太田光・中沢新一『憲法九条を世界遺産に』

 太田光・中沢新一『憲法九条を世界遺産に』。時間調整で立ち寄った本屋でつい買ってしまった1冊。共著というか対談の記録。すらすらーと読めてしまうのだが、やっぱり、こういう問題を考えようというふうに僕のアタマはできていない。憲法改正の是非なんて、正直なところ、考えたことがない。情けないことではあるが、でも何となく普通のことでもあるような気がする。



 自国軍(自衛隊の位置づけはちょっと脇に置く)があってもなくても、自分たちにその気があろうとなかろうと、戦争のような状態に巻き込まれることはあり得るんだろう。憲法九条があるから日本は戦争から除外してもらえるなんて話、あるわけない。安全保障条約があるからと言って、アメリカ軍が日本を最後まで、つまりアメリカの枢要な一部分として命がけで守り戦ってくれるなんていうのも信じがたい。などと思いながらも、戦争なんてしたくない、軍隊になんて呼ばれたくないという甘ちゃんな地平で思考停止に陥る感じだが、有事には、その甘ちゃんなりの覚悟が問われることになるはずである。少なくとも死なないように頑張る覚悟、命を守る覚悟と言うのか。よくわからないけど。

 そんなことを考えていると、映画『ライフ・イズ・ビューティフル』でロベルト・ベニーニが演じるグイドが、処刑に連行される最後の瞬間まで子どもをユーモアに包んで勇気づけているシーンを思い出す。僕はまだ父親であったことはなく(もちろん母親であったこともないぞ)、従って、人生において子どもしか経験したことのない文字通りの甘ちゃんな小僧っ子だけれど、もし、仮に、この先、馬小屋で産声が上がり、はっと立ち上がり襖を開いた隣の間からは鶴が飛び立ち、あわてふためいて飛び出した玄関先には米俵が置かれ、目を上げると去りゆく地蔵たちの後ろ姿が小さく見え、ふと気がつくと自分が父親になったとして(百歩譲って母親でもよいぞ)、その時に、いざという場面でああいうグイドのような人間でいられるのかと考えると、それは何だかとても無理なことに思える。それでも、例えば、刃物を携えたわけのわからん輩が僕の生活に入り込んできたりしたら、僕は命がけでそいつに立ち向かったり、何とか逃げ切ったりしなければならないのだ。お腹痛くなってくる。

 自分の生活を守るとか、自分の生活のために戦うというようなことですら、何だか遠いお伽噺のように思えるということであり、国を守るとか、国のために戦うということは、そのまた遙か先のほとんど見えないことである、というのが、僕の偽らざる現在地だと思う。

 なんだか本の中身と全然合っていない話になってしまったな。
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by mono_mono_14 | 2006-10-09 18:00 | 本/libro | Comments(0)
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