東浩紀・北田暁大『東京から考える』

 んー、どう言ったらいいものか。著者らの弁は立つわけだから、いっそう口ごもってしまう感じだ。東浩紀・北田暁大『東京から考える』読了。
 東は、『存在論的、郵便的』で華々しくデビューした若手批評家。とは言え、僕はこの本は読んでいない。ただ、タイトルを見て、「郵便的て・・・」という、いかにも頭の悪そうな感想を覚えたことを覚えている。一方の北田は、お、『ナポリのマラドーナ』を書いた人じゃない? と思ったのだが、それは北村暁夫という人だった。まつがいだ。そういうわけで、この人の本は読んでいないと思うが、『嗤う日本の「ナショナリズム」』というタイトルは、本屋で見かけた記憶はあるような気はする。ともあれ、僕にとって著者らは、せいぜい名前を知っているかどうか、というくらいの疎さなのであった。
 にもかかわらず、わりと一も二もなく本書を手にして、比較的とは言え、わりと手早く読んでしまったのは、言うまでもなくタイトルの魅力だ。副題に「格差・郊外・ナショナリズム」とある(しかし、なぜ、現代思想系の本は、3つの単語を列記することが多いんだろう)。

 今の東京が抱える問題あるいは現象としての都市の実像を巡り、頭のよさそうな議論が飛び交うわけだが、頭の悪い読者としては、その頭のよさそうな芳香にあてられて気分が悪くなってくる。乗り物酔いのようだ。いや、自分のことを頭の悪い読者だなんて言ってはかわいそうなので、抽象的なレベルで鍛え上げてからものを言う(読む)という訓練が足りてないがためについていきづらい、と言い換えよう。ま、結論としては、乗り物酔いだ。トリブララ。
 興味深い話題はいくつも見つかるのだが、悔しいかな、どうも自分の実感に響くなり、問題認識に斬り込まれるなりといったところまでたどり着かない。悶々とするばかりだ。その理由は、読者の力量不足にあることは明白で、それまた悔しい。それは、彼らが鋭く賢い人で、僕が鈍く愚かな人だ、という意味ではなく(相当の部分でそれは正しくはあるのだけれど)、彼らが議論している強度で僕がものを考えていない、ということだ。どちらかと言えば、僕のフィールドに近い議論であるのが、また悔しい。拾い読み的再読をしながら、僕なりの考えを形にしていかなければいけないような気がする。以上。・・・って、なぜ、こんな敗北宣言を掲出しているのだろう。すまん。
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by mono_mono_14 | 2007-02-09 22:39 | 本/libro | Comments(0)
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