2棟建つんだろうと思う。日本の再開発は、許される限り大きな建物を建てるという方法以外の作戦をなかなか見つけられないでいるのだけれど、そろそろ何か妙案が必要だよなあ、と思いながらその場を後にした。今年は、「街の空間」ということに対してセンシティブにありたいと思ったりしている年頭なのだった(と記して自分にちょっぴりプレッシャーをかけてみる)。
by mono_mono_14 | 2006-01-07 20:16 | 街/citta | Comments(0)

日本橋デビュー

 初めてコレド日本橋に行った。オープンから2年とは言わないけれど1年半以上が経っている。遅すぎ。ガラスの帷子をまとったマッシブな外形。写真を撮ろうとして、あまりフォトジェニックなナリをしていないことに気づく(写真を撮るウデの問題は棚上げしてしまおう)。ショップとレストランの中身については、僕の好みかそうではないかというだけの話にシュリンクしてしまうのだが、セレンディピティはぶらぶらするには楽しいし、フローラン・ダバディが著書で紹介していたピッツェリアなんかは興味深いが、そのために足を運んで来るかと言えば、そんなこともないか、という感じ。ナプレやトンマジーノになら予約してまで足を運びたいと思うのだけれど。
 そのまま「日本橋三井タワー」にも行ってみた。こちらはコレドほどには旬を逸していないが、それでも数ヶ月は経っている。ホールの風格がすごい(ややバブリー感があるけれど)。三井の本気さ加減を思い知る感じ。ここと較べればコレドはやっつけ仕事だ(過言)。
 タワー棟に隣接する三井本館の7階にある三井記念美術館では、開館を記念して『美の伝統 三井家伝世の名宝』展が開催されていた。三井家に伝わるお宝の数々を展示しているのだが、これがすごかった。陶器、書、屏風、刀などなど、これらをすべて「私物」として持ち、伝え続けていることのすさまじさを感じずにはいられない。たぶん、ヨーロッパにはこういう感じのナントカ家のお宝を収めた美術館はいくらでもあるんだろうけど、日本でもその気になればこんなレベルでやれる人たちがいたのだ(当たり前か)。ただただため息が出るばかりだった。展示は後期に入っており、前期の目玉であった能面の数々を見ることはできなかった。リストを見ると国宝や重要文化財が目白押しだし、能面以外にも前期展示の方が充実していそうだったので、これを見逃したのは、知らずにいたこととは言え、とても惜しく感じられた。
 これまで、日本橋界隈をきちんと歩き見ることはなかったような気がする。ある意味、デビューだ。今日は、全体的に駆け足のご挨拶ふうになってしまったので、またゆっくりとこの界隈をぶらついてみたいと思った。

 丸の内が三菱地所なら日本橋は三井不動産。両者の火花散るプライドが、東京都心の様変わりをどんどん推し進めている。様変わりが進んだ結果、ふと見ると気の利いたレストランとおしゃれなショップ、雑居ビル型産業に従事する身には眩しすぎる先端的なオフィスフロア、もしも泊まったとしたらもったいなくて寝てられないような高級ホテル(寝ない方がもったいないのか?)がパックになって、天を穿つように林立する。それぞれに違いを誇示しているようでいて、その実、あんまり差のないガラスの超高層ビル群ばかりになっていくような気もする。もう少し違う解答も織り交ぜられてもいいように思うのだけれど、今の都市開発を押し動かすドライビング・フォースはそれを許さないように見える。その時に、逆説的に浮かび上がってくるのが、その街の持っている地形だったり歴史だったりするんじゃないか。日本橋川であったり、皇居のお濠であったり、老舗の歴史だったり、そういうものと切り離して、ガラスの摩天楼のコンテンツを採点してばかりいると、とてつもなく大きなものを見失うような気がする。
by mono_mono_14 | 2005-12-03 23:59 | 街/citta | Comments(0)

