堀江敏幸『めぐらし屋』

 堀江敏幸『めぐらし屋』、夏休み前頃に読了。遅まきながら改めて短い感想を。
 不思議な話。どこかおとぎ話のようでもある。その不思議さを、主人公の蕗子さん自らが捉えきれずにいて、とまどい、それでも何か手がかりを捕まえようとする、そのフラジャイルな過程にするすると引き込まれた。蕗子さんのお父さんが「めぐらし屋」なる何かをやっていたという部屋や、その辺りの風景の描写。過去の出来事や思い出の描写。とりたてて特別なことの起こらない日常の描写。蕗子さんの心を行き交うあれこれの思念の描写。それらが、堀江節とでも言えるような、ときおり冗長とも思えるのだけれど、それがまた魅力となっている、ディテールに富んだ言い回しで、描き出されている。
 蕗子さんが、その不思議さはよくわからないままに、まるごと受け止め、引き受けようと静かに決心して、物語は終わる。その決心によって、物語を引っ張ってきた、湿ったもやのようなとらえどころのない魅力が、ほの明るい余韻に変わるというよりは、ぷつりと断ち切られたように僕には感じられ、そのことは、やや残念に思った。でも、考えてみれば、決心つきがたいもやもやのなかで足踏みしたり、あとさきを考えずにえいやっと走り出したり、弱かったり強かったり、明かりが点いたり消えたりしながら進んでいくのが日常、つまり人生であるのかも知れず、そうだとしたら、僕が心地よくくるまれていたいと思った湿ったもやが、すうっと失われていくかのような、蕗子さんの決心は、蕗子さんの人生には訪れてしかるべきものだったのだな、とも思う。
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by mono_mono_14 | 2010-10-08 02:29 | 本/libro | Comments(0)
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