寺井暁子『10年後、ともに会いに』

Spero che tanta gente legga il primo libro di Akiko Terai per pensare la sua propria vita in questa era di cambiamento. Un buon libro, mi piace molto.

 アーティスト自らが手売りしているようなインディーズなCDを、この1年かそこらの間に5枚ほど買っている。ミュージシャンにとって、CDを制作するというのは、ずいぶんと簡単なことになったのだろうと思う。もしかすると本もそうなのかも知れない。人気ブログが次々と書籍化されたり、オンライン入稿的な自費出版もずいぶんとお手軽になっている。
 もっとも、それらはいずれもブツにするところのハードルが下がっただけで、中身をつくることや、広く買ってもらうことのハードルが下がったわけではない。だから、誰かが書いた読むに値する文章が本の形を取り、僕の手元に届くということは、その間にいくつもの偶然が折り重なった結果であることもあいまって、ちょっとした奇跡のような、喜んでよいことなのだと思う。

 今年の9月だったか、新宿タイムズスクエアの紀伊國屋書店にトークイベントを見に行き、その時に買い求めた1冊をようやく読み終えた。寺井暁子『10年後、ともに会いに』、クルミド出版。この本がひとりでも多くの人に読んでもらえたらいいのに、と思っている。勝手に。

 凡庸な高校生だった僕にとってすら、高校時代は特別な時間だった。何が特別だったかを説明するのは難しい。でも、確かにかけがえのない特別な時間だった。寺井さんの高校生活は、僕の知っているような凡庸な高校生活とはずいぶんとかけ離れていて、寺井さんが感じているだろうそのかけがえのなさを僕は想像しきれない。でも、きっと特別な時間だったに違いないと思っている。その高校時代の同級生を世界中に訪ね歩く旅がもたらした物語、それをみずみずしく編み上げた本だ。
 3部構成になっている。第一部がヨーロッパ・北米編、第二部がイスラエル・パレスチナ編、第三部がエジプト編。それだけでもう、どんな高校だ、という話だ。

 アキコがヨーロッパやアメリカにかつての同級生を訪ね歩く旅を綴った第一部の文章は、僕にどこかしらアツコを想い起こさせた。客観的で冷静なフィルターを通して自分の感情をどちらかと言えば淡々と吐露しながら、私的世界にとどまらない広がりや余韻を読み手(端的には僕だ)に与えてくれる、そんなところが似ているんじゃないかと思った。アキコの方がその文章にみずみずしく初々しいところはあるが、それも当然と言えば当然で、アツコが初めての単著『ミラノ 霧の風景』を世に送り出したのは還暦を過ぎてからのことだ。
 いくらか緊張しながらも状況を冷静に捉えられていた(ように見える)第一部と比べると、第二部、そして第三部は、自分が直面する状況や感情を受け止めきれていない濁流感というか疾走感にあふれていて、とてもグルーヴィだ。とりわけエジプト革命のただ中に身を置いた第三部がすごくいい。この時代、そのような場所に、寺井さんのような感性と知性が居合わせたことは僕らにとって幸運なことだと思う。このような感性と知性は、きっと今後もいろいろな場面に遭遇することになるのだろう。それらがまた本の形を取って手元に届いてきたら、それはやはりちょっとした奇跡のようなこととして喜びたいと思う。Let's see what happens later.

 「ねえ、あなたにとっての光と影ってなに?」(p.19)

 「そんな風に考えたら先生たちが悲しむよ。それにもし同じ理由でみんなとも疎遠なら言わせてもらうけれど、私はとてもあなたに会いたかった」(p.68)
 「会えてよかった。君は僕に光を運んできてくれた。君がこの旅をしていることが光だと思う。だから僕のためにも続けてね」(p.70)
 ……世界を変えるというのは誰もが当たり前に持っていていい想いなんだというひとつの原点に連れ戻してもらえる気がした。それぞれの場所で。それぞれのやり方で。(p.117)
 ただ、気になっている。それだけで会いに言ってもいいのだと思ってみる。(p.122)
 うらやましいのはどっちだ、と私はこっそり思った。仲間たちと志をともにして、自分のアイデアで事業を1歩1歩積み上げていく。そのすべてが自分の歩みだ。観客の私は、彼らを見て喜ぶことや感動することはできても、1歩1歩の本当の味を噛み締めることはできない。(p.138)

