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多和田葉子『アメリカ』

 アメリカ。この想像上の国家(単に僕が行ったことがない(わはは)という意味)との距離感を、僕はずうっと掴み損ねていて、しかも根拠のない伊傾化(なはは)が僕の内部で進行するうちに、ますますこの大国に対する視線はいびつなものとなってきていると思う。何も知らないくせに、アメリカに対するある種のアレルギーのようなものができつつあるように思う(日本もイタリアも少なくとも政治的には他を圧する親米国なのだけれど)。
 多和田葉子というドイツ在住の作家の作品は読んだことがない。新聞の夕刊にときおり短い文章が掲載されているのを斜め読みしたことがある程度だ。しかし、その名前は、リービ英雄(こちらは大半の作品を読んでいる(と思う))がいくたびも言及していたことで、僕の記憶に刷り込まれており、機会があれば何かを読んでみたいな、とは思っていたのだった。
 多和田葉子『アメリカ』。副題に「非道の大国」とある。これこそ、僕が読んでみるべき多和田の1冊なんじゃないか。旅人がアメリカで過ごす時間をさまざまに切り取った13の短編で構成されている。以下、内容への言及があり得ます。

 アメリカで暮らす人が信じて疑わない(あるいは疑うべきじゃないと信じ込んで生きている)アメリカの日常、そこにひそむ小さなゆがみ。それを淡々と描く。乾いた砂漠の風のようにドライに。鏡に映った自由のようにクールに。淡々とした描写を小さくゆがめているのは「あなた」だ。
 この一連なりのようでオムニバスでもあるような短編集の主人公は、すべからく「あなた」と表現されている。「わたし」でもなければ「彼」や「ジュディ」でもない。「あなた」だ。例えばこんなふうだ。「あなたは急に不安を覚えた」。「あなた」と言っても読者を指しているわけでは決してなく、はっきりと小説の主人公を指しているのだが、それでも読み手である僕(ら)のことのように受け取ってしまう部分が、ほんのわずかながら残る。いわゆる感情移入とはずいぶん違う感覚でストーリーに飲み込まれていく。読み手の時空間とアメリカを舞台としたストーリーが、微妙にゆがみながら接合されていく。
 このエントリを書いていて、思い至ったのだが、このように語られ得るシチュエーションがあった。「あなたはだんだん眠くなる」。催眠術だ。あるいはロールプレイングゲームなどもそうかも知れない。「あなた」という主語は、ストーリーのリアルをどこかで殺いでいきながら、読み手のリアルをストーリーに溶かし込んでいく。「あなた」の物語を読み進めるうちに感じられる、リアルとバーチャルがないまぜになっていくゆがんだ感覚。これを指して多和田は「アメリカ」と呼んだのかも知れない。

 ・・・と書いたところで、他の作品でも、この「あなた」が用いられていることを知った。一種の作風といったところなのかも知れない。従って、上の説はハズレ(僕には腑に落ちる読解ではあったのだけれど)。もう1冊探してみることにした。
by mono_mono_14 | 2006-12-04 17:34 | 本/libro | Comments(0)
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