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中沢新一『三位一体』

 「おもしろかったわ! この薄さが、ありがたいね。30分で読めちゃうものね。」などというタモリの推薦文を帯にまとった中沢新一の『三位一体モデル』を、地下鉄に乗っている短い時間などを足し合わせて読む。本文を読み終えるのに要した時間は、正味で言えばやっぱり30分程度だったんじゃないかと思う。従って、出張のお供に持って行ったりするには不向き。遅刻常習犯との待ち合わせの時なんかにどうでしょう。

 正直、僕はもっとガツンと殴られると言うか、目からウロコがだだ漏れると言うか、そういう読後感を期待していたのだけれど、何だかすっきりしないもやもやとした、どうにもやるかたない気分に包まれてしまった。レクチャーのテープ起こしみたいな本なので、きっとレクチャーはもっと僕の内側に斬り込んでくるものだっただろうとは想像するものの、読み終えた第一印象は微かな苛立ちやうっすらとした失望感にすら彩られたものだった。しかし、やはり、つまらなかったわけではない、ということは書き添えておかなければならない。

 以下は、僕なりの僕の読後感の第1次分析(のようなもの)である。大したことは書かれないながら、もし、同書を読むつもりがある方は、まず本の方を読まれてから、以下の拙論をご高覧賜れば幸甚な所存。ま、どちらかと言えばってことだけれど。



 「三位一体」というのは、キリスト教的に言えば、「父」と「子」と「精霊」が分かちがたく結びついた神の概念だそうだ。「父」がこの世界をこの世界たらしめている原理で、その原理を人間に連絡する役割を果たすのが「子」で、「精霊」はこの世界で増えていくものを表す増殖の原理なのだと言う。僕は、この「精霊」の説明がいまひとつ腑に落ちなかった。
 「精霊」を、いささか下世話に「欲望」と読み替えれば、僕の腑にも少しは落ちるようになる。ただし、その場合、「精霊=欲望」は「増殖する」と言うよりは、「より大きくしたい」という衝動を内包する何かとなる。増殖するかどうかの保証はない。
 おそらく、この「精霊」あるいは「増殖の原理」という概念をアプリオリに受け入れられるかどうかが、この「三位一体モデル」を理解できるか、使いこなせるかの分水嶺なのだろう、・・・と、再読し、傍線を引き、その箇所をぱらぱらぱらぱら見ているうちに思うようになっている。つまり、僕はこのモデルに対して鈍くさいんだと思う。

 そんな鈍くさい僕なりに、このモデルを援用しながらものごとを理解しようと試みる場面を考えてみると、その際に最も重要となるのは、「父」の想定だと思う。ある種の客観的正義、ある種の疎ましさや煙たさ、そういうものを備えている「父」を想定しなければならない。そのような「父」でなかったら、その時に措定された「三位一体モデル」は、おそらく我田引水型、牽強付会型の理論になってしまっていると思う。そして、モデルを援用した本人は、客観的で公平な理論ができたと思っていることだろうから、事態としては始末が悪くなるだろう。
 モデルを援用して表したいものごとの「精霊」、すなわち他を顧みない利己的な欲望の部分に、ある種の歯止めをかけるのが「父」の役割で、その板挟み状況を解くのが「子」の役割なんじゃないか。だとすれば、このモデルのユーザーは、まずは当の自分を「子」にあてはめてものごとを覗いてみるのがよさそうに(現時点では)思える。そして、やはり正しくも疎ましい、煙たいがよりどころとなる「父」が、どのように措定できるかがポイントだと思う。

 とりあえず、この辺まで。
by mono_mono_14 | 2006-11-29 23:59 | 本/libro | Comments(0)
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