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中沢新一『三位一体』

 「おもしろかったわ! この薄さが、ありがたいね。30分で読めちゃうものね。」などというタモリの推薦文を帯にまとった中沢新一の『三位一体モデル』を、地下鉄に乗っている短い時間などを足し合わせて読む。本文を読み終えるのに要した時間は、正味で言えばやっぱり30分程度だったんじゃないかと思う。従って、出張のお供に持って行ったりするには不向き。遅刻常習犯との待ち合わせの時なんかにどうでしょう。

 正直、僕はもっとガツンと殴られると言うか、目からウロコがだだ漏れると言うか、そういう読後感を期待していたのだけれど、何だかすっきりしないもやもやとした、どうにもやるかたない気分に包まれてしまった。レクチャーのテープ起こしみたいな本なので、きっとレクチャーはもっと僕の内側に斬り込んでくるものだっただろうとは想像するものの、読み終えた第一印象は微かな苛立ちやうっすらとした失望感にすら彩られたものだった。しかし、やはり、つまらなかったわけではない、ということは書き添えておかなければならない。

 以下は、僕なりの僕の読後感の第1次分析(のようなもの)である。大したことは書かれないながら、もし、同書を読むつもりがある方は、まず本の方を読まれてから、以下の拙論をご高覧賜れば幸甚な所存。ま、どちらかと言えばってことだけれど。

拙論
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by mono_mono_14 | 2006-11-29 23:59 | 本/libro | Comments(0)

Cesare Picco『My Room』

Un album intitolato "My Room (La Mia Stanza)" di un jazz pianista italiano Cesare Picco mi e' piaciuto. Cesare suona il pianoforte liricamente, cool e groovy. Ci sara' tenuto un live a Tokyo il 3 dicembre. Dovrei andare?

 師走も迫る街はとうの昔にクリスマシー。日本はクリスチャン1人当たり換算のクリスマス商戦規模の最も大きい国だろうと思う。そんな数字に意味があるかはともかく、むやみやたらと日本に馴染んでいる。甚権兵衛、甚権兵衛、鈴が鳴る。これくらいの馴染み方だ(意味不明)。

 ・・・と書き出してはみたものの、実のところ、僕はクリスマスにはあまり関心がない。だからなのかどうなのか、「昨年出したピアノ・ソロによる『クリスマス・チューン』が、「イタリアで最も売れたジャズ・アルバム」に選出」などと書かれていても、その『クリスマス・チューン』なるアルバムを手にするのは、どこか憚られるものがあった。しかし、そんな惹句で知ることとなったチェーザレ・ピッコなるジャズ・ピアニストには興味津々だ。『マイ・ルーム』なる普通のアルバムを手に取った。イタリアのジャズ・ピアニストはステファノ・ボラーニに次いでふたりめだと思う。

 控えめで叙情的、少しメランコリックな音。しかし、一方で明るく伸びやかな透明感もある。ジャズとかイタリアとかいう境界を軽やかに越え出て行く。めくるめく陶酔のフレージングとかいうことではなく、ひとつひとつの音のいいところを見つけて、褒めてあげて、空に解き放ってあげる、そんな感じのピアノだ。ときおり重ねられるプログラミングも端正で、静かなグルーヴを醸す(もう少しガサツな僕は、もう少し大胆なアレンジも歓迎)。
 カエターノの「coracao vagabundo」を演っている。僕が持っているボラーニのアルバムもブラジル音楽(というかジョビン)を集めた1枚で、原曲へのリスペクトとアーティスト本人の味つけ加減が絶妙にバランスしている佳作だが、ピッコのカエターノもいい。

 このアーティストを知り、アルバムを入手するのに併せて、間近に迫った初来日のニュースも知ることになった。12月3日、一夜限りのブルーノート東京。こういうタイミングは逃すべきじゃないんじゃないか、と、僕の内なる声が言っている。いわゆる「『夢の人』理論」だ。・・・って、ちっとも「いわゆる」ではなく、僕が、たった今、名づけただけだけれど。ポール・マッカートニーが書いた『夢の人(I've Just Seen the Face)」という曲にちなんでいる。詳説は割愛するが、偶然を必然へとなし崩しに変換しながらポジティブに生きるための素敵な理論だ。まあ、自皿自賛みたいなものですよ。ファーストステージを観て、ナプレで晩ご飯。おお、美しい。この企画にぐっと傾く僕。

