舞城王太郎『阿修羅ガール』

Ho letto un romanzo da Otaro Maijo titolato "Ashura Girl". E' costruito da tre parti e soprattutto la seconda parte mi ha fatto interessante. E' una storia strana e macabra ma era ispirata dai film bucolici da Lasse Halstrom (davverro?). Dopo leggere i romanzo da Maijo, questo era il terzo a me, sento sempre un sentimento positivo per vivere vigorosamente con bel amore.

 あー確か『PLUTO』の2巻が出てるはずじゃんと思い立ち寄った本屋で、やっぱりあったあったと1冊つかんでから店内をぐるりと回ってみると、舞城王太郎の『阿修羅ガール』が文庫化されているのを発見した。都合よすぎない? と思いつつそれもつかむ。ついでに中沢新一なんていう賢い人が書いた『僕の叔父さん 網野善彦』なんていうのんびりしたタイトルの(だけどきっと賢いことが書いてありそうな)新書もつかんでレジへ向かう。お店のおじさんは僕のこと見覚えててくれてるかな、相当の頻度で買ってますけど。

 『阿修羅ガール』。何だかもう、よくわからない。よくわからないけど、渋谷109の店内で聞いているみたいな感じ? で進んでいく第1部は、相変わらずのビート感をまき散らしながらのエログロバイオレンス風味なんだけど、どこか照れるほどピュア。現役の高校生が読むとどれくらい共感できるのかはわからないけど。そして、臨死体験3本立てで構成される第2部は、臨死体験にふさわしい異次元ぶりで、特に「森」が圧巻だ。ラッセ・ハルストレムの映画(それも“やかまし村2部作”)に触発されて書いたとある。まじスか。童話風の文体を用いている分、そこに描かれている世界の不条理なブキミさが際だっている。おポンチ女子高生なりの悟りを開いた感のある第3部は、相対的に弱くおとなしい。等身大で前向きに生きようと思う、みたいなちょっとキレイなところに落とし込むためにはやむを得ないか。

 舞城の作品を読んだのはこれで3冊目だけど、たいてい主人公(に限らず多くの登場人物)は傷ついていて自暴自棄だったり虚無的だったり過度にめちゃめちゃになっているけれど、でも救ってくれる何かがどこかにいる/あることを確信していて、しかし残念ながらそれがちっともうまくつかめずにいて狼狽えている、苛立っている、ささくれ立っている、壊れかけている。そんな感じがする。そういうときには「Redemption Song」を聴くといいですよ。・・・いや、ちょっと違うな。強く優しいだけでなく、もっと元気な曲がふさわしい。たくさん死んで、たくさん血が出て、とっても痛くて、とっても怖くても、読後感はいつもどこかしら明るくポジティブだったから。

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 >>『煙か土か食い物

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by mono_mono_14 | 2005-04-27 20:22 | 本/libro | Comments(0)
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