『ボクたちはみんな大人になれなかった』

 『ボクたちはみんな大人になれなかった』の読後感は、ページに綴られている映像的で音楽的な魅力をも放つ文章だけでなく、タイトルそのものにも大きく引きずられ、広げられている。うつむき、息を潜めている、いまひとつ大人になれていない自分。そんな自分を意識の表側にぐいっと引きずり出し、向き合わせられる。読んでいる僕のそのバツの悪さ、落ち着かなさと、「ボク」が生きているヒリヒリするフラジャイルな日常、グルグルと揺れ動く心情の描写とがないまぜになるうちに、疾走感あるグルーヴに飲み込まれ、読み終えている。

 どういう時代に20代を生きることになるのかは、たまたま与えられた運命的なものだ。60年に生まれれば80年代を、70年に生まれれば90年代を、それぞれの20代として生きるよりほかない。その80年代がたまたまバブル経済期だったり、90年代がたまたま失われた10年と呼ばれる時期だったりするのは、もう、どうすることもできない。そんな時代と年代の運命的な巡り合わせが瑞々しくグルーヴィに綴られている。読み進めながら、誰もがその人なりに持っている若き日の衝動をレファレンスする。僕の生きた20代は、「ボク」が駆け抜けた映画のような日々ではなかったけれど、それでも自分に置き換えて思い起こすことができるあれやこれやが散りばめられていた。「ボク」が先の見えない焦燥感のなかでエクレア工場に勤め始めた1993年、遅まきながら僕もまた社会に出たのだった。

 話は変わる。これは、たまたま今朝、若干の経緯はありつつもなんとなくイラッとして家人につっけんどんな態度を取ってしまい、それを俯瞰しているメタな自分が「これはちょっとモラハラ的なんじゃない」などと評論し、そのメタ評論を感じ取っている自分が「あいかわらず人間できてないなー」と自己嫌悪的な気分に包まれていたときに不意に湧いてきたことなのだけれど、世のあらゆるハラスメントは加害者側の甘え、つまるところ「大人になれていない」ことのなせるわざなんじゃないか。
 うっかり送られてきた友達リクエストを承認した彼女が、「ボク」の投稿にたくさんの「ひどいね」を並べるなかに1つだけ「いいね」を打つ。その行為から甘く苦いセンチメントとともに伝わってくるのは、寛容であり、信頼であり、受容である。この態度がまさに「大人」なのではないか。

 場面は穏やかながら、背後でどんどん圧を高めて疾走していくようなエンディング。すべてを包み込み、すべてを解放する、宗教的とすら言えそうなカタルシス。「A Day in the Life」の最後の和音のような響きと余韻。そして、新しい一歩を踏み出せるよう、そっと背中を押してくれる。キミも大丈夫だよって。

 この本は、今日を生きる僕らに奏でられた救済の歌だ。
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# by mono_mono_14 | 2017-07-08 03:38 | 本/libro | Comments(0)

倉方俊輔『吉祥寺ハモニカ横丁のつくり方』

 倉方俊輔『吉祥寺ハモニカ横丁のつくり方』読了。おもしろかった。
 本書がその「つくり方」を解明したかと言えば、まだ道のりは長いと思うが、記録すべき時に記録しておくことの価値は大いにアピールできたと思う(形見さんの語りなど、その証左となった)。「つくり方」としては、設計者よりもむしろ、地権者の話やファイナンスの話などがあるとよかったようにも思うけれど、もっとも、どこまで解き明かしたとしても「つくり方(方法論)」にはならないのかも知れない。それでも、倉方さんが言うように、横丁に対する感興を記述する計画言語がないのは事実だし、問題でもあるし、計画的につくれるような道筋を探るさまざまな作業、試行錯誤が必要で、この1冊がそのストラグルであることは確かだと思う。ナラティブ・プランニング、語られし思いからなる計画論(みんなの意見をポストイットに記してグルーピングして何かが見えた!といった営みとは決定的に違うものとして)の一端が見えた…ような気がした。…錯覚かも知れない。そう思うほど仄かにではあったけれど。目次をぱらぱら見るとまるで姉妹本のような三浦展『人間の居る場所』を続けて読んでみる(…予定)。
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# by mono_mono_14 | 2016-04-15 18:08 | 本/libro | Comments(0)

退院の日に。

Mi sono operato sul tendine di Achille e domani ritornero' in vita quotidiana con le stampelle.