 「cesare」は、何となくチェザーレとカナにされてしまうことが多かった気がするが、やっとチェーザレという表記が普及してきた模様で、それはいいと思うのだが、しかし、ジャケの気取ったアルファベットに力いっぱいミスタイプが紛れ込んでいるのはいかがなものか。まず、あり得ないながらアーティスト本人の名前に誤記がある。「casare picco」って誰? 加えて、そのピッコが担当する楽器「vomputer programming」って何? 「c」は隣だ。誰かひとりくらい印刷に回す前に気づいてくれ。
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by mono_mono_14 | 2006-11-28 22:57 | 音/musica | Comments(0)

本城直季 on TV

 写真家・本城直季がNHKの『トップランナー』に出演。沈黙を愛でるような息詰まるトークセッション。やけにピュアな瞳が印象的。再放送は11/30の24時より総合テレビ(たぶん)。撮影風景をはじめ作品の裏側が垣間見られるテレビもいいのだけれど、とにかくおもしろい写真を撮る人なので、写真集『small planet』を立ち読みしてほしい、と僕は思う。ま、立ち読みを推奨することもないのだが、買ってくれというのはどう考えても行き過ぎ感あるので。・・・なんなら、上のアーティストの名前に張ったリンクから作品が少し観られるので、それで済ませてもいいですよ。。。

 以前に行った本城直季の展示のことを書いてみたのはこちら
 本城直季の写真が堪能できる建築ムックの話がこちら
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by mono_mono_14 | 2006-11-26 23:59 | 文/cultura | Comments(4)

米の街のリゾット

Mi sono fatto il risotto all'isolana. Non sapevo quel piatto prima ma la foto sulla pagina del ricettario mi sembrava molto buono. Mi sono divertito il processo di cuocere e sarebbe inutile dire che me ne sono mangiato benissimo.

 「イーゾラのリゾット」をつくる。ただし、なんちゃって版。なぜなら、材料を端折ったから。必要なのは1個だったり少々だったりするスパイスを、30g入りのビンを数百円で買わなければいけないという、マダム李な展開に二の足を踏んでしまった。実際には、そういうスパイスの部分こそ頑張らねばならなかったであろう。次回は頑張りますよ。なお、マダム李は李夫人ゆえ理不尽の意な。あら、寒い? 寒かったら暖房を強めてくださいね。風邪をひきますよ。仔牛肉などというのも都合よくスーパーには置いていないものだ。ゆえに豚肉だけで済ませてしまった。

 リゾットにはリゾットの教科書がある。『お米で新鮮イタリアン』。僕にもつくれそう(錯覚を含む)&美味しそうという2大条件を満たす今宵の品は「イーゾラのリゾット」。伊語では「Risotto all'isolana」。たぶん。イーゾラ・デッラ・スカラという米作の街があるそうで、そこのご当地料理。たぶん。
 そんな街を知っているはずがあるわけのないいんちきイタリア語使いの教科書クッキンガー。ググる。こんなのに行き着く。いんちきイタリア語使いには荷が重いのであった。場所だけはわかった。

つくってみた。
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by mono_mono_14 | 2006-11-26 23:59 | 味/buono | Comments(6)

トリプル・ポイント・デー

 HMVがトリプル・ポイント・デー。メトロポリタンプラザを覗く。残念ながら、Avion Travelなど、棚には気配すらないのであった。それでもつい3枚買う。秋の夜長っぽいヤツ。・・・と思って買ったのだけれど、何だかすでに冬めいているような気がしてきた。うかつだ。

 さすがにトリプル・ポイント・デー。カゴいっぱいにCDを詰め込んでいる人なんかもちらほら見かける。30枚くらいは入っていたり。すげー。あなたは業者ですか。@2Kで60Kですよ。このKは三振じゃないぞ。それがトリプルポイントだから、と他人の財布事情ながら浅ましく計算すると、ざっと360ポイントになるわけで、これは概算で9Kに相当するのだから、毎回奪三振だ(違)。9÷60=15%ナリということで、昨今、こんなに利回りのいいローリスク商品もないだろう。僕の定期預金なんて0.15%ですよ。文字通りケタが違う。CDをコンスタントに必要とする人にとっては、トリプル・ポイント・デーは、やっぱり看過できない1日なのだなぁ、と思った次第。これがワナかどうかは、正直、よくわからん。

 大釜炊きのご飯が美味しい護国寺の和食屋さんに入ったら、今日は桜えびの炊き込みご飯があった。美味。至福。
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by mono_mono_14 | 2006-11-25 23:59 | 雑/quotidiana | Comments(2)

ピッコラ・オルケストラ・アヴィオン・トラヴェル

Forse circa cinque anni fa che ho comprato un cd di "Piccola Orchestra Avion Travel" intitolato "Selezione 1990-2000". L'ho ascoltato dopo alucuni anni di intervallo e ho potuto sentire una brezza confortevole. Voglio provare un loro nuovo disco.

