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連載・東北紀行(第6回)

6.大船渡市
 大船渡市(おおふなとし)の中心市街地に向かうのだが、その前に、いくつか立ち寄るべき場所があった。そのひとつが越喜来(おきらい)小学校だ。ある市議の尽力で、校舎から高台へ向かう道路に直結する避難ブリッジが設置された。そのわずか数ヶ月後に東日本大震災が起こった。当日は、その避難ブリッジから児童も教職員も逃げて無事だったそうだ。避難ブリッジは、津波で壊れてしまったが、一世一代の大役を果たしたと言えるだろう。このブリッジがなければ避難が間に合わなかったのかどうかは定かではないけれど、一刻も早く避難できるよう小学校にショートカットのブリッジを架けてやれと言い続けたような、日頃からのピリピリとした切実な危機意識が、発災時の無事な避難につながったのだろう。「身に染みついた切迫感」のようなソフトウェアがあって、ハードウェアも活きてくる。例えば、田老の防潮堤などは、むしろ人びとの慢心を招いてしまい、結果として被害を大きくしてしまった部分があるようにも聞く。考えさせられる。
 大船渡市の中心市街地は、リアス式海岸が深く入り込んだ湾に注ぐ盛川沿いに形づくられている。両脇を丘陵地形に挟まれていて、平坦な低地は狭い。川沿いから河口部にかけて工業団地や港湾機能が並ぶ。盛川と並行する浜街道・国道45号沿いが市街地だ。JR大船渡線の盛駅と大船渡駅という2つの駅の周りが繁華街や行政機能の集積地になっている。街道から斜面を駆け上がる方に住宅地が拓かれている。…というのは、地図から急ぎ推察しただけなので、誤った認識もあるかも知れない。
 JRに沿って港へ進む。川沿いの低地(工業団地)は壊滅的な被害だ。すでにガレキの整理が進められつつあるようで、ガランとスッキリした部分と、分別されたガレキの山が築かれている部分が入り混じっている。残った建物の鉄骨の柱も歪んでいる。壁は抜けてしまっており、内装・什器ももちろんない。大船渡でも、残っている建物も解体せざるを得ないものが少なくなさそうだ。
 港付近も甚大な被害だ。交差点に掲げられる大きな青い交通案内標識が、ぐにゃりとひん曲がってガレキの山に埋もれている。避難場所を指し示す案内表示は、ポールの根もとのコンクリート塊ごと路傍に横たえられている。水たまりの様子からすると、地盤沈下もあるのだろう。
 斜面住宅地の高台の方に目をやると、普通の家並みが遠望できる。あの斜面のどこかに被災と免災の線が冷酷に引かれたはずだ。その線を確かめに行くべきではあるのだが、あいにくその時間はない。そんなことばかりの視察行だ。

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越喜来小学校の避難ブリッジ。この日のために備えていた。

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ガレキが山積みの工業団地。港のセメント工場が奥に覗く。

by mono_mono_14 | 2011-11-15 21:45 | 街/citta
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