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『住宅の射程』

 少し前に読み終えた『住宅の射程』をぱらぱらと再読する。意味不明なタイトルだけれど、講演録だからさーっと読めてしまう。ギャラ間で行われていた展示「日本の現代建築1985-2005」(行きそびれた)に関連して行われた連続講演会の記録。講師はすべて建築家で、磯崎新〜安藤忠雄〜藤森照信〜伊東豊雄という流れ。講演時の聴衆は、きっと学生たちも多かったんじゃないかと推測するが、講演の内容はどう響いたんだろうか。磯崎の言ってることなんて何のことだかさっぱりわからなかったんじゃないか。それでいいのかも知れないという気もしたりするが。

 磯崎の趣旨は、建築家を志す者は住宅なんかやるんじゃないよ、ということに尽きる。建築家に家を建ててもらおうというのがブルータスの企画になるような時代に、普通の人に理解してもらえる発言とは思えない。建築家としての矜持でもって住宅に取り組んでいる人たちにも受け入れがたいだろう。もっとも磯崎は、そういう人を端から相手にしていないのであって、従ってこの両者は永遠に平行線を辿る。しかし、この傲慢とも言える大きな構え、かつての磯崎ふうに言えば「大文字」の建築家像とか、そういうものは要らないのか。必ずしもそうでもないんじゃないか。もっとも、その「大文字」加減が看過できない「鬼」を量産するような気もするところが悩ましい(詳しくは「犬と鬼」など読まれたし)。

 伊東も住宅なんてつくりたくなさそうだ。建築家として全身全霊を傾けて当たらなければならないシゴトだとは思えずにいる、という趣旨を言っている。施主の満足があればいい、と。伊東のレクチャーでおもしろかったのは、懐かしの「東京遊牧少女の包」が住宅として結実したのが西沢立衛の「森山邸」のように見えるという話と、あれだけ明け透けな住空間群にある種の閉鎖性を感じるという話。この閉鎖性と言うのは、ある種の無関心さ、ドライな人間関係を目にし、感じるうちに立ちのぼってくる息詰まる疎外感みたいなものなんじゃないか。
 「森山邸」が成立するのは、元来、プライバシーなんていう概念が希薄だった日本の下町の生活(住まいと暮らし方)が根っこにあるからだと、藤森は言う。確かに、(暮らしにおける)プライバシーというのは、今、マジメに考えるに値する概念のように思う。昨今の個人情報保護の趨勢にはある種の行き過ぎ感があるが、とは言え一方で、要らないDMをシュレッダにかけてから捨てる過剰防衛の僕もいるわけなのだ。

 論旨の運びからすると、安藤が、なんとなくいちばん“いい子ちゃん”な展開だった気がするが、締めくくり方を見ればやはり“いい子ちゃん”なんかではないことが明らかだ。安藤いわく、「私は、「住吉の長屋」の頃までは、ほとんどクライアントの意見は聞いていませんでした。八〇年代以降、クライアントが公共事業になったり、大きくなったので、ある程度意見を聞かざるを得ませんでした。でももうこの歳ですから、これからはそういう意見には耳を貸さないで(笑)、自分の理想の世界に邁進していきたいと思っています」(『住宅の射程』TOTO出版(2006)、p.128)。おお。天晴れなオレ様宣言。安藤はそうでなきゃ、という気はする。

 建築に関心のある人しか読まない本のような気がするが、建築にさほど関心のない人にも伊東の章だけ立ち読みしてみて欲しい気がする。
by mono_mono_14 | 2006-11-17 21:17 | 本/libro | Comments(0)
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