 「Piccola Orchestra Avion Travel」という小楽団を知ったのは、ジョヴァノッティを知ったのと同じ頃、教育テレビのイタリア語会話の中でだった。とは言え、見た瞬間に激しく惹き込まれたとかいうのではなく、ふぅぅん、という感じだったのだけれど、その流浪感と寂寥感と孤高感に彩られたビジュアルと音楽は、何となく引っかかるものではあった。そして、今となっては記憶も定かではないのだけれど、しばらく経ったある日、たまたまCDショップの棚でベスト盤っぽい1枚を発見し、何かの縁だということにしたんだったと思う。その時の1枚しか手元にはない。『Selezione 1990-2000』。ベスト盤の類だと思う。久しぶりに引っ張り出して聴いてみた。

 1曲目に収録されている「sentimento」でサンレモを勝ったらしい。愁いや重さをはらんだ音色だけれど、よく聴けばずいぶんと自由を感じるメロディ。続く「aria di te」が佳曲、と言うか僕の好み。抑えめだけど小気味よいアレンジ。ギターワークがシブい。少しジャジーで、少しブラジリー(なんていう語はないと思うが察せられたい)。「dormi e sogna」のような曲が、このグループの得意とするところだと思う。翳りと奥行きのあるアレンジ。前衛的なところもあり、ロマンティックなところもある。軽やかな詩の朗読のような「abbassando」には、欧州大陸の知性が薫る。こういう曲をフランスっぽいと思ってしまうのだが、なぜだろう。続く「la notte ha cambiato la citta'」も知的だ。ブライアン・フェリーっぽい知性に彩られている。タイトル通り夜が似合うロマンティックな曲。このタイトル自体がかっこいいと思う。同じ夜でも、これを「king of the night time world」などとやってしまうと、知的な薫りはどこへやら、めっきりキッスになってしまう。いや、そちらも好きだけれど。
 6曲目の「cuore grammatico」は、イタリアの“南方性”が前面に出ている楽しい曲。シャイな陽気さが何とも言えず気持ちいい。伸びやかなストリングスが美しい「cirano 2」、アップテンポに言葉を重ねていく「primo amore」。この辺りも聴き応えがある。打楽器(とも言えないかも知れない、何かを叩く音)が基調をなす「belle cavigile」は実験的なようでもあり、古くからある演奏のようでもある。不思議な曲。何かを打ち明けるかのように歌われる「la chiave inglese」。題のせいもあって、ふとスティングの「イングリッシュマン・イン・ニューヨーク」を思い出した。いや、決して似ている曲というわけではないのだけれど。と言うか似ていないのだが。優しいピアノの調べに導かれて始まる「comico」は、モダン・ダンスなんかと相性がよさそうに思う。
 「la famiglia」もジャジーでブラジリーだ(同前)。僕の好みだ。ギターとサックスの絡みにゲッツ=ジルベルトを思い出した。続く「l'atlante」はもの悲しいアコーディオンが印象的。どこかしら演歌的でもある。タンゴ調のアレンジで迫ってくる「la conversazione」は、波のように軽やかにうねるサビメロで少し印象を変える。このサビのパートは言葉のリズムも含めておもしろい。「la via delle indie」は、僕の耳には馴染み深いラテン・パーカッションがあしらわれている。ラテン・ジャズという感じの1曲。ラストを飾る「l'astronauta」は、鼓笛隊を想起させる小気味よいドラムスに、時にノイジーなギターやブラスが重なってくる厚みのあるアレンジ。

 いや、久しぶりに聴いたけど、いいな、これ。へなちょこレビューを書こうと思って聴くといろんな発見があって嬉しい。こんなのまだ売ってんのかな(つか、活動は続いてるんだろうか)などと思い、少し検索してみたところ、2003年にアルバムが出ているようだった。ジャケの雰囲気もよい。探そっと。

