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『おたく:人格=空間=都市』

Sono andato a vedere una mostra interessante sull'OTAKU mostrata al venezia biennale. E' stata difficile di sapere bene perche' non sono mai un esperto del mondo di otaku, pero' ho potuto sentire delle passioni di otaku comunque. Proseguirei a studiare su Tokyo da questo punto di vista come Arata Isozaki ci indica.

 ヴェネツィア・ビエンナーレに日本代表として乗り込んだ話題の展示が、恵比寿の東京都写真美術館で昨日の日曜日まで開かれていた。『おたく:人格=空間=都市』。最後の週末はどっと混んだのだろうか。会期は20日間と短かったが、金曜日にシゴトの合間を縫って覗いてくることができた。
『おたく:人格=空間=都市』_b0018597_192225.jpg 展示のフライヤーは品切れ(それでも見本だけが残るラックに手を伸ばして空振りする人が後を絶たない)、展示カタログも完売(版元在庫切れ)と、異様な関心度を感じつつ地下の会場に向かう。そこにあったのは、狭い展示空間にぎゅうっと濃縮して詰め込まれた「おたく」の世界。入ったところは1970年の大阪万博に関連した展示で、この辺りこそどうにかついていけたものの、その行く手には名前だけは聞いたことのあるレンタルショーケースがずらっと居並ぶ。そこをぐるっと曲がれば「おたくの個室」の紹介(実在する誰かの部屋の写真と再現模型)。レンタルショーケースの裏側にはコミックマーケットの全貌(ほんの一部分だけを作品や写真や会場模型で再現しているのだけれど、すごい迫力)。奥には秋葉原の変遷模型など。天井からは無数のポスターがぶら下がっているのだが、そのほとんどすべてがローティーンからミドルティーンの女の子をモデルとしたちょっと性的なイラスト(マンガやアニメ、ゲーム、DVDなどの宣伝のようだけれど、ほとんどわからない)。正直、最初はそうとう引いた。この場でどういう態度で振る舞っていいものやら見当がつかないという感じ。しかし、そのうちに、同人誌コミックやキャラクターグッズの収集その他モロモロに込められた、各「おたく」の皆さんの火傷しそうなまでの熱いキモチが、展示を通じて感じ取れるようになった。賛同とか共感ということではなく、とてつもないエネルギーが投入されたすごい世界なんだなー、というのがじわじわ染みてきた感じ。展示全体をどう理解したらいいかはわからないまま何かに圧倒され、そして酸欠気味になっていった。
 展示の最後は、幼女連続誘拐殺人事件の容疑者である宮崎勤の部屋の写真と、オウム真理教の宗教施設・サティアンの写真で締め括られている。おたくのなれの果てがこの狂気の殺人者たちってわけだ、なんていう短絡な結論では何もかも見誤っているに違いないのだが、しかし、この展示を通じて何かを思いめぐらすには僕のなかにあまりに足がかりがなさすぎる。この展示のコミッショナーを務めた森川嘉一郎の『趣都の誕生 萌える都市アキハバラ』(幻冬社・2003年)を再読しなければ。今回の展示の予習のために買ったのにちっとも読めていない『網状原論F改』(東浩紀編著・青土社・2003年)も併読しよう(この本で、「おたく」という語の定義からして各人各様で揺れ動いているのだということを知った)。偶然なのかどうか、今日、書店で見つけた『SIGHT』の最新号(Vol.23 SPRING 2005)は『究極のマンガ200冊!』という特集だった。これも参考書になるかも。『趣都の誕生』の帯には、“いつの間にか街全体が巨大な「個室」になっているのを知っていますか?”、“東京のいま、についてのこの新しい解釈学的視点が、これまでの景観論、計画論、共同体論のすべてを、無効にしてしまうだろう。─磯崎新”なんていう文句がある。もしそうであるならば、近年にない刺激的な都市論の視点が提供されているはずなのだ。チェックしない手はない。
by mono_mono_14 | 2005-03-14 19:05 | 芸/arte
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