 「イスラエルの友達が言った。僕たちは学校で3年間アラビア語を勉強した。やっと平和になると思っていたんだ」(p.249)
 「パレスチナでお茶をと家に招き入れてくれた人が言った。私は人生で3回の戦争に遭いました。メリークリスマス。来年こそは平和が訪れますように、と」(p.250)

 「革命を見に来い」(p.270)
 「それに私たちの世代ってさ、変化を起こすために生まれてきたんだよ!」(p.297)
 「たぶんね、エジプトの人が革命によって気づいたのは、『自分たちは自分たちが思っているよりも多くのことを自分たちでできる』ってことだよ」(p.304)
 「また明日」──その明日が来ることはなかったのに。(p.381)
 今までの自分だったら、どんなことでも自分にできることを何か思いつけただろうか。画面にかじりつきながら、私はモナやアリアのことを考えた。ツイッターで人を動かし続けた彼女たち。そのそばにいて自分も変わったんだ、という確かな手応えを感じた。(p.387)

 「そういえば、ホゼがクリスマスに帰ってきたとき、アキコと再会したときの話をずいぶんとしていたよ」(p.395)

 私たちは、今でもきっと、お互いに影響しあって生きている。(p.395)


 最後にこっそり書きつけておくと、恥ずかしながらこのことには初めて気づいたのだけれど、旅の途中の寺井さんの会話は基本的には英語でなされていたはずなので、ページにみずみずしく滑らかに記されている会話は、著者が訳者となって翻訳しているのだ、ということ。著者が日本人で、日本語で書き下ろしたとしても、それが翻訳文学であることがあるんだということに、初めて気づいたのだった。今ごろなのかよとあきれる向きもあるでしょう。ええ、今ごろなんです。そして、僕が惹かれやすい日本人の著作は──須賀敦子にしろ、堀江敏幸にしろ──、翻訳のニュアンスを帯びた書き手が送り出しているものなのかもな、と思った。大発見だ。僕以外の誰にとっても意味がないが。かつてのアツコの会話もイタリア語だったはずなんだな。

 冒頭、本を手軽につくれる時代などと書いた。この本は、そんな時代に逆行するかのように丁寧に丁寧につくられた本だ。よくこんな値段(税抜き2,500円)でつくれるなーと驚いてしまう。ぜひ、1冊、お手元に。

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# by mono_mono_14 | 2014-12-30 17:12 | 本/libro | Comments(0)

『「自分メディア」はこう作る!』と『多眼思考』

Ho letto i due libri tascabili di chikirin, famosa per i suoi blog e twitter, e mi sono piaciuti tutti i due. Sono molto interessanti, stimolanti e suggestivi, e credo che meritino di essere rileggere frequentemente.

 ちきりんさんの、たぶん二部作と言ってもいいんだろうと思う2冊、『「自分メディア」はこう作る!』(以下『自分メディア』)と『多眼思考』。とてもおもしろかった。おもしろいだろうことは予想していたのだけれど、想像以上だった。なんて言うか、気持ちのいい&気前のいい本だった。どちらも。スタンディングオベーションだ。・・・とiMacの前に座って書いているけれども。