〜僕の手元にある風変わりなイタリアの音楽たち その2〜

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by mono_mono_14 | 2006-11-22 23:03 | 音/musica | Comments(0)

街の大きな病院にて。

 健診でダメ出しされたので大きな病院へ。いちおう紹介状など持って行くも2時間以上を待合室で過ごすハメになった。予約診療の人たちがいる合間に診てもらおうというムシのいいハナシなので、まあオーラスに回されてもやむを得ないでしょう、と、半ば諦めつつ、数多の積読本から抜き出して持ってきていた松原隆一郎『分断される経済』など読みながら、混雑していた待合スペースがだんだんと空いていくのを眺めていた。

 長い待ち時間の途中、もしかして明治の人かな、いや、まさかね、というかなり高齢のご夫婦が僕の隣に座った。当然の現象だが、お爺ちゃんは耳が遠いらしい。看護婦さん(今は看護士さんと呼ばなければいけないのかも知れないが)も大きな声でゆっくり話しかける。それでも聴き取れなかったりしている。それなのに、お婆ちゃんの小さな声は全部聴き取れている。すげえな。金婚式をとうの昔に済ませたような筋金入りのご夫婦だと思う。一緒に過ごした時間の長さが偲ばれる。いや、すごい。天晴れだ。このご夫婦は、ふたりともぱりっとしたツイードのスーツなんか着ちゃっており、ちょっとしたよそ行きのお出かけのようであった。いや、何かいいものを拝見しましたって感じだ。

 2時間以上待って迎えた診察(と言うか問診? と言うか検査日程の打合せ?)は、当たり前だが5分程度で終わる。まあ、そんなもんでしょう、こういう大きな病院は。しかし、病院側としては、いちおう紹介状を持ってきた患者を2時間以上待たせたことを何だか相当の失態だったと悔いているようであり、次回こそは必ずや挽回しますから! などと看護婦さんが言ってくる。あはは、挽回って何? 超VIP待遇で診察してくれるんだろうか。しかし、次回は時間予約済みの検査だけなので渋滞のしようもない。そのことに看護婦さんも気づき、次回は挽回に不向きだと悟ったようだ。検査結果を聞きに来る日が決まったら教えてください、その日こそ必ずや今日の挽回を! みたいな熱い宣言を聞く。おもしろいな、この人。看護婦さんと言うよりは料亭や旅館の女将肌のような気がするよ。1,800円を支払い、3時間近く滞在した病院を出て、帰路に就く。いや、帰っちゃいかん、会社に行け。はい。そんなわけで、来週は胃カメラagain。
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by mono_mono_14 | 2006-11-22 17:13 | 雑/quotidiana | Comments(0)

『壊れゆく景観』

 川村晃生・浅見和彦『壊れゆく景観』を読み終える。僕の中では『犬と鬼』と同系列に位置づけられる本だ(そのつもりで買った)。「消えてゆく日本の名所」と副題にあるとおり、主として古典文学において賞賛されてきた、敬意を払われてきた、崇められてきたような風景を抜き出し、それが今、いかに無惨な姿に変わり果てているかを指摘する形で、景観軽視(あるいは無視、侮蔑)の傾向に異議を唱えている。「田子の浦ゆうち出でて見れば真白にぞ富士の高嶺に雪は降りける」などがポンと置かれたりして、百人一首が宿題と知的娯楽の合間をたゆたっていた頃(焦点が合わないくらい遠い目になってしまうローティーンの頃か、いや、もう少し前か)を思い出したりする(僕の記憶は「田子の浦にうち出でて見れば白妙の〜」だったが)。

 著者のふたりは古典文学者で、ゆえにこの著作を貫いている通奏低音は「文化的な歴史を軽んじる国土行政に対する怒り」であるが、その怒りには、添えられた写真を見れば、なるほど、いただけない、と思わせられるものがある。・・・のだが、曲がりなりにも1億2千万人が生活を営んでいる21世紀において、ヤマトタケルが見晴るかしたであろう碓氷峠とはまったく違う現在の碓氷峠の風景を嘆いてみても、読み手の僕は困惑するばかりだ。
 確かにこの本には、ほんとにセンスのかけらもない、風雅とは縁遠い、文化的とは言いがたい公共事業や行政あるいは民間企業の意思決定がいくつも詰まっていた。何に価値を見出してこのダサい事業を推し進めたのかなあと思わされた。それでも、人口減少時代に入るとは言え、しばらくは1億人で生きて行かざるを得ないのだ。それを前提とした現実的で具体的な作戦が必要なのだが、中世や近世を引き合いに憤ったり嘆いたりするだけだったのが、この本のとても残念なところだ。「・・・それを考えるのがあなたたちの職域でしょう」。わ、やぶへびだ。