 過日、1年以上ぶりのフットサルにてうっかりアキレス腱なんぞ切ってみた。年度末コースターがまさに動き出さんとする時期に降って湧いた(と言うか自らが降らせて湧かせた)しばしの入院生活をそれなりに満喫し、明日より社会人に戻る。ただし、移動速度が推定2歳児並みの松葉杖ライフ。オフィスは坂道にあり、最寄駅のバリアフリーはどこもかしこもまるでなってない。どうなることやら。
 それにしても、夜間診療、入院、手術と身をもって体験すると、医療従事者の激務ぶりと献身ぶりにはただただ頭が下がる。ありがとうございました、とここに書きつけておきましょう。そして、僕が僕のデイリーライフを大事にして、日々を充実して過ごすことが、彼らへの報恩だと思う。がむばりたい。…と言うか、うっかりコケて再断裂とか、絶対に避けたい。
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# by mono_mono_14 | 2016-02-01 15:13 | 雑/quotidiana | Comments(0)

思いがけず思い浮かべたこと

Un pensiero che avessi in mente ad un concertino.

 21世紀のモーツァルトなどとも称されるアーティストも公演したホールでちびっ子たちの合唱だの合奏だのを聴く機会があり、さながら敬老席のおじいちゃんのような心持ちでどっこらしょと手元のチケットが示す座席に気楽に腰かけて開演を待っていたのだけれど、プログラムの最初を飾るいちばん幼いグループが元気よく放った歌声の第一声からガツンと殴られたかのような衝撃を受け、そんな思いもかけない事態にいくらかおろおろしながら聴くうちに、ほぼ落涙寸前の体で曲の終わりを迎え、壇上のまぶしいちびっ子たちに心からの拍手を送りつつ、僕の頭をよぎったのは、どうにも飛躍すること甚だしくはあるけれど、「あぁ、子どもは社会の未来の明るさそのものだなぁ」ということであり、「彼らの未来が少しでもよくあるように大人は今をがんばらないとな」ということであり、「戦争はいけないよ」ということだったりしたので、いかにも敬老席にふさわしい想念かも知れないながらも、そのようなことを思いもかけずに思い浮かべたことにまた驚いた。
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# by mono_mono_14 | 2015-02-26 21:01 | 雑/quotidiana | Comments(0)

あるライブに思ったこと。

Mi sono visto un live dei miei amici. Loro sono stati molto brillanti sul palco. Ho sentito i grandi valori nelle loro musiche, soprattutto loro continuita' delle attivita' musicali. Bravi, complimenti!

 中学卒業以来(より正確には2年生から3年生になる時に別のクラスになってからと言うべき)、30年以上を経て、かつての級友が小さなライブのステージに立つのを観に行く。飲食系雑居ビルの5階にある小さなライブハウスでは、アウェイ感というか、身の置きどころのない感じというか、そんな気分をひしひしと感じるに決まっていることはわかっていた。開場は17時半。開演は18時。その友だちはオープニングアクト。遅刻は厳禁、しかし早すぎる到着もつらい。そんなことを悶々と思いながら、しかし家を出たのは、オンタイムベースで言えば小一時間も早い時間だった。出発どきを家で待っているという状態も落ちつかなかったのだ。乗換駅の辺りで無印良品を冷やかしたり、駅の立ち食いそばで腹ごしらえをしたり、トイレを済ませたり。会場のビルまで来てからも数分ほど辺りをうろうろした後に、ま、いいやとエレベーターに乗り込んだのは、開演15分前くらいの時間だった。
 受付で名を告げる。チケットのメール予約の際にどの出演者の関係者かを書く仕組みになっていて、僕はその級友の名前を書いていた(実は、もうひとり、そこに書くべき出演者の候補もあったのだけれど、今回はこっちにすべきだと思ったのだ)。級友の名も告げる。受付のひとりが「そのヨメです」と言った。こういう先制パンチはまったく予期しておらず、意味不明にしどろもどろになったりした。
 フロアにはそこそこ人が入っていたけれど、どうにかまだ誰も座っていない隅っこの4人がけのテーブルを見つけることができ、ビールを片手にその一番奥の席に潜り込んだ。あとは、ただ、彼を筆頭にいろいろな人が順繰りに繰り出す弾き語りに身を委ねていればいいはず。少し落ち着いた。友だちがふらっとステージに上がり、セッティングを始めた。

