人気ブログランキング |

ワールドカップの思い出

Le mie memorie dei Mondiali (ovviamente come uno spettattore, inoltre di tv). Nel 1982 in Spagna la prima gara del torneo dell'Argentina contro il Belgio era la mia prima esperienza dei Mondiali, avevo 15 anni. La mia piccola storia dei Mondiali cominciava con Maradona e forse dal 1982 al 1994 mi ero sempre divertito i Mondiali con questo genio argentino. Da 1998 invece mi diverto i Mondiali con la nostra nazionale fortunatamente.

 一夜明けてワールドカップ一色。日本経済新聞までが見開きで日本の予選突破を報じている。とにかくすごい騒ぎで、いつからこんなことになったのだろうと思い返してみるものの、いまひとつ判然としない。やっぱりフランス大会の予選の頃からなのだろうか。・・・こんなことを考えていたら、昔のワールドカップの頃を思い出した。



 僕がワールドカップを初めて観たのは1982年のスペイン大会。中学3年生。ちょうど修学旅行の時にアルゼンチンとベルギーの開幕戦があって、旅館でみんなで観たような記憶がある。マラドーナのフリーキックがクロスバーを直撃した。アルゼンチンは負けてしまった。当時、現日本代表監督のジーコを中心にブラジルが黄金期を迎えており、人気はブラジルが圧倒的だったと思うのだけれど、僕らの中学ではアルゼンチンの方がシブいとされていた。懐かしい...。サッカーマガジンの付録のポスターとかを観察して、マラドーナと同じようにスパイクの靴ひもを通していくのに夢中だった。懐かしい...(ちなみに僕は今でもスパイクのひもをこうやって通している。恥ずかしい...)。この大会では3チーム総当たりの2次リーグというのがあった。4組もあるのに、あろうことかアルゼンチン、ブラジル、イタリアが同組になった。アルゼンチンは2敗を喫した。パサレラの意地と相手選手を蹴り飛ばして退場になったマラドーナをそっと抱きしめて送り出すタランティーニがすごく記憶に残った。歴史に残る名勝負と言われるイタリア対ブラジルは、今、DVDが販売されている(フランス対西ドイツの死闘も)。試合の放送は限定的だったし、家庭ビデオの普及もまだまだだったため、この大会は放送時間に合わせて必死で観るというものだった。

 ワールドカップを満喫したと言える最初の大会が1986年のメキシコ大会。大学1年生。開幕戦のイタリア対ブルガリアを友だちの家で観た。大学のサッカー部の練習を無断欠席して。この大会はなんと言ってもマラドーナ。アルゼンチンはチームとして魅力があったわけではないけれど、とにかくマラドーナが超人だった。こういうのをフオーリ・クラッセと言うんだろう。シビレた。でも、チームに魅力があったのは、フランスだった。大会後に先輩と2人でユニフォームを揃えたりした(2人ぽっちでも揃えたと言うのか?)。84年の欧州王者のフランスは、プラティニが円熟期を迎えていて、全体的に粒の揃ったいいチームに仕上がっていた。ブラジルとの死闘も歴史に残る名勝負で、何度ビデオを見返したか数え切れない。これも今やDVDで観ることができる。強い陽射しと陽気なスタンドのおかげもあって、とてもいい大会だったと思う。この年には僕の家にもビデオがあったので、放送という放送を録りまくった(もっとも、そのテープのほとんどはダメにしてしまっている...)。