 歴史、古典文学、風景などに興味のある人には、それなりにおもしろく読めると思う。ひとつひとつの題材がコンパクトにまとめられている辺りも読みやすい。
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by mono_mono_14 | 2006-11-21 19:46 | 本/libro | Comments(0)

教科書クッキンガーな週末。

 教科書クッキンガーな週末。土曜日の晩、ミートソースをつくる。ミートソースをつくるのはたぶん2回目。まだまだヒヨコな教科書クッキンガーである。みじん切りにしたタマネギとセロリを炒め、合い挽き肉を焼く。赤ワインを注ぎ入れて煮詰める。トマトの水煮を放り込み30分ほど煮込む。冷蔵庫で一晩寝かせる。僕も寝る。日曜の朝、茹でたパスタと和える。ブォニッシミ。自分で言う。これが醍醐味。興に乗れば、シェフ、これ美味しいね、ありがとうございます、などと独りでやってみるのもアリ。ナシか。それにしても落合さんの教科書は、ほんとに簡単に美味しくつくれると思う。
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 日曜日の晩。ちらほらと芽の目立つようになってきたじゃがいもと闘う。かねてより目をつけていた「じゃがいものガットー」なる料理に挑戦。繙く教科書は「おいしいイタリア野菜料理教室」。

 ガットーは綴れば「gatto'」(oにアッチェント・アクート(`)がつく(うろ覚え))。最後のアッチェントをくれぐれもお忘れなきよう。猫が出ますよ。語源はフランス語のガトー(gateau(最初のaにアクサン・スィルコンフレクス(^))だそう。しかし、これからつくるのは、ドカベンふう焼きコロッケといった感じの一品だ。

 まずはパン粉づくり。バゲットを薄切りにし、焼き色がつかないように注意しながら焼いて水分を飛ばす。それをミキサーにかけてサラサラなパン粉にする。レシピにあるのは教科書クッキンガーを悩ます魔の指令、「適量」だ。どれくらいの量のパン粉が要るのかもわからなければ、バゲットをどれくらい使えばどれくらいのパン粉が出来上がるのかもわからない。とりあえず、8-10ミリ厚を12枚ほど切り出してパン粉をつくった。まあまあのパン粉ができたんじゃないかと、早くも自粉自賛。

 じゃがいも500グラム。キタアカリを5個。今日の教科書には電子レンジでもいいと書いてあるので、迷わずレンジを選択する。普通に茹でるのは僕の手に余る難事業であることをニョッキの時に悟っていた僕である。じゃがいもも茹でられない教科書クッキンガー。道行く人が後ろ指を指すがメゲてはいけない。
 キタアカリを水で洗ってラップにくるむ。100グラム2分半の法則を参考に5個を12分。上々の茹で上がりだ。今度からはニョッキもこうやってつくろう。嬉々としてポテト・マッシングに移る。あっけなく終わる。うっすらと寂しい気分に包まれながらマッシャーを流しに置いた。

 茹でている間に具材の準備。教科書にはモルタデッラとサラミとあるのだが、東京国際女子マラソンの中継画面からも明らかな寒さっぷりだ。軟弱な教科書クッキンガーは最寄りのスーパーで入手できたコッパとロースハムで手を打つ。小さな短冊に刻む。パルミジャーノを摺り下ろす。モッツァレッラをサイコロに刻む。
 マッシュしたキタアカリに溶き卵、バター、パルミジャーノ、牛乳を放り込み木べらで混ぜる。・・・混ざらん。ちゃぽんちゃぽんと揺れるばかりで、なかなかいもと牛乳が一体化しない。バターにいたっては固まりのままごろごろしてやがる。つい先ほど寂しい気分で手放したマッシャーを再び手にし鍋から飛び出さないように注意しながらちゃぽちゃぽと混ぜる。教科書の写真と較べるとずいぶんと緩い。引き続き混ぜてみる。ちゃぽちゃぽ。ちゃぽちゃぽ。ちゃぽちゃぽ。もうこれで許せ。コッパとハムを投入。塩こしょう。ちゃぽちゃぽ。