 僕は、ちきりんさんがブログの固定読者層に引き込みたいと思っている潜在ターゲット層に入っていただろうと思うし、そしてわりと最近のことではあるけれど、すでに(とびきり熱心とは言えないにしても)いちおう固定読者のひとりとなっているわけなので、『自分メディア』の方で披瀝してくれているブログ読者増強戦略のところなどは、わがことを振り返っているかのようにおもしろく読んだ。僕がちきりんさんの「術中にはまった」ように見えるけれど(実際そうと言えばそうだけど)、でもそれはむしろ逆で、僕(ら)に合わせて術を組んでくれているだけなのだ。いやー、よくわかってるよなー、そうなんだよねー。という感じだった。感嘆。紙版を出してもらえてよかった。
 ちきりんさんがブログを始めたのは2005年の3月らしいので、それでいくと僕の方が半年ばかり早かったりして驚くのだけれど(日記をつける習慣もなかったのにさ)、ブログに対するビジョンやそのクオリティ、その後のスケール感の違い等々はまったく無視した上で言うと、運営方針みたいなものにところどころ近しいものを感じ、なんて言うか、嬉しかったり勇気づけられたりした。ま、もう少しちゃんとエントリを上げないとダメだけどー。ええ…。はい…。がむばります…。

 『自分メディア』の方は、そういうことに関心のある人ほど楽しめると思うけど、ツイッターからつくった『多眼思考』の方は、これは誰が読んでもおもしろいのではないかと思う(どちらか1冊ならこっちをより多くの人に勧めたい)。
 耳障りのいいことや溜飲を下げるようなことばかりが書いてあるわけではなく、むしろ耳の痛いことやトゲがチクっと刺さるところも多いと思うけど、だからこそ誰もが自分ごととして読めると思う。
 「感想? まぁ、総じて言えばおもしろかったな」と思えたかどうかという辺りに実は線があり、その線の向こうとこっち(おもしろかったか、響かなかったか)では全然違うんじゃないか、訪れる未来や手元に引き寄せるシアワセが。そんなリトマス試験紙か踏み絵のようなところもある。
 章立て(章タイトル)が「お題」で、ツイート群(各ページ)がちきりんさんの(現時点での)自由回答。膝を打ったり腹を立てたりしたら、そこから悶々と自分の回答案を考えなきゃいけない。もし、どこかのページを読んでカチンと来たりしたら、それはもう、最高の反応のひとつだと思う。超チャンスだ。そのカチンを一所懸命に考えてみれば、自分のシアワセについて一所懸命に考えているってことになると思う。ちなみに僕は、カチンと来ることはなかったけれど、自分に照らしてしょんぼりするところはちらほらあった。どこを開いてもいろいろ考えさせられる文章だらけだった。ま、考えているだけだとダメだけどー。ええ…。はい…。がむばります…。

 ツイッターからつくられた本は世にたくさんあるのだろうけれど、ツイッターからこういう本をつくれる人は、ほんとうに少ないだろうと思う。その都度のツイートが素材として優れていないといけないし、私的な事柄ではなく社会的な事象に触れてないといけないし、でもそれをいかにもなまとめやクリシェでなく表現するのはそんなに簡単ではないし、てか、それどころか「自分らしさ」が漂っていないといけないし、そういうツイートを折に触れ発し続ける(=考え続けている)必要があるし。ほんとにすごいことだと思う。敬服。
 あと、編集。材料(ツイート)と調理(編集)が合わさって絶妙な一皿(一冊)になっているわけで、編集という行為の価値や意義もびしびしと感じられた。編集にも敬服。

 最後に、これは本当にたまたまだ(と思う)けれど、ちょうど国政選挙になったので、20代、30代、まあ40代も入れよっか、そういう人たちが、『多眼思考』を読んでから投票に行くといいんじゃないかと思ったり、した。

 そんじゃーね。
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# by mono_mono_14 | 2014-12-03 22:08 | 本/libro | Comments(0)

『WOOD JOB!』

Mi sono visto un film giapponese intitolato "Wood Job!" al Ghinrei. Tanti rispetti alla gente della montagna e loro lavori!

