『東京エコシティ』展

Se vediamo Tokyo come un'altra Venezia, cosa troveremo?

 『東京エコシティ ─新たなる水の都市へ』展を最終日に観た。思いがけず盛りだくさんの濃い展示だった。コーディネーターは陣内秀信さんだったから、彼のヴェネツィアその他の地中海都市の研究成果が東京に落とし込まれたもの、と見ることもできるだろう。実働という部分で陣内さんがどの程度タッチしていたのかはわからないけれど。
 なお、この展示は2冊の本(これこれ)にまとめられており、普通に書店で売っている。僕は買っていないけれど。

 「水」との関わりという観点から、現在の東京が背負っているハード・ソフト両面にわたる多彩な歴史的なコンテクストの実証的展示が並ぶ。アース・ダイビング・マップ(縄文時代に海だった部分を明示した現在の地図)のような展示もあった。縄文海進期よりも昔、東京湾は陸地だったというのにびっくりしたり。富山和子の本に出てきたカスリン台風の大水害の写真にたまげたり。いろんな断片同士が僕の中で結びつき合おうとするのだった。おもしろかった。

 盛りだくさんの展示を経て、最後にコンセプチュアルな提案がいくつか並んでいた。提案した人たちはコンセプトではなく物理的・技術的に実現可能な提案だと言うだろうけど、そしてその点については僕もそう思うけど、主体と費用と合意が宙づりにされているので、少なくとも展示からはそれらが読み取れなかったので、その意味でコンセプチュアルだと思う。
 治水も利水もとてつもない事業だから、ものすごく乱暴に言えば、主体はお上で予算は青天井で合意は力ずくで来た。ダムを悪者にするつもりはないけれど、ダムを思い浮かべてもらうとわかりやすいと思う。でも、ここで展示されている提案は、それらとは真逆の立場を取るべきものばかりだ。つまり、基本的には、主体は市井の有志(企業を含む)で、予算は自腹(受益者負担)で、合意はきわめて民主的になされるか、あるいはプロジェクト自体が参加型で進められなければならない、のだと思う。具体的で魅力的な空間のビジョンだけではなく、この3点についても合わせてビジョンを提示しなければ、もはや提案にならない時代なんだな、との思いを強くする。
 もっとも、では、そういった空間的な提案には意味がないのかと言うと決してそうではなく、啓蒙と言うと不遜に響くけれど、凝り固まりがちな人々の価値観に小さく揺さぶりをかける働きが期待されているのであって、だから、展示を観た誰かが帰りがけに近所の川面をしげしげと眺めてしまったりすれば、それでもうとりあえずの役目を果たしているのだ。

 ・・・そして、僕は、そういう局面からずいぶんと離れて歩いているよなぁと思った。コンセプチュアルな自由研究すら怠っている状態で早幾年だ。いかんですな。いかんですよ。本でも書こう()。
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by mono_mono_14 | 2006-03-05 23:59 | 文/cultura | Comments(0)
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