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いくつかの写真展から

Ho visto alcune mostre fotografiche in questi mesi. Oggi provo a fare un discorso su fotografare anche se non sono mai bravo di fare una foto. Una foto avra' grande possibilita' di diventare nell'arte a un giorno di futuro. Conserviamola.

 先日、恵比寿の東京都写真美術館で『写真はものの見方をどのように変えてきたか 1[誕生]』を、うっかり観てしまった。うっかりというのはずいぶんな言いぐさだけど、ほんとうは『小林伸一郎写真展 ビルディング ザ シャネル ルミエール タワー』を観に出かけたのだから、それだけにしてもよかったのに、チケットを買う段にまごまごしてついセット券にしてしまったのだった。ご一緒にポテトはいかがですかと勧められても断れるのに(もう10年くらいはマクドナルドに行ってないから、今でもこう勧めてるのかは知らないけどね)、勧められもしないセット券を買ってしまったのはなぜだろう。まあいいや。



【写真はものの見方をどのように変えてきたか 1[誕生]】
 4期シリーズで展開される開館10周年記念企画の第1期に当たる『〜[誕生]』は、ほとんど博物学的展示(ダゲレオタイプだのカメラオブスキュラだの何とか湿板だの...)だったのだが、出口を抜ける時には記念/記憶/記録というようなことを考えていた。愛宕山から観た江戸の街のパノラマ写真があった。それが見事な街並み(というか甍の波)で驚いたのだけれど、この写真は、たぶん、我らが江戸をば撮ってみようぞ(何語だ)と撮ってみたのであって、1世紀以上も後の東京人に感嘆のため息をつかせるつもりなんてなかっただろう。でも、時間が規則正しく一方的に流れ去っている限り、どんな写真にも何らかの記録としての価値が生まれる。どんな写真も、そういう「記録」としての効果を持つわけだ、長く生き延びられさえすれば(燃えてしまってはいかんともしがたい)。
 友だちとの楽しいひとときを「記念」に切り取れば、しばらくは楽しかったねーという「記憶」をたどり、さらに時間が経っていくと、記念すべき楽しかった時間ではなく、同時に「記録」されてしまっていたあのころの髪型や服装に思わずどひゃーと赤面したりするわけで。今から思えばお弁当箱のようなでっかいウォークマンを誇らしげに持っていたりするかも知れなくて、iPod Shuffleを首からぷらんと下げているような時代にもしそんな写真を見れば、画面中央で誇らしげなボクやキミではなく隅っこに映っていたウォークマンが主人公になってしまうだろう(脱線するけど、歌詞にWalkmanが出てくるザ・スミスの歌を2004年のモリッシーはiPodに変えて歌っていた)。
 「記念」を撮り続け「記憶」を貯め続けることがびっくりするような価値を持つことは、最近、大反響を呼んでいる(らしい)『Say Hello! あのこによろしく。』という写真集にも表れてると思う(もっとも、あの写真集のミソは“言葉”なんじゃないかとも思う。web版しか見ていないですが)。

【西新宿定点撮影写真展】
 一方、最初から記録を意図して撮り続け、やはり大記録となってしまったのが、西新宿の高層ビル街ができていく様子を35年にわたって同じ場所から撮り続けた写真を並べた『西新宿定点撮影写真展』。スライドショーで35年分を一気に見ると、西部の荒野のような平べったい新宿(何しろ浄水場跡地だ)に、にょきにょき高層ビルが建っていく。ガスタンクができたり壊されたり。ずうっと残っていた2階建てがついにマンションになったり。それでいて、画面の一番手前に映り込んでいる都営住宅は変わらずその場にあり、敷地内の樹木だけが立派になっていったり。35年も経てばどんな街も変わっているのかも知れないけど、ここまでドラスティックな変化が感じ取れる場所は少ないだろう。僕が行ったのは異例の(?)アンコール展だから、いかにインパクトがあった企画だったかがわかる。定点観測すべきだという確信、適切な観測場所の発見、撮影を継続する鉄の意志。どれもとんでもなくすごい。今は亡き田中一光もときおりシャッター係を受け持ったという。