 『WOOD JOB!(ウッジョブ)』がギンレイにかかる。そのことを知ったのはたぶん一月ほど前だったと思う。ふと気がつけば上映期間も残すところ3日となっていた。手帳の隙間は翌日の最終回にしかなかった。その隙間でなんとか観に行ったことを自賛したい。グッジョブ! ・・・これが書きたかったのか、この導入は。自分でも知らんかったわ。

 ストーリーはおもしろかったし、仕込まれた小ネタにもその都度ついつい笑ってしまった。山は神去どころか神々しかったし、山の仕事も山の祭りも美しかった。モダンな産業としての林業ができてくる遥か昔から、山と向き合う仕事と暮らしがあったんだろうなあ、そりゃあったよなあと思い、そういう人たちが山に住む神様のことを信じるのは実に当たり前のことだよなあなどと思った。世界中の山あいでそうだったに決まってるよなあと思ったし、それはきっと海でも同じだよなあなどと思った。山の仕事と暮らしがあり、山の神様がいる。さて、僕の仕事と暮らしに神様はいるのだろうか。

 原作が自宅の積ん読の森のどこかにある。そろそろ間伐しないといけないよなと思うので、地方都市に向かう車中とかで読みたいのだけれど、そんな機会がなかなかない。
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# by mono_mono_14 | 2014-11-07 22:30 | 文/cultura | Comments(0)

『知ろうとすること。』

Mi sono letto un libro tascabile intitolato "far saperne" da Hayano ed Itoi. Con i dialoghi tramite le attivita' per sapere le condizioni radioattive in Fukushima, i due autori ci danno un'atteggiamento per sapere qualcosa di piu', soprattutto ai giovani.

 早野龍五・糸井重里『知ろうとすること。』をするするーと読み終える。東日本大震災後の福島をフィールドとした早野さんの取り組みを素材として、糸井さんと早野さんがしゃべりあったことをまとめた本。
 彼らが何をしゃべりあっていたのかと言えば、福島の現在と未来のようでもあるけれど(そして実際、その貴重で信頼できそうな情報でもあるのだけれど)、自分のよって立つ足もとをきちんと固めて、より明るい未来を見通そうとする態度についてだ。そういう「知ろうとする」態度やふるまい方を、これからを生きる人たちは身につけるべきだという信念であり、そうしようよという提案だ。
 ほんとうにするするーと読める文庫本なので(著者の2人だけでなく編集者の貢献も大)、内容は手にとってそれぞれに感じ取ってもらいたく、ここでは特に触れない。

 …とは書いたものの、以下、自分メモも兼ねて、いくつか断片的に書き残しておきます。

 『糸井 ……ぼくが測定に立ち会う係だったら、「カリウムのことは先に言いましょうよ」って提案すると思います。』(p.125)
 話題は、乳幼児でも全身の放射線量を測定できるベビースキャンの性能と使い方。放射性カリウムの影響が測定結果に出るということをあらかじめ聞いておいた方が検査に興味が持てるし、結果に安心もできるはずだ、と瞬時に反応して口をついたこの瞬発力。日頃、どれだけ真剣に受け手(消費者)目線で考えぬいているのかと。

 『糸井 ぼくは、昔、……ひとりであれこれ考えていたことがあるんですよ。……原子と電子であらゆるものができているんだとしたら、この路傍の石と俺は親戚じゃないかって思ったんです。』(p.143)
 そんなことを考えていたこと、そしてその考えにひとり感動したということに、ただただ感嘆した。単に僕がそんなことを考えたことがなかったというだけのことかも知れないけれど、吹き出しそうなコメントの裏側にひるむような深みを見たような。

 『早野 ……自分が研究したり、発言したりする分野において、過去に何が起きて、いまどこまでがわかっていて、どこからがわかってないかというようなことは、勉強しなくちゃいけない。それは必須です。』(pp.150-151)
 早野さんが淡々と、でも揺るがぬ信念として語った言葉は、科学者にのみ当てはまることがらではなく、誰もが自らに繰り返し問いかけるべきことがらだ。あらためて声高に宣言するようなことではなくても、でもそんなの当たり前だろと気にも留めないということでもなく。正直、ややうつむき加減になってしまう自分を感じたりもする。僕の手元の読み終えた1冊には、このページにしおりを挟み込んである。
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# by mono_mono_14 | 2014-10-01 16:30 | 本/libro | Comments(0)

『ローマ環状線、めぐりゆく人生たち』

Mi sono visto un film italo-francese "Sacro GRA" che mi ha fatto pensare della vita, quella dolce, amara e bella.