中庭広場のランチ屋台

Ci sono alcune bancarelle in cortile di Tokyo Forum Internazionale per servire il pranzo agli impiegati vicinali. In Giappone, forse stranamente, vendere qualcosa in cortile pubbilico, strada, parco non era facile, pero' le situazioni stanno cambiando poco a poco. Penso che dell'attivita' agli spazi pubbulici renda la citta' piu' allettante.

b0018597_17304283.jpg ちょうどお昼休みになる頃に有楽町の東京国際フォーラムを通りかかった。いささかもてあまし気味のバブリーな威容を誇るガラス棟とホール棟の間に通り抜けの広場がある。ケヤキが植わったなかなか悪くない広場だ。まだ20代だった頃(とは言え、じゅうぶんに社会人だったのだが)、後輩と痛飲して始発を待つ小一時間にこの広場のベンチで寝そうになった(と言うか寝ようとしていた)ら、ガードマンに「ここで寝ちゃだめ」と起こされ諭された懐かしい思い出のある広場だ。
 その広場にかわいいワンボックスが何台か停まっている。ランチ・ボックスを売る屋台だ。ネット検索の結果、「ネオ屋台村」というところが運営しているシカケらしいことを知った。ついでに、この通り抜けの中庭広場は国際フォーラムのイベントスペースのひとつである地上広場という施設と位置づけられており、一部分を有料で貸し出したりしているらしいことも知った。
b0018597_17305662.jpg このランチ・サービスがいつ頃から展開されているのかは知らないけれど、そんなに古い話ではないんだと思う。ようやく少しずつ、こういう広場などが「こんなふうに使われてればいいのに」と思われるように使われ始めているのだと思う。
 こういうシカケは、まだ建物の敷地内のことが多く、もっと道路や公園にも広げていくには、管理責任や利権関係など、めんどくさいハードルがいろいろありそうだけれど、できる場所での好評な実績が積み重なっていくことだけが、街の街たる姿の獲得へ至る大きな道筋だと思う。お、いいじゃん! という街のディテール(空間だけでなく活動も含めて街と呼びたい)をどれだけつくり出せるかが勝負だよな、と今のところの僕は信じている。考察超浅いけどとりあえず。
by mono_mono_14 | 2005-11-28 23:59 | 街/citta | Comments(0)

丸の内の夜遊び、はじまる。

b0018597_22234322.jpg 先週末、「TOKIA」(東京ビル)がオープン。キャッチフレーズは「丸の内の夜遊び、はじまる。」だそうで。思うに、「丸の内は、六本木などと較べるとお堅いビジネス・センターの色合いが強くて、オトナが遊べる街ではなかったけれど、今日からは違うぜ」てなことか。しかし隣は東京中央郵便局。そうそう簡単に夜遊びの街にはならなさそうかも。
 地下1階から3階までが飲食店を中心にした「夜遊び」ゾーン(と勝手に僕が呼称)。それより上層はバリバリのオフィスである。もちろんIT系なんていう軽やかな業界ではなく、「三菱電機」なんていう丸の内らしさが薫るどっしりめな業界が入る。そうそう簡単に夜遊びの街にはならなさそうかも。

 それはさておき、夜遊びゾーンは、そのほとんどが飲食店で構成されている。「夜遊び」≒「晩ご飯を外で食べて帰る」なのか? と思わず茶々を入れてしまうが、「夜遊び」ゾーンの目玉っぽいのはコットン・クラブ。んー何とも懐かしい響きだ。このニューヨークのナイト・クラブをタイトルに掲げた映画は、まさにバブルのはじまりを飾った映画のひとつだったかも知れない。コットン・クラブを出してみるという戦略に、そこはかとないバブル再来感が漂っている気がする。正直、今のところ、このコットン・クラブにはあまり食指が動かないが、もし往時のグレゴリー・ハインズのタップみたいなシロモノが拝めるなら覗いてみてもいいかな。
 僕にとってはより親近感のある飲食店については、関西の名店を集めて勝負に出たらしい。京都の予約至難のリストランテ「イル・ギオットーネ」が出店している。ここには行ってみたい気がするけれど、こちらもすぐに(すでに?)予約至難のお店になってしまうのかも知れない。そうなったら名実ともに腰の重い僕には無理っぽい。今のうちがチャンスか。その他に気になるのは『ベルジアン・ビア・カフェ アントワープ・セントラル』。世界に冠たるビール王国・ベルギーのビールがいろいろ飲めそう。遠からぬうちに足を踏み入れてみたい。
 地下1階フロアの通路のデザインを、超々売れっ子デザイナーの森田恭通が手がけたんだそう(写真右下)。光るゲートを光の帯がカクカクシカジカと折れ曲がりながら通路を縦断する。これが通路の照明になっている。サインボードも兼ねている。ふうんという感じ。クールさと和み感が微妙なバランスで折り合わされている感じがするところと、パブリックアート感を備えているところが好感と言えば好感。

