お茶のココロ

Oggi una nostra collega ha fatto un te' giapponese a tutti di noi. Come sapreste ci sono delle etichette per fare il te' giapponese, e purtroppo noi di oggi le non abbiamo fatto tanto bene ma il te' e' stato veramente buono. Avremmo delle occasioni cosi' ancora.

 ひょんなことから会社でお抹茶を点ててもらった。
 子どもの頃、冷蔵庫のポケットに入っていた、グリーンティーと呼ばれていたんだったと思うが、かき氷にかけたりミルクで溶いたりしたちょっと甘い緑色の粉が、僕にとっての最初のお抹茶のつもりだったが、たぶん、あれはお抹茶ではなかったのだろう。すると、あれは間違いなくお抹茶であったと確信を持てる初めてのお抹茶体験は、たぶん会社に入ってからのことになるから、ずいぶんと奥手だったと言えそうだ。いろんな街を見て回るのも研修のうちということで、会社の若手がこぞって出かけた京都で飲んだのを覚えている。
 画期となったのは、ちょうど1年前の今頃のこと。新宿の京王百貨店の一画で催されていたお茶席に、お茶をたしなむ友だちに誘われるままに足を運んでしまったという出来事で、ある意味、まさに春の椿事であった。デパートとは言え、曲がりなりにもお茶室に上がり、お茶を点てる一連のプロセスを拝見し、お菓子とお茶をいただいた。隣で友だちが作法を簡単にガイドしてくれたものの、やっぱり上がってしまったと思う。お茶碗を愛でようと掲げたら、お茶碗を見るのは○だが高々と掲げるのは×だった、とか、いろいろ惜しいところで裏目に出たり。でも楽しかった。お作法はピンと来なかったけれど、お道具はすべて工芸品なわけで、つまりプロダクトデザインという、割と馴染みの視点から見ても楽しめたのだった。その数ヶ月後にも、再び京王百貨店で、今度はお茶室ではなかったけれど、またお菓子とお茶をいただいた。
 その程度ならば予習していたはずだったのだが、今日は作法やマナーの面では、なにひとつ満足にできなかったような気がする。だけれど、それでもやっぱりお菓子もお茶も変わらず美味しかったのだった。お茶をいただきながら、数年前の『BRUTUS』のお茶会特集号(486号(2001年9月15日号))とか、田中一光のエッセイ(たとえば『「茶美会・然」への道』(白水Uブックス『デザインと行く』所収)とか)を思い出したりした。今のところお茶を習おうとは思わないけれど、茶の湯が体現しようとしている遊び心に満ちたしなやかなおもてなし、そのココロは、少しくらい身につけたいと思う。
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by mono_mono_14 | 2005-04-04 23:59 | 文/cultura | Comments(0)
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