再び須賀敦子を読んでいる

Leggo ancora dei libri da Atsuko Suga. Suga scriveva sull'Italia con i bellissimi periodari che mi piacciono. Mi piacerebbe scrivere cosi'. Il primo libro di Suga titolato "Milano, Paesaggi Nebbiosi" era una collezione degli artlcoli sulle riviste dell'Olivetti Giappone.

 たびたび書いた年度末の大掃除の際に、『どこにいたってフツウの生活』という、ずいぶんと前に友だちが貸してくれていた本が出てきた。ひょんなことからトリノやアンディーブで暮らすことになった、僕よりも少し年上の女性が書いた本だ。もう読まずに返しちゃおうかとも思ったのだけれど、シゴトからのささやかな逃避行にぴったりの気軽なエッセイだったので、なんだかんだで全編を読み切った。友だちには、長らく借りっぱなしていたお詫びとお礼の品を添えて返そう。
 この中に須賀敦子のことを綴った一編があり、それに誘われて久しぶりに『ミラノ 霧の風景』を再読している。須賀敦子も、こういう文章が書けたらなぁ、こんなふうに街のことを綴りたいなぁ、と思う書き手のひとり。この本の冒頭を飾る「遠い霧の匂い」など、不意をつかれる重いエンディングともあいまって、はにかんだような文章なのにも関わらずずぅんと響いてくる。最初に読んだ時から何歳かオヂサンになった僕には、少し柔らかすぎるニュアンスも感じたりするけれど、やっぱりいい。
 再読は、再放送を観るようなものだからか、ストーリーそのものだけでなく、ひとつの文章、言い回しなどのディテールでも新たな発見がある(もちろん、読んでいる時の心身の状態が異なることにもよるはずだ)。今日の発見。須賀が若い頃から翻訳がとても好きだったのは、「それは自分をさらけ出さないで、したがってある種の責任をとらないで、しかも文章を作ってゆく楽しみを味わえたからではないか」(「セルジョ・モンドの友人たち」)とするくだり。やはり翻訳という作業に惹かれる僕への、軽やかな一撃。自分をさらけ出さない、責任をとらないで楽しみだけ味わう、という、僕の根っこに確かに横たわっている卑怯なココロが見透かされていた。こういう匿名ブログも責任をとっていないのだろう。逆に言えば、つまり文章を書くというのは、本来、ある種の責任を負う行為なんだな。・・・そう思いながら書いた文がこのエントリ。んー、微妙・・・。
 『ミラノ 霧の風景』に収められたエッセイは、日本オリヴェッティの広報誌に連載されていたものがベースなのだという。こんな文章を広報誌にさらりと載せていた日本オリヴェッティも大した会社だよなぁと思う。
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by mono_mono_14 | 2005-01-12 23:01 | 本/libro | Comments(0)
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