彫刻2景

I due paesaggi scultorei a Tokyo.

 都心の彫刻2景。東京しごとセンター(なんというネーミング!)のエントランスにある安田侃。東京都庁の連絡通路に置かれたイサム・ノグチ。公共施設がこういう彫刻作品を設置することの「ゼイタクさ」は問わない。これらが妥当かどうかは判断できないのだけれど、ゼイタクは必ずしも敵ではないし、人々が(少なくとも僕が)アートに触れる機会となっていることは確かだ。
 写真を撮ったのは必ずしも最近なわけでもないのだけれど、写真を正方形にトリミングしてくれてちょっとしたフィルタ処理も提案してくれるツール(インスタグラムと書け)をかませてみたのは今日のこと。
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# by mono_mono_14 | 2013-06-25 21:30 | 街/citta | Comments(0)

まかないチックな遅い夕飯。

Ho provato "gli hatto con pollo e funghi di ferula". Erano buonissimi (almeno a me).

 教科書に載っていたおかず的献立をパスタ的献立に変更してみたもの。まかないチック。教科書クッキンガーとしては、教科書をほいほいと逸脱している辺り、いささか残念なところもある。でも、例によって自皿自賛に到達したのでよしとしたい。日付が変わってからの遅い夕食としては多すぎるのではないかという可能性もあるのだけれど、ま、時差のある生活だし、金曜の晩だったし、いいよね、うん。
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 鶏肉とエリンギとミニトマトとはっとをニンニク風味のオリーブオイルで蒸し炒め気味に炒めて塩コショウをやや強めに利かせたもの。
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# by mono_mono_14 | 2013-01-29 21:43 | 味/buono | Comments(0)

Dear GON.

Grazie Gon, mi mancherai...

 大学サッカーに総理大臣杯という大会があり、4年生の時の関東予選で僕らは筑波大と対戦した。20年以上前の話だ。Jリーグはまだなく、高校のスター選手の多くは大学に進むものだった。当時の筑波には井原正巳を筆頭にこちらが一方的に知っているだけの顔ぶれが並んでいた。中山雅史もそのひとりだった。
 僕らは、井原にミドルシュートを決められたり、賤機に見たことのないフェイントをかけられたりしながら、それでも、0対3という、まあサッカーと認め得るスコアと試合内容のうちに90分を終えた。

 ベンチスタートだった中山が、後半の残り15分くらいのところでピッチに入ってきた。一時期はディフェンダーをやらされていたりした中山だったが、4年生のシーズンはトップのポジションに戻ってきており、つまるところ、ストッパーだった僕の目の前にいるのだった。おそらくは故障明けだったと思われるのだけれど、中山の動きは速く、力強く、視線は射るような鋭さを帯びていた。他の選手たちとは、何かが違っていた。

 スッと引いた中山の足元に縦パスが収まる。反転してシュートを撃つことしか考えていない気配に満ちた背中。間合いを詰める。撃たれるぞ。間に合う。僕の頭の中はそう思ったのだが、実際は、僕がシュートコースに足を出す前に中山の左足はボールを捉えていた。…え?
 中山のシュートはジャストミートせず、ボールはキーパーの正面を突いた。

 こんなのは、僕以外の誰にとっても、淡々とした、そして取るに足らない凡庸な試合中のヒトコマにすぎないわけだけれど、うそだろ、こんなタイミングで撃たれちゃうのかよ、と総毛立つようなゾクゾク感の中、次のプレーへと移っていったあの時のことは、今も忘れない。そういう意味では、あの一瞬が僕のへなちょこサッカー人生のハイライトであったかも知れない。

 とうとう辞めちゃうんだね。寂しくなるよ。お疲れさま。ありがとう。
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# by mono_mono_14 | 2012-12-05 01:21 | 蹴/calcio | Comments(0)

長崎弾丸旅行備忘録

Sono andato a Nagasaki con i miei amici liceali, anche se e' stato un viaggio piu' breve, mi sono divertito tanto questo viaggio. Ho pensato sulla bomba atomica che distruggeva questa bella citta' sul mare. Vorrei visitarci ancora, ed anche ad Hiroshima.

 長崎はいい街だと思う。少なくとも訪れるにはすごくいい街だ。港。路面電車。坂。歴史。異国情緒。さるく。郷土料理。皿うどん。空港がもう少し都心に近ければもっとよかった。

 長崎港に面した水辺の森公園は、土木・造園・建築・プロダクトなど多分野にわたるデザイナーたちの志と努力の結晶で、かねてより訪れてみたい場所のひとつだったが、今回の旅程ではきちんと見て回るのは難しいことはわかっていた。港に釣り糸を垂れる親子連れの後ろ姿が微笑ましかった。バケツをそっと覗いたら、やや青みがかった魚が1匹泳いでいた。1日をのんびり過ごせそうないい公園だと思った。再訪を期す。どうせなら運河をまたいで建つ県美術館の展示がおもしろそうな時がいい。もっとも、今回やっていた展示は十分におもしろそうだった。

