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景観を読む知の体系について。

 まあ、たぶん、僕の仕事柄としては、もっと早い時期に1冊や2冊は読んでいてしかるべき著者であり著作であるのだろうが、つい先頃に某師匠(ただし僕が心の中で弟子入りしているだけ)に教わり、遅まきながら急ぎ入手の上、遠方へ赴く往復の間に読み終えた『空からの民俗学』。著者は宮本常一。

 やや業界的(何業界だろう)な話で言えば、ざっと3年前、景観法という法律ができたこともあり、「景観」というタームは時代のキーワードとなっている。僕自身も、「景観とは、歴史や風土や文化や風習や技術や制度や生活が見た目として現れてきたものを見る人が感じ取ったもの」という、何の足しにもならない定義をこねくり回したりしながら仕事をしていたりもするのだが、航空写真や風景写真を眺めながら紡がれる宮本の文章は、その景観の裏側にある歴史や風土や文化や風習や技術や制度や生活の解説なのであり、まさに、先ほどの「何の足しにもならない定義」そのものなのだった。この「何の足しにもならない定義」のそれなりの正しさを確認できたことと、その定義をこうやって立証できるようなバックグラウンドを持つことの必要性を痛感させられたこと、それが、この読書を通じて得られた、充実した読後感とは別の、個人的な収穫だったと思う。

 わが業界(何業界だろう)の大先輩たち、僕よりも25〜30歳くらい年上の世代は、まあ、宮本の域には到底届かないにしても、もの言わぬ地図や写真を見ながら、それが雄弁に物語っている歴史や風土や文化や風習や技術や制度や生活を想像する技術を持っている人が少なくなかった。技術と言うよりは知の体系というようなものだ。残念なことに、僕のその技術なり知の体系は極めて貧弱だと言わざるを得ない。言い訳がましく言えば、そういう過去の蓄積である体系を、未来へ向けたコンセプトの依って立つ足場にするのが極めて難しいという事情はあるのだが、諸賢お気づきの通り、それが僕の内的ストックを貧弱にしておいていいことの理由にはならないわけで、一歩ずつ研鑽に努めたい、などと、不祥事企業の社長のようなその場しのぎで本稿を終える。
by mono_mono_14 | 2007-10-22 23:59 | 本/libro | Comments(0)
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