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ヴァージニア・ウルフ『灯台へ』

 これは感想文とは言えない。やっぱり覚え書きメモだ。

 ヴァージニア・ウルフ『灯台へ』を読み終える。痛感したのは、僕は登場人物をよく覚えていられないという致命的な一事であった。この本はちょっぴり変則的な3部構成。というのも第2部がサッカーの前後半に対するハーフタイムのように短いから。そして、サッカーの試合におけるハーフタイムが単なる隙間ではない重要な時間であるように、この作品の第2部もまたそうである。



 「窓」と題された第1部では、別荘でのある日の午後から晩餐にかけての時間が描かれている。つまり、物語内の時間がたくさん流れるわけではない。たくさんの登場人物が描かれ、それぞれの視点からその短い時間が描かれる(「時間を凝縮した手法」とやらが用いられた村上龍の『空港にて』を思い出した)。どちらかと言えば、ぎこちない、気詰まりな、人と人とが接する以上は不可避とも言える多様な摩擦、そんなニュアンスに満ちている。しかし、それにげんなりする、というわけではなく、むしろいきいきとした人間を感じる。そして、ここでの登場人物がなかなか覚えられないのであった。痛。登場人物相関図を描こうかと思ったほど。読み終えた今、「窓」は、視点と限界のメタファーだ、と仮置きしてみる。

 一転して第2部は、「時はゆく」と題されているくらいで、10年ほどの時が経つ。第1部を飾った人たちの、時に非情な、時に平凡な運命を、淡々とした報道のように描き出しながら。訳者あとがきによれば、戦争(第1次世界大戦)のどうしようもなさに対する強い憤りが底流にあるようで、そう考えるとこの「淡々とした報道」っぽい語りにも頷ける。人の変わりようが淡々と描かれているのに対し、時の経過とともに別荘が傷んでいく、その様が豊かに描き出されていたのが印象的だ。

 第3部は、「灯台」と題されている。10年前とはずいぶんと変わってしまった環境を生きる2人の場面と心情が交互に編み込まれるように物語は進み、それぞれにとっての、その日のささやかな到達点にたどり着いて終わる。ささやかすぎる到達点の淡々とした積み重ねが、生きるに値する人生であり、それは、一歩、一歩、灯台へ向けて小舟を進めることのようでもあり、あるいは灯台が規則正しく海を照らし続けることのようでもある。そのささやかな日々を、どのような「窓」から眺めながら、運命と意志の狭間を歩むのか。・・・とりあえず、こんなところが僕の読後感。字にすると不要に重くなってしまうけれど。

 この作品の舞台はスコットランドの島。シングルモルトの蒸留所の風景を思い浮かべてしまうのは、10年ほど前に、たびたび足を運んでいたバーでいろいろ習った時に(単にいろいろ飲ませてもらっただけ)、ボトルのラベルとかパッケージ、写真などを見せてもらったから。低くたれ込めた雲とか、そこを横切るカモメとか、海水浴には向いてなさそうな海とか、冷たそうな風とか、ヒゲを生やして厚手のセーターを着込んだオヤジたちとか。この作品は蒸留所は出て来ないけれど、そういう風景感、空気感に溢れている。
by mono_mono_14 | 2005-09-27 20:13 | 本/libro | Comments(0)
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