イタリアの落日、ふたたび

Siete impazziti...?

 悪ぶるのがかっこいいと思える年頃は、まあ、大なり小なり誰にでもあったんじゃないかと思うし、やり場のない情動が心持ち反社会的な方向に溢れ出てしまう若き日々も、まあ、理解できなくはないわけで。羊の皮をかぶった山羊のような心優しき少年であった僕には(おい)、夜に校舎の窓ガラスを壊して回ったり、盗んだバイクで走り出したりした経験はなかったけれど、まあ、メンタリティとしては、まったく理解できない、ということはない。だけど...。

 いわゆる「ヘイゼルの悲劇」の後、サッカー界は、業界(?)を挙げて、そのイメージの払拭に努めた。少しずつ、その成果は出てきた。もしかすると欧州圏経済が少し上向いたりしたといった事情もあったのかも知れないのだけれど、サッカーと暴力は少しずつ切り離されていっていた。その歩みは、決して速くはなかったけれど、でも、改善はされてきていたのだ。だけど...。

 イタリアだけが、まだ勘違いしている。もうイタリアだけだ。伊コヒイキとしては何とも言えず悲しい。シチリアだけでなく全イタリアが責を負うべきだ。こんなことをまた書くことになるなんて。



追記
 僕が高校3年生の時、社会科系の授業(たぶん「現代社会」)で、ひとりずつ数分間のスピーチをする(というか強いられる)機会があった。お題はすっかり忘却の彼方へと行ってしまったが、たぶん、社会問題に関連して思うことを述べるんだったんじゃないか。僕は、その年に起こったいわゆる「ヘイゼルの悲劇」を引っ張り出して、適当なことをしゃべった。
 「ヘイゼルの悲劇」を知らない人のために、簡単に触れておくと、1985年、サッカーのチャンピオンズ・カップ決勝の試合開始を控えたベルギーのヘイゼル・スタジアムで、リヴァプール(イングランド)のファンが対戦相手のユヴェントス(イタリア)のファンを威嚇、パニック気味に逃げようとしたユーヴェファンが壁に殺到、老朽化していたスタジアムの壁は持ち堪えられずに崩壊、39名が犠牲になった、という事件だ。
 イングランドのファンは以前から荒れていて、「フーリガン」と呼ばれて恐れられていた。ライバルチーム同士の試合には一度ならず死者が出ていた。相手チームのシャツを着ている、それだけでそいつを半殺しにする理由が立った。荒れるファンを押さえ込もうと、スタジアムのフェンスに電流を流すとかいう過激な対策も講じられたりしたのだが、そんなことに何の意味もないことは明らかだった。フーリガンは、要は、今、自分が置かれている状況に希望をこれっぽっちも見いだせず、憤懣やるかたない思いをただただサッカースタジアムで吐き出しているだけだったからだ。サッカーやスタジアムにはほとんど原因はなく、政府が、主として雇用創出の形を取る適切な対策を施すしかないはずなのだった。少なくともこの分野に関して言えば、サッチャーの政策が完全に裏目に出ていたのであって、サッチャーがしっかりやらなければいけないことなのだ。
 ・・・もう、うろ覚えだけど、まあ、こういう内容の、結論が出たんだか、出てないのかもあやふやなスピーチを、僕はしたのだったと思う。聞かされるクラスメートも災難だ。
 スタジアムの暴力は、たいていの場合、こういう事情だと思う。イングランドは、相当の国際的な制裁を受けたし、悪評も広く定着した。2002年だって、イングランドが来る、というので、札幌にはそれなりの緊張感が走ったのだ(実際には、恐れていたようなことは、ほとんど何も起こらなかったはずだけれど)。ともあれ、20年の時間をかけて、イングランドは、この悪評の払拭にほとんど成功した、と言えると思う。怒り荒れる若者がいなくなったわけではないのだろうが、少なくとも、そのはけ口にサッカースタジアムを利用することは、なくなったんじゃないか。もちろん、小競り合いやケンカ、カツアゲくらいはあるだろうし、スタジアム周辺に立ち入りを控えた方が無難な危険地帯もあるだろう。それでも、イングランドは、国を挙げてスタジアムでの暴力の発生を阻止してきたのだ。同様に、ネオナチと呼ばれる集団が不穏な動きを見せることもあったドイツのスタジアムでも、大量の移民による軋轢が絶えないフランスでも、スポーツの舞台にふさわしいスタジアムの実現に努めてきた。それなのに、イタリアでは2007年になってもまだこういうことが起こってしまう。きっと、イタリアだっていろいろな手を打ってはいるのだろうけれど、でも、もしかすると、スタジアムに押しつけとけって思ってるんじゃないか、とも思えてしまう。伊コヒイキなサッカー小僧としては、何ともやりきれない思いがする。