 軍艦島はとてもとても興味深かったし、考えさせられるものがあった。その感覚がどこから来るのかを自問すべきだと思った。今はとにかく、かつてそこにあった生活、疾走する高度成長の一端をものすごい形で支え続けた炭鉱マンとその家族たちの生活に敬意を表したい。軍艦島は、今のままで行けばいずれ朽ち果てるしかないだろう。純度100%の潮風と高潮が強烈に鉄筋とコンクリートを痛めつけ、容赦ない台風が年に何回も襲いかかる地だ。補修のしようがあるのかもわからないし、補修した姿が軍艦島らしさを保てるのかもわからない。ともかく、今回、上陸できてよかった。

 到着したのが、日がいくらか傾いてきた時間だったこともあってか、浦上天主堂は人もまばらで、透けるような静けさに包まれていた。煉瓦をまとった天主堂は、アプローチが登り坂になっていることもあって、抜けるような青空に向かって伸びるようで、写真で見る南イタリア辺りの大聖堂を思い起こさせた。借り物ではない根づいた感じが隅々まで行き渡っていて、大切に、大切に接されている建物だということが見て取れた。堂内が素晴らしかった。もう少しゆっくり、その場にいればよかった。

 長崎原爆のグラウンドゼロは、ずいぶんと慎ましやかな公園で、訪れた時は人影も少なかったが、漂う気配は濃かった。どことなくダニ・カラヴァンとかグンナール・アスプルンドの風景を思った。伏せた目ときつく結んだ唇の横顔に宿る力強さに気圧されるような、そんな空気だった。平和祈念像のある平和公園は、もう少し柔らかな印象の、ちょっぴり台北かどこかの観光地みたいな気配だったが、原爆の確かな痕跡に、僕は圧されたままだった気がする。これまでいくたびも8月を過ごしてきたけれど、僕は原爆のことを何も知らなかった、ということだけははっきりとわかった。広島にも行こうと思った。そして長崎にもまた。

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# by mono_mono_14 | 2012-11-07 02:24 | 街/citta | Comments(0)

日本対ブラジル

Mi sono visto un'amichevole di calcio del Giappone contro il Brasile sulla tv. Mi pare che sia stata una bella partita per il Giappone. I nostri samurai hanno giocato come al solito e qualche volta hanno potuto creare delle occasioni. E mi sono divertito di vedere dei bei contropiedi brasiliani.

 素晴らしかったのではないでしょうか。ブラジルを相手に自分たちの普段のサッカーをやろうとし続けて、親善試合とは言えそれなりにやれた。特に前半。そして、やられ方もよかった。スコアという意味ではなく。あ、と小さく思った瞬間に前の方が一斉にカウンターに移り、ディフェンスの対応は少しずつ間に合わず、小さな綻びを繕う機会を与えられぬままに失点する、という。あのカウンターに移る瞬間のチームのシンクロぶり、トルクの力強さ、その後の加速、ブレない技術。構築的でなく即興的。疾走するジャムセッションのような、ブラジルにしか奏でられないサッカー。まさにブラジルだった。そのブラジルに臆することのなかった日本。手応えと課題がたくさんあったはず。で、素晴らしかったのではないでしょうか。

 カカー。コンディションは7割くらいだったかも知れないけど、巧みで、力強く、美しかった。カカーの力強さで走り出す中盤が日本にも現れてほしい。
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# by mono_mono_14 | 2012-10-17 23:16 | 蹴/calcio | Comments(0)

この夏に考えたことがら。

Che cosa sono gli amici? Ci pensavo. Trovavo delle risposte.

 この夏、高校の同窓会があった。卒業以来(四半世紀ぶり!)のやつとか、在学中には接点がまるでなかった人とか。当時(とその後)のつきあいの密度に関係なく、あの3年間を共有していたということが、僕の生涯の宝なのだということを知った。
 …のだけれど、百人が百人そう思うわけでもないようだった。詳細は省く。省くが、友だちってなんだろう、ということを考える機会にはなった。そんなこと、なかなかあらためて考える機会がない。それなりにマジメに考えて、僕なりにはなかなかに腑に落ちる答に至った。
 僕にとって友だちとは、「わざわざ時間を合わせて一緒にご飯を食べようと思う人たちのこと」だ、というのがその答だ。「たまたま」ではなく「わざわざ(そのために)」というところが、それなりに大事だ。そして、とにかく実際に会う機会を持つことが決定的なことだ。そこに気づければ、誰と誰が「facebook上の友達」であるか否か云々などという、わけのわからない議論をあっちの方に蹴っ飛ばしておくこともできる。——なぁ、申請があれば承認するだけの話だから、そんなことにこだわっているヒマがあったら、どこかで時間を見つけて一緒にメシでも食わないか。——
 時間を合わせて集まってメシを食う。酒を飲む。機会があればそうしようと思う。それが、少なくとも僕にとっては決定的に大事なことだ、僕はそう思っているんだ、ということがくっきりとわかって、なんだか嬉しかった。そうしようと思う人たちがいて、僕のことをそのように思ってくれる人たちもいる(決して多くはないけれど)。それはとてつもなくシアワセなことだ。
 もうひとつ、僕的に「ああそう言えば!」と腑に落ちる答が見つかった。友だちにはCDをプレゼントしたくなる、というものだ。しかし、こちらは、なんだか独りよがりで、僕のわがままな押しつけの域を出ていないような気もする。先方は迷惑でしかないかも知れない。すみません。
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# by mono_mono_14 | 2012-10-02 20:34 | 雑/quotidiana | Comments(0)