王子駅や雪沼の辺りで立ち尽くして

Ho letto i due libri tascabili di Toshiyuki Horie. Mi sono piaciuti molto. Mi sembrano come i minicinema tascabili.

 堀江敏幸の『いつか王子駅で』と『雪沼とその周辺』を相次いで読み終えた(半月ほど前に)。電車の中吊り広告で『雪沼とその周辺』が文庫化なったことを知り、はやる心を抑えて(誇張)書店へ。以前から見送り続けていた著者の最初の長編である『いつか王子駅で』と併せて購入。いずれもいまひとつパッとしない(と言うとどうにも語弊があるので言い換えると、普通の)登場人物が地味な日常を送る話だ。『いつか王子駅で』の方は王子駅のほど近くに寓居を見つけたひとりの主人公を追う話で、『雪沼とその周辺』の方は雪沼というある地域で少しずつ重なり合ういくつものストーリーのオムニバスだ。フランスに学んだ経歴ゆえか、フランス映画のような、つまり、読み終えて何となくすっきりしない、受け取り手の感度に応じて染み込んでくる、という感じの作品だ。で、僕は好きだ。

 人生というものについて、大したことないと言っているのか、かけがえのない愛おしいものだと言っているのか、そこからして判然としない。登場人物の人生は、贔屓目に見てもパッとしない。誠実であるかも知れないが何とも地味だ。いや、実は、地味と言い切れない人生も含まれている。例えば、遅くして授かったひとり息子が、台風の日に自転車で川を見に行って幼くして命を落としてしまった、などというエピソードはじめ、相当の大事件も織り交ぜられている。織り交ぜられてはいるのだが、それがまるで、新しくできた蕎麦屋に入ってみたら案外イケた、というような何気ないトーンで書かれている。そして、この抑制されすぎているとすら思える筆致こそが、僕が著者に惹かれるいちばんの理由だと思う。
 『いつか王子駅で』は、未来を照らすほのかな灯火を感じさせて終わるのだが、『雪沼とその周辺』は、かろうじて目にしている灯火が未来をかすかに照らしているようでもあり、それがすでに風前に置かれているようでもあり、何ともフクザツな余韻だ。過疎と高齢化にじんわりと沈んでいく地方の小都市の、淡いトーンのグラデーションで彩られた地味でささやかないくつかの物語。ドラマティックではないけれど心を打つ穏やかな旋律のような物語は、それでもポジティブなヴァイブだけを放つわけではなく、むしろ胸騒ぎのようなさざ波を読む人の心に引き起こしながら、淡々と、淡々と、おそらくは人生がそうであるように淡々と紡がれていく。繰り返すが、僕は、好きだ。
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by mono_mono_14 | 2007-09-16 23:11 | 本/libro | Comments(2)
Commented at 2007-09-17 00:48
ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
Commented by mono_mono_14 at 2007-09-17 20:31
>>鍵コメさん
あ、そうそう。その通りでした。
これがレビューかどうかは微妙かと思いますが、もし気に入って読んでもらえたのなら、それはそれでとても嬉しいです。
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