ピルロのアズーリ [02]

 イタリアの初戦。イタリアは、洗練されたとは言いがたい味わいながら丁寧なボールポゼッションでイングランドを御していたけれど、あっさりとサイドを切り込まれ失点するというような脆さも見せた。カテナチオのイタリアとは違うイタリアなのだということがくっきりと映し出されていた。
#copadomundo2014


 ピルロ。シンプルで簡単なプレーに見えるけれど、それを成立させているのは、フクザツ極まりない高度で多面的で瞬時な状況判断だ。ボールを受ける時にはマークを外し、ポンとさばいたボールは危険なところへ向かう。見れば見るほど異次元のプレーだ。今大会で代表引退だそう。堪能したい。
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 マルキージオの先制ゴールは、ピルロの極上スルーからの狙い澄ましたミドル。バロテッリの決勝ゴールは組み立てからフィニッシュまで美しかった。総じていいゲーム運びで、ええかっこしいのはずのイタリアの選手たちからは代表のピッチに立っているという泥くさい責任感が感じられ、好もしかった。
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# by mono_mono_14 | 2014-06-15 15:52 | 蹴/calcio | Comments(0)

はじまりはじまり [01]

 1998年のワールドカップが始まる時には、放送予定はチェックしまくったし、VHSを何本も買い込んで、浮き足立ったと言っていいような心持ちでスタンバイしていたような気がする。2014年は、いつの間にかワールドカップの開幕を迎えていたという感じだ。これはいかんことのような気がする。
#copadomundo2014


 開幕してからの3日間、目覚ましもタイマー録画もまだしていない。これもいかんことのような気がする。スペインvsオランダはときどき居眠りしながらも見たし、イングランドvsイタリアも見たし、もちろん日本vsコートジボワールも見た。8試合のうち3試合。少ないような、こんなもののような。
#copadomundo2014


 スペインはずいぶんと冴えなかった。かと言って、オランダがすごかったとも思わなかったのだけれど、ファンペルシーとロッベンはすごかった。こういう「個」が日本に現れる日が来るんだろうか。バロテッリやドログバを見ても同じことを思うわけだけれど。根っこの方から何かが違うのだと思う。
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# by mono_mono_14 | 2014-06-15 14:36 | 蹴/calcio | Comments(0)

K坂の情景 12

 歩道にあふれた人。カメラを向ける人。坂の中腹にある小さな、だけれどもこの坂を印象づける役割も大いに果たしているお寺の境内で、節分の豆まきが行われているようだった。豆がまかれ、たくさんの手が宙に伸びる。小さな紙の袋に入った何粒かの福豆を運よく掌中に収めた人は、やはりなんだかいいことがありそうな心持ちがするのだろう。僕は門前の歩道からほんの一瞬、そんな風景を目にしただけなのだけれど、それで十分に福を味わった気がする。[2014.02.03-15:30]
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# by mono_mono_14 | 2014-02-04 11:58 | 街/citta | Comments(0)

K坂の情景 11

 神社と一緒に建ったモダンなマンション。その裏手側には、かつての面影が東京らしいごった煮的な風景として取り残されていた。まるでちょっとした展示であるかのような唐突さで現れた井戸は、装いこそ新ただけれど、きっとかつてからそこにあったのだと思う。絶えず引き直される境界線の狭間に、何の変哲もないかつての東京が残る。時に新しさにひるまない潔さすら漂わせながら。はからずも立ち現れる新旧のモザイク。それが東京の奥行きを醸しだす。[2013.08.01-13:00]
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# by mono_mono_14 | 2013-08-01 17:46 | 街/citta | Comments(0)

まほうの夏。

Divertiamoci l'estate! (voglio andare al mare!!)

 夏休みがぐっと短いものになり、下手するとブツ切れになったり、もっと下手するとロクになかったりするようになってから、早20年が経ったけれど、今年は「夏休み」ということにマトモに向き合うことになった。いや、夏休みは相変わらず短く、かつ、これといったプランに満ちているわけでもないのだけれど。

 『まほうの夏』は、夏という季節がいかに素晴らしいか、どれだけ大切かということを、改めて思い起こさせてくれる、それこそ魔法のような絵本だ。ほんとうにすばらしい。くりかえし読んでしまい、そのたびにじぃぃぃんと胸にせまるものがある。日本中の家という家にこの本があればいいのに。それだけで日本がぐんとシアワセな国になるんじゃないか。そう思う。一家に一冊。

 明日から8月(早い!)。で、今年の8月は2回は海に行きたい!(・・・なんてささやかな願望なのでせう。。。)
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# by mono_mono_14 | 2013-07-31 21:04 | 本/libro | Comments(0)

「営業中」

"APERTO" sarebbe l'obiettivo piu' importante sul cammino di restaurazione. Ci credo.