 続く1990年のイタリア大会(大学5年生)、1994年のアメリカ大会(社会人2年生)は、なぜだかワールドカップ熱は冷めていた。観られる試合は観たし、ビデオ録画もしたけれど、なぜだか高揚感がなかった。何試合も放送を見逃したけどさほど気にならなかった。イタリア大会が、ワールドカップが巨大資本に飲み込み尽くされる前の最後の大会だったんじゃないかと思う。3大テノールが一堂に会してコンサートを演った最初が、イタリア大会の決勝戦の前夜祭なんだそう(これは後年に知ったお話)。舞台はカラカラ浴場にしつらえられ、商業的というよりは文化的な底力を見せつけた催しだったように思う。ヴィデオで観ても会場は美しい。深く蒼いローマの夜空。3大テノールはともかく、今にして思えば、5年生とは言え大学生だったのにイタリア大会を放浪しなかったのは愚の骨頂のような気はする(同じく5年生だった友人は単身でイタリアへ繰り出した。土産話のフリをした自慢話を聞かされた)。
 イタリア大会にまつわる思い出のひとつに、朝、車を運転している時に聴いたラジオのことがある。ジョン・カビラがナビゲーターをしているJ-WAVEの朝の番組の中で、ジョン・カビラがどこかに国際電話をかけて英語でやりとりするという、今にして思えば単なる英会話のひけらかしのようなコーナーがあったのだが、その日はイタリアのどこかのホテルに電話して街の盛り上がりを訊くという内容だった。スキラッチが話題に上ったのを覚えている。その時に信号待ちをしていた場所まで覚えている。不思議。
 アメリカ大会は僕のワールドカップ熱が底を打った大会だ。総じて参加国のユニフォームもダサかった(言いがかり)。もちろん、「ドーハの歓喜」であったならば、これ以上ない熱心さで観たに違いないとは思うけれど。マラドーナのドーピング処分だけがひたすら悲しかった。
 82年から94年までは、なんだかんだ言ってマラドーナを軸にワールドカップを観ていたような気もする。ここまでの間で、日本がワールドカップに出られそうな気配が漂ったのは、86年大会予選、いわゆる「メキシコの青い空」の時と、94年大会予選、いわゆる「ドーハの悲劇」の時。82年なんかは代表選手が大会見学に出かけていたほどだった。
 1998年のフランス大会からは、日本中がワールドカップを記憶しているから、ここでは書かない。

 ニュースでアルゼンチン対ブラジルの決戦を観た(2006年大会の南米大陸予選)。得点シーンしか出ないものの、その迫力たるやハンパない。と言うか大陸予選なのにすでに本大会の準決勝くらいのクオリティだもんなあ。再放送を録画しよう。こういう試合を観ると、アジアはまだまだ小僧っ子だけど、でも追いかける背中くらいは見えていると思う。
by mono_mono_14 | 2005-06-09 23:59 | 蹴/calcio | Comments(4)
Commented by nabezo at 2005-06-17 15:48 x
はじめまして。以前こちらからリンクをたどられて来たアクセスログを逆にたどってきて以来いつも拝見しています。
私は1990年イタリア大会(高校一年生)以来見てますが、
同い年の男の子たちは大抵86年メキシコが最高だった、と言ってるのを聞いてうらやましいく思っているクチです。
たしかに94アメリカはなんだかW杯の歴史の中でもいろんな意味で異端な感じがする大会でしたよね。って私にとっては2回目のW杯だったのですが・・・。
Commented by mono_mono_14 at 2005-06-17 21:53
nabezoさん、はじめまして。
・・・実は全然「はじめまして」ではありませんで、僕はずーいぶん前からnabezoさんの追っかけ状態(笑)でした。nabezoさんのサイトが僕のブログのひとつのひな形なんです。エントリ中に勝手にリンク張っちゃってスミマセン(汗)。
いつからかnabezoさんに遊びに来ていただいていたのだとしたら、本当に光栄に思います。ありがとう。これからもどうぞよろしくお願いいたします。
94年と比較するからか、98年のフランス大会は、日本が出ていたことを割り引いてもいい大会だったなあと思ってます。マルディーニもたいそう美しかったでしょう(笑)?
Commented by nabezo at 2005-06-18 00:32 x
あ、気づかずにすみませんでした。全然始めましてではないですね!
いつもお世話になってます!
98年くらいがベストだったですかね>マルさん
契約は2007年までありますが、05-06シーズンもどこかでミラノに
見に行けたらいいなーと思っております。
Commented by mono_mono_14 at 2005-06-18 01:31
いえいえ、お世話になっているのはこちらです!
マルディーニ、全盛期は過ぎたかも知れないけれど、今もあのクォリティでプレーしているのはすっごいことですよね。
来シーズンもサンシーロに観に行けるといいですね。と言うか僕も行きたい...。
<< 新聞記事から 北朝鮮 対 日本[ワールドカッ... >>