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カズオ・イシグロ『夜想曲集』

 カズオ・イシグロの『夜想曲集』を読む。副題に「音楽と夕暮れをめぐる五つの物語(Five Stories of Music and Nightfall)」とある。より重要なのは「夕暮れ」の方だ。この「夕暮れ」は、1日の移ろいの中に立ち現れる叙情的なあのひとときを指すわけでは必ずしもない。むしろ人生がゆっくりと宵闇に絡め取られていくさまを示している(ただし、そのことは、必ずしも人生がだめになっていくことを意味していない)。かつて根拠なく思い描いていた明るい未来と較べれば、訪れた現実は色あせ、翳りを帯びている。その翳りが、程度の差はあれおそらくは誰しもが心のどこかに持っている小さな挫折、諦め、言い訳、そのような感情に響いてくる。その響き方は、確かに夜想曲のそれのようだ。
 あまり明るい未来を思い描いたことのない僕ではあるが(慌ててつけ加えるけれど、暗い未来を思い描いていた、というわけでもなく、あまり未来のことを思い描いたことがない、という感じだ)、例えば、「ただ、ウェイターを呼ぶときの指の動きに、昔と違う何かがあった。私の気のせいかもしれないが、人生への不満からくる苛立ち、ある種の傲慢さ──そんな何かがあった。」(p.246)というような表現は心にすっと入ってきて、小さなさざ波を立てる。
 人生が日の当たる表通りだけではないことを身をもって知っている、けれど自分の人生には総合評価で合格を与えようと思っている、そんなフツーのオトナのための、夕暮れから夜に読むべき短編集。僕は昼間にも読んだけれど。
by mono_mono_14 | 2009-07-17 00:57 | 本/libro
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