 フーリガンについて言えば、ビル・ビュフォードが書いた『フーリガン戦記』が、とてつもなく迫力に満ちていた記憶があるので、参考図書(?)として挙げておく。
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by mono_mono_14 | 2007-02-04 20:22 | 蹴/calcio | Comments(10)
Commented by soleluna at 2007-02-04 20:49
そうなんですよね...
一度セリエAの試合に観に行ったけれど、
普通の試合でさえ発煙筒がたかれ〜物々しいですが、
ちょっと、今回は...コメント書くに書ききれませんね...
でも、自分だけでモヤモヤしててもなんなので〜
書かせてもらいましたが。
Commented by mono_mono_14 at 2007-02-04 21:08
>>solelunaさん
やりきれないですよ。ほんとにやりきれない。雰囲気が怖いとかいうこととは次元が違います。狂ってる。こんなことばっかりしてたら、世界からきっと見捨てられちゃいますよ、イタリアリーグは。
・・・とは言え、こんなエントリを上げていいのか、というのはまた別問題というか、あの、その。。。モヤモヤにつき合っていただき、ありがとうございます(笑)。
Commented by ciachi at 2007-02-05 17:28 x
昨夜のTV討論番組でも、この出来事について話されていました。
私は、経済的に問題のある地域ゆえ起こった出来事でサッカーが不満のはけ口として使われてしまったのだとおもいます。問題はサッカーにあるのでなく、南北の経済差(若者には仕事がありませんし、失業率もしかり)です。
真のサポーターは心底残念な出来事だと考えているはずです。
Commented by mono_mono_14 at 2007-02-05 23:37
>>ciachiさん
舌足らずなエントリでした。ciachiさんの言われることは、たぶんその通りだと思います。そういう部分を指摘してもらえるのは、とてもシアワセなことだなーと感じます。どうもありがとう。
言い訳めきますが、そのような私的(?)エピソードを書き添えようと思って断念した結果が、この冴えないエントリなのです(恥)。断念してしまった部分を、近いうちに「追記」として書き足そうと思います。

追記する前の今の時点でしどろもどろで書き足すならば、日々の不満や人種差別をサッカー場に持ち込まないようにする、というヨーロッパの努力が、いちばん実を結んでいないのがイタリアなんじゃないか、という、そういう寂しさを感じます、という感じです(汗)。
Commented by ciachi at 2007-02-06 19:21 x
んん十年前(?)のインター優勝の写真を工房に飾るインタニストの靴職人のおじさんや、近所のbar "MILANI" のミラニストおじさんや、仕事が山盛り残っているのにサンシーロに駆けつける友人Rやその他大勢、カルチョを日々の糧にしている人たちを知っているもんですから・・・。
カルチョを楽しんで見られない環境になってしまうのはホントに悲しいことですよね。
Commented by mono_mono_14 at 2007-02-06 21:47
>>ciachiさん
クラブというかサッカーの日常生活への入り込み方は、よく知らずに言い切りますが(笑)、ヨーロッパではイタリアが最もすてきだと思います(伊コヒイキ全開(笑))。サッカーに関心のない人たちも少なくないそうですが、一方で、村のアマチュアチームを生涯愛する人たちもたくさんいると聞きます。そんなサッカーに失政のツケが噴出する構図は、やっぱり悲しいです。
e allora... sei rossonera? o nerazzurra? ^^
Commented by ciachi at 2007-02-07 22:37
mono さん
Certo che sono nerazzurra ! ma ora che Ringhio gioca nel M..., ..... ^^;

Commented by mono_mono_14 at 2007-02-08 20:55
>>ciachiさん
おお。そちらでしたか。僕は、特にどちらということもないのですが、敢えて選ぶならばあちらです(笑)。
Ma il rossonero come Rino o Paolo sarebbe accettato dai tifosi nerazzurri, no?
Commented by ciachi at 2007-02-25 21:52 x
間違ってました.....-istaは語尾変化ないですよね。(^^; 
milanista と interista に訂正おねがいしま~す。
試合は再開、なあなあでまたいつもどおりと・・・なんともイタリアです。
Commented by mono_mono_14 at 2007-02-27 00:38
>>ciachiさん
-istaは語尾変化がないんですね。えへへ。^^;
ものすごい断固とした処分を科しそうな雰囲気で入り、理解不能なほど甘い超絶解釈でずるずると元に戻していく。なんか、そういう作戦が得意な感じがするんですよね。こういうところも伊コヒイキしていいものだかどうなのだか。。。
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