 耐熱皿にバターを塗りパン粉をまぶす。ちゃぽちゃぽを半ばまで流し入れ、モッツァレッラを散らす。再びちゃぽちゃぽを流し入れ、モッツァレッラを散らす。まんべんなくパン粉をふるう。パン粉がほんの少し余ったので、景気よく追加する。バターを散らす。180℃のオーブンで1時間ほど焼く。
 180℃のオーブンで約1時間。なんと大いなる挑戦であろうか。セブンイレブンのお弁当やお総菜を温めることを主な任務としてきたレンジに、とうとうオーブンという重要な任務を与えることとなったのだ。しかも、1時間の長丁場だ。パム(仮称)、これまですまなかった。どうか今日の機会を意気に感じて頑張ってくれ。くれぐれも発煙だの発火だのといった態度に訴えるのは控えてくれ。頼む。PAMと書かれたオーブンレンジにすべてを託す。
 オーブン焼きの過程はいかにも地味であった。薄い電球色に照らし出された庫内でうんともすんとも言わずに焼かれているだけであった。焦げ目がくっきりしてきたり、チーズが溶けていったり、などというビジュアルな展開はほとんどない。パン粉が身じろぎもせず皿を満たしているだけであった。
 1時間が経った。パム(仮称)はこの一世一代の大仕事を見事にやり遂げやがったのだ。おめでとう、パム(仮称)!

 美味い。熱い。美味い。お約束の自皿自賛。見た目はきなこ餅のようだが気にするな。紛うことなきじゃがいものガットーだ。しかし、シェフ。これはパン粉が多すぎますよ。最後に景気よくふるったパン粉は、どうやら余計だったようだ。嗚呼、「適量」の魔の手に落ちた教科書クッキンガー。道は険しい。気にするな、さあ食べようじゃないか。美味い。熱い。美味い。適温。美味い。温い。・・・やや飽きた。違う味は出て来ないのか。でも、冷えても美味しく食べられる。だらだらと飲むワインのお供などに。
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 例のごとく美味しくなさそうな写真ですまん。あと無駄に長文になってそれもすまん。
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by mono_mono_14 | 2006-11-19 23:59 | 味/buono | Comments(4)

Stop the Clocks / Hit Parade

 すでに皆さんのお手元にあることとは存じますが、ポール・ウェラー先生とオアシスがそれぞれオールキャリアベストをリリースされております。いやあ、やっぱりロックっていいですね。ええ、ほんとにとってもいいですよ。

 前座のオアシス。何と申しましょうか、鬱屈とした伸びやかさみたいな、これってどう考えても表現が矛盾しておりますが、ノエルのシンプルなロックン・ロールを書く能力、それを声に乗せて解き放つリアムのスケール感が、紛うことなき“オアシス感”を醸し出しております。『Stop the Clocks』と題された2枚組CDに収められた18曲は、ノエルが自身の理想のセットリストとして構成したとされております。オアシスのライブをDVDですら未見の僕にはアコースティックナンバーの入り方が少し腑に落ちないところもないではないのですが、ライブにしたら気持ちよさそうな展開になっております。ゆめゆめたかがオアシスなどと思うなかれ、されどオアシスを痛感することでしょう。親指シフトが一世を風靡したのです(違)。
 ポール・ウェラーがべた褒めした(んだったと記憶しております)デビューアルバム『Definitely Maybe』のリリースが1994年。12年にわたるキャリアの、オアシスがデビュー12年と言うのは長いのか短いのかさっぱりわからない感じがありますが、ともあれマンチェスターの生意気バンドが生意気なまま世界を制圧した12年の足跡は、1枚目は46分テープに、2枚目はボーナストラック2曲を含めて60分テープに収録できそうです。え、もう誰もカセットテープに落としたりしませんか? そうですか。
 フルアルバムには収録されていないながら、僕が思うに大傑作であるところの「Fade Away」が収録されていないのが残念なのですが、なんと! 初回プレス盤にはボーナスDVDが付属しておりまして、そこにライブ映像が収められております。泣かせますね。うわー、まだ小さなライブハウスで演っていますよ、泣けますね。ちなみにこの「Fade Away」、『Help』なるチャリティCDでジョニー・デップが共演したことでも知られております(それともさほど知られていないでしょうか?)。さらに、このDVD、「Champagne Supernova」のライブ映像も収められていますが、なんと! この曲でジョン・スクワイア(元ストーン・ローゼズ)がギターを弾いていますよ。泣きそうと言うか、鼻水垂れそうですね。リアムの「ジョンヌィ〜♪(Johnny)」という紹介MCがすんばらしく味わい深いです。
 万が一、何かの手違いでまだお手元にお持ちでない方は、ぜひぜひ初回プレス盤をお早めに。