 マニアックな話をつけ加えておくと、東京ビルは、特例容積率適用区域制度という仕組みを使った日本で最初の事例。平たく言えば、東京駅に大きなビルを建てない代わりに、その分を回して東京ビルを少し大きく建てる、という仕組み(平たく言いすぎ)。こんなのは東京のごく一部に限られた話かも知れないけれど、こうやって見ると、テナント選定競争と容積率ボーナス獲得(より大きなビルが建てられる)が、都心街づくりのほとんどすべてのように見えてしまうのは、少し考えさせられる。
by mono_mono_14 | 2005-11-14 22:22 | 街/citta | Comments(4)

街だってほっとけない

Un appunto sull'identita' di citta'. Gli empori suburbani spesso ridurrebbero l'amenita' di citta' anche se sembrano fruibile alla gente per la vita quotidiana. Sarebbe difficile per me a fare qualcosa speciale continuamente per salvare la citta' (sopratutto il centro), pero' dovrei farlo pian piano perche' ho bisogno dell'amenita' di citta'.

 『大型店とまちづくり』という岩波新書を読んでいる。いささかマニアックな1冊だけれど、車で行ける便利で大きなショッピングセンターよりも、せせこましい商店街の方がほんとは好きだ、という人にはけっこう得るものがあるかも。で、思ったことを覚え書きメモ。

 数年前、帯広に屋台村の視察に行ったことがある。視察ってのは大げさだな。立ち寄って話を聞いたという程度のこと。「北の屋台」という大成功したプロジェクトがあったのだ(詳細はリンク先に委ねます)。そこには十勝で収穫された産物だけでメニューを組み立てている店があった(万願寺みたいな唐辛子を炙ってもらったら、泣きそうにカラかったことを思い出す)。絶対に大きくはなれないだろうけれど、一定の支持さえ得られれば簡単に倒れることもないだろう、そういうタイプのお店だ。
 「北の屋台」に出ているお店は少なからず実験的なところはあるのだけれど、ともあれ、地産地消だとか手づくりだとか、そういうタイプのお店がどれだけ成立するか、そういうお店がどれだけ自分のお気に入りリストに並んでいるか。僕の中には、なんとなく、こういう種類の豊かさを追いたいキブンが、ある。まあ、スローフードみたいな話と言えばそんな感じなのかも知れない。けっこう雑誌とかでもそういう切り口、増えてると思う。例えば、夏に出たBRUTUSのイタリアン特集、巻頭を飾ったのは地産地消にこだわる山形県のリストランテ「アル・ケッチァーノ」だった。

 農業について。あるいは流通について。あるいは雇用・就労について。あるいは消費について・・・。この種の“豊かな”毎日のために思いを馳せないといけないことはたーくさんある。けれども、馳せた思いで自らの日々を律していくのは、書くほどに簡単なことではないな。というかタイヘンだ。それでも書いてみた。ほんの少しでもやってみる。いいな、と思ったら、意識的にヒイキしないと、あっと言う間に倒れる(ヒイキしても倒れる)。ほっとけないのは世界の貧しさに限らない。街だって簡単に倒れるよ。何でも揃うショッピングセンターと工場産グルメと高速インターネットだけの世界は、僕はゴメンだ。
by mono_mono_14 | 2005-10-13 20:39 | 街/citta | Comments(2)