 この2つの写真展は、いわゆるプロ写真家による表現としての写真とは少しおもむきが違うけれど、次の3つは、バリバリの写真家たちによる写真展。

【小林伸一郎写真展 ビルディング ザ シャネル ルミエール タワー】
 去年の暮れに銀座にオープンした「シャネル銀座ビルディング」。この建設過程をまるごと収めた写真展が『小林伸一郎写真展 ビルディング ザ シャネル ルミエール タワー』。工事現場というのは、実に複雑怪奇で、よくこんな状態を経ながら最終形にたどり着けるよなあ、というシロモノ。ホントに現場監督の段取り能力はハンパじゃないと思う。あのピカピカのシャネルビルディングも、こんな長い混沌の果てに生まれたんだよなあ、ということをしみじみ思う。ただの工事現場にしては、ずいぶんと色っぽく艶っぽい写真たちなのであった。
 シャネルがこの工事の始まりから終わりまでを収めておきたいと思ったのはなぜだろう。西新宿の激変を収めるのとは違う。記録に徹しながらアートにも徹する。最初からアートを義務づけられた記録。・・・あー、こんなふうに考えていたら、もう一度、じっくり観たくなってきてしまったけど、もう会期は終わってしまったのだった。確かに、とても妖艶なところのある写真たちだったんだよな。

b0018597_21305770.jpgb0018597_213185.jpgb0018597_21312096.jpgb0018597_2211323.jpg たまたま、とある工事現場を覗かせてもらった機会に撮った写真と、夜のシャネルビルディングの写真が手元にあるので、せっかくだから添えてみました。


【ダニエル・ジュアノー写真展 PART II 隙間−TOKYO 2003】
 代々木上原までアルザスの写真展を観に行った時に「またあるんです」と係の女性に教えてもらった展示。たぶん新宿から渋谷にかけての辺りだと思うけど、みっちりと建て込んだビルとビルのわずかな「隙間」を端正なモノクロームで切り取った写真だった。こういう意味だったのね。確かに日本は狭い土地にぎゅうっとペンシルビルを並べる作法と技術は高く、日本ならではの風景と言えるのかも知れない。狭い隙間を画面の中央に真っ直ぐ置いた構図。『森山 新宿 荒木』展で、少し斜めに傾いた構図のかっこよさを感じたのだが、こういう写真も傾けて撮っても成立するんだろうか。作品が小ぶりで展示点数が少ないこともあって係の女性に申しわけないと思うほどあっという間に観終わってしまった。もう少しゆっくり観ればよかった。反省。

【TEN VIEWS スペイン現代写真家10人展】
 愛・地球博にスペインがパビリオンを出展する。その関連で行われた展示のよう。21世紀の多民族融合体としてのスペイン、その変容のさまを切り取ってくれという依頼のもと、スペインを代表する10名の写真家がそれぞれの視点で今のスペインを映し出した。
 少しクッション性のある真っ黒な床材が張られた床、白い壁に、赤と黒で作家の名前が記されている。展示会場はとてもかっこいい。しかし、写真の方は...。うーん...。10人のうちの2、3人の2、3枚が少しよかったと思えたくらいだったなあ。とても気になったのが、どの写真からもポジティブな感じが漂わないこと。今のスペインはこんなにも諦観的で倦怠的で虚無的で厭世的なの? そう思わされる写真が多かった。切ないとか寂しいとかいう感情でもなく、怒りや嘆きでもない。うまく説明できないけどちょっとヤな感じがした。僕には過度にアーティスティックな表現だったのかも。万博代表だと気負ってしまったのかしら。加えて、ポートレートが多かったのだが、どうやら僕は背景がほとんど入り込まないポートレートがあまり好きではないらしいのだった(『〜1[誕生]』でもそう思ったんだ)。でも、去年の秋に行った『FIFA100周年公式写真展 〜ペレが選んだ119名のトッププレーヤー〜』は、一流選手のポートレートが多かったけど楽しかったな、って単にサッカーだからか。
by mono_mono_14 | 2005-04-18 21:35 | 芸/arte | Comments(0)
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