 すごくよかった。

 ライブは、何人かが順繰りにソロでアコースティックギターの弾き語りをやり、そのうちに3人くらいのバンド編成になり、そうこうするうちにエレキギターに持ち変わり、最後には全員でセッションして終わった。18時に始まったライブが終わったのは22時を優に過ぎていた。

 余韻の残るフロアは、徐々に帰り支度だ。僕も1時間以上かけて帰らなければいけないのだ。僕は、ステージ上で機材の片づけに取りかかる級友に近づき小さく声をかけた。メールした時には思い出せないと書いていた彼は、僕を見て「思い出した!」と言った。ほんとうかー? と訊き、彼は思い出したと繰り返した。「ずいぶん横に広くなったね」とも。僕はきみんちの2階で初めてエレキギターを弾いたのさーと30年以上前のちっぽけな出来事を持ち出し、彼は、そうだねーそうだねーとニコニコしていた。ライブはどうだったかと訊かれ、もちろん、すごくよかったと答えた。ほんとうかー? と訊かれ、僕はほんとと返した。わけもわからず何度も握手をし、必ずまたライブを観に行くことを約して別れた。

 出口のところで、出演者自らが手売りしているCDを2枚買った。そのうちの1枚は、今日、初めて知り聴いた人のものだった。ライブ中から彼の演奏には惹かれるものがあった。CDを買ってもらえるとありがたいと何度も言っていたけれど、そんなMCがなくても買っただろう。盤面にサインをしてくれた。行けるライブがあったら行くと伝えた。ちなみにもう1枚は、高校の同級生が暮れに出した新曲だ。

 商業的な成功とはまた別の次元のものとして、音楽をやり続けていることの輝きがあった。心打たれた。No Music, No Life— まさにこの語がぴったりだと思った。音楽を携えて歩み続けている彼らの人生におめでとうを送りたい。何かを携えてこその人生だよなということを強く強く思ったひとときだった。行ってよかった。
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# by mono_mono_14 | 2015-01-14 22:22 | 雑/quotidiana | Comments(0)

ギターは鳴り続けて

Andro' al live dei miei amici a domenica prossima. Forse avro' sentito qualcosa dalle loro chitarre.

 ひょんなことから、僕にロックを授けてくれた中学の同級生がまだギターを携えてロックしていることを知った。ブログ上で通販していた新作CDを買った。向こうは僕のことを思い出せないようだった。そらそうだね。僕は彼に何も授けていないわけだし。
 この連休中に演るライブを観に行く予定だ。会っても思い出させないかも知れない、この30年間での激しい外見的変貌を考えれば・・・。まあ、それは甘んじましょう。ずっとギターとともにあっただろう彼の30年が、ずっと鳴り続けていたギターは、今の僕にどのように響くのだろう。そのことを、いくらかの緊張とともに、楽しみにしている。同じステージで、高校の同級生が新曲を演るだろうことも、同じように楽しみにしている。
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# by mono_mono_14 | 2015-01-09 20:23 | 雑/quotidiana | Comments(0)