 久しぶりに映画を観た(…と思ったのだけれど、春に「アナ雪」を観たな、そう言えば)。
 『ローマ環状線、めぐりゆく人生たち』。お盆休みの土曜日に封切りされた映画をその翌日に観に行くという、異例のフットワークで。スタートで行っておかないと、あ、明日までだった…とか言いながら見逃す予感がしたので。ドキュメンタリー映画として初めてヴェネツィア国際映画祭で金獅子賞を受賞したのだそう。原題は『SACRO GRA』(聖なる大環状線)。ローマ郊外をとりまく全長約70kmの環状高速道路(GRA)の辺りで淡々と送られているあの人この人の日常を重ね合わせた寄木細工のような作品。

 ローマに行ったとしても、観光客の立場であれば絶対に行かないだろう辺りに、当たり前のことだけれど、頭に想い起こされるローマらしさとは無縁と言ってもよいような普通の人生が無数にちりばめられている。スポットライトを浴びるわけでもなく、かつて想像した未来とももしかしたら違った筋書きを呈しているかも知れない、そんな人生が、無数に。それらを細かく丹念に、でも淡々と重ね続ける93分の後に、生きることの掛け値なしの素晴らしさが、上澄みのようにじんわりとにじんでくるのを感じ取っている。必ずしも甘露ではなく苦みがあるかも知れない。それでも、生きるということの極上の味わいであることは確かだと思う。
 パンフレットに掲載されている監督のインタビュー(正しくは対談だけれど)を読んでいると、このような映画が撮れること自体がちょっとした人生の奇跡のように思えた。

 本編が始まる前に流されるいくつかの予告編を見ていると、お、観てみたいなーと思ったりした。まさにそう思わせるためにつくられた短い映像は、さすがによくできているのであった。そして、映画は映画館で観てこそ映画だなぁなどということも思ったりした。
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# by mono_mono_14 | 2014-08-18 21:58 | 伊/italia | Comments(0)

また4年後に [07]

 終わってしまえばあっという間だ。トーナメントからがほんとうのワールドカップだというのは、たぶん正しい。ほんとうのワールドカップは、わずか16試合だ。あっという間に終わってしまうのも道理だ。ここでその16試合を今さらながらに振り返ることはしないし、できない。ドイツは優勝に値するチームだった。
#copadomundo2014


 いいチームが常に勝利するわけではない。アルゼンチンが優勝してもおかしくはなかった。この試合もマスチェラーノが素晴らしかった。前線の1人か2人がもう少しトップフォームだったら、あるいはディ・マリアがいたら、アルゼンチンが勝てたかも知れない。それでも、今回は勝つべきはドイツだった。
#copadomundo2014


 ブラジルの終わり方は、「ブラジルにとって」ではなく「サッカーにとって」衝撃だった。ブラジルもあんなふうになってしまうことがあるというサッカーのおそろしさであり、ブラジルがあんなふうになってしまったという事実自体のおそろしさだった。あってはならないことが起きてしまった、そんなふうだった。
#copadomundo2014


 日本は5大会連続出場ではあるけれど、まだ2回しか「ほんとうのワールドカップ」には出ていない。ブラジルでさえもあんな濁流に飲み込まれて消えていってしまう、そんな「ほんとうのワールドカップ」の常連になること、その辺りが日本の目標だ。「らしさ」以前に、そこにいくんだという気持ちが見たい。
#copadomundo2014

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# by mono_mono_14 | 2014-07-17 17:20 | 蹴/calcio | Comments(0)