 かつてを知る人たちに言わせると高校時代の僕は「話しかけるなオーラ」なるものを相当に漂わせていたそうで、そんなことないよーと棒読みで言ってはみるものの、身に覚えがまったくないわけでもなく、でもまあ、ともあれ、それから約30年の時を経て、ありとあらゆるオーラを発さなくなった僕に、かつての同級生が話しかけてくれることもぽつぽつと起こるようになったのだった。

 「はっと」って何?

 ある日、そう尋ねてくれた同級生がいた。僕がネットの片隅に放り込んだ、お世辞にも上手とは言えない「はっと」料理の写真にも、そんな問いを引き出すくらいのナニカはあった、のかも知れないね。

 2011年7月、僕は初めて被災地を回った。今をときめく(?)久慈の辺りから南相馬の原発20km圏(当時はそこから先には入れなかった)まで下っていったのだけれど、海沿いはどこもかしこも壊滅的だった。すでにものすごい数の専門家が現地に入り、最善を尽くしていたのだけれど、空間的な復興はとてつもなく長い道のりであることが一目瞭然だった。
 岩手県山田町の大沢地区も津波にほとんど一掃されてしまったエリアだった。その荒野然たる光景の中に、小さな四角い建物とその脇に赤いのぼりがはためいているのが見えた。「営業中」と書かれたのぼりだった。立ち寄ってみた。食品や生活雑貨を並べたお店は、もちろん津波に洗われたのだけれど建物は流失を免れ、僕らが訪れた数日前に営業を再開できたのだそうだ。言葉を失う光景の中ではためく真っ赤なのぼりは頼もしく輝き、お店のご夫婦の笑顔は穏やかで力強かった。「営業中」。そのことのかけがえのなさが僕を打った。もう、このことだけを追求できれば、復興する街の形なんて、いっそどうでもいいと言ってもいいんじゃないか。どちらかと言えば、街の形を考えるタイプのシゴトに就いているにもかかわらず、その時、僕は確かにそう思ったのだった。そして、今でも基本的にはそう思っている。街の形の大事さも信じて疑わないけれど。
 余談ながら、この時のことを、なぜだか北海道足寄町の広報(2011年12月号)に寄稿する機会があった。検索して辿ればバックナンバーのPDFがまだ読める。
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 「営業中」を目指して立ち上がろうという被災企業を応援する「セキュリテ」というファンドのことを知ったのはわりと早い時期だった。その頃、ファンドが募集されていたのは確か6社で、どの社もぐっと来るストーリーを携えてはいたのだけれど、僕に最も訴えかけたのは、気仙沼で唯一の製麺業者だという丸光食品(現・丸光製麺)だった。だって、麺類のない人生なんて、考えられる? 考えられないよ。もちろん、気仙沼にだって大手の麺類は入ってきていたはずで、丸光がなければ麺類がないわけではないだろう。でもね、そういう問題じゃないんですよ。こういう存在は代替が利かないものなんです。このことに、僕は確信がある。
 実際の僕にできたのは、ほんのわずかばかりのファンドを積むことくらいだったし(他にもこまごまとないではなかったけれど)、今は、また生産できるようになった「はっと」を美味しく(というか自皿自賛で)食べるくらいのことだった(他にももっとやれることはあるはずだけれど)。でも、2011年まで少しも知らなかった丸光の「はっと」を、僕がこれからもずっと食べ続けていくということが、被災地にひとつふたつと増えていってほしい「営業中」の中身なのだ(ほんのごくごく一部にしかすぎないのは重々承知だけれど)。

 唐突だけど「はっと」のこととかを書いてみた。来る8月10日が「はっと」の日なので。吉祥寺でイベントがあるので、こっそりと行く予定。

 (後記)別のところ(FB)に書いたものほぼそのままだけど、まあいいよね。自分で書いたものであることには変わりがないので。
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# by mono_mono_14 | 2013-07-29 11:36 | 雑/quotidiana | Comments(0)