『DOCOMOMO100選展』

Ho visto "DOCOMOMO 100", una mostra di architetture moderne tenuta a Shiodome. Le case e gli edifici culturali mi sembravano piu' belle degli uffici a cui il modernismo adatterebbe meglio. Il giorno dopo sono andato a vedere la Cattedrale Santa Maria a Tokyo da Kenzo Tange. Era maestosa.

b0018597_17265183.jpg 酔いどれサラリーマンの聖地・新橋から海の方にほんの数分、ガラスの摩天楼が競うように屹立する汐留。その一画にある松下電工汐留ミュージアムで開催中の『文化遺産としてのモダニズム建築 DOCOMOMO100選展』。招待券を2枚勝ち取ったという友だちのお相伴に預かった。会場は、建築を学んでいる学生と思しき若い人たちと、20世紀(戦後の未曾有の昂揚)を懐かしみに来たと思しき老夫婦が目立った。
 モダニズム建築の定義はおそらく簡単ではないけれど、展示のフライヤーには「20世紀の近代建築(モダニズム建築)」という記述がある。それらがただ失われていくのを阻止したい、できれば保存、せめてきちんと資料に残したい、というのがDOCOMOMOなる国際組織の意図しているところだそう。確かに古い建物はなくなっていく。よほどの「由緒」があっても(熊倉功夫によれば「日本の文化は由緒の文化」なんだそう(『批評と理論』p.134))、それを残し、伝え、できれば使うというのは、なかなかに難しい。同潤会の江戸川アパートはフツーのマンションに建て変わる。間もなく竣工だと思う。この建て替えは相当の難事業だっただろうし、ディベロッパーも相当に頑張ったのだろうとは思う。日本集合住宅史に残る歴史的な出来事だと言えるかも知れない。でも、新しくできるマンション自体は歴史的な集合住宅にはなれないと思う。
 この展示のために100の作品が選ばれている。史的価値を別にすればもはや凡庸にしか見えない作品もあれば、今もなお斬新で清冽な印象を与える作品もある。「モダニズム建築」にとって、「機能的であること」はとても大事なことのはずで、にもかかわらず機能的であることが最も効果を発揮すると思われるオフィスよりも住宅や文化施設の方が圧倒的に魅力的に思えたのが興味深かった。いや、機能的な解答を超えた部分にこそ魅力が宿ってるってことかも知れないな。
 僕が気に入った作品を半ば強引に10個に絞り込んでみた。スーパースターばかりのリストになってしまい何だか恥ずかしいけど、しょうがない。フライヤーに写真が掲載されている14作品とはひとつもかぶっていないところも味わい深いなり。
【僕が気に入った作品10選】(DOCOMOMO100選 作品リスト掲載順(=展示順))
・山邑邸(フランク・ロイド・ライト)1924年
・土浦亀城自邸(土浦亀城)1935年
・原邸(渡辺仁)1938年
・石津邸(池辺陽)1957年
・京都会館(前川國男)1960年
・東京文化会館(前川國男)1961年
・国立屋内総合競技場(丹下健三)1964年
・白の家(篠原一男)1966年
・塔の家(東孝光)1968年
・東京カテドラル聖マリア大聖堂(丹下健三)1964年
 でもわずかな写真や図面や模型では空間はほとんど理解できない。やっぱり体感してナンボだよなぁ。



b0018597_17274685.jpg ・・・というわけで、『東京カテドラル聖マリア大聖堂』を初めて見に行ってみた。
 建築雑誌の写真ってキレイに撮ってんよなあ、という半ばお定まりの感想も持ちつつ、造形の圧倒的な力強さを感じる。鈍く輝くステンレスをまとった斜面(双曲面)は、大きな屋根のようでもあり傾いた壁のようでもあり、これらが織りなす聖堂全体のたたずまいは、ヨーロッパにある石造の大聖堂とはまったく違うけれども、ある種の聖性を感じさせる。やっぱりこの教会と代々木の『国立屋内総合競技場(現・国立代々木競技場体育館』が丹下健三のシゴトのハイライトだと思う。建築家にしかできないシゴトだ。
 僕が訪れた時、聖マリア大聖堂はちょうどミサの最中だった。参列している敬虔なカトリック信者の思いがけない数の多さと、天に両手をさしのべるかのような高い堂内に響き渡る賛美歌の厳かさに、少し気圧された。
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by mono_mono_14 | 2005-05-01 23:59 | 文/cultura | Comments(0)
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