三森ゆりか『外国語を身につけるための日本語レッスン』

Grazie a tutti nel mondo dell'internet che mi stimolano ne sono molto contento. Il giapponese e' diverso molto dalle altre lingue come l'inglese, francese, italiano, tedesco ecc, e sia importante di conoscerlo per usare quelle lingue.

 努力の足りない他力本願な現実逃避型ロマンティストな僕に(とか自分で言うな)、玉石混淆の果てしないインターネット銀河の中から奇跡的に届いた一条の光(って大げさな)。「ネット経由で僕のアンテナに引っかかったインフォにまんまと乗ってみよう企画」の第二弾。Vai!

 世の人がどれくらい「議事録」というものを書くのか、正直、見当もつかないのだけれど、会議を重ねてモノゴトを進めていくタイプのシゴトに関わっていれば、大なり小なり会議の記録を取ったことはあるんだろうと思う。僕がつくる議事録には、大まかに2種類ある。1つは決まったことをノートしておく簡潔なタイプで、シンプルで間違いがないことが生命線。もう1つは、雑誌なんかでもよく見かける座談会の記録みたいなタイプで、こちらは誰がどんなことをしゃべったかを触発的な余韻も含めてうまく再現することが大事。僕は、自分で言うのも間抜けだけれど、後者のタイプの議事録がちょっぴり上手い方だと思う(ただし時間がかかる(=致命的))。ポイントは、会話の場ではコンテクストに依拠して了解できた内容を、文章で読んだ時に意味が通るように、語られなかったコンテクストを文章に表すことと、発言者がほんの少しだけ賢者に見えるように調整してあげること・・・なんていう、僕のシゴト上のコンテクストでしか役立たないtipsはどうでもよく、何でこういう話をしたかと言うと、三森ゆりかさんの『外国語を身につけるための日本語レッスン』という本で、「「あれ」の中身を確認する」という項があって、僕が会議の録音を文章に起こす時に頻繁にやっている作業が取り上げられていたからだ。
 このセクションでは、例えば「でも、今みたいな話だとアレだから、むしろ逆側から攻めて行った方がアレなんじゃないですかね」などという大先生のありがたい発言を、曲がりなりにも読んで意味の通る文章に直すという僕の作業が、当然の必要として語られていて、同時に、そういう「アレ」を使わずに話せるようになること、そういう話の組み立て方、話術、言語技術を学ぶ必要がある、という話が説かれている。このセクションに限らず、この本は、そういう言語技術の必要性と、そのためのトレーニング法の一端で構成されている。
 恥ずかしながら、この本で、欧米では言語技術というのを習っているということを初めて知った。言われてみれば、イタリア語講座でもこの本に書かれているようなレッスンがあったなーと思い当たる。質問が来たらハイかイイエで答えた上で理由を言わされる、とか。かなりの部分は、彼らが習ってきた方法で教えてるだけなんだな。そして、きっと彼らは、僕らがそのような方法で国語を習っていないなんて、夢にも思わないんだろう。
 しかし、国語の時間では何を習っていたんだろう。「く・から・く・かり・し・き・かる・けれ・かれ」とか? これは古文だけど。しかもこれが何だったかもう思い出せないし。教科書で知って心に残った作品はほとんどないし、図書館に別の作品を探しに行くこともなかったし。ほんとに何をやっていたのだろう。今度、学校の先生をやっている友だちに会う時に訊いてみよう(そのまま酔っぱらって忘れる公算が大きいけれど)。

 ふと思うに、この本は、ビジネス書として売った方がいいんじゃないか。何となく、「外国語を身につけるため」よりも、「すんなり通る企画書を書くため」とか「世界のビジネスで勝つため」とかの方が一般的には訴求力がありそうな気がする。ここまでの必然性に迫られて外国語を学ぶ人よりも、シゴトの場面で論理立てて物事を説明しなければいけない人の方が多いんじゃないか。とは言え、この本の内容は、コトバに興味がない人にはあまり響かないかも知れず、すると、やはり「ビジネス書」ではなく「語学書」となるのかも知れない。ビジネス書だったら僕は手にしてない気もするし。んー微妙(ソノ「ビミョウ」ハドウイウイミデスカ? ・・・察してください!)。

 著者は、日本語(およびそれを用いる文化)があまり“論理的”ないし“構造的”でないことが、諸外国語(およびそれを用いる文化)と比べて劣っているということでは決してない、と注意深く繰り返し断っているけれど、劣っているように読めてしまうところがあるのが、小さな難点と言えば難点。まあ、本の性格と紙幅の都合からやむを得ないところだと思う。本当の難点は、Amazonならともかく書店で見つけにくいこと。僕は「英語学習法」の棚で見つけた。文脈と当事者に多くを依存する構造の日本語に胸を張りつつ、卑屈にならずに読まれたし。得るところあると思います、コトバかブンカかコミュニケーションに興味があれば。
[PR]
by mono_mono_14 | 2006-03-26 23:59 | 本/libro | Comments(2)
Commented by ciachi at 2006-03-28 02:48 x
まんまと乗っていただけましたね。
そうです!彼らは私達がそのような方法で国語を習っていないなんて、夢にも思っていないのです。(泣)

私は、漢字・ひらがな・カタカナを備えもつ日本語、言葉少なくとも相手の心を察することができる日本人ってスゴイなぁ、と、しみじみますます思うこの頃です。
Commented by mono_mono_14 at 2006-03-28 03:25
はい(笑)! せっかくのオススメでしたから。乗らない手はありません(笑)。とてもおもしろい本でした。どうもありがとうございます!
僕にとっては知的好奇心をくすぐられる本の中のお話でしたけど、ciachiさんにとっては寄せては返す波のような日常そのものなんですもんね。「そうです!」と「(泣)」が心に沁みました。
日本語はさておいたまま英語を習ったりする子どもが増えているみたいなので、そのうち日本が誇ってもいい言外の意思伝達能力も衰えちゃうかも知れませんね。それはちょっとこわい未来です。
<< 九龍酸辣麺@九龍飯店 串揚げ『ひら乃』 >>