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『パウル・クレー展 線と色彩』

 たぶん大学2年の冬だったと思う。と言うか、クリスマス頃なのだけれど、クリスマスにちなんだカセットテープ(んー時代感出まくり)をもらったことがある。お、ロマンティックなネタですね! と思ったあなたはまつがいです。くれたのは同級生の男子だ。え、カミングアウトなネタですか? と思ったあなたもまつがいです。彼がひとりでだったか、友だちとふたりでだったか、曲をつくって、演奏をして、録音もすれば、トラックダウンもした、という、カッコよく言えば、インディなミニ・アルバムをくれたのだった。21世紀のMacなら、こういうことはずいぶんと簡単にやれるようになっているんだろう、きっと。つくった以上は誰かに配りたくなり、その中のひとりに僕も含まれていた、というわけ。確か「Green Christmas」と題された数曲入りのカセットからは、友だちのダウナー系ボーカルが流れ出し、何ともビミョーな心持ちがしたのを覚えている。
 そのカセットのジャケには、子どもの落書きっぽい線画のイラストがあしらわれていて、僕はてっきり彼のオリジナルのイラストだと思い込んでいたのだけれど、後年、それがパウル・クレーの「忘れっぽい天使」という有名な作品だったことを知った。二十歳の頃、僕は、パウル・クレーなんて、たぶん名前すらも知らなかったのだ。

 お昼のついでに足を伸ばした大丸ミュージアムの『パウル・クレー展 線と色彩』は、最終日だったこともあって予想以上の混みっぷりだった。多彩な展示だったのだけれど、僕がより惹かれたのは、鉛筆やペンによるデッサンふうの線描画と、油彩かパステルの抽象的なグラフィック。特にグラフィックは、茶、ベージュ、オレンジなどを中心にした色彩がすごく好みだったし、図象も好感が持てるものだった。中沢新一の本に出てくる未開とされる民族が描く宇宙的・神話的なビジョンに似ているなあと思った。抽象画を描く画家の眼(あるいは脳)は、トランス状態に入り込んだ未開民族のシャーマンたちが認識する宇宙と、どこかでつながっているのかも知れない。そう思ったとたんに、抽象画の私的位置づけが少し動いた感じがした。うまく言えないけど、抽象画の必然性みたいなものがほんの少し認識できたように思えたのだった。

 作品としては「子供の肖像」、「パリスケッチ」、「無題(死の天使)」の3点がとりわけ印象的だった。
 「子供の肖像」は、セピア色のモノトーンで描かれた水彩画。緻密な描写ではないのに、瞳、前髪、頬の質感、衣服のだぶつき等々、ディテールがものすごい存在感で瑞々しく迫ってくる。
 「パリスケッチ」は、厚紙に墨で描かれたパリの街並みなんだと思うが、とてもパリには見えない。と言うか街には見えない。だけど、すごく魅力的な絵で、画面から立ちのぼってくるのは、確かに街が放つヴァイブのようだった。
 「無題(死の天使)」は、カラフルながら穏やかで、華やかながら翳りがあり、暗く沈みそうながら淡く軽やかで、怖いようでありながらユーモラスで、奥行きのある何ともフシギな世界観に満ちていた。
 「記念書籍」という風変わりな紹介をされていたので、いわゆるカタログではないかも知れないけれど、CDケースを一回り大きくしたくらいの正方形のかわいらしい1冊も購入。持って帰るのに便利で大助かり。・・・あ、アマゾンにあった。フツーの本だった。

 今回の展示、スイスのベルンという世界遺産の街に、パウル・クレー・センターというのができたそうで、そのプロモーションを兼ねての展示だったようだ。大丸ミュージアムで展覧会をやることが、ベルンにあるセンターのプロモーションとしてどれくらい効果的なのかは疑問だけど、案外、日本人は出かけていくかも知れない。このパウル・クレー・センター、手がけたのはイタリア人建築家のレンツォ・ピアノ。関西国際空港のターミナルの設計者だ。3連の連続アーチを描く鋼材を並べることにより架構される空間は、伏せるようであり、伸びやかに跳ね上がるようでもある、何ともリズミカルな建築。ちょっぴり行ってみたいけど、パリやバルセロナやシチリアやUCLよりも優先されることはないわけで、そして僕が海外旅行に割ける時間と予算はとても限りがあるわけで、つまり行ける見込みはずいぶん低いのだった。
by mono_mono_14 | 2006-02-28 17:03 | 芸/arte
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