 さて。今、オアシスに前座を務めさせることができるアーティストがいるとすれば、おそらくそれはポール・ウェラー先生しかおられないでしょう。オアシスを前座にする意味がわかりませんが。オアシスの12年のキャリアを微笑ましく見やる30年の長きキャリアを総括したベスト盤でございます。直球ど真ん中のタイトル『Hit Parade』。ウェラー先生がベスト盤をリリースする時は、たいていの場合、レコード会社との間に問題が生じている時なのですが、今回もそのケースに該当するのかどうかは存じません。どうでもいいのです、そんなことは。ジャムから7曲、スタイル・カウンシルから6曲、ソロになってからが9曲と、非常にバランスのよい選曲となっています。聴いてみるに、セットリスト的な構成になっているように感じます。控えめに言って、とてつもなく素晴らしいです。
 それにしても30年ですよ。その歩みをこれだけ等価に並べて、しかも年代順ではなくランダムに入れ替えているにも関わらずアルバムとして成立するというのは、どう考えても尋常ではございません。二十歳頃に書いた血気盛んな青いロック・チューンと、肩も上がらなくなっていくであろう五十歳を控えて書いたナンバーが違和感なく、そしてマンネリ感もなく、等しく瑞々しいロックとして鳴っていることの驚き。正直、ここまで違和感がないとは思っておりませんでした。ものすごいです。あ、monoがすごいのではありませんよ、ものすごいのです、誤解ありませんように。ないですか。
 最近のライブでは、終演を告げる曲と化しつつある「Town Called Malice」がオープニング・ナンバーです。もう1音目からじぃぃんとします。チキンスキンがズキンズキンです。ラスト・ナンバーが「Start!」になっております。ジャムに始まりジャムに終わる構成に、自身のキャリアに対する揺るぎない自信を感じます。そして「Start!」という語で終えられていることが、今後のさらなる発展的展開を予感させます。期待せずにはおれません。それにしても、このセットリストでのライブを演ってくれたらどんなに素晴らしいでしょう。仮病でも談合でも履修漏れでも何でもして万障繰り合わせて駆けつけますよ。などと言っておりますが、ま、来日ライブがあればセットリストなど問うまでもなくいそいそと駆けつけるわけですが。
 なお、同タイトルの2枚組DVDも発売されておりまして、こちらはジャム〜スタカン〜ソロの全シングルのプロモが収められております。皆さますでにご覧になっていることとは存じながら、念のためご案内を差し上げておるわけです。いや、しかし、若きウェラー先生の若いこと! そのまんまですね、すみません。スタカン時代のちょっとナルシスティックな感じもたまりません。刈り上げボブとかしてみた若い頃を思い出します。あ、言わなくてもよかったな、これ。鬱陶しい前髪をかき上げたりしつつプールバーで玉突きなどしてみた若い頃も思い出しますよ。あ、これも言わなくてよかったか。ともあれ、30年のキャリアを映像で振り返るのは、なかなかに胸が甘酸っぱくなるところもあるわけですが、きっとこれは胃酸過多ですね、僕もキャリアはともかく馬齢は重ねている次第です。
 まあDVDは別といたしましても、CDの方はぜひぜひお試しいただきたく、万が一、何かの手違いでまだお手元にお持ちでない方のために、僭越ではございますが、短くご案内させていただいた次第です。世代的に僕と大きく離れていない洋楽リスナーには、あの頃スタカンは聴いてたなーという方もおられるでしょう。そういう方にこそ、ぜひぜひ聴いていただきたいです。遠い目で懐かしんでしまうスタカンもときおり鳴るわけですから、聴きやすいと存じます。

 いかようなエクリチュールでも、ロックに対する感動がきちんと込められていれば、それは読み手にロックに伝わっていくであろうことを信じて疑っておりませんゆえ、此度はかような雰囲気でお届けしてみました。その狙いが我ながらよくわかりませんが。ご静読ありがとうございました。嗚呼、ロック万歳!!
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by mono_mono_14 | 2006-11-17 23:54 | 音/musica | Comments(0)