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『批評と理論』:本とシンポ

Sono andato a vedere un forum sulle situazioni architettoniche di oggi alla Waseda universita'. Questo forum sta seguendo ad un libro titolato "critiche e teorie" che mi ha fatto interessante. Arata Isozaki, uno dei panel mi sembra un affascinante vecchio.

 都の西北・早稲田大学の一隅にある、ソニーを興した井深大を記念したホールで開催された『「批評と理論」の状況〈1〉 丹下健三あるいは建築状況2005』という、頭でっかちな公開シンポジウムを覗いてきた。2000年から2001年にかけて、このシンポジウムの前段となる「批評と理論」という連続シンポジウムが建築学会の主催で行われており、最近、それがそのまま『批評と理論』という本にまとめられて出版された。連続シンポジウムのことは全然知らなかったのだけど、このぶ厚い本(370ページ)がけっこう刺激的でおもしろかったので(難しいけど)、その延長に位置づけられた今回のシンポジウムに参加してみようと思ったのだった。
 パネリストは磯崎新(建築家)、福田和也(文芸評論家)、鈴木博之(建築史家)、石山修武(建築家)。3時間にわたる意見交換は、しかし本を読んだ時ほどの刺激や興奮はなかった。やはり“二匹目のドジョウ”企画はなかなかに難しいということか。というか一度限りのシンポジウムでそこまで期待してはいけないか。次回は上海辺りで開きたいなどと言っていた。さすがにそれには参加できないな。
 日記のような覚え書きをいくつか。
・・・1970年の大阪万博で関係者全員(丹下健三も岡本太郎も僕も)が“挫折”したのではないか。そして、それは“近代国家・日本”の“挫折”だったのではないか。この“挫折”以降、日本は、列島改造論をはじめ、国土をいかに商品化するかという方向に一気に流れた。少なくとも70年代、80年代の20年間は、その波に呑まれていた。(磯崎)

・・・中国では設計をしている時間的な余裕がない。厳しい法規制やクライアントの要求で建物のボリュームは自動的に決まってしまう。残されているのは外装や帝冠だが、そこすらデザインしている時間的余裕はない。世界中のデザイン情報を収集してそれを引用する。この情報収集力はとてつもなくすごい。でも、アイコラのように建物がどんどんできている。(磯崎)

・・・中国で事業の意志決定をできるリーダーたちは、範とすべき街のイメージとして「ラスベガス」「マンハッタン」「ディズニーランド」の3つしか持っていない。リーダーたちの意識がこのレベルにとどまっている限り、中国の活況から何か新しいものが生まれてくるとは思えない。一方で、そういう状況の中で、建築を手づくりのインスタレーションとして実現しようというアプローチ、メソッドが出てきている。こういう動きの人たちに注目している。(磯崎)
 覚え書きが磯崎の発言ばかりになってしまったが、それは僕が磯崎を見聞きに行ったからという理由もあるだろう。本になった連続シンポ『批評と理論』の枠組みをつくったのが磯崎だそうで、その構成がすごく刺激的だったのだ。初めて見る磯崎は、とてもチャーミングなニュアンスのおじいちゃんだった。普通の人とは違うフトコロの大きさ(豊かさかも)加減が漂っていた。

 それにしても、やっぱり大学って、若い気力がみなぎってるのね。渋谷のセンター街に若いコがたくさんいる、とかいう雰囲気とは全然違って、うずうずしたまぶしい青さが渦巻いていて(晴天&新緑の効果もあったかも)、おじちゃん、あてられちゃったよ、っていう感じ。しばらく前に別の大学に教授を訪ねた時も同じようなことを感じたんだよなあ。会場から早稲田駅へと向かう帰り道は、せめて気構えだけでもと思い、ちょっと胸を張って颯爽と歩いてみたり、した。
by mono_mono_14 | 2005-04-28 22:07 | 文/cultura | Comments(0)
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