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経験に関する一考察

Ho fatto le penne all'arrabbiata con i gamberetti ingombranti del frigo per il primo ed anche ho provato il maiale al latte per il secondo poi l'ho sbagliato. Se ce l'abbia un po' di esperienza di cucina non avrei fatto quel sbaglio cosi' facile. E' veramente importante l'esperienza.

 やはり経験というのは大事だ。経験があってこそ、カンも働くというものだろう。まっさらの状態から何かを始めるのは、やはり何らかの教科書なり教師なりが必要だが、それは、経験の受け渡しにほかならない。従って、教科書をなぞっていれば、あるいは教師の教えを守っていれば、最低限の成果にたどり着くだろう。それでも、その過程においては、当人のありとあらゆる経験の蓄積が総動員されているのだ。・・・久々の教科書クッキングに見事に失敗した、というだけの話を、ことさら大げさに始めてみているのだけれど。

 賞味期限が間近に迫った豚ロース(@平田牧場)のカタマリがあったので、それを使えそうな料理を豊富な教科書から探し出し、マイアーレ・アル・ラッテ、豚肉のミルク煮なんていうのに白羽の矢を立てた。シンプルな工程で、時間さえ厭わなければ、さほど失敗しようのなさそうな一品だった。2つのリチェッタがあり、魔が差した教科書クッキンガーは、かのエリオ・ロカンダ・イタリアーナ(@半蔵門)が腕を振るった方を選んだ。ふっ。バカめ。

 豚ロースに塩胡椒をし、小麦粉をはたく。僕のアタマは小麦粉でパンパンだった。要は、塩胡椒を忘れたってことなんだけど。なぜ、リチェッタの1行目からまつがっているのか。しかし、そのことに気づくのは、もちろんずいぶんと後になってからだ。ローズマリーとバターを投入した鍋を熱し、肉に焼き色をつける。まだ塩胡椒を忘れたことには気づいていない。必死で肉のカタマリを動かしながら全面にどうにか焼き色をつける。ひたひたになるまで牛乳を投入。沸騰した後、弱火に切り替える。凡百の教科書クッキンガーと同様に、僕もここで少し人心地がつく。そして、塩胡椒を忘れたことに気がつくのだった。とりあえず、鍋に向かって虚しく塩胡椒を振りかけてみた。軽く打ちひしがれながら1時間ほど煮る。ときおり鍋肌をこそげ、その都度、少し牛乳をこぼし、レンジを汚す。そういうわけで、ずっと軽く打ちひしがれるわけなのであった。
 煮えたら肉を取り出し、鍋の牛乳をソースにする。肉にはたいた小麦粉の残りをバターで炒める。そして、それを鍋に投入。軽くとろみをつける。リチェッタはこんな感じで、僕がやった調理もこんな感じ。・・・文章にすれば、ね...。

 小麦粉がずいぶん多いなーとは思わないでもなかったが、いちおうはリチェッタ通りのはずである。小さな不安を打ち消しながら、肉のうま味に満ちた牛乳に、バターをたっぷりと吸い込んだ小麦粉を投入。さらーりとろーり、美味しいソースのできあがり〜、と、期待に胸が膨らむ前に、鍋の牛乳の方がもこもこと膨らんでしまった。ほとんどポテトサラダと見分けがつかない、ヘンな白っぽい物体だ。百歩譲っても、いや何万歩譲っても液体には見えない、と言うか固体にしか見えない何者かが鍋にどどーんと鎮座していた。2回か3回、Command+Z(Ctrl+Z)を押してみたいんですが。だめですか。そうですか...。・・・僕のソース...。小麦粉を全量投入する前にこの結果を予想しろって話だ。自らの経験のなさに打ちのめされる教科書クッキンガー。お皿には、牛乳煮豚がぶよんと載っかっている。ざっと1時間半かけてこれをつくっていたんですか、僕は。そうですか...。

 辛いペンネもつくる。ここまでの流れで涙してしまった読者諸兄には「つらいペンネ」と読めてしまうかも知れないが、「からいペンネ」なので、念のため。リチェッタにはない海老を投入する。冷凍庫で場所を食っていたむき身の海老があったから。珍しく微妙に自我を主張してみる教科書クッキンガー。もしや、第1次反抗期なのか。まさか、第2次性徴か。いやん。ま、適当に解凍した海老を適当なタイミングで放り込むだけのことなんだけど。ちょっと火が通りすぎたかも知れない。が、足りないよりはいい。

 食べれば、それなりに自皿自賛を繰り出すわけだが、プリモ、セコンドとつくろうという野心的な日にしてこの結果、何とも悔やまれる一戦ではあった。やはり経験というのは大事だ。あと、より簡単そうなリチェッタを選ぶ謙虚さも必要だ。浅い経験のまま、つい背伸びして手の込んだリチェッタに挑み、教科書の何気ない一文一文に翻弄されまくる教科書クッキンガー。しかし、この看板を下ろすつもりはさらさらない。いかに向かい風、強く吹こうとも、次なる挑戦へと前進あるのみだ。どこへ行くのだ、この文体は。
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by mono_mono_14 | 2007-02-11 23:59 | 味/buono
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