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『ジャーナリズムとしてのパパラッチ』

 『ジャーナリズムとしてのパパラッチ』をさささっと読んでみる。彼らの仕事に対する誇りや自負、大衆の好奇心というモノサシに照らした存在意義などはよくわかるし、ビジネス面での裏話などはとても興味深かったものの、「報道の自由」と「プライバシーの侵害」の兼ね合いはやっぱり微妙だなあと思わざるを得なかった。ただ、彼らのプライドに立脚した暗黙のガイドラインは、ヘンな言い方だけれどちょっと心を打つものがあった。売れるゴシップやスキャンダルなら何でもアリという世界ではなかったのだ。

 もはや当たり前のことかも知れないけれど、パパラッチの世界ではほぼ100%がデジカメになっていて、フォトショップで加工・調整して、CD-Rのようなメディアやインターネット(メール等)を媒介に配信しているそうで、その辺りの最新アプリケーションの取り扱いについても非常に長けているのだそう。アプリケーションの進化の速度にあんまりついていけてない僕としては、ちょっとひれ伏したいキブン。それはともかく、デジカメ+フォトショップの世界は「決定的瞬間」にとってどれくらい有効なのだろうかという小さな疑問が湧く。アートやコマーシャルの写真は相当程度に“うそつき”でも許容されるだろうけれど、報道や記録ではもう少し厳しい位置に線が引かれているだろう。撮影技術の範囲内と見なされるフォトショップ上での事後処理の領域がきっとあるんだろうな。
 こんなことを思うのは、かつて写真家の港千尋がデジタル写真の加工の容易さにまつわる不安を書いていたのを興味深く読んだ記憶があったからだ。ざっと本棚を当たって確認してみたところ、たぶん『映像論』という1998年に出た本だと思う。例えば、デジタル・アーカイブは史料たり得るかとか、そういうことを議論している本だ。せっかくだからざっとでも再読しよう。そして、当時から7〜8年経って港千尋がどう考えているのかも知りたい(そんな適当な本があるかは不明だけれど)。
 総じて言えば、ビバ、デジカメ! ビバ、インターネット! だけれど、デジタルの時代、インターネットの時代にふさわしいリテラシーは、いろんな領域で僕らが身につけていかないといけないものなんだろうな、きっと。
by mono_mono_14 | 2005-11-02 23:59 | 本/libro | Comments(0)
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